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恵比寿に海とキリン

作者: 山崎山

 恵比寿は案外海に近い。職場のビルの窓から、港湾に鎮座するキリンのような大きなクレーンが見えた。

 そのキリンがどういった用途で使われているかは知らないが、少なくとも私はそのキリンが港湾に好んで生息することを知っていたので、自然と海が連想された。窓から見えるキリンの大きさは目の近くでつまめるくらいだったので、要はそれだけ海が近いということだ。恵比寿に海。妙に繋がらない二つの単語が、いとも簡単に私の常識を覆した。私の常識なんてそんな程度だったという風にも思える。

 実際その通りなんだと思う。恵比寿と海は同時に思い浮かぶことはないし、なんとなく内地だという印象があった。今恵比寿にいる人々の頭の中に海があるとも思えない。潮の香りもしない。だが現に、海は私の目の前にある。

 この職場のどれくらいの人がこの事実を知っているだろう。いつも窓際でお昼を食べている若い子達は「意外と海近いんだねー」などと話しているのだろうか。話していたとして、他愛のない会話で終わって広がることなどないだろう。もっと魅力的な話題が彼女たちにはあるはずだ。海は、彼女たちの会話のつなぎに過ぎない。

「何してんの! そろそろ会議始まるよ!」

 同僚に背中を叩かれた。力加減を知らないアマゾネスめ。しかしながら言い返す余地のない正論なので、大人しく同僚についていく。

 振り返ると、そこにはまだ海とキリンがあった。どうしても私の常識を覆したその二つが気になった。どうしようもなくどうでもいいことのように思えても、私にとっては会話のつなぎなどではない。三十になればわかる。恵比寿が海とあまり離れていないという事実は、これまでの人生に一石を投じるくらい大きなことなのだ。

 もしかして、私はもう歳?

 いやいや。何でもかんでも年齢のせいにするのはよくない。なんなら街頭アンケートでも採ってやりたい。ここから見える景色を写真におさめて、ゆるふわ女子大生をとっ捕まえて「ここ、どこだと思います?」と質問する。恐らく「え~、わかんなあ~い」みたいにほざくと思うから、恵比寿ですよと教えた瞬間「恵比寿ってビールのイメージしかな~い」と答えるに決まっている。あれ、これじゃ主旨が違うな。ていうか恵比寿とキリンって、かなり攻撃力の高い単語の羅列だな。私はキリンが好きだからキリンしか飲んだことないけど。

 つまるところ、私たちの住んでいる世界には意外なことが多い。それが誰の目にも触れられず、一目見ればわかるのにあまり知られていないこととなれば、それを知っただけでその世界の裏の顔を見たような気分になる。そういう単純な思考回路をしているのは私だけではないはずだ。そういう単純な思考回路をしているからこそ、先入観や通念といった幕を自分の目に覆い被せて、そこから外れたことに感動したり嫌悪したり、無関心だったりする。私は基本的に感動する人だ。都合のいい人間だと自分でも思う。

 仮にこの景色で感激したのが私だけだとすると、それは誰も知らない私だけの秘密になる。つまり誰も知らないこの世界の裏側を、この私だけが知っているということだ。不思議といい気分になる。恵比寿と海が繋がった。その二つが繋がっているのは、たぶん私だけだ。

 だがそれも、時間が経てば私の中で常識となってしまう。常識を超えることの賞味期限は短い。気づいた時にはもう頭に上書きされてしまっている。そうして常識でないことは常識となり、私の中に積み重なって年を取る。

「あんた、何にやついてんのよ。気持ち悪い」

 だからまあ、私は何度も常識を覆される感覚を味わいたいから、単純な人間でいようと思う。そういうのを繰り返して年を取るのも悪くない。

「今日さ。飲みに行こうよ。恵比寿飲んだことないんだよね」

 世界は未知であふれている。






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