第21話:深夜の受渡人と「鉄の信頼」
**近衛騎士団長 ガレス・ウォルター視点**
クレイ高原の夜は、骨まで凍るほどに冷たい。
荒涼とした大地を吹き抜ける風が、岩肌を削り、ヒュウヒュウと亡霊のような声を上げている。
私は、王都から東へ十キロ離れた森林地帯の境界線で、一人佇んでいた。
背後には、闇に溶け込むように黒塗りにされた馬車が一台。
御者もいない。私一人だ。
アステリア王国近衛騎士団長、ガレス・ウォルター。
剣に生き、王家に忠誠を誓って四十年。
数々の戦場を潜り抜けてきたこの私が、今、恥ずかしいことに酷く緊張している。
「……来るか」
懐中時計の針が、深夜二時を回った瞬間だった。
風の音が変わった。
キィィィン……。
耳鳴りのような高周波音。
上空の雲が裂け、月明かりを背にして「それ」は現れた。
白い、鳥。
いや、鳥ではない。
翼長三メートルはあろうかという、純白の陶器でできた怪鳥だ。
羽ばたきもしない。
滑るように空気を切り裂き、音もなく私の目の前の地面へと着陸した。
ドスン。
重量感のある着地音。
その脚は鳥のものではなく、鋭利な刃物のような形状をしている。
頭部には目がない。代わりに、のっぺりとした曲面に、不気味な青い光が明滅していた。
『ハニ・スリー』。
シルヴィア殿下がそう呼んでいた、あの「泥の魔女」の使い魔だ。
「……ご苦労」
私は努めて冷静な声を出し、一歩前に出た。
内心では、剣の柄にかけた手が汗で滑りそうだった。
これが、帝国軍の斥候部隊を全滅させた「泥の軍勢」の一角。
もし今、こいつが敵意を持てば、老骨の私など一瞬で肉塊に変えられるだろう。
だが、怪鳥は動かなかった。
ただ静かに、腹部のハッチを開いた。
プシュウゥゥ……。
白い蒸気と共に現れたのは、乾燥した植物の繊維と、奇妙なスポンジ状の物体で隙間を埋められた木箱だった。
私は慎重にそれを受け取る。
ずしり、と重い。
箱の蓋を少しだけ開けてみる。
緩衝材として詰められているのは、細かく裂いて乾燥させたカボチャのツルと、気泡をたっぷり含んで固められた軽石のような泥塊だ。
まるで田舎の農家が、収穫した野菜を親戚に送る時のような、無骨で実用一点張りの梱包。
だが、その奥から漏れ出したのは、月光よりも清らかな、乳白色の輝きだった。
「……なんと」
息を呑んだ。
そこに入っていたのは、数枚の皿とティーカップ。
『白の幻磁器』。
今、王都の貴族たちが血眼になって探し求め、裏社会では「城一つと交換してもいい」とまで言われている伝説の逸品だ。
それが、枯れたツルや泥のクッションに守られ、無造作に詰め込まれている。
「……ん?」
皿の隙間に、一枚の羊皮紙が挟まっていた。
封蝋もされていない、走り書きのような手紙だ。
宛名は『シルヴィア様へ』。
一介の騎士が王族への親書を読むなど不敬極まりないが、万が一、呪詛や危険物が仕込まれていてはならん。
私は検閲の義務感(という建前)で、その手紙を開いた。
そこに書かれていたのは、魔女の呪いの言葉でも、国家転覆の野望でもなかった。
『前回の茶葉、美味しかったです。ハニワたちにも飲ませてみましたが、全部こぼして床がベタベタになりました。掃除が大変だったので、次はこぼれないお菓子がいいです』
……は?
『あと、最近カボチャ畑の拡張工事で土を素手で触ることが多くて、指先がガサガサです。あかぎれが痛くて、ろくろを回す時に引っかかって困ります。王都には良いハンドクリームとかないですか? あったらください。 追伸:このお皿は失敗作じゃないけど、焼き加減が気に入らないのであげます。 テラ』
私は、夜の森で一人、天を仰いだ。
力が抜けた。
膝から崩れ落ちそうになるのを、なんとか堪えた。
あかぎれ。
掃除が大変。
こぼれないお菓子がいい。
これが、帝国軍を震撼させ、我が国の王女を虜にしている「化け物」の言葉か?
ただの、年頃の娘ではないか。
それも、少々生活能力に欠けた、不器用な。
「……ふ、ふふっ」
堪えきれず、笑いが漏れた。
恐怖が、霧散していく。
シルヴィア殿下が、なぜあんなにも楽しげに、この「魔女」の話をするのか分かった気がした。
王宮という伏魔殿で、常に仮面を被り、心を殺して戦っている殿下にとって、この飾らない、あまりにも等身大な「友人」の言葉が、どれほどの救いになっているか。
「……確かに、これは国宝級の価値があるな」
私は丁寧に手紙を畳み、懐に仕舞った。
そして、馬車の荷台から、こちらが用意していた「返礼品」を取り出した。
重厚な鉄の箱。
王家の紋章が刻印されたその箱の中身は、金貨ではない。
金などよりも遥かに価値のある、王家の宝物庫の奥底に眠っていた禁断の素材。
『アダマンタイト』。
この世で最も硬く、あらゆる物理・魔法攻撃を無効化すると言われる伝説の金属。
その欠片が、小袋いっぱいに詰められている。
殿下は言った。『国を売ってでも、彼女を繋ぎ止める価値がある』と。
私はその判断を危ぶんでいた。
だが、今は違う。
「頼んだぞ、使い魔殿」
私はハニ・スリーのハッチに、鉄の箱と、殿下が用意した最高級の薬用ハンドクリームを収めた。
「主君に伝えてくれ。『良いクリームを入れておいた。しっかり塗って、また良い皿を焼いてくれ』と」
ハニ・スリーは私の言葉を理解したのか、一度だけ翼をパタつかせた。
青い光が明滅する。
それは無機質な機械の反応ではなく、どこか意志を感じさせる光だった。
キィンッ!
甲高い音と共に、白い怪鳥は夜空へと舞い上がった。
あっという間に闇の中へと消えていく。
私はその軌跡に向かって、無意識のうちに敬礼していた。
相手は泥人形だ。騎士が礼を尽くす相手ではない。
だが、この夜の密会で、私の中に奇妙な「鉄の信頼」が芽生えていた。
彼女たちは裏切らない。
カボチャと、友人の肌荒れを気にするような存在が、国を売るような真似をするはずがない。
「……さて、帰るとするか。殿下が首を長くして待っておられる」
私は軽くなった心で、馬車の御者台に飛び乗った。
冷たい夜風が、今は心地よく感じられた。
***
**S引きこもり領主 テラ視点**
「~♪」
地下工房の作業台で、私は上機嫌に鼻歌を歌っていた。
目の前には、ハニ・スリーが持ち帰ってきた戦利品が並んでいる。
一つは、白磁の瓶に入ったクリーム。
蓋を開けると、薔薇とハーブの上品な香りがふわりと漂う。
『王室御用達・高保湿魔導クリーム』。
試しに指先に塗ってみると、ガサガサだった皮膚が、まるで水を吸ったスポンジみたいに瞬時に潤っていく。
すごい。さすが王家。
これなら、あと千個くらい粘土をこねても指紋がなくならない気がする。
そして、もう一つ。
私のテンションを爆上げしているメインディッシュが、これだ。
「こ、これは……『アダマンタイト』!?」
私は鉄の箱の中身を見て、思わず叫んでしまった。
小袋に入った、黒曜石よりも深く、ダイヤモンドよりも鋭い輝きを放つ黒銀色の金属片。
魔導書でしか見たことがない。
物理無効。魔法無効。
ドラゴンの爪すら通さないという、チート素材の頂点だ。
シルヴィア様の手紙には、『宝物庫の掃除をしてたら出てきたからあげるわ。漬物石にでもして』なんて書いてあったけど、嘘だ。
これ一粒で、うちの工房の設備を全部買い替えてもお釣りが来る。
「……漬物石になんて、するわけないじゃないですか」
私はニヤリと笑った。
職人の血が騒ぐ。
引きこもりの防衛本能が、歓喜の声を上げている。
これがあれば。
これさえあれば。
「最強の引きこもりボディが作れる……!」
私はすぐさま立ち上がり、ハニ・ワンを呼び寄せた。
「ハニ・ワン、メンテナンスモードへ移行! 今日は大改造だよ!」
ハニ・ワンが大人しく作業台に横たわる。
私は震える手でアダマンタイトの粒子を手に取った。
普通なら加工不可能な金属だ。
硬すぎて削れないし、魔法を弾くから溶かせない。
でも、私には土魔法がある。
土と金属の親和性を極限まで高め、分子レベルで泥に定着させる「融合」なら、あるいは……!
「いける……! 私の魔力なら、この頑固な金属も従わせられる!」
私はアダマンタイトの粉末を、特殊な釉薬に混ぜ込んだ。
それをハニ・ワンの全身に丁寧に塗っていく。
ただ塗るだけじゃない。
土魔法で泥の粒子と金属の粒子を噛み合わせ、完全に一体化させるのだ。
窯に入れる必要はない。
私の魔力による「超圧縮」と「摩擦熱」で、その場で焼き付ける。
ジュウウゥゥゥ……!
工房に黒い蒸気が立ち込める。
ハニ・ワンの身体が赤熱し、そして徐々に冷えていくにつれて――色が、変わった。
かつての赤褐色の土色は消え失せた。
そこに現れたのは、光を吸い込むような、深淵なる黒銀色。
「完成……。『ハニ・ワン・アダマン』!」
ハニ・ワンがゆっくりと起き上がる。
その動作一つ一つに、重厚な金属音が混じる。
「よし、耐久テストだ! ハニ・ツー、全力で殴って!」
私は無茶な命令を下した。
ハニ・ツーが躊躇なく、その巨大な泥の拳を振り上げる。岩をも砕く一撃だ。
ガギィィィン!!
耳をつんざくような音が響いた。
ハニ・ツーの拳が弾かれ、逆にハニ・ツーの手首にヒビが入った。
対して、ハニ・ワンの黒銀のボディは――無傷。
傷一つ、凹み一つない。ピカピカのままだ。
「すっげぇぇぇぇ!! じゃあ次は魔法! 私が全力で『岩石弾』を撃つ!」
私は容赦なく、攻撃魔法を放った。
岩の塊が弾丸となってハニ・ワンに直撃する。
カァンッ!
乾いた音と共に、魔法の岩が粉々に砕け散った。
ハニ・ワンは微動だにしない。
魔法の余波すらも、その表面を滑るように霧散していく。
「あはっ……あははははは! 無敵だ! これぞ最強!」
私はハニ・ワンに抱きついた。
ひんやりとして、どこまでも硬い頼りがいのある感触。
痛い。硬すぎて頬ずりすると痛いけど、それがいい!
「これでもう、帝国だろうが何だろうが怖くない! このアダマンタイトで工房の外壁もコーティングすれば、核シェルターだって目じゃないよ!」
私は作業場の真ん中で、ハニ・ワンの手を取って小躍りした。
ハニ・ワンも、心なしか誇らしげに胸を張っている気がする。
「ありがとうシルヴィア様! 貴女は女神様です! お礼にもっといいお皿、いや、もうアダマンタイト製のお皿でも作って送りますからね!」
ああ、なんて素晴らしい夜なんだろう。
外の世界は怖いことだらけだけど、この工房の中だけは、文字通り鉄壁の楽園になった。
これでもう、枕を高くして眠れる。
誰にも邪魔されず、好きなだけ土いじりができる。
「あ~、幸せ。……さて、この最強ボディでカボチャ畑の石拾いでもしてきてもらおうかな!」
神殺しの金属を纏った最強のゴーレムに、石拾いをさせる。
なんて贅沢。なんて無駄遣い。
でも、それがいいのだ。
これが私の求めていた「最強の引きこもりライフ」なのだから。
私は幸せな気分でベッドにダイブした。
明日の朝、ピカピカになった畑を見るのが楽しみだ。




