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1-7 成り損ない



 凪ごうとした剣の動きが鈍る。

 “闇”にライゼの動揺は伝わらない。影はとうとう確かな実体を伴い、しなる鞭のように腕を伸ばした。剣で防ぐつもりでいた。斬り払い、滅してしまえばいいのだ。こんな。

 ――竜に成り損なった人間。

 気づけば彼は地面に叩きつけられていた。内臓を圧迫する衝撃に声にならない呻き声を上げる。

「ライゼ!」

 光の球を無数に散らして駆け寄ってきたウーアが差し出した手を払いのけた。彼女が悪いわけではない。でもささくれ立つ心を押さえる術がわからない。

 竜に成り損なうという意味など理解できないのに気分が悪い。胸が潰れてしまいそうで、頭の隅に何かが沸いたようなざわめきが漂う。気持ちが、悪い。

「竜は滅んだのに人間は竜を求めた。竜がいれば神は赦してくれる。最初はそんな願いだった。人間が竜など創れるはずもないのに彼らは罪を犯した」

 淡々と述べられる突拍子もない話が今は事実にしか思えない。それにまるでウーアが断罪者になってしまったかのような錯覚に陥る。誰を裁きたい?

 人か。竜か。それとも――王か。

「黙っててくれ! なんでこんな時にそんな話をした? 俺に倒して欲しかったんじゃないのか? こんなの、こんなの斬れるわけがないだろう!」

「ライゼはやれる」

「それはどういう意味だ!!」

 王は竜と人間の血の混じるモノだ。ライゼは自分がそんなものだと思えなかった。今だって成り行き上でそういう立場を取っていただけだ。

 だけど、あれも竜と人間でできたモノだというのなら。ライゼが竜と人間の血を継いでいるのなら。

 あの禍々しい“闇”と呼ばれるモノはライゼと同じモノじゃないのか。

 なのにこの少女はライゼがあれを滅せると言った。同族殺しが罪だという話をしたばかりなのに。

 俺は、何だ。

 目覚めてからずっと提示されている疑問は、自分が考えるよりもっと気分の悪いものなのか。

「ライゼ……」

「俺の名を呼ぶな! こんなのクソ食らえだ」

「でもライゼはあれとは違うよ」

「お前は何が言いたい。俺に何をさせたい。この国はどうなってる」

「ライゼがこの歪みを断ち切れる唯一だと解釈する。わたしにはあなたを案内する以上の権限がない。選ぶのはあなただ」

「……本当に勝手だな」

 ぐしゃりと前髪を握り潰し、感情の波を押しやろうとする。わけがわからないのは最初からだ。荒唐無稽な現実がどんなに嘘臭くても、やっぱり現実でしかない。今のライゼがここにいるという現実が彼の全てだ。過去とか真実なんて知ることができなければないのと同じ。

「ロルロージュ……」

 彼がすべきことは彼女に会うこと。識るために。何もせずに逃げるか、苦しくても進み続けるか。それしか選択肢がないのが忌々しかった。だけど選べるものがあるだけマシなのかもしれない。

 進むか、止まるか。生きるか、死ぬか。選べるというにはとても限定的ではあるけれど。

 少女は手を差し出した。でも振り払われたことを思い出したのだろう。自分の手のひらを見つめ引っ込めようとした。

 彼は少女の手を握り締める。顔を上げて立ち上がった。

「お前は俺に誓わせて、俺も誓った。国を放り出すつもりもないと言った。王は発言に責任があるよな。こんな状況でも俺がなんとかできるっていうならやってやる」

 強がりかもしれない。自棄になったと言われても否定はできない。だけど識りたい。逃げたくない。最初から面倒事だとわかってたはずだ。腹をくくれ。

「ライゼ……」

「その顔はやめろ。俺を憐れまないでくれ。俺とあれが違うって言うお前のことを信じるんだからな」

 ウーアは自分がどんな顔をしているかわからないとでもいうように頬を撫でて不思議そうにしていた。

「わたしがあなたを、憐れむ?」

「可哀相って顔してる。確かにわけがわからなすぎて可哀相ではあるけどな。憐れまれてやるつもりはない」

 まだ少女は自分の感情に納得がいかないのか、ライゼを見たまま「わたしにそんな権限はない」なんて馬鹿なことを言っている。

「いいか。この剣を使うのは俺の責任だ」

 竜殺しの剣だから竜の成り損ないは刃を怖がった。同族殺しは罪だと知っていて剣を振るう覚悟をする。それはライゼの責任。

「そして俺はお前の言葉を信じる。その責任を取って、お前は俺を手伝うんだ」

 王は前を向いて剣を構えた。黒い剣を翳すだけで“闇”は散り散りになりそうになって辺りに空白を作る。踏み込む一歩が力を持つ。黒剣から沸き上がる力が腕から身体に染み込んでいく。それが意外にも不快でなく、またよく知る感覚であることに複雑な感情を抱く。安堵。いいや、不安。どちらもだ。

 だが今は必要。それだけわかっていればそれでいい。行き当たりばったり? この状況自体がそうなのだから当然だ。

「わたしが手伝う? わたしは案内する」

「まだ言うか! いいか、お前はこの状況をどうにかして欲しいんだろ。どうにかするために頼んでるんだ。案内なんて傍観決めるのは許さない。一緒になんとかする努力をしろ!」

「一緒に」

「いくぞ!!」

 ライゼは少女の手を取って走り出した。剣は“闇”を斬り裂く。胸が痛むのは彼らが“闇”だなんて曖昧な存在でなく、人だったと知ったから。でももう人ではない。少しでも彼らに救いがあればいい。なるべく一撃で振り払った。



 ウーアが使い物にならなくなった。まるで接続の切れた通信機のように応答がない。仕方なくライゼが剣を振り回しながら手を繋いで走り回る羽目になっている。道もわからないというのに。

 原因はあれだ。ライゼが「手伝え」と言ったことがまずかったらしい。あれから時々ぶつぶつと「わたしが」とか「一緒に」だとか呟いて考え込んでいるのだ。何をそんなに考える必要があるのか理解できない。人にはこんなに理不尽な選択をさせながら自分は傍観者でいたいのか。

 立ち止まる。止まりたくはなかったけれど止まるしかなかった。

 血腥い。“闇”が一層濃い。進むべき方向の暗がりからぴちゃぴちゃと嫌な音がする。肌が粟立つ。総毛立つ。喉が渇く。緊張と恐怖。

 少女の手を握り締める。反応はまだ返ってこない。

 ぎょろり。“闇”の中に目が浮かび上がる。金色の双眸だ。竜の瞳。

 自分が竜だとは未だ実感が湧かなくとも、あの生き物とも言えぬモノに憐れみを感じずにはいられない。

 だが憐れみなど不要だとばかりにそれは“闇”の中に何かを落とした。ごとり。鈍く重みのある音だ。“闇”から転がり出てきたのは、人間の、頭。成り損ないの竜ではなく、この城の住人の血走って恐怖に歪んだ眼と目が合った。

「ウーア! しっかりしてくれ!」

 “闇”が頭を手放したのは新たな獲物を見つけたからだ。少女の手を放し、反対側に突き飛ばす。剣を掲げようとして、けれど反応が間に合わない。

 影は伸びてこなかった。だがライゼはまた弾き飛ばされ、天井に叩きつけられた。見えない衝撃波に襲われたのだ。

「ごふっ……!」

 内臓がやられた。血を吐き出す。落下の衝撃で床にも叩きつけられ、這いつくばる男はそれでもなんとか立ち上がろうと剣を支えにした。ウーアは床に尻餅をついたままぼんやりとしているが、どうやら無事だ。

 ひとりでやるしかない。この“闇”は今までとは少し違う。夜が深まり力を強めたのか。人間を喰らっていた。なんでそんなことをする? 竜、だから?

 竜が人を喰らうものかは知らないが、人なんか喰いたくはないとライゼは思う。

 剣が持つ竜滅の力は周囲にも多少は影響を及ぼすが、刃で貫かねば本領は発揮しない。しかし見えない力を使う“闇”に向かっていくのは容易ではなかった。

 何度も立ち向かい、そのたびに弾き飛ばされた。剣が上手く波動を斬り裂ければ隙が生まれる。しかしライゼがまだ剣を扱いきれていないせいで、力を持て余していた。

 集中しろ。集中だ。

 かつて自分はどうしていた。この剣と共に戦っていたのだろう?

 何と?

 雑念だ。また吹き飛ばされる。そろそろ肋骨の一、二本折れてもおかしくなさそうだが、自分の身体は存外丈夫だった。

「ライゼ……」

 こんな時なのに少女の震える声が、あまりにもはっきりとライゼに届いた。

「できないならできないでいいからじっとしてろ! 自分の身は守れるだろ!」

「わたしは、できない」

 剣が重いのはまだ迷いがあるからだろうか。きっとライゼが迷うようにウーアも迷う。あんな少女がこんな王を待ち続け導かねばならないのには相当な理由があるはずだ。

 自分の不遇ばかり考えていたライゼだが、飛び散る血の匂いと研ぎ澄ました意識の中でこの少女の不遇にも気がついた。一体何を背負っているのか。戦いが終わったら聞けばいい。こんな戦いすぐに終わらせる。

「わたしは、わたしは、ライゼを憐れんでいる」

 またろくでもないことを言って。ウーアが心配で気が気でないのに、彼女はゆらりと立ち上がる。

「ウーア! 下がってろ!」

 銀色の髪が闇の中に浮かび上がる。金色の瞳が瞬く。同じ金なのに竜の成り損ないとは違って、なんて綺麗な瞳なのだろう。穢れを知らない無垢。しかし宿る光には闇に引き込む力があった。

「違う。憐れんでなどいない……わたしはあなたを待っていた!」

 少女を中心にして風が巻き起こる。散々ライゼを悩ませた見えない魔の波動が、今度は彼の肉体を癒し、“闇”を吹き払う。

「ライゼ!」

 言われるまでもない。“闇”の中で人型だけが取り残されるのを確認する前にすでに駆け出していた。

 人。

 竜。

 だからなんだ。

 生き残るために屠る。この世はいつだって弱肉強食。

 それが生存本能。

 迷いのない剣筋は魔の力を取り払われた成り損ないには抗えない死だった。

 刃は影のような竜になれなかった者を捉え、朧な肉体を斬り裂いた。影なのに目を背けたくなるほど確かな手応えがあった。

 ライゼは叫ぶ。獣の咆哮のように。

 すまない。救えなくて。すまない。

 どうしてこうなってしまったかわからないけれど、もし人として、竜として、生きていたら彼の民だったのだろう。

 影は闇を吐き出すように黒いものを噴き出した。黒い靄と、黒い液体。血飛沫を浴びながら貫く剣に伝わる手応えがなくなっていくのを待った。それはライゼを黒く染め上げ、“闇”に紛れ消えた。

「ライゼ」

「ウーア……」

 泣いてしまいたくなる感情とはこういうものなのか、と少女の瞳にライゼへの気遣いを感じ、笑おうとする。当然上手くいかず、眉を顰めただけに終わった。なんでこんなに胸が痛い。

「竜は、とてもやさしい生き物」

 ライゼよりもかなり背の低い少女が背伸びをして手を伸ばす。何をするのかと思えば、彼女は返り血に汚れた男の顔を、その純白の袖で拭い始めた。

「……服が汚れるだろ」

「平気」

「汚れる」

 腕を掴んでやめさせると、彼女の瞳が覗いた。

「平気?」

「……当然だ」

「竜は、嘘をつくのが下手」

 温かい手が頬を撫でた時に何かが決壊して、青年は少女を掻き抱いた。

 彼は泣くまいとする。わからないけれど、泣いてはいけないのだと思った。

 小さな少女の身体を抱き締めて堪える竜の王に少女は「ライゼはだいじょうぶ」といつもより優しげな声で繰り返した。


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