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後編 そして文字は再び歩き出す――読み書きできない国に、言葉を取り戻すまで

 

 それは、一枚の紙切れから始まった。

 新しく開発されたインクと、蒼太が設計した「音を写す文字」は、まず宮廷の学者たちの間で試験的に運用され、予想以上の反響を呼んだ。

「これは……読める。読んでも、何も起こらない!」

「文字の形も、音に対応していて覚えやすい……!」

「まるで“言葉”が目に見えるみたいだ……!」

 こうして、王宮内のごく限られた者たちのあいだで、“読み書き”という行為が密かに復活を遂げることになる。


 だが、すべてが順調に進むわけではなかった。禁書とインクによる中毒の被害が語り継がれてきたこの国では、“読み書きの復活”を快く思わない者たちもいた。

「愚かな試みだ。過去を繰り返す気か」

「文字が再び災厄をもたらす前に、その芽を摘み取らねばなるまい」

「念話の伝達の速さがあれば、文字など必要ない」

 文字の復活に反対する古き貴族たちは、その権力と財力を動かし、執拗に国の上層部に訴えかけた。


 一方、蒼太は街に出て、一般市民向けの「新文字の教室」を開こうとしていた。対象は、読み書きの経験がない若者や、旧来の絵文字すら使えない労働者層。

「まずは母音からだ。“ア”はこう、“イ”はこう……」

 黒板の代わりに木の板を、チョークの代わりに炭を使いながら、教室には徐々に生徒が集まり始める。

《ソータ、文字を覚えられたら、あたしも自分の名前が書けるかしら?》

「うん。きっと書けるようになるよ」

《いつか、あの娘にオレの気持ちを書いて伝えたい。ずっと残すんだ》

「頑張って。応援してるよ」



 ところが、蒼太の教室も軌道に乗ってきた頃、突然の命令が下った。


 ――王命により、街頭での「文字教育活動」は一時停止とする。


 街の役人が教室を封鎖し、教材を押収していった。

「なんで……王命ってなんだよ! リュミエル、これはどういうことだ!」

 蒼太は拳を握りしめる。掌に爪が食い込む。青ざめた顔に怒りをにじませた彼に、リュミエルは静かに答えた。

「私一人では、この国のすべてを変えることはできません。でも、変わろうとしている人たちは確かにいます。これは一時停止です。必ず復活させます。だから――準備を整えましょう」





 王都の王宮の隣、大講堂では、臨時の議会が開かれた。議題は、「読み書きの解禁の是非」について。

 貴族たちの反対は激しかった。口話と念話が乱れ飛ぶ。

「再び災厄が繰り返される!」

《そもそも、異世界人などにこの国を任せられるのか!》



「バカどもが」

 ティエルが分厚い紙の束を抱えて現れた。例によって無精ひげに白衣姿のまま。

「中毒の原因だったインクは、完全に無害化されてる。証拠もあるし、成分表もある。ああ、お前ら一人ひとりに念話で送ってやってもいいが、論より証拠だ。これがその印刷資料だよ。酔わないことも証明済みで、国王にも提出してある」

 文書資料が議員たちの前に配られる。すがめながら見る者、恐る恐る摘み上げる者、そして食い入るように読む者――反応は様々だった。


 続いて、蒼太が登壇する。この講堂の壇上に立つのは、不思議な気分だ。ゆっくりと議員たちを見回し、静かに口を開く。

「僕の国では、文字は“力”ではなく、“道具”です。道具は、使い方さえ誤らなければ、人の生活を支えてくれます。市民が得た新たな道具を、取り上げないでください。そして、それは彼らのためだけのものではありません」


 叫ぶ者は、もういなかった。


 そしてリュミエルが、最後に凛とした声で宣言する。

「我がワンデルランディアは、今こそ、もう一度“文字”と向き合うときです!」




 こうして議会の承認を得て、「読み書き解禁令」が発布された。

 街には、従来の“現物看板”に代わり、新しい看板が立ちはじめ、新たな文字で書かれた掲示が並ぶようになる。リュミエルは新たに「言葉省ことばしょう」を設立し、文献の再整理や教育制度の構築に乗り出した。


 蒼太は、街角の小さな書店に立っていた。彼が提案した「音の文字」で書かれた初めての童話が、平積みにされている。

「……お前、異世界で書店経営とか、なかなかに狂ってるな」

 ティエルがぼそりとつぶやく。

「もともと本屋の息子なんで。これはもう、性分なんです」

「……にしても、お前、まさか王都のど真ん中でプレゼンぶっ放すとはな」

「緊張しましたよ、そりゃ。でも、あれでも結構、真面目な卒論発表と似てて……」

「もともとスピーチの訓練でも受けてたのか?」

「いえ……文学部国文学科なんで」

「“こくぶんがくか”?」

リュミエルが首を傾げる。

「うん。文字の成り立ちとか、文章の構造とか、ちょっと詳しいってだけの――まあ、今さらだけどね」

「へえ。……文学部国文学科が、世界を変える、か」

「いや、それは言いすぎ。でも……ちょっと気持ちいいフレーズですよね」

「うん、採用。どっかに刻んどくか?」

 リュミエルが微笑んで本を手に取り、そっと声に出して読む。

「――むかしむかし、あるところに、ことばを忘れた国がありました――」

 その声は、確かに“音”として届く。書かれた文字が、読まれ、伝えられる。その未来は、もう始まっているのだ。


 書店には今日も子どもたちが立ち寄り、活字の並ぶ棚を物珍しげに眺めている。既にリュミエルを通して信頼できる人に経営は任せてある。

 リュミエルは執務室で「新しい教科書」の編集に追われ、ティエルは相変わらず成分分析と製本技術の研究に没頭中。さらに、その特異体質を活かして、かつての禁書庫内の書物を書き写す作業も並行している。「一つの体じゃ足りない」と毎日ぼやいているらしい。

 ふと、蒼太は思う。

「もう、僕がいなくても大丈夫かもな……」


「……もし貴方が帰るなら、それは今です。……でも私は、貴方がここに残ってくれる未来も、少しだけ見てみたかった」

 微かに震える肩を、蒼太は見ないふりをした。

「僕だって、この国のこれからを見たかったよ。でも……戻る場所があるから」





 そして――ある夜。

 蒼太は図書館のような石造りの回廊を歩いていた。月明かりの中、ティエルとリュミエルが彼を見送る。

「君の世界では、“読むこと”は当たり前なのだろう?」

 ティエルが問う。

「うん。ずっとそれが当たり前で……でも、ここで初めて、“価値ある行為”なんだってことを知った」

「あなたが残した文字は、私たちの時代に根を張るでしょう。そしてまた百年後……新たな“読み手”が、物語を紡いでくれるはずです」

 リュミエルのその言葉に頷いた瞬間、蒼太の足元に光の文様が浮かぶ。

 次の瞬間――彼は、学習塾の下の本屋の店内に戻っていた。


 開店前の静かな朝。

 カウンターの上には、一冊の見慣れない本が置かれていた。表紙には、異世界で使われていた“音の文字”でこう記されている。

「―ぶんがくぶこくぶんがくかが、世界を変えた―」


 ――「むかしむかし、あるところに、ことばを忘れた国がありました」

 ページをめくると、そこには確かに、あの世界で聞いたはずの物語が綴られていた。


 それから、蒼太は店の隅に“異世界文字の手書き講座”のコーナーを作った。もちろん、それが本当に“異世界の文字”であるかどうか、誰も知らない。ただ、今日も誰かがページをめくり、誰かが声に出して読む。


 文字は再び歩き出した。そして――物語もまた、どこかで歩き続けているのだろう。


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