朱き空に白は映え
空は、どこまでも青く澄んでいた。
第八号高高度重迎撃艦のデッキに立つアリア中将は、左手で軍服の襟をそっと押さえた。指先に自分の体温は感じられない。ただ、冷たい布の感触だけが他人事のように伝わってくる。
彼女は、英雄ではない。
雲の上の人たちが、この透き通るような空気を吸い続けるために、丁寧に磨き上げられた「高級な燃料」だ。
外套からこぼれる髪は、根元から透き通るような白に変わっていた。けれど毛先の方には、まだ彼女が「人間」であった頃の金色の名残が、わずかに、美しく残っている。艦を浮かせるために命を燃やすたび、その金色の領域は、音もなく白に食いつぶされていく。
「難民船、捕捉」
アリアは、低く呟いた。
雲の海を割って、ボロボロの浮遊艇が数隻、這い上がってくる。
そこには、汚染された下界から清浄な高度へと逃れてきた人々が乗っていた。幼い子供もいる。
目には一様に希望の光を貯めていた。
けれど、この高度に住む人々にとって、彼らは守るべき命ではない。命も希望も、ただの「余分な重さ」だ。船が一隻近づくごとに、都市を支える天秤は傾き、アリアの髪はさらに白く透けていく。
「一〇九番。最短距離で、その命をぶつけなさい」
彼女の命令で、赤い機体が射出された。
中にいるのは、十六歳の少年だ。彼はパイロットではない。赤いミサイルを確実に標的へ届けるための、一度きりの使い捨ての信管。
「機体の重さを、すべて衝撃に変えるの。戻ってこなくていい。……あなたの帰還は、この艦にとっては、ただ高度を奪うだけの『錘』なのよ」
レシーバーから、少年の荒い息が聞こえる。
アリアの脳は艦と同期し、少年の怯えや、標的に映る子供たちの影を、単なる計算ミス(バグ)として処理していく。
『……っ、中将、でも、あっちには子供が……僕だって、まだ……!』
「さようなら。いい夢を」
アリアは淡々と告げ、指先で『解除』を叩いた。
少年の声が、電気的なノイズの中に消える。赤い光の線が空を引き裂き、難民船の腹を貫いた。
鮮やかなオレンジの花火が、空に咲く。
この青く広い空を赤く染めるほど、私たちは生を得る。
一〇九番という少年と、船にいた子供たち。その重さが炎と共に消えた瞬間、艦を縛っていた高度の警告音が止まった。重力との戦いに、また一度、勝利したのだ。
「……次の一一〇番を、用意して。この空を、これ以上汚さないで」
アリアは、感覚の消えた指で、白い髪を一房なぞった。カサカサと、枯れた草のような音がした。
ふと、「私たち?」と、アリアは自身の思考をなぞり直した。
命を浮力に変え、真っ白な抜け殻になるまで、あと三百日もない。今日を生き延びたところで、アリアという個体の「終わり」に、一秒の猶予も与えられないというのに。
今、生き延びたのは、誰なんだろう。
アリアはふっと息を吐いた。そんなことはもう、どうでもいい。
知ったところで、引き返せるわけではないのだ。
借り物の正義をまとい、私は淡々と自分の命を切り売りする。文字通り、燃え尽きて灰になるまで。
空には、燃え尽きたエーテルのカスが、雪のように舞っていた。
太陽の光と反応してきらきらと輝くそれは、アリアの目には、ただの不潔な排泄物に見えた。
喉の奥に、乾いた軽い吐き気がこみ上げた。




