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「そうです!やってました!」
いろいろ考えていたのは何だったのだろうか。
つられる様に知っていることをカミングアウトすると、浩之は驚いた様な顔をしたもののすぐに笑顔になった。
「俺がSEASONSいた頃の舞台を観たことある人、初めて会いました!覚えてる人がいるって嬉しいですね」
何年も前の事を知っていても引かれるどころか喜んでいる様で。自分が考え過ぎなのか、相手が天然で良い人なのか、或いはその両方か。何だかよくわからない。ただこの様子を見る限りは劇団のことに触れても問題なさそうだ。
浩之の歌う声が好きだった。いつからか公演で見かけることがなくなって、大きな劇団だから役者の入れ替わりが多いことは知っていたけれど、もうあの歌声が聴けないのかと残念に思ったことを思い出す。
そんな相手が目の前にいて、こうして話をしているなんて何だか信じられない。……いや、だからと言って歌ってくださいとか言えないけど……。
浩之が最後の皿を洗ってかごに置くと優梨佳がそれを拭いて棚へと戻した。
「覚えていたというか、思い出したというか……。なんか見覚えあるなって……。それで、昔のパンフレットを引っ張り出して……」
「え!?じゃあもしかしてあのパンフレットって俺出てます?」
目を丸くして訊ねてくる浩之に優梨佳は静かに頷いた。くるくる変わる表情が何だか微笑ましくて思わず笑みがこぼれていく。
「何か淹れますね。コーヒーと紅茶、どちらがいいですか?」
ポットに水をいれて火にかける。お湯を沸かしながら訊ねると浩之はまたにこりと笑った。
「コーヒーがいいです!窓開けてると香りがすることあって。美味しそうだなって思ってたんです」
「じゃあ、美味しく淹れられるように頑張りますね」
そう言って、優梨佳は棚のコーヒーミルに手を伸ばした。
**********
座って待っててくださいと言われ、キッチンから出た浩之はダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。そこならキッチンカウンターに立つ優梨佳と話もしやすいだろう。
優梨佳がミルに豆を入れてハンドルを回しだす。カリカリと豆が挽かれていく音が一定のリズムを伴って辺りに満ちる。その音に耳を傾けていると、別の音が混ざりだした。
豆が挽かれるリズムに合わせるように紡がれるメゾアルト。視線はミルに落としたままコーヒーの香りと共に紡がれる鼻唄はいつも聴いていた柔らかな音だ。楽しそうで可愛くて微笑ましい、心地好い音。
何度も歌ったことがある自身も親しみのある歌。目を閉じて優梨佳の紡ぐ音に耳を傾けながら、浩之も歌を口ずさむ。
大変なことがあっても時がくれば高く跳べるというこの歌はコンサートでも子供たちが楽しそうに跳び跳ねてくれる人気曲で浩之自身も大好きな歌だ。
歌いだすと乗ってくるのは必然で。口ずさんでいたはずのそれは次第に大きくなっていき、気が付けば一曲歌いきっていた。
歌いきって目を開ける。いつの間にか豆を挽く音も優梨佳の鼻唄も止まっていた。
「すみません!つい一緒に歌っちゃって……って、え……?」
カウンターに立つ優梨佳へと視線をあげて、浩之は目を見張った。
豆を挽く手を止めて、自身を見つめる優梨佳の頬を一筋の滴が静かに流れていく。
「あ、あの!ど、どうかしました!?」
イスを蹴倒しそうな勢いで立ち上がり、慌てて声をかけた。突然のことに自分は何か粗相をしただろうかと焦りがつのる。
「え?あっ!……すみません!」
尋ねられて、初めて気づいたという様に、優梨佳は驚いた声を出し、目元を拭った。
「すみません、何でもないです」
はにかみながら微笑んで、優梨佳はミルから挽いた豆を取り出した。フィルターにセットしてゆっくりとお湯を注ぐ。ふわりと漂う柔らかなコーヒーの香り。それ以上聞くわけにもいかず、浩之もまたイスに座りなおした。
「おまたせしました」
テーブルにソーサーに乗ったカップがおかれ、カップの中で琥珀色が微かに揺れる。ペールブルーの濃淡のストライプとティアラの柄で、柔らかな曲線と丸みを帯びたデザインに台座のような足がついたカップはおしゃれでカフェにでも来たような気分になる。
優梨佳は同デザインで色違いのシャンパンゴールドのストライプにティアラの柄のカップとソーサーだ。
繊細なカップをそっと持ち上げて口にと運ぶ。カカオを思わせるフルーティーな香りが鼻を抜け、ビターな苦みが口の中に広がる。後口にのこるのはまろやかな甘味だ。
「美味しい……!」
丁寧に淹れられたコーヒーの風味やコクを楽しみながらほぅと小さく息をつく。
「よかった」
微笑みながら自身もコーヒーに口をつける優梨佳の目にはもう先ほどの涙の影は見えなくて、気のせいだったのかと思えてくる。
「先ほどは失礼しました。驚かせちゃいましたよね……?」
カップを両手で包む様に持ちながら恥ずかしそうに尋ねてくる優梨佳に、浩之は思わず息を飲む。俯きがちに、けれども視線は浩之に合わせてくるから自然と上目づかいになり、尚且つ恥じらいからか僅かに頬を朱に染めて……。いや、その顔は反則ではっ……!?可愛いが過ぎますけど!?
「……谷山さん?」
「え?あ、いや!あの……俺、何か気に障ることしました?」
つい見惚れてしまっていたものの、声をかけられ我に返る。そうだ。さっき、歌っていて気づいたら優梨佳は泣いていた。自分は何かやらかしただろうか。思い返してもよくわからない。あ!もしかして一緒に歌われるのが嫌だった!?邪魔するな的な!?
「全然!そうじゃなくて……」
優梨佳は言いにくそうに言葉を区切り視線を逸らすも、すぐに意を決した様に視線を戻すと微かに頬を染めながら恥ずかしそうに口を開いた。
「歌、聞けたのが嬉しくて。ずっと舞台で観てた人が目の前で歌ってるって思ったらなんか、こう……びっくりしたし、嬉しいし、気持ちがついていかないというか、なんというか……」
はにかみながら、それを誤魔化すように微笑んで並べられていく言葉は浩之は想像もしていなかったことだ。けれどそれは……。
「あ、ありがとうございます……」
顔を赤らめる優梨佳につられる様に、浩之もなんだか顔に熱が上がってくるのを感じながら、気恥ずかしい思いで頬をかく。
コーヒーを一口、口に含むと、何だか先程よりも甘味が増したような、そんな気がした。
**********
コーヒーを飲み終わり、気づけばすっかり遅い時間になっていて、浩之は礼を言って、部屋を後にした。自身の部屋に戻り、リビングに置いた巨大なクッションの上に転がる。
包み込むように体にフィットするクッションは安定性もばっちりで快適だ。人を駄目にすると言われているのは伊達じゃない。
クッションの上で一日の出来事を振り返り、小さく息を吐いた。優梨佳の部屋で過ごした時間は楽しくてあっという間に過ぎていった。ご馳走になった料理はどれも美味しくて、お腹も心も満たされるようだったし、またご馳走になる約束までしてしまった。そして……。
「観てました……。男性アンサンブルにいましたよね……」
驚きながらもそう口にした優梨佳の柔らかく笑った顔を思い出す。
「歌、聞けたのが嬉しくて。ずっと舞台で観てた人が目の前で歌ってるって思ったらなんか……」
恥ずかしそうに頬を染めて微笑む顔を思い出す。
浩之が劇団にいたのはそう長い期間ではない。その期間で観てくれていた人がいて、覚えていてくれた人がいる。それは記憶に残る何かがあったということで、自分の歌がどんな形であれ、相手に届いたということだ。それは素直に嬉しいし、少しでも舞台の感動を伝えられていたのなら歌い手として幸せだと言えるだろう。
(……届けられてるかな、今も……)
収録のスタジオで、コンサートのステージで、あらゆる場所で歌っている自身の歌は子供たちやお母さんお父さんに少しでも届いているのだろうか。
(届いてると、いいな……)
自分が歌うことで、子供たちが喜んでくれるなら、嬉しい。それを覚えていて、また誰かに歌ってあげたり、そんな風につながっていけたら、嬉しい。
そんな風に喜んでくれる人がいるから、明日からもまた、頑張れる。歌い続けられる。
(あぁ、そうだ……)
仕事、何をしているか言っていなかった。優梨佳の仕事も聞いていないけど。劇団はやめたけど、まだ歌い続けているのだ。それを伝えたら優梨佳は喜んでくれるだろうか。それとも黙っていた方がいいのかな、仕事的に……。
わからない……。とりあえずこれはまた今度、みんなに相談してみよう。
人を駄目にするソファの、その快適性に眠りに誘われる。あぁ、スマホ、充電しなきゃ……。
睡魔と戦いながら、ポケットからスマートフォンを取り出して、着信があることに気がついた。
龍生からのメッセージは簡潔だ。
『今度報告会な』
今度と言わず今でもいい。ついでに相談してみようと通話アプリを開く。
数回のコール音で出た相手に、今日の出来事を報告すべく、カレーが美味しかったことから話を始めると……。
『爆発しろ』
プツッ!!
「え!?ちょっと!?龍生お兄さん!?」
相談事を話し始める前に切れた通話はその後、かけなおしても繋がることはなかった。
なんで!?
優梨佳と浩之が歌っていたのは某番組の人気曲です。アリーナでやるコンサートではほぼやります。曲に合わせて子供を持ち上げる、子供は大喜びだけど親は地味につらいやつです。
曲は良い曲ですよ!落ち込んでるときに聞くと元気になる。