第10話:カボチャとの出会い
旅商人オットーが去った後の洞窟には、再び静寂が戻ってきていた。
けれど、それは以前のような「孤独」な静けさではない。
嵐が過ぎ去り、冬の淡い日差しが差し込む工房のテーブルの上。
そこに、ずっしりとした麻袋が鎮座しているからだ。
カボチャの種。
それも、私が夢にまで見た『西方カボチャ(ウェスタン・パンプキン)』の種だ。
「……ふふ」
頬が緩むのを止められない。
袋の口を少し開けて、中を覗き込む。
白くて、平べったくて、乾燥した種たち。
一見するとただの殻のようだけれど、私にはわかる。
この小さな一粒一粒の中に、黄金色の未来が詰まっているのだ。
「ハニ・ワン、準備はいい?」
私が振り返ると、ハニ・ワンはビシッと敬礼をとった。
彼の手には、私がオットーの置いていった道具を参考に作った、特製のスコップとジョウロが握られている。
やる気満々だ。
今日は記念すべき日。
『地下カボチャ農園計画』の始動日である。
場所は決めてある。
洞窟の最奥部。
天井の岩盤を薄く削り、水晶を埋め込むことで、柔らかい自然光を取り込んだ「温室エリア」だ。
ここなら外の吹雪の影響を受けず、一年中安定した室温を保てる。
でも、一番重要なのは光や温度じゃない。
「土」だ。
私は温室の隅に積み上げられた、黒々とした土の山を見上げた。
鼻を近づけると、森の腐葉土のような、芳醇で少し酸っぱい香りがする。
これは、ハニ・ワンの分体が、私たちが出したゴミや排泄物を半年かけて分解・発酵させ、魔力で浄化した「究極の培養土」だ。
栄養価は測定不能。
普通の植物なら、植えた瞬間に枯れるか、お化けみたいに巨大化するかのどちらかだろう。
「……よし。配合しよう」
私はその黒土を掬い上げ、クレイ高原の元の土(赤土)と混ぜ合わせる。
赤土のミネラルと、黒土の有機栄養分。
さらに、砕いた岩芋の皮を混ぜ込んで、通気性を良くする。
混ぜる。こねる。
私の手は泥だらけだ。
爪の間に土が入る。
でも、それが愛おしい。
魔導士の杖を振るよりも、こうして土と戯れている時の方が、私は自分が「世界を作っている」という実感が湧く。
ハニ・ワンも隣で、大きな手を使って土を耕している。
彼の陶器の指が土を掻くたびに、カシュ、カシュと小気味良い音が響く。
彼から漏れ出る余剰魔力が土に染み込み、土壌中の微生物を活性化させているのが、肌で感じられた。
「いい土だね」
私が話しかけると、ハニ・ワンはコクンと頷き、泥だらけの手でサムズアップをした。
畝を作る。
カボチャは根を広く張るから、感覚を空けて、ふかふかのベッドを用意してあげる。
準備は整った。
私は麻袋から、一番形の良い種を選び出した。
指先で摘む。
軽い。
でも、私の心臓はドクンドクンと重たい音を立てていた。
失敗したらどうしよう。
芽が出なかったら?
途中で腐ったら?
半年間、芋を食べ続けてきた私の精神は、もう限界に近い。
これが最後の希望なのだ。
「……お願い」
祈るように呟いて、私は種を土に埋めた。
深すぎず、浅すぎず。
優しく土を被せ、掌でポンポンと叩く。
「起きてね。ここは暖かいよ。ご飯もいっぱいあるよ」
ハニ・ワンがジョウロで水をかける。
地下水脈から汲み上げた、ミネラルたっぷりの水が、乾いた土に吸い込まれていく。
土の色が、濃い茶色へと変わる。
一つ、また一つ。
私たちは丁寧に種を蒔いていった。
全部で十箇所。
これだけあれば、どれか一つくらいは育ってくれるはずだ。
作業を終えた私たちは、並んで畝を見つめた。
まだ何もない、ただの土の列。
でも、私にはそこが一面、緑の葉とオレンジの実で埋め尽くされている幻覚が見えた。
――そこからの日々は、忍耐と観察の連続だった。
朝起きて、一番に畑へ行く。
土の乾き具合を見る。
ハニ・ワンと一緒に魔力を送る。
「おはよう」「おやすみ」と声をかける。
そして、三日目の朝。
「――出たっ!!」
私の歓声が洞窟に響き渡った。
土が割れ、そこから小さな、本当に小さな双葉が顔を出していたのだ。
岩芋の時のような爆発的な成長ではない。
ゆっくりと、おずおずと、世界を覗き込むような可憐な緑色。
可愛い。
なんて可愛いんだろう。
ハニ・ワンも駆け寄ってきて、その双葉を凝視している。
自分の指先(ドリルに変形する凶器)と見比べ、触れるのを躊躇っているようだ。
壊してしまいそうで怖いらしい。
「大丈夫だよ、ハニ・ワン。貴方の魔力のおかげだもん」
そこからは早かった。
一度スイッチが入ると、カボチャの生命力は凄まじかった。
ハニ・ワンの「魔力肥料」の効果もあって、双葉は見る見るうちに本葉になり、太いツルが地面を這い始めた。
一週間で、温室の半分が緑の絨毯に覆われた。
二週間で、大きな黄色い花が咲き乱れた。
ハニ・ワンが器用に花粉を運んで受粉させてくれた(彼は虫の役割も完璧にこなした)。
そして、一ヶ月後。
深緑色の葉の陰に、コロンとした「実」が膨らみ始めた。
最初は緑色で、握り拳くらいの大きさ。
それが日に日に大きくなり、やがて私の頭よりも大きく、ずっしりとした重量感を増していく。
色も変わる。
深い緑から、少しずつ黄色が混じり、やがて鮮やかな橙色へ。
岩芋のような、無骨で茶色い塊じゃない。
太陽の光を凝縮したような、眩しいオレンジ色。
その表面はツヤツヤと輝き、硬い皮の下に甘い果肉が詰まっていることを主張していた。
「……できた」
収穫の時。
私はハサミ(オットーが置いていった帝国の高級品)を握りしめ、震える手で太い茎に刃を当てた。
パチン。
硬い音がして、実が重みでゴロンと転がった。
私はそれを抱き上げた。
重い。
ずっしりと、腕に食い込む重さ。
まだ少し土がついている。
温かい。
「ハニ・ワン……見て」
私は振り返り、相棒にその成果を見せた。
ハニ・ワンは、まるで自分の子供が生まれたかのように、オロオロと両手を広げたり閉じたりしている。
そして、そっとカボチャの表面を撫でた。
『……すごい』
脳内に、彼の単純で、純粋な感動が伝わってくる。
さあ、ここからが本番だ。
食べるまでが農業だ。
私はカボチャを工房のキッチンへ運んだ。
硬い皮に包丁を入れる。
ザクッ。
少し力がいる。
でも、刃が入った瞬間、ふわっと甘い香りが漂った。
パカッ。
二つに割る。
中は、目が覚めるような鮮烈なオレンジ色だった。
種がびっしりと詰まっている。
ワタも瑞々しい。
「……綺麗」
岩芋の、あくの強い地味な色とは違う。
これは「豊かさ」の色だ。
種とワタを取り除く。
種は洗って干して、また次のために取っておく。
果肉を一口大に切る。
鍋に水と少しの岩塩、そしてカボチャを入れる。
ミルクがあれば最高だけど、今はカボチャそのものの味を楽しみたい。
グツグツと煮込む。
湯気が上がる。
洞窟の中に、幸せな香りが満ちていく。
甘く、優しく、心を解きほぐす香り。
煮崩れる直前まで火を通し、ヘラで軽く潰す。
とろみが出る。
黄金色のスープの完成だ。
私は木のお椀に、たっぷりとスープを注いだ。
熱々だ。
ハニ・ワンが隣で、じっと見守っている。
彼は食べられないけれど、私が食べるのを見るのが好きらしい。
「……いただきます」
手を合わせ、スプーンでスープを掬う。
とろりとした液体が、黄金色の輝きを放っている。
口に運ぶ。
――。
瞬間、時が止まった気がした。
甘い。
砂糖なんて入れていないのに、信じられないほど甘い。
そして、濃厚だ。
カボチャの旨味が、舌の上で爆発し、優しく喉を撫でて落ちていく。
体が芯から熱くなる。
岩芋を食べた時の、ただ燃料を補給したような感覚とは違う。
魂が満たされていく感覚。
幼い頃の記憶が蘇る。
優しかったおばあちゃんの笑顔。
暖炉の火。
平和だった日々。
ギルドでいじめられ、冷たい雨の中で泥を啜り、この洞窟で震えていた日々。
それら全ての苦労が、この一口で報われた気がした。
「……ん、ぅ……」
また、泣いてしまった。
涙がスープに落ちて、小さな波紋を作る。
でも、悲しくない。
嬉しくて、美味しくて、幸せで。
「おいしい……おいしいよ、ハニ・ワン」
私は泣き笑いのような顔で、ハニ・ワンを見上げた。
彼は満足そうに頷き、私の背中をさすってくれた。
完食した。
一滴も残さず、お皿まで舐めたいくらいだった。
お腹の中がポカポカしている。
これだ。
私が求めていたのは、この「温かさ」だ。
私は空になったお椀を置いて、大きく息を吐いた。
この生活を、守りたい。
泥の壁も、ハニ・ワンも、そしてこのカボチャ畑も。
誰にも渡さない。
誰にも壊させない。
もし、帝国の軍隊が来ようとも。
もし、ギルドの魔導士たちが攻めてこようとも。
私は戦う。
この黄金色のスープを、明日の朝も飲むために。
「……ハニ・ワン」
私は真剣な声で呼んだ。
彼は姿勢を正す。
「もっと、畑を広げよう。それから、貯蔵庫も拡張しなきゃ。……忙しくなるよ」
ハニ・ワンが、ドンと自分の胸を叩いた。
『任せて』という合図。
私は立ち上がった。
満ち足りた幸福感と共に、新たな決意が胸に宿っていた。
引きこもり生活は、次のフェーズへ移行する。
ただ隠れるだけじゃない。
この楽園を維持し、繁栄させるための「領地経営」へ。
温室では、残ったカボチャの実たちが、次の収穫を今か今かと待っている。
そのオレンジ色の輝きは、薄暗い洞窟の中で、希望の灯火のようにいつまでも揺らめいていた。




