濃霧の朝 3
坂波成 1C担任 担当科目古文・語学・英語
基本は眉一つ動かないため、周りでは『鉄仮面』と影で言われていたりする。若干怠慢な面も目立つものの、その全てをひっくるめるほどの教養から信頼は厚い。普段は信木の居眠りを古き良きチョークで起こすことからスナイパー並みの正確さもあり、しかし担当の部活はなし。
「ほら、お詫びだ」
坂波は缶コーヒーを二つ、俺と麻央に手渡す。
「…うぅ」
どうやら麻央はブラックがあまり好きではないようだ。かといって俺もブラック。子供舌な麻央はそーっと俺の方に缶をおく。
「ははは、冗談だ」
と坂波はわざとか、懐から出したのは今度は『苺ミルク』だった。
おそらく二重に皮肉ったつもりかもしれないが、麻央は笑顔で受け取って半分一気した。
「…普通殺そうとした人間の懐から出たものを一気する?」
「だって毒効かないし、麻痺効かないし、睡眠効かないし」
と指を折りながら数える麻央にさらに笑う坂波。
「…んで、なんで麻央を狙ったんですか?」
俺の問いに、彼女は苦笑しつつ答えた。
「…いや、別に彼女だけを狙ったわけじゃない。たまたま一人でいたから狙った。まさかヒラナゴがいるとは想定外だったけど」
自身の缶コーヒーを飲み干して、カゴに投げた。ピンポイントに、弧を描いてど真ん中に。
「で、あなたたちの命を狙ったわたしは許せる? 殺した方が安全じゃない?」
麻央が剣を出しかけたが制し、俺は坂波の目を見据える。
「…悪いっすけど『殺人道具』に麻央を使わないでもらえますか?」
彼女の意図はなんとなくわかっていた。
あの時、殺気を向けた彼女は、手にしていた二本のナイフを使おうとしなかった。『使えなかった』じゃなく『使わなかった』のだ。
殺す気なんて、本当はなかったのだと。
「……やはり君は奇妙なガキだ」
「別に、俺は麻央に無駄に人殺しはさせないだけです」
「なら、今から殺そうとすればせざるを得ないか?」
彼女は再びナイフを手に、刃先を向ける。
「…俺も殺したくはないですし、『平和流』は無駄に生物を殺さない流派です」
「…『平和流』、か」
坂波はナイフをしまう。
「……そんな綺麗事が、いつまで通じるか」
「通じますよ」
俺は晒さず見据え、坂波の見開く目を見続けた。
「俺はどんな手段でも現実にする。偽善でも義勇でも、悪でもなんでも」
「……お前なら、戻せるかもな」
坂波はどこか諦めたような目をしている人だった。だが今、彼女の目にその言葉は当てはまらないだろう。
坂波は姿勢を正し、頭を下げた。
「……虫のいいことは分かっている。だがどうか、わたしの部下を止めてくれ」