第20話:王女の跪き
気まずい。
ものすごく、気まずい。
私の地下工房に、突如として現れた銀色の闖入者。
彼女は、私が差し出したカボチャグラタンのスプーンを見つめたまま、彫像のように固まってしまっている。
銀色の長い髪。
雪のように白い肌。
そして、煌びやかな白銀の鎧。
どう見ても、ただの迷子じゃない。
コスプレにしては質感がリアルすぎるし、腰に下げている剣からは、ハニ・ワンの魔力炉と同じくらいビリビリとしたプレッシャーを感じる。
でも、彼女は武器を抜こうとはしなかった。
ただ、信じられないものを見るような、あるいは神様でも拝むような目で、私とグラタンを交互に見ているだけだ。
「……あの、食べないなら下げますけど」
私がスプーンを引っ込めようとすると、彼女がビクリと反応した。
「た、食べるわ! 頂きます!」
彼女は慌ててスプーンを受け取り、熱々のグラタンを掬った。
まだ湯気が立っている。
フーフーと息を吹きかけ、上品な、それでいてどこか切実な手つきで口に運ぶ。
パクッ。
彼女の動きが止まった。
蒼い瞳が大きく見開かれる。
「……っ!」
次の瞬間、彼女の目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ええっ!? 熱かった!? ごめんなさい、猫舌でしたか!?」
私がオロオロしていると、彼女は首を横に振った。
「違う……。違うの。……温かい」
彼女は震える声で呟いた。
「なんて、優しい味……。枯渇していたマナが、体の芯から満たされていく……。これは、ただの食事じゃない。これは、『祝福』そのものよ……」
大袈裟だなぁ。
ただのカボチャと、オットーから貰ったチーズとミルクで作ったグラタンだよ?
まあ、隠し味に私の魔力を込めた「特製甘味スパイス(カボチャの糖度を上げる土魔法)」は使ってるけど。
土のマナは生命力そのものだから、疲れた体には効くのかもしれない。
彼女はその後、涙を流しながら、猛烈な勢いでグラタンを完食した。
お代わりまで要求されたので、鍋ごと出してあげた。
綺麗な顔して、すごい食欲だ。
ハニ・ワンが『良い食べっぷりだ』と感心して、お茶まで淹れてあげている。
一息ついたところで、彼女はふぅと満足げな吐息を漏らし、空になった器をテーブルに置こうとした。
その時だ。
カチャン、という澄んだ音が工房に響いた。
「……え?」
彼女の手が止まった。
その蒼い瞳が、今しがた自分が使っていた「器」に釘付けになる。
透き通るような乳白色。
薄氷のように繊細な飲み口。
それでいて、熱々のグラタンが入っていたにも関わらず、外側は人肌程度の温かさしか伝えてこない断熱性。
そして、光の加減で浮かび上がる、幾何学模様の魔力紋様。
「こ、これは……まさか」
彼女が震える手で、器を持ち上げた。
指で弾く。
キィーン……と、長く美しい音色が響く。
それはまるで、聖歌隊の歌声のような、清浄な残響。
「『白の幻磁器』……!? 王都の貴婦人たちが血眼になって探し求めている、伝説の食器が、なぜここに?」
あー、それか。
そういえば、オットーが「王都で売り出す」とか言ってたっけ。
「ああ、それ、私が作ったやつです。オットーさんが欲しいって言うからあげたんですけど、そんな中二病みたいな名前ついてるんですか?」
「貴女が……作った?」
彼女が私を見た。
さっきのカボチャを食べた時以上の衝撃を受けた顔をしている。
「信じられない……。これ一つで小さな屋敷が買えるほどの秘宝よ? 貴族たちが『料理が冷めない魔法の皿』だとか『毒を検知して色がかわる聖なる器』だとか噂している、あの幻磁器を……」
「え、だって使いやすいし。割れないし。油汚れもすぐ落ちるし。毒検知機能は、カボチャに虫がつかないように付与したオマケですけど」
私がキョトンとして答えると、彼女は額を押さえてよろめいた。
カルチャーショックを受けているようだ。
「帝国軍を退ける武力。枯れた大地を蘇らせる豊穣の力。そして、失われた古代技術すら凌駕する錬成技術……」
彼女がブツブツと呟いている。
その瞳に、先ほどの涙とは違う、鋭く、熱狂的な光が宿り始めていた。
「決めたわ」
彼女は居住まいを正し、私の方へ歩み寄ってきた。
ハニ・ワンが割って入ろうとするのを、私は手で制した。
彼女から敵意は感じない。
あるのは、もっと重くて、逃れられない「執着」のような感情だ。
私の目の前まで来ると、彼女は唐突に――その場に膝をついた。
「え?」
ガシャリ、と膝当てが床を打つ音が響く。
最敬礼。
騎士が、主君に対して行うような、あるいは信徒が聖女に対して行うような、深い跪拝。
「あ、あの? 床、汚れますよ? 泥だらけだし」
私が戸惑っていると、彼女は顔を上げ、私の手を両手で包み込んだ。
冷たい金属の籠手の感触。
でも、その奥にある彼女の手は、とても熱かった。
「単刀直入に言います、テラ様。……私と一緒に、王都へ来てください」
はい?
王都?
一番行きたくない場所ナンバーワンの?
「お断りします」
私は即答した。
0.1秒の迷いもなく。
「え?」
「嫌です。私はここがいいんです。カボチャがあるし、お風呂もあるし、トイレも水洗だし。外は寒いし、人は怖いし、ろくなことがない」
私は彼女の手を振りほどこうとした。
でも、彼女の力は強かった。
万力のように、私の手を離さない。
「待って。私の話を聞いて。……私はシルヴィア。このアステリア王国の第一王女です」
「王女様!?」
マジか。
コスプレじゃなくて、本物のお姫様か。
どうりで、ハニ・スリーの「高貴オーラ判定」がカンストしていたわけだ。
……って、そんな偉い人がなんでこんなモグラの巣で土下座してるの?
「昨日、帝国の部隊がここで消滅しました。……貴女がやったのでしょう?」
「……正当防衛です。私の畑を踏んだから」
「咎めてはいません。むしろ、賞賛に値します。……ですが、貴女の力はあまりにも大きすぎる。一個人を逸脱しているわ」
シルヴィアと名乗った王女は、真剣な眼差しで私を見つめた。
その瞳は、宝石のように美しく、そして悲痛だった。
「我が国は今、危機に瀕しています。マナの枯渇、作物の不作、帝国の圧力。……民は飢え、希望を失いつつある。私は無力でした。聖剣に選ばれながら、何も守れなかった」
彼女の声が、微かに震える。
「でも、今日、貴女に出会って確信しました。貴女の作る作物。貴女が使役するゴーレムたち。そして何より、この『幻磁器』を生み出す貴女の指先……。それこそが、我が国が待ち望んだ『救世の光』なのだと」
いやいやいや。
買いかぶりすぎです。
私はただ、美味しいものが食べたくて、楽がしたくて、土をこねくり回しているだけの引きこもりですよ?
救世とか、そんなガラじゃないです。
「だから、お願い」
シルヴィア様は、私の目を真っ直ぐに見つめ、あの言葉を口にした。
まるで、愛の告白でもするかのような、切実な響きで。
「貴女を、こんな場所で腐らせるわけにはいかない。私と一緒に王国を救ってほしい」
シーン。
工房に静寂が流れる。
ハニ・ツーが空気を読んで、換気扇の音を弱めた気がする。
百合の花が咲きそうな、美しい光景。
銀の王女と、泥の魔女。
運命の出会い。
普通なら、ここで「はい、喜んで」と手を取り合うのが物語のセオリーだろう。
王城での煌びやかな生活。
イケメン騎士との出会い。
国を救う英雄譚。
だがしかし。
「――絶対に、嫌です」
私は彼女の手を、今度こそ強引に引き剥がした。
「国とか、救世とか、重すぎます。私は自分の生活を守るだけで精一杯なんです。王都なんて行ったら、また『役立たず』って言われて、いじめられて、狭い部屋に押し込められるに決まってる」
トラウマが蘇る。
ギルドでの日々。
「土魔法なんて地味だ」「泥臭い」と嘲笑された記憶。
人間関係の煩わしさ。
二度と御免だ。
「ここなら、誰にも気を使わなくていい。好きな時に起きて、好きな時に寝て、カボチャを食べて暮らせる。……これが私の幸せなんです。邪魔しないでください」
私は言い切った。
背中を向ける。
さあ、交渉決裂だ。帰ってくれ。
王女様だろうが何だろうが、私の「引きこもり権」を侵害する奴は敵だ。
……沈黙が落ちる。
怒られるだろうか。
「無礼者!」と斬りかかられるだろうか。
ハニ・ワンが戦闘態勢に入る気配がする。
私も、ポケットの中の粘土爆弾を握りしめた。
「……そう」
ポツリと、シルヴィア様が呟いた。
「貴女は、傷ついているのね」
え?
振り返ると、彼女は悲しげな顔で私を見ていた。
怒ってない。
むしろ、泣きそうな顔をしている。
「王都で……辛いことがあったのね。その小さな背中で、世界を拒絶しなければならないほどに」
彼女はゆっくりと立ち上がった。
そして、聖剣をガチャリと腰に戻した。
戦意はない、という意思表示だ。
「分かったわ。……無理強いはしない」
「えっ? い、いいんですか?」
意外な言葉に、私は拍子抜けした。
「国のために死ね」とか言われるかと思ったのに。
「貴女がそこまで嫌がるなら、連れて行っても意味がないわ。心のない救世主なんて、誰も救えないもの」
シルヴィア様は寂しげに微笑んだ。
でも、その瞳の光は消えていない。
「だけど、テラ。これだけは覚えておいて」
彼女は一歩、私に近づいた。
そして、私の泥だらけの手を、もう一度優しく握った。
「私は諦めない。貴女を連れて行くことは諦めるけれど、貴女と『友達』になることは諦めない」
「は? 友達?」
「ええ。貴女の力が欲しいのは事実よ。でもそれ以上に……私は、貴女の作ったこのグラタンの味が忘れられないの」
彼女は空になった幻磁器を見つめた。
「こんなに温かいものを作れる人が、悪い人のはずがない。……だから、取引をしましょう」
「取引?」
「貴女はこのままでいい。ここで好きなように暮らしなさい。……その代わり、私が時々、遊びに来るのを許可して」
へ?
遊びに来る?
王女様が? こんなモグラの巣に?
「その時は、また美味しいご飯を食べさせてほしいの。……その対価として、私は貴女のこの場所を守るわ」
シルヴィア様は胸を張った。
「帝国が攻めてきたら、私が盾になる。王国が貴女を利用しようとしたら、私が剣になって追い払う。……貴女の『引きこもり生活』を、私が全力で保障するわ」
……なんだそれ。
王女様が、私の引きこもりのパトロンになるってこと?
「そんなの、私に都合が良すぎませんか?」
「いいえ。貴女がここにいてくれるだけで、私にとっては希望なのよ。……疲れた時に帰れる場所がある。それだけで、私は戦える気がするの」
彼女の目は本気だった。
打算もあるだろう。
政治的な計算もあるだろう。
でも、それ以上に、私という人間に興味を持ってくれているのが伝わってきた。
私のカボチャを「祝福」だと言ってくれた人。
私の器を「秘宝」だと言ってくれた人。
そして、私の「嫌だ」というワガママを受け入れてくれた人。
……悪い気は、しなかった。
「……ご飯代、高いですよ」
私がボソッと言うと、シルヴィア様は花が咲くように笑った。
「ええ、覚悟しておくわ。王家の財産が傾くくらい、食べさせてもらうから」
こうして。
私の引きこもり生活は、終わらなかった。
王都へ連行されるバッドエンドは回避された。
その代わり。
「銀の王女」という、とんでもなくVIPな常連客ができてしまったけれど。
「とりあえず、今日はもう帰ってください。眠いんで」
「あら、つれないわね。せっかくだから畑を見学させて……」
「帰れ!」
私は王女様の背中を押して、工房から追い出した。
外には、心配そうな顔をした騎士団長さんたちが待機している。
王女様が無傷で(しかも満腹で)出てきたのを見て、彼らが安堵のあまりへなへなと座り込むのが見えた。
扉を閉める。
再び、静寂が戻ってくる。
でも、なんとなく。
いつもより工房の空気が明るく感じられたのは、気のせいだろうか。
私はテーブルに残された、空っぽの「白の幻磁器」を手に取った。
「……友達、か」
悪くない響きだ。
まあ、たまにご飯を食べに来るくらいなら、許してあげてもいいかな。
私は小さく笑って、洗い場へと向かった。
足取りは、来る時よりもずっと軽かった。




