大事なもの
「ほう、なるほどのう。つまり巫女殿は、覚醒世界での友人たちの記憶を取り戻すために、手助けをして欲しいということだな?」
「は・・・はい。あの・・・そういうことです。」
「う〜む。多少骨の折れることだが、その者共の夢に負荷をかける程度のことなら出来ないことでは無いだろう。他ならぬクトゥルーを封印し続けた巫女殿の頼みなら、聞かないわけにはいくまい。」
「はい・・・あの・・・ありがとうございます。」
もう彼女の願いは叶えられる寸前なのにも関わらず、なぜか神酒の滑舌が悪い。そのことを不思議に思ったクラネスが神酒に再び問い直すと、彼女は突然とんでもないことを言い出してしまった。
「あの・・・クラネス王様・・。やっぱり・・・いいです。」
「?」
「やっぱり・・あの・・クラネス王様の手助けをお断りします!」
「なんだと?」
突然の神酒の発言の撤回に、城内の間に一瞬のざわめきが生じた。それは本来国を統治する最高責任者に対し、あまりにも無礼な態度と受け取られたからである。
「いくら巫女殿とはいえ、王の厚意を断るとは、あまりに無礼ではないか!?」
「我々の偉大な王を、なんと心得る!」
城内を飛び交う怒号、叱責の中、神酒は自分のしてしまったことに慌てた表情を見せていたが、その中で一人、神酒の発言の真意を純粋に確かめたいと考えている者がいた。それは紛れも無くクラネス王自身で、無礼かそうで無いかの違いよりも、ただ彼女の心変わりの理由を知りたいと考えたのである。
「ここは城内である!騒がしい!!」
クラネス王は城内を一喝した後に再び神酒に向き直し、その理由を問うた。
「巫女殿。巫女殿の願いを叶えるためには、我が能力は必要なものだと考えている。旅の途中で失った親愛なる友人も、もしかしたらそれを願っているのかも知れん。しかし巫女殿はなぜ、あえてそのような選択をしようとしているのかの?」
クラネス王の言葉に、神酒は最初どう応えようかと迷っていた様子だったが、やがて深呼吸をして意を決すると、王の眼差しに自分の視線を合わせた。
「クラネス王様、ごめんなさい。あたしがクラネス王様に言ったことは、もしかしたらリャンの思いも裏切るような、とんでもないことなのかも知れません。」
「ほう。」
「でも・・・あたし、思ったんです。あたしがしようとしていることって、もしかしたら間違っていることかも知れないって・・・。」
シンと静まり返る城内。神酒はここで一度言葉に詰まった様子だったが、それでも勇気を振り絞り、彼女の本当の想い、彼女が大切にしたい想いを王に伝えた。
「リャンは、自分の命を盾にしてあたしを救ってくれました。自分が命を落とすと判っていても、自分の決断であたしのために命を捨ててくれたんです。それをずっと考えていたら、あたしが大事にしなければならないことをクラネス王様に頼むっていうことが、なんだか違うような気がしてきて・・・。」
「巫女殿。そなたの心配や境遇を考えれば、巫女殿の申し出は少しも恥ずかしいものでは無いと思うが?」
「あたしにとって、友だちは一番大事なものです。もしまた別れるようなことがあれば、あたしはきっと気が狂うぐらい悲しむと思います。」
「それなら、なおさらじゃないかな?」
「いいえ、王様。」
そして神酒は真剣な眼差しでクラネス王を見つめ、はっきりとした口調で答えた。
「あたしは後悔を他人のせいにしたくない。自分にとって一番大事なことには、自分自身で立ち向かいたいと思います。」
神酒の想いは、揺らぎ無い決心としてクラネス王の心に響いた。
おそらく神酒が何の障害も無くセレファイスにたどり着いていたら、このような決断はしなかったかも知れない。しかし2度目の仲間たちとの別れ、そしてリャンの死は、彼女の更なる成長に大きな影響を与えていた。
本当に大事なもの、大事にしなければならないものには、自分が責任を負うというのは当たり前のこと。それを失うことほど悲しいことは無いが、それを他人任せにしたら、後悔は恨みへと変わっていくだろう。
神酒にとって、仲間たちはこの上なく大事なものであるからこそ、その責任は自分で負わなければならない。もしクラネス王の助力があってなお記憶の回復に成功しなかったら、彼女にはもしかしたらクラネス王を恨む心が生まれてしまうかも知れないし、そこには正面から向き合ったと誇れる自分はいない。
例え後悔しようとも、神酒は大切な仲間たちと正面から向き合いたいと考えていたのである。
☆★☆★☆
謁見が終わり、神酒が王宮から立ち去った後、玉座のクラネス王に従者が話しかけていた。
「我が王。いくらクトゥルーの巫女とは言え、あの無礼に咎めなく帰し、よろしいのですか?」
「無礼?何か無礼があったか?」
従者の問いに、クラネス王は神酒の顔を思い出しながらにこやかに応えた。
「わしは久しぶりに満足した気分にさせてもらったぞ。あの巫女のお陰でな。」
そして王は遠くに視線を移し、まるで思い出に浸るように目を閉じながら、ゆったりと背もたれに寄りかかった。その表情はいかにも清々しく、まるで遠い覚醒世界での思い出を懐かしんでいるかのように見え、従者たちは王のこのような表情を最後に見たのはいつだっただろうと噂し合っていた。
「例えどんなに不利であっても、自分にすら嘘を突きたくないということか。
なんと正直な娘なのだろう。
クトゥルーがあの娘を巫女として選んだ理由も、
朧気ながらも理解できるのう・・・。」




