眠れぬ夜
その夜、神酒は清楚で柔らかなベッドに横たわりつつも、なかなか眠ることができなかった。夢の中の世界で眠るというのもおかしい話ではあるが、もちろん眠れない本当の理由は別のところにある。
今日は彼女にとって、本当にいろんなことがあり過ぎた一日だった。長い2年の時間を経て、遂に地上に戻ることができると判ったのも今日の話。それからあれよあれよと状況は目まぐるしく変化し、気が付いたら地球とは全く別の世界の神殿で眠りに就こうとしている。確かにこれだけの出来事は、一介の少女の心を騒がせるには充分な出来事だろう。
しかし神酒の真の騒心の理由は、彼女が地上世界に戻った時への不安にある。ティムにその話を聞いてから落ち着いて考える時間も無かったので、今僅かばかりのプライベートの時間ができ、つい仲間たちへの想いがムクムクと湧き上がってしまったのである。
目を閉じるとまぶたの裏に輝蘭や瞬の笑顔が浮かんできて、そんな光景を心の中で感受していると、いつの間にかその中に自分が一緒にいる情景になってしまう。それはあくまでも自分が望む世界であり、約束された未来では無い。その切ない今の状況を紛らわしたくて、彼女はできるだけ輝蘭たちの事は思い出さないようにと務めるのだが、また元に戻ってしまう。
彼女がしなければならない事はセレファイスのクラネス王に会うことであり、その最善の方法は、今は眠って体力を蓄えること。それは判っているのだが、結局彼女の心の中は輝蘭たちへの想いでいっぱいになってしまい、神酒はその度に寝返りをうち、本当の眠りの世界になかなか足を踏み入れられずにいたのだ。
ふと神酒が気が付くと、枕元から少し離れた所に何者かの気配を感じた。目を凝らして見ると、部屋の片隅に1匹のネコが佇んでいる。それはどうやらトーニャのようで、彼は神酒がこちらを見たことに気付くと、音を立てずに彼女のもとに近付いてきた。
『起こしてしまいましたか?申し訳ありません。』
トーニャはリャンと違い、ずいぶん礼儀正しい。
「ううん、いいよ。別に眠れなかったから。ところでトーニャ、ここで何してるの?」
『ミキ様の護衛です。アタル様より仰せつかりました。』
「様?あたし【様】っていう柄じゃ無いよ。ミキでいいよ☆
それにあたしなんかを狙う人もいないと思うし、護衛とか要らないと思うけど・・・。」
『ミキ・・・ですか?』
トーニャは少し言葉を区切って考えてから、神酒に返答した。
『いえ、私のやり方で呼ばせてください。アタル様は口にこそ出しませんでしたが、実はミキ様のことは、多少なりともドリームランドでは知られております。』
「え?あたし何かしたっけ?」
『上位の精神的な位を持つ方しか知りませんが、ミキ様とティム様が覚醒世界で邪悪なるハスターの降臨とクトゥルーの目覚めを阻止したのは大きな功績です。強大な能力を持つ旧支配者の活動は、このドリームランドの世界にも小さくは無い影響を与えます。それを阻止してくださったのだから、少なくとも私には【様】を付けて呼ばせて戴きたく思います。』
「う〜ん・・・まあ無理にとは言わないけど、なんだかくすぐったい気がするな〜。」
『そしてミキ様の功績に対して、それを悪用しようとする輩が現れても不思議ではありません。私がミキ様の護衛をするのは、そのような理由があるからです。』
「ふ〜ん・・・。でも眠くなるでしょ?」
『我々ネコの眠りは常に浅いので、お気になさる必要はありません。』
「そう?ティムなんか、いっつも爆睡してるけど・・・。」
すると神酒は起き上がり、ベッドの上にチョコンと腰掛けると、ニッコリと笑ってトーニャの顔をのぞき込んだ。
「それじゃ、トーニャ。少しだけお話しない?」
『ミキ様の仰せのままに。』
「じゃあ聞くね♪」
神酒の目がクリッと輝いた。その瞳の奥には小さないたずら心のような光が見え、彼女がトーニャやリャンの何かに興味深々でいる様子が良く判る。
「ティムとリャンって、どういう関係なの?」
『え?』
神酒の意外な質問に、トーニャはネコらしからぬ驚いた表情を見せた。その顔の動きはとても豊かで、ウルタールのネコが人間世界のそれよりも、よほど知能の高い生き物だということが良く理解できる。
トーニャは最初神酒の質問に戸惑っていたが、彼女の邪気の無い笑顔に魅了されたのか、あきらめたようなため息をつくと、小さく神酒への返答を始めた。
『姉のリャンは・・・なんと言っていましたか?』
「リャンはティムのお嫁さんだってさ♪」
『やっぱり・・・。でもそれは姉の思い込みです。姉はティム様に想いを寄せているだけで、別に婚姻の事実があるわけではありません。
ティム様がウルタールにいらしたのは、もうずいぶん前の話になります。覚醒の世界とドリームランドでは時間の進み方と配分が全く異なっているので、ミキ様から見ればどれほどの時間になるのかは判りませんが・・・。』
そしてトーニャは苦笑いをしながら、ティムとリャンの出逢いの物語を静かに始めた。




