【BL】ルームメイトが毎晩オレにキスしてくる
午前零時。キスされる。
毎晩陽太に起こる不可解な出来事。
今夜もまたそれが起こると、隣のベッドが軋む音で陽太はそう悟った。
ルームメイトの朱里が起き上がる。
ベッドから降りて、陽太の顔を覗き込む。かかる影に緊張しながら、陽太はいつものように寝ているフリをする。
最初に朱里は頬を陽太の頬に擦りつける。
すべすべした、柔らかい感触に、陽太の心臓は一気にうるさく揺れる。
それから、朱里の温かな唇が、陽太の頬に押し当てられる。
少し濡れた感覚に、全身に電流が走るよう。
「……っ」
漏れそうになる声を抑えて、陽太は今夜も動かないように懸命に耐えた。
最初にこうされた時に飛び起きてしまえば良かった。今ではもう、目を覚ますタイミングがわからない。
朱里の唇は、いつもより長く陽太の頬にあてられていた。さらにピクリと動く。
朱里は陽太の頬を軽く喰みながら、陽太の口元にゆっくり近づいた。
「──ッ!」
朱里の唇は、陽太の唇をなぞった後、優しくそこに押しつける。
陽太の吐息を吸って、朱里は唇を離した。
(ウソだろ……何が起こった?)
陽太は自分の唇に起こったことが理解できないまま、寝たフリを続けてしまった。
目を開けてもいいのか。開けたら朱里との関係が壊れてしまわないか。
戸惑いと友を失う恐怖で、陽太は結局動けなかった。
朱里は最後に陽太の前髪を撫でて、また自分のベッドに戻っていった。
温かい指先が、この上なく気持ちよかった。
(どうしよう、ついに口にキスされた……)
毎晩押し当てられる唇が、段々と熱を帯びてくるのはわかっていた。
その度に、陽太もまた朱里への想いが熱くなっていた。
(どうしよう、好き……)
親友から受けた口付けの意味もわからないまま、陽太は眠れずに火照る体を持て余したまま、その夜を耐えた。
◆ ◆ ◆
陽太がルームメイトの北村朱里と初めて会ったのは一ヶ月前だ。
高校の入学式の前日、学生寮に入ると同じ部屋に朱里が来ていた。
(すげえ、イケメン!)
背が高く、赤茶けた髪色で、少し彫りが深い気がした。
陽太の前に現れた同級生は、とにかく格好良かった。
「お、おはよう!」
その容姿に圧倒されながら、陽太は精一杯に明るく声をかけた。
すると彼もふっと緊張を解いて笑った。
「おはよう。えっと、朝比奈君?」
「そうそう、朝比奈陽太! よろしくな!」
「うん、よろしく。僕は北村朱里」
朱里は更にニコリと笑って右手を差し出す。
陽太は迷わずその手をとって、力強く握手を交わした。
「朝比奈君、元気だね」
「まあな! 親から離れて暮らすとか、自由! って感じがしねえ?」
「そうかな? 学生寮だから、かえって規則ばっかりだと思うけど」
「母ちゃんのオコゴトがないなら、そこはもう自由! なんだよ」
陽太がそう言うと、朱里はアハハと笑った。
気が合いそうな予感に、陽太はこのルームメイトがすぐに気に入った。
「北村って、もしかして遠くから来たのか?」
「うん。秋田から」
「おお……」
本当に遠い県外だったことに、陽太は思わず感嘆の声を上げてしまった。
それに苦笑しながら朱里は言う。
「朝比奈君は、実家近そうだね?」
「まあな! 実は電車で通えないこともないんだけどさ、ギリ、寮に入れる距離だから親に頼み込んだ!」
「そうなんだ」
陽光を浴びる朱里の笑顔はとても綺麗だった。
ドキドキしてしまう心を誤魔化すように、陽太はあまり深く考えずに聞く。
「北村ってさ、ハーフ?」
「ううん、クォーター」
聞いてしまった後で、センシティブな質問だったかもと陽太は一瞬焦ったが、朱里は何でもない顔で軽く答えた。
「へえ、そうなん?」
だから陽太もリラックスしてベッドに腰を下ろしながら、軽く相槌をうった。
今時、そんな生まれは特別でも何でもない。そんな陽太の反応を窺うでもなく、朱里は雑談のような感覚のまま言う。
「うん。おばあちゃんがね、スウェーデン人なんだ」
「へえ。スウェーデンって、秋田より寒い?」
「……多分ね。行ったことないからわかんない」
はにかみながら答える朱里に、陽太は首を傾げる。
すると朱里は続けて言った。
「おばあちゃん、日本にお嫁に来たからさ。今も秋田に住んでるし」
「ああ、なあんだ。そうなん?」
「うん。おばあちゃん、日本語ペラペラだし、なんなら秋田弁もキツイよ」
「へええ、マジ? 想像したらおもしろいなあ」
「確かに」
朱里はクスクス笑っていた。
陽太は想像の中で、青い瞳のおばあちゃんが方言で喋る様を思う。
なんだかとても、ほのぼのする感じがした。
「朝比奈君は? おばあちゃんいる?」
「オレはばあちゃん、どっちももういない」
朱里の質問に陽太があっけらかんと答えると、朱里は一瞬表情を暗くした。
「あ、ごめんね」
「え? 別に? だってばあちゃんだぜ、しょうがないだろ?」
「う、うん。まあ……」
陽太の両親は共に兄弟の末っ子だった。必然と祖父母は生まれる前からすでに高齢である。
それは仕方ないことで陽太は気にしなかったのだが、朱里はまだ気にしているようだった。
だから、陽太は笑って思い出話を語る。
「父ちゃんの方のばあちゃんがさ、すげえクセ強でさ、死ぬ前に『生まれる孫にアタシの名前を使え!』って言ったんだって。ばあちゃんの名前が陽子だったからさ、オレはそれで陽太なんよ」
「そうなんだ……!」
この話は、親戚中ではもれなくウケる大笑い話で、陽太も両親から笑いながらその話を聞いていた。
だから、朱里もきっと爆笑するんだろうと思ってその話をした。
「素敵なエピソードだね!」
「へ?」
朱里は爆笑するどころか、瞳を輝かせていた。
「そんな遺言を残したおばあちゃんも、それをちゃんと叶えた朝比奈君の御両親もすごく素敵だね。朝比奈君の名前には、家族の大切な想いが込められてるんだね」
「え、あ……まあ、そうかも?」
この話をした同級生は「マジかよ、ウケる」とか、「ばーちゃん、強すぎだろ」とか言って笑う。
陽太もそれでいいと思っていた。
だから、こうして真っ直ぐな想いをぶつけてくる朱里に、陽太は少し戸惑う。
でもすぐに、嬉しくなった。
「そうだな、ばあちゃんは太陽みたいな人だったって、父ちゃんが言ってた」
少しノスタルジックに言ってしまって照れ臭くなる陽太に、朱里はそれを上回る言葉をかける。
「うん、朝比奈君はおばあちゃんと太陽に守られてるんだね」
「お、おお……」
思いもしなかったし、言われたこともなかった言葉に、陽太は少し面食らった。
それを本心から言っているであろう朱里を、好ましく思う。
「お前、なんか……純粋でいいヤツだな」
「へへ、そうかな?」
「うん。ありがと」
これから寝食を共にするルームメイトが、朱里で良かった。
陽太はそう思って、明日からの高校生生活に期待を膨らませるのだった。
◆ ◆ ◆
入寮した日の夜、陽太は初めて寝たベッドなのにとても良く眠れた。
なんだか温かい夢も見たような気がする。
ばあちゃんがそこにいるような。もう忘れてしまったけれど。
入学式の朝、陽太はルームメイトの朱里と一緒に登校した。
二人は惜しくも隣のクラスに離れてしまっていた。
そんなに上手くいかないか、と陽太は思っていたが、朱里の方はかなりガッカリしていた。
その仕草が、高身長なのにしょぼんとした感じが可愛くて、陽太は笑ってしまった。
「朝比奈君」
ホームルームが終わった後、陽太のクラスを遠慮がちに覗きながら、朱里がやって来た。
「おう」
陽太はいそいそとカバンを持って教室の入口に向かう。
朱里が迎えに来てくれたのだと、嬉しくなってしまった。
「もう、帰る?」
「うん、今日はもう何もないし」
「一緒に帰ろ」
「同じ部屋だしな」
わざわざ意思表示してきた朱里の様子に、陽太は苦笑してしまった。
そういう丁寧な感じは中学での同級生にはなかったところなので、新鮮だった。
「朝比奈君のクラスどうだった?」
「まだよくわかんないよ。可愛い女の子もいないしさぁ」
「そりゃ、男子校だからねえ」
アハハと笑いながら隣を歩く朱里の姿に、陽太は居心地の良さを感じていた。
やっぱり同じクラスだったら良かった、と遅ればせながらそんな事を思う。
「朝比奈く……」
「あのさあ、陽太でいいよ」
「え?」
「オレもジュリって呼ぶから」
少なくとも一年間は寝食を共にするのだ。名字呼びはなんだかかえって照れくさい。
陽太の提案に、朱里は少しはにかみながら頷いた。
「うん……そうだね。わかった、ヨータ」
「おう!」
「へへ……えへへ」
「なんだよ、気持ち悪いナァ」
「うん、ふふふ……」
少し頬を赤くして嬉しそうに笑う朱里の姿は、すごく絵になっていると陽太は感じていた。
イケメンは何しても格好良くていいなあ、とも。
それから二人は寮に戻って食堂で昼食を食べた。
午後は部屋で互いのクラスの印象を語り合う。
ただ、まだ半日しか経っていないのでたいした情報もなくて。
話題はいつしか互いの中学とか家族の話になり、気がつけば夕食の時間になっていた。
◆ ◆ ◆
「う……ん」
真夜中、陽太は寝返りをうったついでに少し意識が戻る。
隣のベッドが軋んだ。朱里が起き上がったのだろう。
トイレかなと思って、陽太はまたそのまま眠りに落ちようとした。
だが、朱里の移動はほんのわずか。
ギシ、と自分のベッドが音を立てて、陽太は目を閉じたまま不思議に思う。
人影が、自分に覆い被さってくるのを感じた。それが朱里だということは確実だった。
陽太はその行動の意味がわからなくて、にわかに緊張してしまい、思わず寝たフリをする。
迫る朱里の影。息遣いまでもが近くなる。
頬に、柔らかい何かがあたった。スベスベして、温かい。
それが同じく朱里の頬だったと気づいたのは、その吐息が陽太の鼻先を掠めたから。
朱里は自分の頬を陽太の頬に優しく擦りつけて、少しの間そこに留まる。
(何これ……?)
あまりに不可解な出来事に、陽太は飛び起きようと思った。
起きて揶揄ってしまえば、きっと何でもない。
だけど、朱里の体温を直に感じてしまって、陽太は心臓が激しく動いているのに体が動かなかった。
戸惑っているうちに、朱里は陽太から離れる。最後に、陽太の前髪を指ですくって。
たったそれだけなのに、陽太は身体中に電流が走ったような感覚がした。
全身が敏感になってしまって、無意識のうちに朱里の体温を探してしまう。
けれど朱里はまた自分のベッドに戻って、静かに横たわる。
ややもすると寝息が聞こえてきた。
(何だったんだよ、今の……)
聞く機会を失った陽太は、もう一度寝返りをうって眠ろうと思った。
けれど、悶々とした感情が渦巻いて、頭は冴えてしまっていた。
携帯でそっと時刻を確認する。
午前零時。触れられた頬が、熱い。
◆ ◆ ◆
「ヨータ」
朝の日差しが入ってくるけれど、まだ眠い。
「ヨータ! 朝だよ」
少し揺すられた後、頬に手があたる。
「……わあっ!」
陽太は今度こそ飛び起きた。ふわっと朱里の匂いがして、心臓が跳ねたから。
「ヨータ、早く支度しないと」
「え、あ、うん!」
すっかり制服を着込んでいる朱里に対して、陽太はまだTシャツのままで頭もボサボサ。
その落差に慌てて、陽太はバタバタと部屋中を支度しながら歩き回った。
「陽太はお寝坊さんだね」
「いやいや、これは偶然だからっ!」
クスクス笑う朱里にネクタイを締めながら反論するけれど、陽太はドキドキが治らなくてうまく締められない。
昨夜の朱里の不可解な行動と、今の朱里の何でもないような顔。それが合致しなくて混乱する。
「貸して、ヨータ。ネクタイ、締めてあげる」
「え、いや……」
陽太の戸惑いを笑顔で無視して、朱里はスッと手を伸ばし陽太の首元に慣れた手つきでネクタイを締めていく。
朱里の端正な顔がごく近くに来て、陽太はますます混乱してきた。
「うん、オッケー。カバン持った? 早く食堂行かないと」
「う、うん……」
陽太がカバンを手に取ったのを見てから、朱里はその逆の手を握って歩き出す。
手を引かれたまま陽太は朱里とともに寮の食堂に向かうのだった。
(なんか、急に、距離近くない?)
そう思いながらも嫌じゃない自分に、陽太は驚いていた。
◆ ◆ ◆
午前零時。また、触れられた。
朱里の影と、体重が、陽太のベッドにかけられる。
入学式の夜に気づいてから、朱里は毎晩零時になると陽太のベッドに近づいてくる。
そして寝ている陽太の頬に、自分の頬を寄せるのだ。
すりすりと、愛でるように陽太の頬に触れる朱里の頬。
最初の日から数えて今日で二週間。あの日から、心なしか朱里の頬が熱くなっているような気がしていた。
陽太はすっかり起きるタイミングを失っていて、うるさく鳴る心臓の音を聞かれやしないかハラハラしながら、朱里にされるがままになっている。
朱里はどうしてこんな事をするんだろう。
どうしてそれ以上の事はしないんだろう。
疑問なのか、期待なのか。
陽太は最近この感情を持て余している。
昼間の朱里は相変わらず普通に接してくるので尚更だった。
朱里の頬が離れてゆく。
陽太はすでにその感触が寂しいと思うようになっていた。
その気持ちが伝わったかはわからない。でもそうと錯覚するような事が起きた。
ちゅ、と微かな音を立てて、朱里の唇が陽太の頬に寄せられた。
今までと比べものにならない肉感に、陽太は思わず身じろいだ。
「……」
すぐに唇を離した朱里を、見ることも咎めることも出来なくて、陽太は必死に目を瞑っていた。
心臓がバクバクうるさい。手に汗が滲む。それでも陽太は寝たフリをするという選択をしてしまった。
最後に朱里は陽太の髪を撫でて、ベッドから遠ざかる。
自分のベッドに戻りそのまま寝てしまった。
(なんで……?)
朱里は一体何がしたいのか。
陽太は懸命に考えるけれど、朝になってもその答えは出なかった。
◆ ◆ ◆
「ヨータ、学食行こう」
いつものように、朱里が陽太を迎えに来た。
今日も朝からその様子に変わりはない。
寝坊癖がついてしまった陽太を起こし、世話をやきながら二人で登校する。
昼休みに一緒に昼食を食べるのも恒例だ。
クラスで勉強する時間以外はいつも一緒。
いくら寮が同室だからと言って、こんなにずっと一緒にいるものなのか?
陽太は朱里との距離感がバグってしまったようで、わからなくなっていた。
朱里以上に「一緒にいたい」と思える友達がいないから、陽太はそれでも構わなかった。
ただ、学校の中でも手を引くのはちょっとやめて欲しいかもしれない。
「わあ、今日は混んでるね」
学食はいつもより人が多く、二人は座る席が見当たらなかった。
朱里がその高い身長を活かして探しても見つからない。
「おおい、朝比奈ァ」
少し遠くの席から、クラスメイトの石田が陽太に向かって手を振っていた。
「ここ、空いてるぞ、ふたっつ!」
「おっ、ラッキー。ジュリ、行こうぜ」
「あ、うん……」
腹も減っていたしラーメンが伸びるので、陽太は呼ばれるままにその席に向かった。
だから、朱里の返事が少し沈んでいるのには気付かなかった。
「サンキュー、石田」
礼を言ってから二人は向かい合って座る。
すると朱里の隣の席にいた足立が、弾んだ声を上げた。
「おお、B組のカレシじゃん! うっわ、近くで見るとマジイケメンだな」
「ど、どうも……」
朱里は明らかに愛想笑いを浮かべていた。
朱里は結構人見知りだ。自分のクラスメイトとはあまり一緒に行動せず、すぐ陽太の所に来るので、わざわざ確かめないけれど陽太はそう思っていた。
「カレシって。寮の同室ってだけだろ」
苦笑しながら陽太がそう言うと、朱里は口をとがらせてジトッと睨んでくる。
その圧に陽太がたじろいでいると、石田からフォローが入った。
「いいじゃん、同じ部屋で寝るのに、気が合わなかったらサイアクだろ」
「そうそれ! オレ、ジュリと同室でマジ良かったわ」
ちょっと持ち上げすぎたかな、と陽太がその様子を窺うと、朱里はニコニコの上機嫌になって唐揚げを食べ始めた。
そんなわかりやすさも、なんだか可愛いと思える。
「なあなあ、二人とも今日の放課後ヒマ? カラオケ行かねえ?」
足立が妙に乗り気でそんな提案をする。もしかして、イケメンの朱里と仲良くなって他校の女子を釣りたいのかもしれない。
そんな下心はさて置いても、友達と放課後に遊ぶの自体は悪くない。
「おお、いい……」
快く陽太が返事をしそうになった所に、朱里が言葉を被せてきた。
「ごめんね、今日は僕とヨータ、寮の当番なんだ」
そうだったかな、と陽太はふと考えたが覚えがなかった。
でも陽太よりもしっかり者の朱里がこう言うのであれば、自分が忘れているだけだろう。
だから陽太は朱里の断りを否定出来なかった。
「そっかあ、じゃあまた今度な」
「うん」
朱里の短い頷きの後は昼食を食べることに皆集中したため、結局昼休みの内には確かめられなかった。
放課後。二人で寮の部屋に帰ってから、陽太は食堂でのことを聞いてみた。
「なあ、今日って何の当番だっけ?」
朱里は自分の机にカバンを置いたところで、陽太に向けた背中がギクリと震えていた。
「……嘘か?」
ささいな仕草でも、朱里の気持ちがわかるようになってしまっている。
陽太はなかなか振り向かない朱里の背中に、意地悪な視線を投げた。
「ジュリぃ?」
「う……ごめんなさい」
ようやくこちらを向いた朱里は、捨てられた子犬のような顔をしている。
「行くの、嫌だったのか?」
「だって、僕だけ違うクラスだったから……」
「ま、そりゃそうか」
冷静に考えてみれば朱里の言い分はもっともだと思った。
陽太は配慮が足りなかったかなと一人反省する。
「ヨータは行きたかった?」
「えぇ?」
「僕だけ、断れば良かった……?」
「お前、そんなこと言うなよ」
陽太は拗ねてみせる朱里に近づいて、その手を握ってやる。
「オレは、ジュリも一緒じゃないとヤだよ」
「……ほんと?」
陽太よりも背が高いくせに、肩をすぼめて上目遣いで言う朱里に、陽太は手を握ったまま言った。
「うん。仮に、オレだけあいつらとカラオケに行ってもさ……なんか、違う気がするんだよなあ」
朱里がいない所で朱里が知らない時間を他の誰かと過ごす。そんな想像が陽太には出来なくなっていた。
「ねえ、ヨータ」
「うん」
「好き」
「……うん?」
朱里は握られた手を熱く握り返していた。陽太を見つめる目にも熱がこもる。
陽太は途端に心臓が跳ねて、頭が真っ白になってしまった。
「ヨータと同じ部屋で、良かった!」
「あ、ああ……そう! うん、オレも」
続く言葉で屈託なく笑った朱里に、陽太はホッと安心したけれど、微かに残念な気分にもなった。
朱里といると、心臓があっちこっち行って騒がしい。
「ジュリ……あのさ」
「なに?」
どうして毎晩オレにキスするの?
「……何でもない」
「ふふ? ヘンなヨータ」
その綺麗な笑顔が遠ざかるような気がして、陽太は何も聞けなかった。
◆ ◆ ◆
午前零時。朱里からのキスが深くなる。
最初は頬を合わせるだけのチークキスだったのに、二週間後には頬に唇を寄せてきた。
それから更に二週間のうちに、朱里が陽太の頬にするキスは、どんどん熱を帯びていった。
唇を寄せる時間が長くなった。
朱里の吐息を感じて、陽太は顔が熱くなる。
舌が頬を撫でるようになった。
しっとりした感覚に、陽太の体は熱くなる。
朱里の唇が、甘く頬を喰むようになった。
陽太は思わず声を漏らしてしまった。
「ん……っ」
朱里の唇がピタリ止まる。そして陽太の顔を覗き込んだ。
陽太は目を瞑ったまま、体中から汗が吹き出そうなくらいに焦った。
もう、ここまで気づかないフリを続けてしまった。
今更起き上がるなんて出来ない。
陽太の額を、朱里の手が優しく撫でる。
それだけで、陽太はなんだか涙が出そうだった。
そうして朱里がゆっくりと離れていく。
この瞬間が、陽太は寂しい。
寂しくて寂しくて、胸が締めつけられるよう。
そんな陽太の気持ちに気がつくはずもなく、朱里は自分のベッドに戻る。
その後陽太が眠れずに、様々な感情を持て余すことも知らずに。
それから次の午前零時。朱里のキスが、口付けに変わった。
◆ ◆ ◆
「ふわぁあ……」
昼休み。学食帰りに、陽太と朱里は中庭をうろついていた。
日差しがぽかぽかと暖かくて、陽太は歩いているのにこのまま眠りそうになる。
「ヨータ、最近眠そうだね」
お前のせいでな!
……とは、絶対に言えない陽太であった。
「夜、ちゃんと寝てるのにね」
そう思ってんのはお前だけだよ!
……とも、絶対に言えない。
昨夜は今までで一番寝不足だ。
何故なら、ついに朱里のキスが唇に到達したから。
軽く押しつけただけのものだったけれど、陽太は朝まで動揺していた。
体に籠る熱と、頭に上る熱が、陽太にあの感情を気づかせてしまった。
「ジュリ……」
好き。
「ん?」
無垢な笑顔を向ける朱里の顔を見ると、ますますそんな感情が込み上げる。
「ジュリぃ……」
欲しい。
「どうしたの? ヨータ」
もっと朱里のキスが、欲しい。
だけどそんなこと言えない。
「眠い……」
だから、そんな嘘をついて朱里の胸に顔を埋めるだけで陽太は精一杯だった。
「もう、ヨータはしょうがないなあ」
子どもをあやすみたいに、陽太の頭を朱里はぽんぽんと撫でる。
それだけでも気持ち良かった。
本当は朱里に聞きたい。どうして毎晩オレにキスするのかを。
だけど、今更。ずっと気づかないフリを続けてきて。
陽太はその罪悪感で動けなかった。
これは、恋なのか。
それとも朱里からのキスが欲しいだけなのか。
好きなのか。
快楽を求めているだけなのか。
朱里に対する気持ちが後ろめたいものだったら。
そう思うと陽太は動けなかった。
◆ ◆ ◆
午前零時。またキスされた。
朱里の唇は、陽太の頬を甘く喰んだ後、唇へと滑る。
昨夜のように、軽く唇を押しつけた。
それだけでも陽太の体は、余す所なく電流が走るように震える。
「んぅ……」
昨夜はそこで離れたのに、朱里の口付けは更に甘く続けられた。
上唇と下唇で何度も喰んで、熱く吐息を吹きかけた後、更に深く口付ける。
「ん……っ、んふっ」
熱く、甘く、追い求める朱里の口付けに、陽太は我慢出来なくて思わず朱里の背中に手を回した。
「あっ……」
「──ヨータ?」
朱里が唇を離した。
暗闇で、やっと目が合った。
「起こしちゃった? ごめんね」
そんな暢気な言葉に、陽太は感情が一気に溢れ出た。
「起きてたよぉ、ずっと、起きてたぁ……」
「ええっ!?」
陽太は涙も出そうなのに、朱里は素っ頓狂な声で驚いていた。
「バッカじゃねえの? なんで驚いてんの? こんなん、起きるに決まってんじゃん……」
「そ、そうだったんだ……ごめん」
朱里がそうやって素直に謝るから、陽太はよくわからない怒りが込み上げる。
「おいこら、ジュリィ!」
「は、はいっ」
陽太は起き上がって朱里の胸元のシャツを掴む。
朱里の瞳は、こんな時でも月夜に映えて綺麗だった。
「なんで、毎晩、オレにキスすんの……?」
朱里の気持ちを確かめたい。
陽太はやっとの想いで、この一ヶ月聞けなかった事を聞いた。
だが、朱里の回答は陽太の予想だにしないもので。
「あ、あのね、これはおまじないなんだ!」
「……は?」
ちょっと意味がわからない。
陽太の思考が固まっている間に、朱里は懸命に説明した。
「えっとね、寮に入った日、僕、おばあちゃんに電話したんだ。同室になったヨータにはもうおばあちゃんがいないんだって」
「お、おう……」
「ヨータ、おばあちゃんがいないのは大変なんだよ。守ってくれる人がいないってことなんだ。だから、僕、おばあちゃんに相談したんだ」
一生懸命説明しようとしているのはわかる。
だが、言ってることがひとつもわからない!
陽太は反応に困ったけれど、朱里の拙い説明は続く。
「あのね、僕のおばあちゃんが育った村はね、おばあちゃんは絶対なんだ。孫を守るためにおばあちゃんがいるんだ。だから僕は、おばあちゃんにずっと守ってもらってる!」
「そ、そうか。良かった……な?」
慣習が独特過ぎる。陽太はとうとう面食らってしまった。
「だからヨータにおばあちゃんがいないのは大変なことなんだよ! どうしたらいいかなっておばあちゃんに相談したら、それじゃあ代わりにお前が守ってあげなさいって」
「へ……?」
「実家で僕がいつもおばあちゃんにしてもらってたみたいに、毎晩チークキスしてあげなさいって。亡くなったヨータのおばあちゃんの代わりに、そうやって守ってあげなさいって言われたんだ」
「お、おう……?」
朱里が独特なおばあちゃん子だという以外、陽太にはよくわからなかった。
けれども、とても最悪な結果になりそうな予感に身震いがする。
朱里はただのおまじないのつもりで毎晩あんな事を?
「それでね、毎晩ヨータが寝てる時にこっそりチークキスしてたんだけど、なんか、だんだん物足りなくなって……」
「うん?」
「毎晩ヨータにキスするうちに、昼間もしたくなって。ヨータを独り占めしたくてたまらなくなって」
「んん?」
真っ赤になって言い続ける朱里の姿に、先ほど抱いた陽太の悪い予感はすぐに消え失せた。
「もう……なんか、ヨータにずっと触っていたくって! ほっぺにチューしちゃったら、ますますヨータで頭が一杯になっちゃって!」
「ジュリ?」
「昨夜、唇にキスしちゃったら、もうそればっかり考えちゃって。早く夜になれーとか思ってて、で、さっきまたヨータにキスしたら、もう止まんなくなっちゃって……ッ!」
一気にまくしたてた朱里は、そこでやっと少し落ち着いて呼吸をひとつした。
それから、陽太の顔を引き寄せる。綺麗な顔が、陽太だけを見て訴えた。
「僕、ヨータが欲しいんだ」
ああ、良かった。
「ヨータが、好きなんだ」
同じ気持ちで、良かった。
朱里の手に包まれて、陽太は心から安心する。欲しがっていいんだ、と。
「ねえ、ヨータ……は?」
おずおずと聞いてくる朱里の顔が、子犬のようにあざとくて可愛い。
「ジュリ……」
「なあに?」
「次からは、オレが起きてる時にキスしてよ……」
そう言うと、朱里の瞳が歓喜に揺れた。
「いいの?」
「今、してよ……」
陽太は自分から唇を朱里に寄せた。
「ヨータ……」
朱里の唇が、優しく陽太に重なる。
「ん……ジュリ、好き……」
そう呟いた陽太の唇を、朱里は親指で少し広げた。
「あ……ん……」
そうして、今度は奥深くまで口付ける。
甘くて、柔らかい感触に、体がとろけていきそうだった。
「熱い……」
朱里が陽太の腰を引き寄せる。
重なる唇、合わさる肌が、二人の心を熱く震わせた。
◆ ◆ ◆
朝、目が覚めると、陽太は朱里に抱きしめられたままだった。
(恥ずい……)
気持ちが通じ合った昨夜を思い出す。
あの後、何度もキスをして、触り合ってしまった。
誰にも見せないような顔を、お互いだけが知ってしまった。
至近距離で眠る朱里の顔を見ていると、昨夜の朱里を思い出して、陽太はまた体が火照り返りそうになる。
そんな風に苦悶していると、ついに朱里も目を覚ました。
「ん……ヨータ?」
「あ、おう……」
「おはよ……」
朱里は朝日の中で綺麗に笑って、陽太の頬に口付けた。
くすぐったい甘さに、陽太は焦って身じろいだ。
しかし朱里は陽太を更に抱きしめて幸せそうに笑う。
「へへへえ……」
「おい、離せよ、遅刻するだろ」
「ええー」
陽太の言葉に反発しながら、朱里は陽太の頭に頬擦りした。
「おい、ジュリ!」
「ねえ、ヨータぁ、今夜からは一緒のベッドで寝よ?」
「ええ、なんで? 狭くねえ?」
「狭くない! 今のこれがちょうどいいよ!」
そんなわけないだろ、と陽太は思ったが、朱里は承諾を得るまで陽太を離さないつもりでいるようだった。
「……ヨータは、嫌?」
「お前、その言い方はずるいって……」
拗ねたような顔であざとく聞かれたら、陽太には頷く以外の選択肢がない。
「へへえ、わぁい!」
こんなに喜ぶならいいか、と思ってしまうあたり陽太もすでに朱里に囚われている。
「わかったから、今は起きる、オッケー?」
「オッケー!」
ようやく陽太を離した朱里は元気良く飛び起きた。
二人で急いで支度をして、部屋を出る。もちろん朱里は陽太のネクタイを締めるのも忘れなかった。
朝食を食べた後、当然のように陽太の手を引く朱里に、陽太は少し戸惑う。
「あのさ……手ぇ、繋ぐのってどうなの?」
「ええ! 今更?」
朱里は振り返って大袈裟に驚いていた。
「いや、そうなんだけど、昨日までとは意味が違うって言うか……」
陽太は心境の変化に戸惑っていた。昨日までは友達としてだったから。
今朝繋いだ手は、自分でも驚くくらいに熱がこもってしまっている。
「僕は元からそういうつもりだったけど?」
「ええ?」
それっていつから? 最初から?
陽太が余計な考えを巡らせていると、朱里がふと立ち止まる。
「あのね、ヨータ。僕がおばあちゃんに教わったおまじない、孫とおばあちゃんの立場じゃなかったから、効果が違ったんじゃないかなあ?」
「うん? どういう事だよ」
陽太が首を傾げていると、朱里はうふふと笑って言った。
「僕は、最初の夜にヨータの頬に触れた時、ヨータが好きになる魔法にかかっちゃったんだと思う!」
「ええ……?」
「それでね、僕はヨータにずうっと『僕のことが好きになる魔法』をかけてたんじゃないかな?」
「そっ……!」
そんなはずないだろ、と陽太は即座に否定出来なかった。
毎晩キスをされ続けたから、朱里を意識したのは事実。
でも、その前からきっと……
「おおおい、朝比奈ァ! 北村ァ!!」
校門からクラスメイトの石田と足立が走ってやって来た。
まだ学校に着いていない陽太と朱里を迎えに出てくるとは、陽太はろくでもない予感がした。
「大変だあ! かがやき女子高と合コン出来ることになったあ!」
「ああ?」
興奮している足立に、陽太は怪訝に反応する。すると横から石田が補足した。
「すまん。こいつ、勝手に北村の写真を撮って、セッティングしちまったんだ」
「ハアァ!?」
「北村ぁ、来てくれるよな? な?」
縋りつく足立に、朱里はにっこり笑って答える。
「ごめんね。僕もヨータも、こういうのには行かないんだ」
「ええええ!」
ガックリ膝をつく足立を置いて、朱里は陽太の手を引いた。
「行こう、ヨータ」
「お、おう。足立、二度とジュリの写真なんか使うなよ!」
去り際に釘を刺してから、陽太も一緒に駆け出した。
「ヨータ、やっぱり意思表示は必要じゃない?」
「何の?」
握った手に力を込めて、朱里は今までで一番眩しい笑顔で笑う。
「ヨータは僕のものだってこと!」
おわり




