第31話:迷い込んだ「子猫」
**ガイスト帝国諜報員 サーシャ視点**
ガイスト帝国の東部国境守備隊、その地下にある薄暗い尋問室。
私は上官から一枚の書類を受け取っていた。
「ターゲットは『泥の魔女』場所は緩衝地帯クレイ高原、地下工房」
「……例の、鉄機兵団を全滅させたという化け物ですか?」
「そうだ。物理的な攻撃は通用しない。戦車だろうが魔導兵だろうが、あの『黒鉄の巨人』の前では紙切れ同然だ」
上官は苦々しげに言った。
先日、我が軍が極秘裏に派遣した精鋭部隊が、全員返り討ちにあった。
生存者の証言によれば、漆黒の悪魔ごとき巨人に蹂躙されたという。
帝国軍上層部は「力攻めは不可能」と判断したのだ。
「そこで、貴様の出番だ。コードネーム『猫』」
「懐柔、ですか?」
「そうだ。魔女は引きこもりで、外界との接触を極端に嫌うらしいが、精神的には幼いという情報がある。……内側に入り込み、完全に信用させろ」
上官は机上の写真を指差した。
「我々が知りたいのは、あの『黒鉄の巨人』の正体と制御方法だ。あれほどの兵器を、どうやって操っているのか。その秘密を探り出せ」
「そして、あわよくば?」
「うむ。可能ならば、帝国側に引き込め。アステリア王国ではなく、我が帝国こそが彼女の『理解者』であると思わせるのだ」
要するに、ハニートラップで心を奪い、手駒にしろということか。
「了解。……チョロい仕事ですね」
私は不敵に笑った。
私は帝国の特殊養成機関『毒針』の最高傑作だ。
14歳という、無垢で守ってあげたくなる容姿を武器に、これまで数多のターゲットの懐に入り込み、情報を抜いてきた。
魔女だか何だか知らないが、所詮は他人と関わってこなかったボッチだ。
私の「可愛さ」の前には、赤子も同然だろう。
***
クレイ高原、国境付近。
私はボロボロの服を纏い、わざと土で顔を汚して、岩場を彷徨っていた。
演技の準備は完璧だ。
設定は「旅の途中で野盗に襲われ、家族とはぐれて遭難した可哀想な少女」。
「……それにしても、殺風景な場所ね」
草木一本生えていない荒野。
こんなところに人が住んでいるとは思えないが、情報の座標はこの辺りだ。
ふと、視界の端に何かが見えた。
岩壁の前にある、不自然に整地された地面。
そこには、以前ここに来たであろう者たちの痕跡――ボロボロになった看板の破片や、地面に埋め戻されたような奇妙な跡があった。
(ここね。入り口はあの岩壁の裏……)
私は岩壁が見える位置まで移動し、よろよろと崩れ落ちた。
呼吸を荒げ、死にかけた遭難者を演じる。
さあ、気づきなさい。
魔女の監視網がザルでなければ、すぐに誰かが出てくるはずだ。
***
**引きこもり領主 テラ視点**
地下工房、モニター室。
私はココアを飲みながら、ボーッと画面を眺めていた。
地上の監視を担当しているのは、索敵特化型のハニワ『ハニ・スリー』だ。
ピピピッ!
突然、警告音が鳴り響いた。
ハニ・スリーからの念話が届く。
『マスター、異常検知。入り口付近に生体反応アリ』
「えっ、またネズミ(私兵団)?」
私は眉をひそめた。
この前埋めたばかりなのに、また来たの?
肥料が増えるのはいいけど、しょっちゅう来られると静かな生活が乱されるなぁ。
『否定。反応は微弱。小型の生物。……形状、人間のメス。幼体』
「人間の……子供?」
私はモニターを覗き込んだ。
そこに映っていたのは、ボロボロの服を着て、地面に倒れ伏している金髪の少女だった。
ピクリとも動かない。
「大変だ! 遭難者だ!」
ネズミじゃなくて、本当の人間だ。しかも子供。
こんな何もない荒野で倒れてるなんて、放っておいたら死んじゃう。
「ハニ・ワン! 出動だよ! 救助に向かうよ!」
私はココアを置き、急いで地下のスロープを駆け上がった。
後ろから、ズシンズシンとハニ・ワンが付いてくる。
頼もしい相棒だ。
***
**ガイスト帝国諜報員 サーシャ視点**
(……来た)
地面に耳を押し当てていると、微かな振動が伝わってきた。
岩壁が動く音。
そして、誰かが走ってくる足音。
「大丈夫ですかー!?」
少女の声だ。
計画通り。私はうっすらと目を開け、虚ろな視線を向けた。
そこにいたのは、資料通りの冴えない作業着姿の少女。
そして、その背後に聳え立つ、悪夢のような黒い巨人。
(ッ……!?)
実物を見ると、威圧感が桁違いだ。
『アダマンタイト』。
本当に、全身が神代金属でできている。
しかも、赤い蝶ネクタイをしている。
ふざけた見た目だが、そこから放たれるプレッシャーは、帝国最強の将軍以上だ。
巨人の赤い目が、私を捉えた。
その瞬間。
ガシャァァァン!!
巨人が猛烈な勢いで踏み込んできた。
殺気。
純粋な殺意の塊。
私の演技など見透かしているかのように、その巨大な拳を振り上げた。
(ひっ……!? バレてる!?)
私は恐怖で硬直した。
逃げられない。潰される。
死ぬ――!
「待ってハニ・ワン! ストップ!!」
魔女の鋭い叫び声が響いた。
巨人の拳が、私の鼻先数センチでピタリと止まる。
風圧で前髪が巻き上げられ、心臓が早鐘を打つ。
「ダメだよ! よく見て! ネズミじゃないよ、女の子だよ!」
魔女が巨人の前に立ちはだかり、叱りつけた。
巨人は不満げに(?)機械音を鳴らしたが、ゆっくりと拳を下ろした。
(助かった……)
私は震えが止まらなかった。
演技ではない。本気の恐怖だ。
あの巨人は分かっていた。私が「ただの遭難者」ではなく、「敵」であることを。
だが、主である魔女は気づいていない。
「ごめんね〜! 怖かったよね? この子は番犬のハニ・ワン。ちょっと警戒心が強くて」
魔女が私を抱き起こし、心配そうに覗き込んできた。
その瞳には、疑いの色は微塵もない。
チョロい。
主人がこのザル警備なら、あの番犬さえどうにかすれば何とかなる。
「私……家族とはぐれて……お水もなくて……」
「大変だったね! もう大丈夫だよ。うちにおいで、暖かいスープがあるから!」
魔女は私をお姫様抱っこ(意外と力持ちだ)すると、地下へのスロープへと運んでいった。
背後で巨人が、赤い眼光で私を睨みつけているのを感じたが、私は魔女の胸に顔を埋めて、密かに舌を出した。
(侵入成功。……まずはこの飼い主を籠絡して、あの番犬を黙らせてやる)
***
**引きこもり領主 テラ視点**
「わあ、可愛い……!」
地下工房のゲストルーム(急遽作った)。
ベッドに寝かせた金髪の女の子を見つめて、私は頬を緩ませていた。
ふわふわの金髪、白い肌、長いまつ毛。
まるでお人形さんみたいだ。
ハニワたちは可愛いけど、やっぱり土の質感だから、こういう「ふわふわ感」には飢えていたのかもしれない。
ハニ・ワンはなぜか彼女を警戒してたけど、きっと初めて見る「ちっちゃい人間」に驚いただけだよね。
「う……ん……」
女の子が目を覚ました。
翡翠のような緑色の瞳が、私を捉える。
「あ、気がついた? 気分はどうかな?」
「ここ……は……? 私、死んだの……?」
「生きてるよ! ここは私の家。君は外で倒れてたんだよ」
女の子はハッとして起き上がり、周囲を見回した。
そして、私の顔を見ると、瞳に涙を溜めた。
「お姉ちゃんが……助けてくれたの?」
「うん! 私がテラ。君の名前は?」
「……サーシャ。サーシャっていうの」
「サーシャちゃんか。いい名前だね!」
サーシャちゃんは、突然私に抱きついてきた。
ギュッと、強い力で。
「うわぁぁぁん! 怖かったよぉ! 一人ぼっちで、暗くて、寒くてぇぇ!」
「よしよし、もう大丈夫だよ〜。怖くないよ〜」
私は彼女の背中を撫でてあげた。
ああ、なんていい感触。
体温がある。柔らかい。
ハニワにはない、この生体反応!
「(ハニワ以外のお友達だ! しかも妹みたいで超可愛い!)」
私は内心ガッツポーズをした。
引きこもり生活に潤いが来た。
これは神様からのプレゼントに違いない。
ハニワたちも好きだけど、たまにはこういう「なでなで」できる存在が必要だよね。
もはや「友達」というより「新しいペット(猫ちゃん)」を見る目になっていたかもしれないが、気にしない。
「お腹空いてるでしょ? スープ作ったんだ。飲む?」
「……うん。ありがとう、お姉ちゃん」
サーシャちゃんは上目遣いで頷いた。
破壊力抜群だ。何でもしてあげたくなる。
私はワゴンから、特製の『カボチャのポタージュ』を取り出した。
もちろん、畑で採れた最高級の『栗カボチャ・改』を使い、ミルクとバターで濃厚に仕上げた自信作だ。
「はい、あーん」
「えっ……あ、あーん……」
サーシャちゃんは少し戸惑いながらも、口を開けた。
スプーンでスープを流し込む。
その瞬間、彼女の目がカッと見開かれた。
「んっ……!?」
「どう? 熱かった?」
「……おい、しい……」
彼女は呆然と呟いた。
そして、私の手からスプーンを奪い取ると、猛烈な勢いでスープを飲み始めた。
「美味しい! 何これ、すっごく甘い! それに、体が……熱い!」
「あはは、慌てないで。おかわりもあるから」
サーシャちゃんは一気に飲み干すと、頬を紅潮させて私を見た。
その目は、さっきまでの「怯える少女」ではなく、何か熱に浮かされたような、恍惚とした色を帯びていた。
「お姉ちゃん……すごい。力が……湧いてくる……」
「栄養満点だからね! マナもいっぱい入ってるし」
彼女は私の手を握りしめ、自分の頬にスリスリと押し付けた。
「大好き……お姉ちゃん、大好き。もっと……もっとちょうだい?」
「うんうん、いいよ〜。いっぱいお食べ」
ああ、なんて可愛いんだろう。
こんなに懐いてくれるなんて。
私は彼女の頭を撫で回しながら、これからの楽しい共同生活に思いを馳せた。
***
**ガイスト帝国諜報員 サーシャ視点**
(な、何なのよこれ……!?)
私は内心、パニックに陥っていた。
演技ではない。本気の動揺だ。
出されたスープ。
一口飲んだ瞬間、脳髄を痺れさせるような強烈な旨味と、爆発的なマナの奔流が体内を駆け巡ったのだ。
帝国の宮廷料理人が作るスープなど、泥水に思えるほどの味。
そして何より、その効果だ。
旅で消耗していた体力と魔力が、一瞬で全快した。いや、上限を超えて溢れ出している。
(これは……最高級のエリクサー? いや、それ以上だわ。こんなものを、ただのスープとして出してきたの?)
この魔女、底が知れない。
巨人の秘密だけでなく、この「食糧生産能力」だけでも国家機密レベルだ。
これを帝国に持ち帰れば、私は英雄になれる。
私は作戦通り、次の段階へ移行した。
「依存」させるのだ。
孤独な引きこもりに、過剰な愛情とスキンシップを与え、私なしでは生きられないようにする。
同性同士という気安さを利用して、肉体的な距離をゼロにする。
「お姉ちゃん……」
夜。
テラの寝室で、私は彼女のベッドに潜り込んだ。
「ん? どうしたの、サーシャちゃん?」
「一人じゃ眠れないの……。怖い夢を見そうで……。一緒に寝てもいい?」
涙目で訴える。
普通の人間なら、ここで理性が揺らぐはずだ。
ましてや、こんな可愛い少女(自画自賛)に迫られて、断れるはずがない。
「いいよー! おいで!」
テラは布団をめくり、私を招き入れた。
私は彼女の懐に入り込み、その柔らかい体に抱きついた。
「えへへ……お姉ちゃん、いい匂い。あったかい……」
胸に顔を埋め、首筋に息を吹きかける。
手足を絡ませ、体温を共有する。
これは私の得意技だ。
相手の警戒心を溶かし、心を開かせる最強の武器。
だが。
「わあ〜、湯たんぽみたい! あったか〜い!」
テラは私をギュッと抱きしめ返してきた。
邪念がない。
まるで、気に入った巨大なぬいぐるみを抱く子供のように、純粋に私の感触を楽しんでいる。
(な、何こいつ……。私のフェロモン攻撃が効いてない?)
いや、むしろ彼女の「包容力」のほうが強い。
土の匂いと、日向のような温かさ。
訓練漬けで凍りついていた私の心が、不覚にも「心地いい」と感じてしまっている。
「よしよし、サーシャちゃん。ゆっくりお休み。私が守ってあげるからね」
頭を撫でられるリズムが、心臓の鼓動と重なる。
意識がとろける。
マナ回復スープの効果もあって、強烈な睡魔が襲ってくる。
(いけない……私が主導権を握らなきゃ……。寝込みに情報を探るチャンス……なのに……)
まぶたが重い。
テラの腕の中は、帝国の宿舎のベッドよりも、どんな高級な寝具よりも安心できた。
孤独な魔女の寝床は、皮肉にも私がこれまで知らなかった「家庭」のような温もりを持っていた。
「……おやすみ、お姉ちゃん……」
私は抗うのをやめ、意識を手放した。




