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ここが夢なら、それはそれで困るけど
王太子殿下との二度目の謁見は、意外なほどあっさりと決まった。
今回は、城の西側にある小さな離れの一室だった。
貴族の私室として使われていたというその部屋は、応接よりも少しだけ砕けた雰囲気がある。
けれど整えられた内装や、置かれた家具のどれもが上質で、適度な緊張感を保っていた。
通された部屋には、すでにレオンハルトがいた。
窓際で書類に目を通していた彼は、こちらに気づくと、静かに顔を上げる。
「ようこそ。……また呼び出してしまって、すまない」
「いえ。部屋の外に出られるのは、ありがたいです」
素直な気持ちを返すと、レオンハルトは軽く目を細めた。
前よりも、ほんの少しだけ、表情がやわらかいように見える。
部屋には静かな空気が流れていた。
気まずい沈黙ではなくて、適度な距離のまま、呼吸を合わせていくような――そんな空気。
けれど、その均衡を破るように、レオンハルトがぽつりと呟いた。
「……怒っていないのか?」
「……え?」
「召喚されたことや、この国の扱いに。閉じ込められていたことも」
思いがけない問いだった。
少しだけ声の調子が硬くて、どこか、探るようでもあった。
「……怒っても、帰れるわけじゃないですし」
それが、今の正直な気持ちだった。
口にしてみて、自分でも少し驚いた。
私は本当に怒っていないのか、それとも……怒る余裕すらないのか。
「理不尽なことは、多いです。でも――」
言いかけて、少し考えてから続ける。
「きっと、もっとひどい世界だってあると思うんです。戦わされたり、力を使えって強制されたり……そういう話、フィクションではよくあるから」
「君をそんなふうに扱うつもりはない」
レオンハルトは、静かだが、はっきりと断言した。
「この国にとって君は、大切な存在だ。少なくとも俺の前では、軽んじられるようなことはさせないと約束する」
……予想していたよりも、ずっとまっすぐな言葉だった。
形式ばった気遣いじゃない、本物の意志。
「ありがとうございます」
思わず、声がほんの少しだけ揺れた。
でも――
「でも……まるで、ガラスケースの中に入れられた何か、みたいで」
気づけば、勝手に言葉が口をついて出ていた。
レオンハルトの目が、わずかに見開かれる。
「綺麗に飾られて、皆が“すごい”って言ってくれるけど……誰も触れようとしない。遠くから見てるだけで、それ以上は近づかない」
少しだけ、笑ってしまう。
「すみません、変なこと言いました。ちょっと詩人ぶってしまって」
「……いや」
間を置いて、レオンハルトが応じた。
「分かる。……俺も似たような感覚を覚えたことがある」
「王子様でも?」
「王子だから、かもしれないな」
そう言った彼の声には、静かな苦味があった。
「敬意や期待が、時に距離になる。近づくほど、扱いが難しくなることもある」
それはただの慰めじゃなかった。
たぶん本当に、彼もそれを経験してきたのだ。
「……意外と共通点、あるのかもしれませんね」
「そうかもしれない」
ふっと、レオンハルトが笑った。
それは、今まで見たどの表情よりも自然で、少しだけ“人間らしい”ものだった。
「……なんだか、話しやすいですね。レオンハルト様」
「敬称はいらない。俺も君のことを“七海”と呼んでいる」
その軽さに、思わず気が抜ける。
「じゃあ……お互い様ということで」
それからは、少しだけ他愛もない会話をした。
最近よく眠れているかとか、食事は合っているかとか。
話している間、彼の中で“聖女”としてでなく、“一人の人間”として見られているのが、なんとなく分かった。
だからこそ――
最後に彼が言った一言は、不思議と胸に残った。
「……また、話そう。必要があれば、いつでも呼んでくれていい」
「……はい。私も、そう思います」
それはたしかに、お互いの距離がほんの少しだけ近づいた瞬間だった。
けれどまだ、それ以上でも、それ以下でもない。
この出会いがどこへ向かうのか。
その答えが出るのは――たぶん、もう少し先の話だ。