矛盾の修正
「ねえ・・・ところで、ティム。」
『ん?なんだい?』
「あたしが・・・地上に帰ってからのことなんだけど・・・。」
『・・・うん、そうだよね。ボクもその事は気になっていたんだけど・・・。』
ティムは改めて神酒が抱きしめていた腕から下り、そのままテーブルに飛び乗ると前足を舐め、少し考え込んだ。
神酒とティムが心配している事。それはもちろん、彼女が地上に戻ってからの環境のことにある。
かつて神酒と深い親交があった友人たちのみならず、今は地上にいる誰一人として神酒を知る者はいない。それどころかあらゆる記録からも神酒の存在は消されているはずなので、彼女が突然地上に戻っても、もしそのままなら神酒は生活をしていくことは出来ない。人間は生きていく上ではもちろん戸籍を初め、個人を特定するための数多くの記録が存在しているし、人とのつながりが必要となる。それを取り戻せないままに地上に戻るのであれば、神酒はホームレスにでもなるしかない。
『前にアルマに聞いたんだけど、ミキがルルイエに来ることで地上での存在の記録が消えたっていうことは、つまりそれが【この世界で最も自然な型】になったからだっていうことだったんだ。クトゥルーの存在に関わることは、地球にとってはいろいろと矛盾した要因を生み出す原因になってしまう。このルルイエに普通の人が簡単にたどり着けないのは、その矛盾を正すためにルルイエが別次元に移されているからさ。矛盾はこの世界に無理な歪みを生み出す原因になりかねないからね。そしてその歪みを修正するために、ミキが現実世界から切り捨てられたようになってしまったっていうことなんだ。』
「???・・・、ティムの言ってること、難しい!」
『う〜ん・・・、つまり・・・旧支配者と深い関わりがあるような人間がいるのは変だから、運命の神様が【そんな奴、最初からいないことにしちゃえ!】って考えて、過去を作り直しちゃうってこと。・・・・・判る?』
「う〜ん・・・。なんとなく。」
『まあ・・・頑張って理解して。
それでそのアルマの説明から考えると、ミキが地上に戻った瞬間から、また過去が作り替えられることになると思うんだ。ミキが普通に生まれて、普通に成長しているはずの世界にね。』
「それじゃ、みんながあたしの事を思い出してくれるの!?」
するとティムはちょっと困ったような顔をして、小さく首を横に振った。
『残念だけど、そうなるとは限らないよ。過去は【元に戻る】んじゃ無くて、【作り替えられる】んだ。だからミキが戻った時点で、そこがどういう世界になっているかは判らない。もしかしたら元の世界に戻っているかも知れないし、全然別の世界になっているかも。きっと君の両親や血縁の人たちはミキのことを覚えているはずだけど、シオリやマムやキララたちとは、全然知り合っていない世界になっているかも知れないんだ。』
「え〜!?」
ティムの言葉を聞いて、神酒はその場に崩れるように座り込んでしまった。
無理も無い。神酒にとっての親友たちである輝蘭、七海、絵里子、瞬、詩織、真夢の面々は、彼女がかけがいのないほどに愛し、友情を誓い合った存在である。神酒がルルイエに来た本当の理由が、実はこの仲間たちを救うためだったと言っても、決して言い過ぎでは無いだろう。それなのに彼女がいよいよ待ちに待っていた地上に戻っても、仲間たちは過去の記憶を失ったまま。あるいは仲間たちと出逢っていない世界が待ち受けている可能性があると言うのだから、神酒の落胆は謀り知れない。
『これからまた知り合っていくっていうのは〜・・・。』
「イヤだ〜、そんなの。ぶ〜。」
『だよね〜。』
「ねえティム。どうにか出来ないの?」
神酒はティムに近寄り前足を軽く握ると、じっと銀のネコの顔を見つめた。その表情には泣きそうなほどに懇願する意識が見えて、ティムは彼女の気持ちをどう受け止めれば良いか、ほとほと考え込んでしまった。
神酒はこの2年間、本当に大きな我慢を重ねてきた。それはクトゥルーとの意識の対峙だけで無く、例えば食べる物。住むための環境。無に等しい娯楽。排泄処理等々。彼女の持ち前の明るさがあるとは云え、それは常人には到底我慢出来るはずの無いものだ。神酒の意識レベルを安定させるために、ティムはその能力を尽くしてありとあらゆる方法で彼女を救っていたが、根底となる神酒の【仲間たちのために】という意識が無ければ出来なかったことだし、逆に言えば、それが今まで神酒を支えてきたものでもある。
しかし輝蘭たちの記憶が戻らないのであれば、それは神酒にとっては報われない結果であり、ティムの願いである【神酒の幸せ】を大きく崩してしまうことになる。
ティム自身も、その結末だけはどうしても避けたいと考えていた。