プロローグ2
船が沈む!?
客船を襲った衝撃は、乗客に大きなパニックを引き起こした。
パニックは連鎖的に広がっていき、誰もが見えない大きな不安に征服されていく。
廊下には目の色が変わり正気を失った乗客が騒ぎ、甲板の救命ボートを目指して殺到する群集で溢れた。さすがに他者を踏み付けてというほどの狂気に駆られた者はいないようだが、それでも不安の表情は前面に押し出され、泣き声や怒号がひっきり無しに辺りを飛び交っている。この船は客船という構造上どの階段やエスカレーター・エレベーターからでも甲板に出られるようになっていて、出口に近づくほどに人数は増え、それに伴い密集度は上がっていく。
階上では前に進むことも後ろに下がることも出来なくなった乗客たちの泣き声にも似た悲鳴が聞こえ、船内は修羅場寸前の状況と成りつつあった。
『落ち着いてください。本船は暗礁への衝突の危機を脱し、現在は安全な状況にあります。本船は決して沈むことはありませんので、速やかに自室にお戻りください。』
程なく船内に英語のアナウンスが流れ、続いて日本語や中国語での放送が流れた。すぐに多数の乗務員が現れ、乗客に落ち着くよう声をかけながら状況の改善にあたる。
確かに現在は船の水平は保たれていて、不自然な揺れや停電も無く、冷静な人間であれば船が安全を確保しているのが判る状況になっている。
まだ乗客の混乱は収まってはいないが、やがて徐々に船内が平静を取り戻し始めた頃。一時意識を失い、まだ少し朦朧としつつも次第に意識がはっきりしてきた史也と魅雪は、ようやく何が自分に起きたのかを把握し、そして頭を振りながら座り込んでいるバーデン夫妻に声をかけた。
「大丈夫ですか?ルーク、ルル。」
「・・・いや、驚いた!腰が抜けるかと思った。」
そして、その時だった。
魅雪が、不意に奇妙なことを言い出したのである。
「あなた・・・、あの子は?」
「・・・あの子?」
魅雪の言葉を聞き、最初きょとんとした表情をしていた史也だったが、やがて何かを思い出したように表情を変え、あたふたと慌てだした。二人は不安そうに顔を見合わせ、やがて何かを探すように部屋の中を周り、今度はすぐに廊下に飛び出そうとする。
史也と魅雪の不審な行動を疑問に思ったルークが声をかけたが、戻ってきた返事はルークにとっては信じられない内容のものだった。
「史也、魅雪、いったいどうしたんだ?」
「どうしたって・・・娘を探しているんですよ。」
「娘?誰の娘だ?」
「誰って、うちの子に決まってるじゃないですか!」
「?」
ルークは史也の言葉を聞いて、自分の記憶に間違いがあったのかと錯覚を起こした。確かルークは史也たち夫婦に会ってから、一度も彼らが子どもと一緒にいる状況には遭遇したことは無い。いや、確か知り合ってからどこかで場面で、彼ら自身から直接、自分たちに子どもがいないことを聞いた記憶すらある。
その事を思い出したルークは、急いで立ち上がると二人を追うように廊下に出たが、彼はそこである光景を目撃した。
船内には乗客の気持ちを落ち着けるために、静かな音楽が流れている。
そしてそんな中で、おそらく先程の騒ぎで転んでしまったのだろう。15〜6歳ほどの一人の少女が廊下の中央でしゃがみこんでいて、どこかにぶつけた痛みによるものか小さな涙を浮かべている。史也と魅雪はその少女に急いで寄り添うと、優しく手を差し伸べていた。
「大丈夫か?ミキ。」
「どこかケガをしたの?涙が出てるわよ。」
「・・・・・・お父さん?・・・お母さん!?。」
ミキと呼ばれた少女は、最初呆然とした様子で史也と魅雪を見上げていたが、やがてニッコリと笑うと差し伸べられた手に自分の手を重ねた。その自然な仕草は親子のもの以外の何ものでも無く、また少女の顔には史也と魅雪の面影がはっきりとうかがえる。
「なんだ、私の思い違いだな。あんなにかわいい娘がいるんじゃないか。」
そしてルークはルルと一緒に神酒の顔を微笑ましい表情で眺め、3人に軽く声をかけてから自室に戻っていった。
いつの間にか高村夫婦の部屋は、3人部屋に変わっていた・・・。
・・・・ただいま。お父さん、お母さん・・・・。
涙だって出ちゃうよ。だって、もう2年も逢って無かったんだから・・・・・。