01
まだ幼い少年が、森の中で泣いている。
「おとうさん!おかあさん!うわぁぁぁんっ」
少年の側にいなくてはならないはずの両親は、いない。
少年は、一人だった。
少年の周りには、地球上にはない植物が生えている。
そして、地球上にいない動物も、いた。
少年の泣き声に未知の動物の唸り声が重なる。
同時に、瞳を獰猛に光らせた獣が、大声で
泣く少年の前に現れた――。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「やってしまいました」
鬱蒼とした森の中、突っ立ってぼそりと呟く青年がいた。
青年の周囲には、誰一人人間は存在しない。おまけに、青年は着の身着のままであり、リュックサックでも背負って探検に来たような様子もない。
どうやら、絶賛遭難中のようであった。
遭難中の彼はまず、口元を柔らかく綻ばせ、頤を僅かに上げる。背の高い木々についた葉で遮られて青空が見当たらない、空気まで緑に見えてきそうな森を満喫して、何度か瞬きをした。
現実逃避の最中と言ってしまえばそれまでだが、何か確認しているようでもある。
そうしてそのまま十秒、経過する。柔和だったはずの青年の瞳には、事態を完全に把握した十一秒目の一瞬だけ、ぞっとするほど冷たい闇が映った。
「もしかして、この場所は……いえ」
独りごちて頭を横に振り、表情を元に戻した青年は、服の襟を緩め、僅かに苦笑した。彼は漆塗りの如き黒髪に深く黒い目で、怜悧な整った顔立ちをしている。そのため、仕草がいちいち綺麗に見えた。実際、所作は優雅なのだが。
彼は、どこか人とは違う透明な…異質な雰囲気を漂わせていた。ミステリアス、あるいは神秘的という人間もいるかもしれない。
まして、大自然の中という人の手のまだ入らない場所にいるのだから、その特徴が顕著に表れている。
青年の名は飛鳥部 諒。十九歳の日本人である。
では何故彼がそんな、穏和な表情の中に、いかにも「失敗した」という要素の含まれる笑顔で、遭難した経緯はまた別にしても人里離れた森の中になど、足を踏み入れてしまったのかというと。
単純に、道に迷ったのだ。
いや、諒が特別方向音痴だったわけではない。確かに少々方向音痴な嫌いはあるが、それでも「普通の」方向音痴だ。
決して自分の家の周りを散歩するくらいで迷子になるほど、すごい人間ではない。遠くまで歩いた覚えはなく、自宅もまあまあ近くに見えていたはずだった。
しかし、諒はそこにいた。
森など、家の近くにはそもそもないのに。
「どこでしょう、ここ」
諒は、先程の呟きはなかったことのように、呑気な声で呟いた。謎極まりない森に自分が立っていることの異常性を分かっているのかいないのか、随分とのんびりしている。
今やさっきまで歩いてきた草原の片鱗も見当たらないが、慌てた様子は見受けられない。
まるで慣れているかのようにただただ呑気に、ふわふわした笑いを浮かべていた。
「……ちょっと…困りましたね」
ちょっと、と。
今の状況を、彼は「ちょっと」困ったと表した。気楽なものである。
そもそもパニックになっていない時点で、この青年の精神力は尋常ではない。
というか図太い。
そんな図太い神経をしている諒は、やはり長閑に辺りを見回して、突然黒い瞳をきらりと光らせると、右も左も分からないはずなのに一方向目指して歩き出す。
その右目には、銀色の複雑な魔法陣が描かれていた。
少なくとも地球には魔法はないのに…まさかの魔術師だった。しかも使い慣れている。
この冷静(呑気)さといい魔法といい、ある意味恐ろしい青年だ。異常な人間なのは確かだった。
諒は、右目の魔法陣で知り得た、おそらく村か何かであろう人の気配の集まりに向かって進んだ。
主人公は基本敬語でいく予定ですが、作者の学がなく、完璧な敬語だと堅苦しいので、中途半端な敬語となっています。