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始めに

 私の母は惚けて介護施設のお世話になっている。私の妻の母は近所にいるが、一人住まいで、腰に障害があってよちよち歩けるだけなので、一人では食事の支度、風呂、トイレ、洗濯、掃除などの一切の家事ができないので、特別養護老人ホームに入ってしまった。それで私と私の妻は、毎日のように両方の施設に会いに行くことになった。

 私は今、65才だが、どう見ても私より若い人が惚けや障害で施設にお世話になっていたり、幾分か高齢であるに過ぎない多くの人が、当たり前のように、自立した生活ができずに、介護の人々に助けられて生きているのを目にする機会を持つようになった。

 私の母が施設に支払う費用は一月六万円だが(これでも安いとは思えないが相場としては格安なのである)実際の総額は30万円なのだ。日本の国の借金が一千兆円に迫り、国家破綻がうわさされているというのに、今や人口の三分の一が六十才以上という状況であるから、考えなくとも、老齢者のための負担が国の財政再建の足かせになっているのが解る。私の母も、妻の母も、最初から人手を借りなければ生きて行けなかった訳ではない、寝る間もないくらい働く日々をすごして、七十才を境に身体が不調になってしまったのである。なにも好んで、惚けたり、腰が曲がってしまったわけではないのである。今の人々の不健康な生き方が中年期には健康であった人々をこのような状況に落とし込んでいるのではないだろうか。 私は、本著作において国家救済のためにも、アラカン(あら還暦《六十才》になってしまった)が、このような人々のお世話にならなくて良い生き方を、提示しようと思う。健康であれば、六十才から先は、子育ても終わり、年金も入り、青春期と同じく、たっぷり趣味に時間が使える時だ。

 老境に入って、青春の夢を叶えた伊能忠敬いのうただたかという人がいる。還暦を迎えようという時に、酒造業を息子に任せて隠居し、幕府の許可を得、全国を歩き、日本国の精緻な地図を完成させたのである。しかし、伊能忠敬にとって日本地図を作ることが夢だったわけではなかった。忠敬の夢は世界が球形である事を実証することであったという。このように青春の夢を実行することは、青春の中に生きることである。私はそれを第二の青春と呼ぶことにしよう。

 題して「アラカン青春宣言」始まり始まり。

 

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