第30話:王女の粛清と「聖域」の布告
**メルビル侯爵視点**
私の苛立ちは、限界を超えて恐怖へと変わりつつあった。
王都の侯爵邸、その執務室で、私は爪を噛みながら窓の外を睨みつけていた。
「戻らない……。三日経っても、誰一人として戻らないだと?」
私がクレイ高原へ差し向けた私兵団『黒犬』。
裏社会の汚れ仕事をこなし、数々の修羅場を潜り抜けてきた精鋭三十名だ。
それが、ただの農家の制圧に向かったきり、プッツリと消息を絶った。
伝令の鳩も戻らない。斥候による追跡調査も失敗。
まるで、あの荒野に「見えない口」があり、彼らを丸ごと飲み込んでしまったかのようだ。
「ありえん……。たかがカボチャ農家だぞ? 職人と、案山子代わりのゴーレムがいる程度のはずだ」
もしや、シルヴィアか?
あの女狐が、近衛騎士団を伏せていたのか?
いや、それならば大規模な戦闘の痕跡や、捕虜の情報が入るはずだ。
それが何もない。
『黒犬』たちは、戦闘する間もなく、あるいは悲鳴を上げる暇もなく「消滅」したとでもいうのか。
「おのれ、シルヴィア……! 私の手足を捥いだつもりか!」
怒りが恐怖を塗り潰す。
このまま黙って引き下がれば、私は笑いものだ。
三十人の兵を失った損失も大きいが、それ以上に「舐められた」ことが許せない。
私は椅子を蹴り倒し、立ち上がった。
「馬車を出せ! 登城する! あの小娘に直接問い質してやる!」
証拠などない。だが、状況証拠だけで十分だ。
大貴族である私に対し、王女といえども無碍にはできないはずだ。
私は怒りのままに、王城へと乗り込んだ。
***
**王女 シルヴィア視点**
王城の「薔薇のサロン」。
私が優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいると、荒々しい足音と共に、招かれざる客が現れた。
「シルヴィア殿下! 説明していただこうか!」
顔を真っ赤にしたメルビル侯爵だ。
後ろで近衛兵が「侯爵、困ります!」と止めようとしているが、彼は聞く耳を持たない。
私はカップをソーサーに置き、冷ややかな視線を向けた。
「……騒々しいですね、侯爵。仮にも王族の御前ですよ? 礼儀をどこかに忘れてきたのですか?」
「礼儀だと!? 貴様こそ、私の部下をどこへやった! 『黒犬』三十名だ! 貴様の息がかかった商人のルートを追って、東へ向かったのだ! それが全員行方不明になった!」
侯爵は唾を飛ばしながら喚き散らす。
愚かね。自分から「オットー商会を尾行させました」「私兵を動かしました」と自白しているようなものじゃない。
「あら、存じ上げませんわ。……東へ向かった? もしかして、あの『クレイ高原』のことでしょうか?」
「白々しい! あそこにカボチャの生産拠点があることは分かっている! 貴様が近衛を伏せて、私の兵を闇討ちにしたのだろう!」
「心外ですね。近衛は一人たりとも動かしておりません。……ですが、侯爵。あそこは『魔境』ですよ?」
私は扇子で口元を隠し、クスクスと笑った。
「国境付近の荒野には、腹を空かせた魔獣や、凶悪な野盗が住み着いていると聞きます。貴方の私兵たちは、運悪く彼らの餌食になったのではありませんか? ……あるいは、もっと恐ろしい『何か』に触れてしまったか」
「な……っ」
私の言葉に、侯爵の顔色がサッと青ざめた。
図星ね。彼も薄々感づいているのだ。あそこに「人知を超えた何か」があることを。
「そ、そんな誤魔化しが通用すると思うな! 私は被害者だ! 私の兵を返せ!」
「被害者? 面白い冗談ですこと」
私の声音が、氷点下まで冷え込んだ。
サロンの空気が凍りつく。
「証拠もなく王族を人攫い呼ばわりするとは……。それに、貴方は先ほど『オットー商会のルートを追わせた』と言いましたね? それはつまり、王室御用達の商人を襲撃し、その権益を侵害しようとした……という自白と受け取ってよろしいですか?」
「ぐっ……! そ、それは……調査だ! 正当な商取引かどうかの……」
「言い訳は結構です」
私は立ち上がり、ミーナに目配せをした。
ミーナが恭しく一枚の羊皮紙を差し出す。
王家の印章が押された、発布されたばかりの『勅令』だ。
「これ以上の無用なトラブル……いえ、愚かな犠牲者を出さないために、私は決断しました」
「な、なんだそれは」
「読み上げなさい、ミーナ」
「はっ」
ミーナが凛とした声で読み上げる。
『本日をもって、東方国境付近、通称クレイ高原一帯を、アステリア王家直轄の『資源保護特別区域』に指定する。当該区域への許可なき立ち入り、および資源の採取、武力行使を禁ずる。これに違反する者は、王家への反逆とみなし、厳罰に処す』
「な……『サンクチュアリ』だと!?」
侯爵が絶句した。
そう、これは最強の法的バリアだ。
これまでは「誰の土地でもない」からこそ、侯爵のようなハイエナが手を出してきた。
だが、これからは違う。
あそこに足を踏み入れた時点で、それは「王家への反逆罪」となる。
「表向きは、希少な植物と粘土資源の保護です。……ですが、侯爵。貴方なら分かるでしょう? これは『警告』です」
私は侯爵に一歩近づき、囁いた。
「あそこには、貴方が想像する以上の『怪物』が住んでいます。私の兵ではありません。もっと……純粋で、制御不能な力が。これ以上、あの子の庭を荒らさないほうが身のためですよ? ……次こそ、本当に『戻ってこられなく』なりますから」
「ひっ……!」
侯爵は後ずさり、腰を抜かさんばかりに震えた。
彼は悟ったのだ。
私兵団が消えたのは、政治的な駆け引きの結果ではなく、圧倒的な暴力による「処理」だったのだと。
「お、覚えておれ……!」
侯爵は捨て台詞を吐き、逃げるようにサロンを出ていった。
哀れな背中。
二度とクレイ高原には近づかないでしょうね。
「ふぅ。……これで、あの子の平穏は法的に守られたわ」
私はソファに座り直し、冷めた紅茶を一口飲んだ。
物理的にはハニワが、法的には私が守る。
これであの子は、心置きなく引きこもれるはずだ。
「テラ……。貴女、一体何を『肥料』にしたの? ……いえ、聞かないほうが幸せね」
窓の外、東の空を見上げる。
そこには、相変わらず平和な(?)雲が流れていた。
***
**元・ガイスト帝国の亡命商人 オットー視点**
勅令が発布された翌日。
私は再び、胃の痛みを抱えながらクレイ高原を訪れていた。
今回は、シルヴィア殿下からの書状(聖域指定のお知らせ)を届けるという重要な任務もある。
「王家直轄の聖域、か……。テラ様の工房が、ついに地図に載るわけだ」
馬車を走らせながら、私は複雑な心境だった。
あそこは確かに、常識外れの場所だ。隔離したほうが世のためかもしれない。
いつもの岩場に到着すると、前回破壊された形跡のあった入り口が、綺麗に修復されていた。
それどころか、以前よりも岩肌が滑らかになり、艶めかしい光沢を放っている。
「……また何か混ぜたな」
触れるのも怖い。
私が恐る恐る近づくと、ゴゴゴ……と扉が開き、ハニ・ワンが出迎えてくれた。
相変わらずのアダマンタイトボディに、赤い蝶ネクタイ。
その丁寧な一礼に、私は引きつった笑顔で応えた。
「お、お邪魔します……」
地下へのスロープを下りる。
空気はひんやりとしていて、甘い植物の香りと、湿った土の匂いが混じり合っている。
そして、畑が見えた瞬間。
私は絶叫した。
「ヒッ……!? ひいいいいいいっ!?」
馬車から転げ落ちそうになった。
心臓が止まるかと思った。
見渡す限りの美しいカボチャ畑。
その一角に、異様な光景が広がっていたのだ。
地面から、生首が生えていた。
三十個。
等間隔に、綺麗に整列して。
それらは皆、泥でガチガチに固められ、目だけをギョロギョロと動かしている。
口も泥で塞がれているのか、「ムググ……」という呻き声しか聞こえない。
よく見れば、それは生首ではない。首から下を埋められた人間だ。
「な、ななな、なんですかこれはぁぁぁ!?」
私の悲鳴を聞きつけて、畑の奥からテラ様が走ってきた。
作業着姿で、手にはジョウロを持っている。
天使のような無邪気な笑顔だ。
「あ、オットーさん! いらっしゃい! 待ってましたよ〜!」
「て、テラ様!? あ、あれは!? あの、地面から生えている……人たちは!?」
私は震える指で「生首畑」を指差した。
「え? ああ、あれですか?」
テラ様は事もなげに言った。
「一昨日、大量に捕獲した『大型ネズミ』ですよ。入り口を壊そうとしたから、お仕置きついでに肥料になってもらったんです」
「ネ、ネズミ……? どう見ても人間……それも、武装した兵士に見えますが!?」
「えー? オットーさん、目が悪いんじゃないですか? あれは害獣ですよ。マナーも知らないし、言葉も通じないんですから」
テラ様はキョトンとしている。
私は戦慄した。
この方は、本気だ。
彼らを人間として認識していない。あるいは、自分のテリトリーを侵す者は、人間であろうと「害獣」というカテゴリに分類される思考回路なのだ。
「ほら、見てください。すごく元気ですよ!」
テラ様がジョウロで水をかけると、埋められた男たちがビクンと跳ね、涙目で何かを訴えるように首を振った。
その横には、青々としたカボチャの苗が植えられており、彼らの生命力を吸うかのようにツルを伸ばしている。
「究極の循環型農業です! 彼らが生きている限り、マナを放出し続けるので、土がとっても豊かになるんですよ。……オットーさんも、試してみます?」
「け、結構ですッ!! 私は肥料にはなりたくありません!」
私は全力で拒否した。
ここで断らなければ、私の横にも苗を植えられかねない。
「そうですか? 残念。……まあ、これだけあれば来年の収穫は安泰ですね」
テラ様はニコニコしている。
男たちの絶望など、カボチャの葉擦れの音くらいにしか感じていないようだ。
狂気だ。
シルヴィア殿下の冷酷さとは違う、無垢ゆえの純粋な狂気がここにある。
「そ、そうです……。こちらを……お届けに参りました……」
私は震える手で、シルヴィア殿下からの書状を渡した。
これ以上、ここには居たくない。用件を済ませて早く帰りたい。
「ん? シルヴィア様から? なんだろう」
テラ様はジョウロを置き、封蝋を割って手紙を開いた。
中身を読み進めるにつれて、彼女の表情がぱぁっと輝いていく。
「えっ……! 『クレイ高原を立ち入り禁止区域に指定』!? 『許可なき者の侵入を禁ずる』!?」
「は、はい……。王家直轄の聖域となります。これで、勝手な侵入者は法的に罰せられることになります」
「やったぁぁぁぁ!!」
テラ様は飛び上がって喜んだ。
「すごい! シルヴィア様、最高! これでもう、変な人たちは来ないってことですよね!?」
「ええ、まあ……そういうことになりますが」
「嬉しいなぁ! これで心置きなく引きこもれるよ! 誰にも邪魔されず、カボチャと陶芸に没頭できる!」
テラ様は手紙を抱きしめてクルクルと回った。
その背後では、三十人の男たちが「助けてくれ……」という目で私を見ている。
だが、私にはどうすることもできない。
彼らは既に、この「聖域」の一部なのだから。
「あ、オットーさん! お祝いに、このカボチャ持っていってください! 肥料たっぷりで育った特級品ですよ!」
テラ様が差し出したのは、男たちの近くで収穫された、一際大きく艶のあるカボチャだった。
……これを、王都の人々に売るのか。
「滋養強壮」の意味が、別の意味で重くのしかかってくる。
「あ、ありがとうございます……。大切に……売らせていただきます……」
私は引きつった笑顔で受け取った。
カボチャはずっしりと重く、そして微かに温かい気がした。
***
**Side:引きこもり領主 テラ**
「バイバーイ! また来てくださいね〜!」
青ざめた顔で帰っていくオットーさんを見送り、私は地下工房へと戻った。
手には、シルヴィア様からの勅令書。
これは家宝にして、額縁に入れて飾っておこう。
「『資源保護特別区域』かぁ……。響きがいいよね」
私はカボチャ畑を見渡した。
そこには、私の可愛いハニワたちと、新入りの「肥料さん」たちが共存する、平和で豊かな世界が広がっている。
外の世界がどんなに騒がしくても、ここだけは私のルールで動く場所。
「ねぇ、肥料さんたちも嬉しいよね? ここが聖域になったんだよ!」
私が話しかけると、彼らは一斉に「ムグーッ!(感動の涙)」と声を上げた。
うんうん、君たちもこの楽園の一部になれて光栄なんだね。
「よし、今日はお祝いだ! みんなでカボチャパーティーをしよう!」
私はスコップを高らかに掲げた。
地下帝国は、今日も平常運転だ。
外の世界では、私の知らないところで「魔女の聖域」として恐れられ始めていることなど、露知らずに。




