表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちらは神材派遣管理会社「ユル」でございます。  作者: U-SAN
「街道/廻道(かいどう)、繰路(くりじ)巡路(めぐりじ)」
94/104

「城下町の市場調査-巡礼編XXXⅡ 家政婦体験篇XXⅢー」

【やっぱり……さ。

 止めないかコレ??

 んあだコレ………………?】


男は、頭を抱えながら言った。


【……いや、もうさ。

 書いてて思うんだよ。

 これ、誰が読むんだ? ってさ】


⦅………………⦆


男はいつも通り、テンション・ダウンが起き始めた。


【……あー。やっぱダメかもしんねぇ】


机に突っ伏すようにして、男は呟いた。


【俺さ、思うんだよ。

 物語ってさ……もっと単純でいいんじゃねぇの?】


⦅……単純にしちゃうとさ~、アンタ、つまんねーって言うじゃん?⦆

⦅そういうの、マジでメンタル削れるんだけど~⦆


【言うね。絶対言う。俺が一番言う。

 だから困ってんだよ】


男は、髪をかき乱した。


【神秘性とか象徴性とかさ、そういうの入れると重くなるし。

 軽くすると、今度は薄いって言われるし。

 読者って難しくね?】


⦅……読者じゃなくて、アンタが難しいんだってば~☆⦆

⦅マジそれ。こっちが困る系なんだけど? 空気読んで? みたいな?⦆


【おい】


男は、半目になった。


【それ、褒めてんの? 貶してんの?】


⦅どっちでもないし~。

 ──アンタが勝手に書いてるだけじゃん? みたいな?⦆


【そういう精神論、今求めてないんだよ。

 もっとこう……現実的な話しようぜ。

 読者、混乱してると思うんだよ。

 設定が重なりすぎて、胃もたれ起こしてるって絶対】


男は、指先で机を叩いた。


【ギリギリのラインなんだよ。

 神秘性と説明過多の境界線ってやつ?

 そこ、踏み抜いてねぇ? 俺】


⦅……あー、踏み抜いちゃってるかもね~、マジで☆⦆

⦅ここまで来たら後戻りムリじゃん? みたいな~⦆


男は、天を仰いだ。


【ほら見ろやっぱり!!】


しばらく、沈黙が落ちた。


【……なあ、マジで聞くけどさ】


男は、少しだけ声を落とした。


【これ、面白いのか?】


男は現実が視えてしまっていた。


舷窓の向こう側、彼が嫌がってここまで来たというのに、

世界は静かに、逃げ場のない形をしてそこに在った。


【……なあ】


男は、ぽつりと言った。


【俺さ、怖いんだよ】


⦅知ってるわよ~?⦆


ギャル風の声は、軽く返した。


⦅アンタ、最初からずっとビビってるし~☆⦆


【……うるせぇな】


男は、窓の外を見た。


黒でも白でもない。

形を持つようで、持たない。

理解されることを拒むようで、しかし確かにそこに在るもの。


【これさ……】


男は、喉の奥で言葉を転がした。


【書かなきゃ、消えるのか?】


沈黙。


⦅……逆よ⦆


ややあって、声が答えた。


⦅書かなきゃ、最初から無かったことになるだけ~⦆


男は、目を閉じた。


【……それ、結構、残酷だな】


⦅アンタが選んだんでしょ?⦆


男は、何も言わなかった。

ただ、舷窓の外を、もう一度見ていた。


【書かなきゃ、最初から無かったことになるだけ……。】


男は、低く吐き出すように言った。


【それは知ってんだよ。

 どうしたら無かったことになるのかって話なんだよ。

 高尚な話じゃあないんだよ】


指先が、膝の上でわずかに震えていた。


【俺が聞いてんのはさ……もっと単純なことだ。

 怖いとか、神秘だとか、世界観だとか、そういうの全部抜きで】


男は、息を吸った。


【書かなきゃ、消えるんだろ?】


沈黙。


舷窓の外は、相変わらず意味を持たない静寂を映している。


⦅……そうね⦆


ギャル風の声は、少しだけだけ、調子を落とした。


⦅書かれなければ、形は残らないわ。

 記憶にも、物語にも、意味にも、引っかからないまま……流れていくだけ~⦆


男は、小さく笑った。


【……それ、怖ぇな】


⦅怖いわよ。普通に~☆⦆


【じゃあ、この悼みが痛みとなって。

 読者達に奮っている意義とは?

 この痛みと無秩序が交互に来る意図とは?】


男は、言葉を探すように、ゆっくりと視線を落とした。


すぐには、答えは返らなかった。


⦅……意義なんて、大層なものは無いわ~⦆


ギャル風の声が、軽く空気を撫でた。


⦅アンタが書いてるのは、救済じゃなくて、共有だから~☆⦆


男は眉をひそめた。


【共有?】


⦅そう~。

 痛みも、迷いも、秩序の崩れ方も。

 全部、“世界ってこういうものかもしれない”っていう、

 薄い一枚の膜を読者と一緒に触ってるだけ~⦆


男は、黙った。


舷窓の外側で、形のないものが、わずかに揺れた気がした。


【……つまり?】


⦅意味を与えてるんじゃないわ~。

 意味が生まれる瞬間を、置いてるだけ~☆⦆


男は、苦く笑った。


【……ずるい答えだな、それ】


⦅アンタが書いたんじゃん?⦆


【なんだよ、その意味不明な逆鞘理論は?

 根本的に……噓つきじゃん】


男は、吐き捨てるように言った。


⦅ひどい言われようね~☆⦆


ギャル風の声は、少しだけ笑った。


⦅でもね~。嘘と本当は、最初から分かれてなんかいないのよ~⦆


男は、顔をしかめた。


【……またそれか】


⦅アンタが書いてるのは、“正しい答え”じゃなくて、“読者が迷える余白”~☆⦆


男は、舌打ちした。


【綺麗事だな】


⦅そうかもね~。

 でもさ、嘘つきっていうなら~……アンタも同じじゃん?⦆


男は、何も言わなかった。


舷窓の向こうで、形を持たない静けさが、ほんのわずかに、呼吸をした気がした。


【あぁ、そうだな。

 俺は嘘を云ってやがる。

 信用ならねぇ嘘を本当の様に宣って。

 こりゃ……呪うしかねぇや】


男は、そう言いながら、わずかに笑った。

それは自嘲でも、諦めでもなく、ただ、どこか歪んだ納得だった。


⦅……呪うの?⦆


ギャル風の声が、少しだけ真面目になった。


男は、舷窓の外を見たまま答えた。


【あぁ。

 嘘を吐いた代償ってのは、綺麗に消えたりしねぇからな】


指先が、ゆっくりと握られていく。


【だからよ……】


男は、低く続けた。


【俺は、書いたものを、呪う。

 形になった嘘が、誰かを傷つけねぇように。

 ……あるいは、傷つけちまった後で、せめて静かに眠れるように】


沈黙。


外側の静寂は、相変わらず、意味を持たないままだった。


【あぁ……とっとと寝てしまいたいな。

 君達を捨て置いて……寝てしまいたい】


男は、ぽつりと零した。


それは本音だった。

飾りも、意味も、理屈もない、ただの疲労だった。


⦅……寝たら、終わるの?⦆


ギャル風の声が、静かに問うた。


男は、少し考えてから、苦く笑った。


【終わんねぇよ。

 多分、起きても、続きは残ってる】


舷窓の外は、変わらない。

逃げ場のない静寂が、ただそこに在るだけだった。


【……でもよ】


男は、目を細めた。


【少しだけ、夢を見たいんだ。

 嘘も、痛みも、読者も、俺自身も……一回だけ、置き去りにしてさ】


沈黙。


⦅……いいんじゃない~?⦆


声は、珍しく、否定しなかった。


⦅アンタ、ずっと起きすぎなんだもん~☆⦆


【───そう。簡単に言うな】


男はまた筆を執ってみる。


指先に、まだ熱が残っている気がした。


「……ファンタジーって奴を、視たいんだ」


ぽつりと呟く。


「だから、同じことをするんだ。

 何度も、何度も……」


紙の上に、線が落ちる。


意味を持たない線。

世界を切り取るための境界線。


⦅……それ、飽きないの?⦆


ギャル風の声が、少しだけ呆れたように言った。


男は、笑わなかった。


【飽きるさ。

 でもな……】


筆が、ゆっくりと動いた。


【飽きても、書くんだよ】


舷窓の外側で、形のない何かが、静かに、ほんのわずかに、色を持った気がした。

 四つのレリーフが嵌ると、ふわりと空気がほどけるような音がした。

エレベーターの左側一面だけに、朧げな光が静かに滲み出す。

まるで、眠っていた壁が息を吹き返したかのように。


 それは、あの玉を左側の空気穴にそっと嵌めたときのことだったように思える。

光は静かに広がり、周囲の空気までもが柔らかく震えているかのようだった。


⦅ナーレちゃん、やったじゃん? 

 マジいい感じじゃない? アガるんだけど⦆


レッティーナも、この状況にワクワクしているみたいね。


「ねぇ、あと六つもあるんでしょ?

 次って、どの季節になるの?」


 私の国では“四季”っていう概念をあんまり意識したことがない。

基本的に、寒いか、とにかく寒いかの二択しかないんだから。


⦅次は『春』の季節よ? すごく暑いの。

 ヴァルはナーレに『夏』を見せたこと、あるはずでしょ?

 だから、なんとなくイメージくらいはできると思うんだけど⦆


「うーん……あれって、

 ヴァルが見せてくれた記憶みたいなものだよね?」


 私はそうレッティーナに話しかけながら、

次に嵌めるレリーフを手探りで探し始めた。


⦅そうだね、私たちって記憶をちゃんと保持してるの。

 厳密に言うと、“昔の記憶”ってやつね。

 ヴァルは『夏』を、しっかり覚えてるんだから⦆


「ふぅ~ん? ねぇ、次は?」


 私は軽く首を傾げながら、次に嵌めるレリーフを探す指先を少しだけ早める。


⦅次は……獅子ね? この国じゃ見ないタイプの生き物。

 めっちゃ暑い地域にいる動物でさ、頭の周りがふわふわしてるから、すぐ分かると思うよ⦆


「ふさふさした生き物?」


⦅そう、大きい猫みたいな感じ。

 でも雄はね、首まわりがもっさりふさふさしてるのよ⦆


私は少しずつだけど分かり始めた。

どうやらレッティーナの説明って、基本的にいつもボヤッとしているらしい。


「これ?」


 私は四本脚の大きな生き物のレリーフを手に取った。

他に“生き物らしい形”と言えば、魚の姿をしたものと――

鋭い何かを掲げている、別の生き物くらいしか見当たらない。


⦅そそ、それだよ!⦆


今までの傾向からして、これにも裏に文字が刻まれているのだろう。

そう思い、レリーフをそっとひっくり返してみた。


「やっぱり……」

 取りあえず、眼を通した。


(きっと、レッティーナが教えてくれるはず……)


≪獅子のレリーフ≫

  ≪Ἐγὼ ἐν τῷ Νεμέᾳ βρυχῶμαι, καὶ παρθένος τρέμει καὶ κλαίει·

   ὁ ἥρως με διώκει, ζητῶν θήραν ἐπ᾽ ἐμοί.

   Ἄγε νῦν, δεῦρο·

   σε καταβροχθίσω, καὶ δείξω τίς ἐστιν ὁ τῆς γῆς βασιλεύς≫


「よっと! もう! レリーフ、全部やたら重いし!

 なんでこんなにいっぱいあるの……」


 私は小さく文句を言いながら、レリーフを嵌めて。

次のレリーフへと手を伸ばした。


⦅次は乙女よ!? ね、綺麗な女性っぽいの選んで! 

 ほら、アガる感じでいこ?⦆


 女性というよりかは、

尾が魚の姿をした女性を思わせるレリーフがあった。


 その姿は、海辺の岩の上に腰掛け、

ハープを抱えながら、どこか上の空のまま遠くを眺めているように見える。


≪乙女のレリーフ≫

 ≪Νῦν ὁ καιρὸς τῆς εὐφορίας· τὴν λύπην τῆς ὥρας ὑπέμεινα.

  Πάλιν ὁ κύκλος ἐπέστρεψεν, ἐμὲ ἐξάγειν βουλόμενος.


  Ὦ ἀνήρ, ἆρά με ἀκούσεις; τὴν ἐμὴν λύπην

  τῷ ὀργάνῳ τούτῳ ψάλλειν ἐπίτρεψον.


  Ἐνταῦθα μένω, ἕως ἂν εἰς ἀφρὸν γένωμαι.

  Μείνῃς ἐκεῖ, καὶ ἀγάπα με≫


「これが乙女なの? どこが乙女……?」


⦅ナーレは知らないかもしれないけどさ?

 好きになったら、泡になっちゃうんだよ?

 こういうの、めっちゃエモくない?⦆


 どうも、レッティーナの言う「エモい」という言葉の意味は分からなかった、

しかしこれが乙女のレリーフということだけは理解できた。


私は静かに、その乙女のレリーフを壁へと嵌め込んだ。


残りは六つ。

そのうち三つは知っている――魚、瓶、そして天秤。

一つは山羊の姿だ。


では、最後の二つは一体、何なのだろう……?


「この、尖ったものを持ってるのは何、レッティーナ?」

私はレッティーナに視線を向け、最後のレリーフを手に取りながら尋ねた。


⦅それって、サソリだよ?

 尻尾に毒があるから刺されたらマジ危険!

 見かけたら、高いとこに逃げなきゃダメっしょ?

 対等に戦っちゃダメだよ⦆


「こっちは? 弓を持ってるこれ」

私は、弓を構えた青年らしきレリーフを手に取った。


⦅そっちは射手よ。ほら、弓を持ってるでしょ?⦆

これで、全部のレリーフが分かった。


私は蠍のレリーフも検める。

この繰り返しも、もう八回目だった。


(あと、四回……。

 やっぱり長いわ)


「よいっしょ!」


私は石板を持ち直しながら、小さく声を漏らす。


蠍という生き物は、不思議な形をしている。

どうして、あんなにも恐ろしい姿をしているのかしら。


≪蠍のレリーフ≫

 ≪ἐγώ σε πραΰνως εἰς τὸν δρόμον τῆς ἀναχωρήσεως πέμψω·


  ἐὰν τῷ πένθει σου

  τὸν πόνον ὡς ἔλεον περιθάλπῃς,

  ἅψαι τοῦ ἐσχάτου τέλους.


  εἰ φοβεῖ,

  ἐγὼ τὴν λόγχην εἰσάξω,

  καὶ παρὰ σοί μενῶ

  ἕως ἂν ἡ καρδία παύσηται.


  καὶ τὸ γλυκὺ πρόσωπόν σου

  φιλήματι σφραγίσω.≫

   

私は蠍のレリーフを嵌め込む。

だが、鋭く突き出た部分が、どうにも噛み合わない。


やたらと、ずれてしまうのだ。


「うーん……この尖がり、上手く嵌まらないわね……」


蠍のレリーフを枠へ押し込もうとするが、尾のように鋭く突き出た部分がどうしても噛み合わない。

わずかに石が擦れるだけで、ぴたりとは収まらなかった。


私は手を止め、改めて壁全体を見渡す。


すると、奇妙なことに気づく。壁の一部が、

まるで上下を取り違えたように逆さまの造りになっているのだ。


よく見ると、この蠍のレリーフを嵌める枠にも、向きを定めるための小さな窪みが刻まれている。

どうやら、このエレベーターは最初から正しい向きを疑えと言わんばかりの造りらしい。


「最初から、上下が決まっている造りの壁なんだ。これ……」

つまり、今私がしている行為は、数ある解のうちの一つに過ぎないのだろう。


私は蠍のレリーフを持ち直し、尾の尖りを上へ向けた。


(多分……こっちが上なのよね?)


石が、かすかに鳴った。


今まで噛み合わなかった尾の尖りが、

まるで導かれるように窪みへと落ちた。


小さく石が鳴る。


私は恒玉を手に取り、そっと動かす。

すると、その球は滑るようにして、二番目の穴へと導かれていった。


穴の上には、まんまるの**「月」**を象った印が刻まれている。


私は、その印の下へ――

恒玉を静かに嵌め込んだ。


四つある穴のうち、

正面から吹き込んでいた風が、ふっと止んだ。


その瞬間――

私の眼前で、同じ光が静かに瞬き始める。


エレベータの内に、

新たな光の聖域が一つ生まれた。


(これって……何の暗示?

 二つの場所に光が灯ったけど……)


私はエレベータの内を見回した。

左と正面――そこに、同じ光が静かに瞬いている。


二つの光は、

まるで互いに呼び合うように揺れていた。


まるで――

次に進むべき場所を示しているみたいだ。


私は右側の壁へ視線を移した。


レリーフを嵌める壁は、どうやらここが最後らしい。

そこにも――

いつもと同じ、四つの嵌め込み枠が並んでいる。


⦅ナーレちゃん、イケるイケる! あと一踏ん張りじゃん!⦆

レッティーナは私を応援するように急かした。


「レッティーナも手伝ってよ……」


思わず弱音が漏れる。

私はもう、へとへとだった。


⦅ちょ、甘えんなし~。

でもナーレちゃんならいけるって! あと一踏ん張り!⦆


私は疲れながらも、

四つのレリーフを確認した。


⦅ナーレ、次は射手じゃん!

「青年よ! 射手を持て!」なんちゃって~♪⦆


レッティーナは、相変わらず取り留めのないことを口にしてくる。

けれど――その言葉は、妙にこのエレベータの仕掛けを言い当てている気もした。


私は射手のレリーフをひっくり返した。

勿論───文字を視るために。


≪射手のレリーフ≫

 ≪ἕως ἂν τὸ βλέμμα σου πρὸς ἐμὲ στραφῇ,

  διώκω σε·

  βέλη ἀφίημι.


  θεῖον τὸ θέαμα·

  πῦρ ἐν τῇ ψυχῇ.


  πάντα ἄγουσα

  πορεύῃ ἐμπρός.


  μανία μοι γίνεται.≫


このレリーフを嵌める枠には、

上下を示す窪みが無い。


ただ一つの枠だけが、

静かに口を開けている。


私は矢先を天へ向け――

射手のレリーフを、そこへ嵌め込んだ。


レリーフを嵌めるたび、

カチャリ、と乾いた音が鳴る。


まるでどこかで歯車が噛み合うような音だ。


何かしらの機構が動いているのだろうが――

それがどこで、何をしているのかは、さっぱり分からない。


「どうして、こんな機構を作ったのかしら?

 エレベーターを動かすのに、この手順は大変よ……」


思わず、レッティーナに愚痴をこぼす。


⦅だってさ~、昔の人ってロマン重視じゃん?⦆


何とも言えない答えが返ってきた。


「ヴァルもロマンだって言ってたけど。

 ロマンって、そもそも何?」


私は“ロマン”という言葉の響きさえ知らない。

だから、その意味なんて――

もっと分からない。


⦅ロマンってさ~、簡単に言うとエモいってこと!⦆


(駄目! レッティーナはまた、

 よく分からない言葉で答えてくるっ!!)


「……次のレリーフを示して?」


これ以上、難儀な言葉を聞かされないように、

私はレッティーナを促した。


⦅次は『ベェェ~♪』じゃん。

ナーレも知ってるっしょ?⦆


私は山羊のレリーフを手にした。

羊とは違い、厳つい角が生えている。


≪山羊のレリーフ≫

 ≪ὦ; ἀσέβεια τοῦτο!

  οὐ πρόβατόν εἰμι, ἀλλὰ αἴξ.


  οὐκ ἔστι μοι τρίχα

  πρὸς κείρασθαι.

  — συγγνώμην ἔχε.


  γάλα μὲν ῥεῖ παρ᾽ ἐμοῦ·

  εἰ δὲ βούλει λαβεῖν,

  δεῦρο ἔρχου.


  τὴν κρημνὸν ἀνάβηθι.


  τοσοῦτον γὰρ

  δύνασαι, οὐχί;≫


山羊のレリーフの枠には、

上下を示す窪みがあった。


私は角を上に向けて――

それをそっと嵌め込んだ。


「あと二つね……」

残っているレリーフは、甕とお魚さん。


(もう、このレリーフ……読んだっけ?)


「ねぇ? 次はどっちなの?」


⦅お魚さんって、水の中にいなきゃダメじゃん?

 ナーレってバカ?⦆


「バカじゃないよ!

 水が無くても、ぴちぴちするでしょ!?」


⦅それ苦しんで跳ねてるだけじゃん!

 先に瓶を用意しなきゃでしょ!⦆


レッティーナに諭される形で、

私は瓶のレリーフを手に取った。


そして瓶の先端を上に向け、

それを壁へ嵌め込む。


お魚さんのレリーフは、そのまま嵌め込んだ。

この二つのレリーフには、上下を示す枠がある。


(瓶は上下、魚は左右に変わるのね?

 どういう意味なのかしら……)


私は四つのレリーフを嵌め終えると、

恒玉をレールの上で走らせた。


いつもの通り、そこには穴があり、

弓の形をした「月」が暗示されていた。


私は迷わず、恒玉をその穴へ嵌め込む。

すると――また同じ光景が目に飛び込んできた。


レールはまだ先へ続いている。


そのまま恒玉を走らせると、

やがてエレベーターの扉へと辿り着いた。


エレベーターの扉は、あの蛇腹式の扉で、左右に開閉する造りになっている。

その扉が今、私の眼前にあった。


観察すると、この蛇腹式の扉の中央に、分厚いレールが一本走っていた。

私は、蛇腹の扉を動かそうと決心する。


(これを動かしたら、私を食い止めるものは何もなくなる)


蛇腹の向こうには、壁がない。

下は――空洞だ。


よもやの事態にならないよう、

私は縁に近づきすぎないよう注意しながら、扉をゆっくりと横へ押した。


ジャラジャラ――。


蛇腹が左右に広がり、また縮んでいく。

それに伴い、中央のレールも折り畳まれていった。


金属同士が擦れる音を立てながら、

レールは何度も折れ、重なり、形を変えていく。


「あ!」


私は思わず声を上げた。


折り畳まれ続けたレールの一か所が、

完全には潰れず、丸く円を描く形を残している。


その位置は――


一番右側。

最初に穴があった、あの場所とぴたり一致していた。


⦅シニカルすぎるロジックじゃん! 超ウケるんだけど!⦆


私はもう一度、蛇腹を左へ動かし、扉を出現させた。


「後は、このレールに玉を走らせて閉じればいいんだ。

 そうしたら、扉がなくなる……。

 何が起きるの?」


⦅ん~……閉じたら、開くんじゃない?

 多分だけど♪⦆


私はレールの上の恒玉を動かしながら、蛇腹式の扉を閉じていく。


エレベーターという箱の向こうには何も見えない。

下も――視えなかった。


ジャラジャラ――。


閉じていくほど、レールは斜めに上下して揺れる。

この状態で恒玉を動かす。


レールの動きを見ただけだけど――

少し、玉のタイミングを調節しなければいけない。


私は恒玉を右へ回したり、左へ回したりして、

レールが折れ曲がる瞬間に合わせるように動かした。


球はレールに沿って、落下しかけては止まり、

私が手で支えながら、押し上げることを繰り返した。


やっと、一番最初の所に戻ってきた。

穴がある。


「多分、この穴に、この玉と扉を一致させろってことでしょ?」

やること自体は把握している。


問題は手順だ。


(閉じ切る前に一度、敢えて玉を穴の方へ移動させる。

 その後、蛇腹式の扉を右に動かし、

 丸い枠ができるように、玉を左へ戻していく――)


(この手順を間違えたら、何が起きるか分からない……) 


私は頭の中で描いた通りに、

球と蛇腹の動きの間合いを合わせていく。


恒玉から手を離しかけた瞬間、すかさず手を伸ばして止める。

間一髪、恒玉は穴の一番近い位置で止まった。


(凄い! 意地悪ね!!)


蛇腹を移動させると、最後のレールは斜め下に傾く。

この角度は、丸い形を作る機構を持たせる代わりに、

勢い余って恒玉が穴に飛び込んでしまうギミックになっているのだ。


最後の最後で――

やり直し寸前の緊張を、思い切り見せつけてくる。


今の状態は、本当に危なかった。


私は左脚を使って蛇腹を右へ動かしながら、

恒玉を元の位置へと戻した。


ここからが、メインイベントな気がする。


一度、恒玉を左へ動かし、

丸い枠が構成できるように、わずかな“遊び”を作る必要がある。


玉を、できるだけ中央に寄せておく。

蛇腹を少しずつ左へ動かしながら、様子を確かめる。


右側のレールは、側面として形を整えつつある。

私は一度、玉を手で押さえた。


左側のレールが、斜め下を向き始めていたからだ。


(ここで、蛇腹だけを意識した者を、

 下から掬い上げるようにしてやり直させるつもり――)


まるでレールそのものが、そう語りかけてくるようだった。


レールを右へ動かすたびに、左のレールは上下にガチャガチャと形を変えていく。


この状態で手を離すという行為が、どれほどのやり直しの危険を孕んでいるのか――

それを、ひしひしと感じさせてくる。


左のレールが指一本分の隙間になる頃、

やっと両手を離しても問題ないと、安堵した。


⦅ふぅ~ん……なるほどね!

 これ、めちゃくちゃロジカルな設計じゃん!

 ナーレちゃん、ちょい離れてみて?

 その方がよく分かると思うよ?⦆


私はレッティーナの言葉に誘われて、

身を離した。


「わぁ……」


気がつくと、エレベーターの内側に、

白・赤・青・緑の光点が鮮やかに瞬いていた。


私はレールへと視線を向ける。


レールの上下は、何かの図形を象るように形を変えていた。

放射線のように、外側へ向かって広がっている。


(また、何かの暗示なの?)


私はその暗示の意味を理解しないまま、

恒玉に触れ――蛇腹を右へと動かした。


そして、恒玉は最初の穴へと静かに嵌った……。


今――――――原点に、還る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ