理解して怖いこと 2
––––数分前、赤扉の先。
「ぐはっ!」
「ごっ…」
数人の男女に取り囲まれていたが、全員地に伏す。
「……さて、ここまででいいですよね伊夏先輩」
彼女はコキコキと手首足首を鳴らしてこちらを向く。その足にはすでに鉢巻はない。
「ええ。どうも妨害電波があるのか通信ができないようですね」
片手に光るスマホは『圏外』と書かれ、切ってポケットにしまう。
「……ですので、今みたいに『格闘術』で闘う必要はないと思いますよ?」
彼女はあえて今異能を使わずに戦っていた。
しかし彼女は顔色一つ変えず、
「『ただの人間に使わない』ってユウマと約束した。彼との約束はこの世界や元の世界の法より僕には優先すべき約束です」
「……そうか」
確かに表情は変わらない。だが、ある種の行動を常とするものから見れば違った見方もできる。
そしてそれは私にも言えることだろう。彼女の言動の中にはどことなく、自身に言い聞かせているような、呪縛めいたものを感じる。そしてそれはきっと一度破り、彼女にとって一番辛い結果を残したのだろう、と。
「……そのまま進んで。この建物はなにかしらの異能で外観より広いけど、加えられたものの中にユウマのがあるから出口はある。進めば出られるはずです」
暗に彼女は「足手まとい」と言っている。しかし引き下がれない私は彼女の肩を掴む。
「…もどれない。まだ彼女がいるかもしれない。ここで引き下がるわけにはいかないんです」
瞬間彼女の視線に背筋がゾワッとする。煤野麻央は深い闇を感じさせる瞳で覗く。その闇が私を、何かそこしれぬ所へ誘おうとするかのように。
だが、彼女は瞬きする。その間に印象は真逆に穏やかに変わる。
おそらく試したのだろう、本当にその先に行く覚悟があるのかを。
「覚悟は受けとりました。でも、少なくとも今のあなたは副会長として先に行くべきです」
鉢巻を手渡され、
「僕、彼を幸せにする人なら喜んで祝福するんですよ?」
と、思いがけない一言から彼女は語り始めた。
「昔から彼が好きでした。当時周りの視線は『期待』と『嫉妬』のどちらかしかなく、どちらも重く、閉ざした時期があります。でも、彼はそのどちらでもない上、その視線を向ける彼らに立ち向かってくれたんです」
全校で話題になる理由がわかるほど、今の彼女は先程とは同一人物と思わせないほどの笑みを向けている。それはきっと『彼』を思うからこそ出るもので、煤野麻央は心の底から『彼』を愛しているのだろう。
「最初は期待、嫉妬、果ては独占欲で色んなことをしました。……でも、今は彼をただ守れればいい、そう思っているんです。彼は敵をつくり続けて孤独になりかけた。だから僕は、僕だけは彼から離れないと決めたんです!」
彼女の決意は今の彼に届いているのか……いやきっと、彼なら分かっているのかもしれない、分からないふりをしながら。
「……それを私に話して、なにが言いたいんだい?」
「あなたが、彼女の気持ちに一番気づいていたんじゃないかって事です」
「……」
「あなたのことは知っています。なんたって調べる対象に一番近い人ですから。……単刀直入に言います。僕は別に本気でユウマの彼女になるなら応援していたでしょうけど、あの人はユウマを利用してあなたに振り向いてもらいたかっただけだと、あなたは知ってましたね?」
その問いに、私は観念する。きっとどう取り繕おうとも、答えは覆せないから。
「ええ、執事ですので」
そして、私は彼女に語った。
語り終えた時、彼女は表情を変えることはなかった。
「……どうして」
「さあ? ただあなたはそれでも今は前を進むしか選択肢はないと分かっているからでしょうね」
そしてもう話すことはないとばかりに踵を返した彼女は、
「……利用したあの人は彼が許しても僕が許さない。でもユウマは必ず彼女をあなたのもとに届けにきます。………それまでに心を決めてください。分かっていても《嫉妬』したのなら答えは出ているでしょうけど。でないと依頼は終わらないので」
言い残し、彼女は駆け出す。
彼女の背中を見送り、私は前を向いて––––一歩引いた。
目の前に、あの夜の男が立っていたからだ。