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こちらは神材派遣管理会社「ユル」でございます。  作者: U-SAN
「街道/廻道(かいどう)、繰路(くりじ)巡路(めぐりじ)」
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「城下町の市場調査-巡礼編XXXⅠ 家政婦体験篇XXⅡー」

エレベーター内の空気が、わずかに変わった。 


「おーい! レッティーナぁ? おーぃ……」


呼びかけに応えるように、彼女の声が響く。

⦅ナニ? オタク君……

 ──お酒くっさ!?

 また呑んでんの? マジありえない!⦆


男はエレベーターの隅に寄りかかり、

テーブルの前に陣取った。


酒瓶と炭酸水を並べ、片手にドーナツを持ったまま、三対七の比率でハイボールを作り始める。


【なんらぁ? 君が困ってんだろうなって、様子を見に来たんだ。それで──ギミックは理解してんの?】


⦅なに、愉しんでんのよ!

 片隅で見守る気!?⦆


そう言いながら、彼はドーナツをかじり、

ゆっくりとマドラーでハイボールを混ぜた。


【それにさぁ……

 女性陣の中に入るの、気まずいんだよ】


【後さ……確かぎゃるんぎゃるんにしていいって言ったけどよ?

 なんでそうもミニミニスカートなんだ?

 ちょっと、ジャンプしてみろよ。


 風に煽られる前に雲間から見えてしまうだろ。

 もっとなんだろうな、スカートの内側に襞みたいにふりふりした部分を差し込めよ。


 ここ、アイルランドだぞ? 風邪ひいちゃうだろ。

 女性なんだからさぁ……】


⦅急に弾道変えんなってば!?

 変態! やっぱオタク、サイコーきっしょ!!⦆


【なんだろうな、その左手のヒョウ柄のシュシュ……

 アンバランスを狙ったバランスってことか?


 ギャルなのか? 爪は付け爪、しかもデコってるし。

 平成なのか、令和なのか……地雷系なのかも分からん。


 それでさ、白からパステルカラーに変えて、薄いピンクにしたのは……

 フェミニンを狙ってんのか?】


男はハイボールをちびちびと飲みながら、

指先をぶれたまま相手に向けた。


⦅このシュシュ、可愛いんだからさ。

 あーしのデザインしたメイド服にしていいって言ったっしょ?

 ……ねぇ、ちゃんと覚えてる?⦆


【うん、良いって確かに言った。

 ――臍だしルックだしな。

 ……もう、お腹冷やしても知らんぞ】


男はそう言いながら、

あーしの臍のあたりを指すみたいに、ドーナツをぶんぶん振ってきた。


【ったくよぉ……。

 美学は理解してるけどさぁ……】


男はバッグを取り出し、あーしに渡してきた。

中には保湿用の化粧水や美容液、ビタミン剤、それにコットンが入っている。


【あぁ……化粧落としも入ってるからさ。

 寝る前にちゃんとやれよ?

 必要になったら、また来るから】


⦅ナニ? あーしに気があるの? コノコノ!⦆


【気がないってわけじゃない。……話が逸れたな。

 俺はここに居るから、困ったら呼んでくれ。

 サポートするからさ。どうせロジックが難しすぎて呼ぶことになるんだろ】


⦅あーし、早速分からないし!

 どうすればいいの!?⦆


【ちゃんと銘板を読んだのか?

 中学生でも分かる内容だったろ……】


────推論と論理の扉が、静かに開く。


男は酒を呑み始め、ドーナツを齧る。


【ナゾ究明! なんだろうな……

 レイトン教授も困るくらいに簡単だぞ……十五カラットレベルだ】


私はレッティーナのおかげで、この文字と意味を理解したが――

心の奥では、まだ全然分からなかった。


(全然、分からないわ!)


「レリーフ……外したけど? 次はどうすればいいの?」


⦅あーし、無理! なにその謎解き!?

 ちょっと君が説明してよ!⦆


〖いや、駄目だろ。君の仕事だ。

 こうやって話すのも、彼女に聞こえる。

 一度しか言わない。

 ――彼女には分からない言葉で語るから〗


静かな風のような声が落ちる。


【ᚋᚓᚍᚒᚈ ᛫ ᚔᚍ ᚋᚐᚍ ᛫ ᛫ ᚈᚐᚔᚈ ᛫

 ᚉᚒᚉᚐ ᚉᚓᚋᚓ ᚉᚐᚓᚍ ᛫ ᚊᚔ ᚋᚓᚊᚐᚍᚐ

 ᚔ ᚛ᚓᚊᚐᚓ ᚐᚍᚊ ᚈᚐᚔᚈ

 ᛫᛫ᚔ ᚉᚐᚉᚓ ᚉᚐᚊᚈ ᚐᚓ ᚉᚐᚍᚈ ᚉᚓᚈ ᚐᚋᚓ】


扉は、まだ開いたままだった。

⦅ちょ、マジで意味わかんないんだけど! ちょっと戻ってきてってば!⦆

レッティーナは、わざとらしく大きくため息をついた。


⦅ね、あーしの言う通りにして。分かった? 

 あいつ、あとでマジでボコボコにするから!⦆


私はレッティーナに従うしかなかった。

もう一度、エレベーター内をくまなく確認する。


レールは何度見ても、エレベーターの内壁に沿って一周している。


ただ、途中に外気を取り込むための穴があり、そこだけレールが途切れているように見えた。そこを抜けると、またレールは続き、蛇腹式の扉の上を経由している。


(よく観察して考えれば、レールが途切れている箇所は四つあり、それはすべて穴が開いているからだと分かる)


「なんで穴があるのかな……?」

私は疑問を口にした。


⦅空気を循環させるためでしょ? ナーレちゃん。

そんな当たり前のこと言わないで。息ができなくなっちゃうっしょ!?⦆


「レッティーナ? 息ってなに?」


⦅あー……酸素を体に取り込むこと、って言えばいいのかな。……どう説明すればいいの、これ⦆


「この穴は、空気というものを通す穴……」


私は目を凝らした。穴の上に、見慣れない紋様が刻まれている。


「ねぇ、レッティーナ! 穴の上にマークがあるよ!」

私の知らない、どこか古びた弓の印のようなものだった。



⦅あーしの出番ね!

 えーっと……これって、もしかしてアレかな。

 ちょっとごめん、他の三つの穴にも同じマークがあるか見せて?⦆


「あ! これだけマークが無いよ?」


エレベーターの扉から見て左側にある穴だけ、そこには紋様が刻まれていなかった。


⦅あぁ……なるほど~。

 もしかしてコレ、導きってやつ? なんだ……そこまで難しくないかも?⦆


「コレってなんなの?」

私はレッティーナに、この紋様について尋ねた。


⦅ナーレちゃん、月って見たことあるでしょ?

 これは月の紋様よ。お月様って、姿を変えるの⦆


――――


「え? お月様って変わるの?

 まんまるじゃないの?」


私は月をずっと見ている訳じゃない。

そんなことを、今になって知らされる。


⦅何言ってんの!

 変わるわよ! 太陽の光の角度だとか、地球との位置だとかでね。

 まんまるに見えたり、欠けて見えたりするの⦆


「……へぇ」


空に浮かぶ月を、もう一度見上げる。

さっきまで知らなかったことが、胸の奥で静かに動いた気がした。


⦅とりま、左のレールにその玉を置いて、その玉を左回しで動かしていくの。

 それをしながら、することがあるんだから……。

 ちゃんと聞いて!⦆


「う、うん……わかった」


私はそっと玉を左のレールに置く。

手のひらに伝わるひんやりとした感触に意識を向けながら、玉を左回りに転がしていく。


球は回りながら、レール上を前へ進んでいく。

直ぐに、レリーフの枠がある側面に触れる位置まで到達した。


その動きに集中したまま、私は彼女の声に耳を澄ませる。

今、自分に求められていることが、少しずつ輪郭を帯びていくような感覚があった。


⦅Ὦ παρθένε, κεκρυμμένη ἐν σκιᾷ κήπου σκοτεινοῦ.

Ἄκουε καλῶς.


Ὅταν ὁ κῆπος τῆς κιβωτοῦ ἀναπνέει ἐν ἐσχάτῃ ἀσθμαίνειν,

χρῶ τῷδε.


Ἀλλ’ ἔστι τάξις.

Ζωγράφει τὸν αἰθέριον οὐρανόν,

καὶ ὑπὸ τῆς ἀϊδίου λαμπρᾶς σφαίρας ὁδήγησαι.


Ἐπὶ τοῦ ναυτικοῦ πνεύματος ἐνοικοῦντος,

κατὰ τὴν ἁρμονίαν τοῦ ὄντος.

Τάξον εἰς τὴν ὀρθὴν μορφήν.⦆


レッティーナはあの言葉を呟いていた。


⦅ナーレちゃんって、動物には詳しい方?⦆

「なにそれ、どういう意味?」


レッティーナの質問は、あまりにも唐突に飛んできた。

私は転がしていた玉から一瞬だけ意識を外し、彼女の方を見た。


⦅ナーレちゃん、あーしはそっちじゃないよ。

 簡単に言うと、あの詩は動物を示してんの!⦆


「……動物?」


私は少しだけ首を傾げた。

レッティーナの言葉の意図が、まだ掴めない。


⦅コレ言ったら、怒られるよねぇ……。

 どう説明しよう……⦆


レッティーナは少しだけ言葉を濁し、

考え込むように視線を落とした。


「もしかして……ヴァルと一緒で、未来の知識を知っているの?」


⦅ヴァル、そこまで話したんだ? 

 マジ秘密主義じゃん。ふぅ~ん……?⦆


レッティーナは小さく笑うような声を漏らした。

私は、その反応の意味を読み取れずに、玉を転がす指先を少しだけ止めた。


⦅まあ、ヴァルが言ってるなら大丈夫かな。

 アンタの時代じゃ、まだ生まれたばっかの学問の話だし。――誰にも『言わない』方がいいよ?

 死にたくないなら、ね?⦆


最後の一言は、軽い調子でありながら妙に重かった。

冗談のようでいて、冗談ではない響きが、静かに空気の底へ沈んでいく。


⦅んー、超簡単に言うね。

 ナーレが持ってるその玉、太陽をイメージしてんの。

 太陽ってさ、この『星』の周りを左回りでぐるっと回ってんの。季節を通して、ね⦆


レッティーナは、淡々とした声でそう告げた。

その言葉の意味を、私はすぐには理解できず、玉を転がす指先だけが、わずかに動き続けていた


「『星』って、なんのこと?」

⦅今、アンタが立ってる『場所』、それのこと⦆


その言葉に、私は思わず足元を見た。


ここがただの床ではなく、何か大きな、見えない輪郭に囲まれた“星”の中心なのだと、

直感のように感じられた。


⦅エレベーターのことじゃないからね……。

 床見ててもダメ。アンタ、ちゃんと“星の上に立ってる”って意識持ちなよ?⦆

 私はその言葉に、はっと息を呑む。


ただ立っているだけではなく、今ここに存在する自分自身が、この“星”の一部であることを、意識せざるを得なかった。


⦅ナーレ。これからちょい難しい話するね。

 アンタの前に、レリーフを嵌める枠があると思うんだけど、多分────十二個あるはず⦆


私はゆっくりと視線を上げた。

確かに、周囲を囲むように並んだレリーフを嵌める枠が、数を数えれば十二に分かれているように見える。


指先に伝わる玉の重さを確かめながら、私は小さく頷いた。


⦅いい? レリーフはこの星の『四季』を表してるの。『春』『夏』『秋』『冬』ね。

 エレベーターは、この星の外側に広がる空間だってイメージするとわかりやすいよ⦆


私は箱に入っているレリーフを確かめる。

そこには動物の姿もあれば、見たこともない形のものもあった。


何度数え直しても、十一個しか見つからない。


「……何回数えても、十一個しかないよ?」


少し不安になりながら、私はそう呟いた。

指先に触れる玉の重みだけが、静かにそこに在った。


⦅嘘でしょ? 絶対十二個あるはずなんだけど。

 じゃないとさ……太陽、描けないじゃん!

 ≪Λοξός Κύκλος≫の道、作れなくなっちゃうんだけど!!!⦆


レッティーナの声は、ほんの少しだけ強くなった。

焦りというより、何か大切なものを確かめるような響きが、言葉の端に滲んでいた。


⦅ナーレ、とりまレリーフ床に置いて?

 ちょい確認するからさ⦆


私は箱からレリーフをひとつずつ取り出していく。

いくつかは見覚えのある形だった。


「これ、羊さんだ」

「こっちは山羊さんね」


指先で形をなぞりながら、私は少しずつ種類を確かめていった。


いくつかは見たことのない形もあった。

その中のひとつは人の形をしているけれど、二体がくっついている不思議な姿だった。


「これは……お魚さん」


お魚のレリーフは、丸い枠の真ん中にあるものだから分かりやすい。

(お皿の上にちょこんと乗ってるお魚さんみたい……)


私は思わず、そうイメージしながら指先でそっと触れた。


「レッティーナ! コレって何なの?」


私は見たこともないレリーフを掲げた。

小さなお皿が左右に描かれたもの。

何かに使うものだとは思うけれど……。


⦅それ、天秤だよ。左右のお皿に物置いてさ、重さを見んの⦆


レッティーナの声は、淡々としているけれど、確かな説明だった。

私は小さく頷きながら、その形を目で追った。


⦅載せるとさ、その上の棒が上下に動くんだよ。

 真ん中に矢印あるじゃん?

 あれで、どっちが重いか見るの⦆


「レッティーナって物知りなんだね?」


⦅ヴァル程じゃねーけどさ。

 ほら、見直したら十二個ちゃんとあるじゃん⦆


レッティーナは軽く笑うように言った。

私はもう一度、床に並べたレリーフへ視線を落とす。


「どう見ても、十一個だよ!」


⦅ナーレ? お魚さんのこと言ってんだろ?

 確かにお魚のマークだけどさ。

 よーく見なよ、その『お皿』、お皿じゃねーし!⦆


レッティーナはちょっと呆れたように笑いながら、私に指を差す。

私は目を凝らして、そのレリーフをもう一度見つめた。


「確かにお皿の上にある、お魚さんだ」


「確かに、お皿の上にいるお魚さんだ……」


私はレリーフをそっと裏返してみた。


裏面には、あの文字が刻まれていた。

指先でなぞることはできるけれど、意味までは読み取れない、古い装飾のような刻文だった。


≪Είμαι δεσμώτης μέσα στη σιωπή.

Με κράτησες κλεισμένη και με κοιτάς,

σαν άστρα που δεν τολμούν να πέσουν.


Λύγισε με, κούνησέ με —

για να με λυτρώσεις;≫


≪Όχι, δεν θέλω. Εσύ κι εγώ είμαστε ένα,

εγώ το αγγείο, κι εσύ το χρώμα που το γεμίζει,

η πνοή που το στολίζει μέσα στη σιωπή≫


⦅ほら、十二個あるでしょ。

 お魚さんは取り外せるの。

 ナーレ、お魚さんを外してみて⦆


レッティーナの声は、静かだけれど、どこか確信めいた響きを持っていた。

私は少しだけ迷いながら、丸い枠の中央にあるレリーフへ手を伸ばした。


「――あ!」


魚のレリーフが、お皿の枠から外れた。


私はそれを一枚のレリーフだと思っていた。けれど、魚のレリーフを外すと、その下に重なっていた別のレリーフが姿を現した。


(……瓶のレリーフ)


先ほど裏側で見た文字は、レリーフ一枚ごとに刻まれた言葉らしい。

二つを重ねていたことで、全文が隠されていたのだと気づく。


********** 


≪魚のレリーフ≫

 ≪Είμαι δεσμώτης μέσα στη σιωπή.

  Με κράτησες κλεισμένη και με κοιτάς,

  σαν άστρα που δεν τολμούν να πέσουν.


  Λύγισε με, κούνησέ με —

  για να με λυτρώσεις;≫


  ≪Στις πράξεις σου με οδηγείς, και όταν επιστρέφω,

  τρεμοσβήνω και λιώνω αργά. Φοβάμαι…≫


********** 


≪瓶のレリーフ≫

 ≪Όχι, δεν θέλω. Εσύ κι εγώ είμαστε ένα,

  εγώ το αγγείο, κι εσύ το χρώμα που το γεμίζει,

  η πνοή που το στολίζει μέσα στη σιωπή≫


 ≪Όταν μέσα μου χαρίζεις χρώμα και μορφή,

  με ριγή πνοή γεμίζω αργά, σαν άνεμος που φουσκώνει το φως.

Εσύ κι εγώ κατοικούμε σε έναν τόπο μόνο,

  κι όμως… γιατί διστάζεις;≫


********


⦅ふーん……なるほどね。

 他のレリーフにも文字入ってんのね。

 分かんなくなったら裏見ればいいってわけか⦆


「とりあえず、どれから嵌めるの?」


⦅まず羊さんを嵌めて。

 太陽はそこに辿り着くはずだから⦆


レッティーナの声は、静かに確信を含んでいた。

私は手に取った羊さんのレリーフの裏を確認して、ゆっくりと枠のひとつへ近づけた。


≪羊のレリーフ≫

 ≪Θα ράψω τα πάντα, κάθετα και οριζόντια,

  για να υφάνει η ευγενής εκείνη αργά και προσεκτικά.

  Εγώ θα είμαι η πρώτη που θα βαδίσει, πέπλο που σκεπάζει το όλον,

  ταπισερί για να με υφάνει≫


黒いエレベータの左側、羊さんが最初に挙がった。


⦅ナーレ、太陽動かして。

 このままマジでずっと続けて。

 穴出てきたらさ、そこに太陽入れちゃって⦆


レッティーナの声は、どこか張り詰めた静けさを帯びていた。

私は玉を左回りに転がし続けながら、新しいレリーフの枠へと移動していく。


「次は……!? どれ?」


正直、このギミックの全容は分からない。

だけど、玉を動かしながら、適切なレリーフを探し出す作業は、思ったよりもずっと大変だった。


⦅次、牛ね!⦆


レッティーナの声が短く告げる。

私は少しだけ息を整えて、牛のレリーフを探した。


牛のレリーフは角があり、他のものよりもひときわ大きかった。


「……これ、重いよ」


両手で支えながら、私はレリーフをひっくり返す。


きっと、この裏に刻まれた文字にも意味があるのだろう。

指先で、静かに表面をなぞった。


≪牛のレリーフ≫

 ≪Ναι, όπως είπες.

  Θα έρθω κι εγώ αργότερα.

  Θα βαδίσω σ’ αυτόν τον δρόμο που εσύ επιδιόρθωσες.


  — Τι είναι εκείνο το λαμπερό πράγμα;

  Φλέγεται με φως εκτυφλωτικό, θερμό, ζωντανό…≫


私はレリーフの枠へと移動し、牛のレリーフを丁寧にはめ込んだ。


「ふぅ~、これ、何回やるの?」


⦅あと……十回ね……⦆


レッティーナの声が、少し苦笑混じりに響いた。

私は小さく息をつき、次のレリーフに手を伸ばす。


⦅次はさ、人の形してるやつね。

 くっついてるでしょ?

 恋人のシンボルってやつだよ?

 大事に扱ってね?⦆


「これね!」


(……これが恋人のレリーフなんだ?)


確かに、人と人が寄り添うようにくっついた形をしている。

私はそれを両手で持ち、ひっくり返した。


≪恋人のレリーフ≫

 ≪Εσύ κι εγώ είμαστε το ίδιο.

  Εγώ είμαι εσύ, κι εσύ είσαι εγώ.

  Ένα σώμα, ένα θέλημα,

  δύο υπάρξεις που γίνονται μία.


  Μαζί, μπορούμε να φτάσουμε

  ακόμη και σε τόπους μακρινούς και

  αναντικατάστατους≫


恋人のレリーフを壊さないように、慎重に枠へ近づける。


「ねぇ……これ、なんでやる意味があるの?

 十二個もある理由、分からないよ?」


私はずっと、この行為そのものに疑問を抱いていた。


(同じことを、同じように繰り返している。

 意味も分からないまま……ただ、繰り返しているだけ)


指先に伝わるレリーフの冷たさが、やけに静かに感じられた。

私は小さく息を吐き、恋人の形をしたそれを枠へと嵌め込んだ。


⦅それが運航ってもんじゃん。

 昔からずーっとあるのに、今さら「意味」とか聞くとかマジウケる。

 人間ってさ……ほんと救いようないくらい頭弱くない?⦆


「レッティーナ……?」


⦅ナーレ、ちゃんとアタシの言うこと聞いて?

 早くここ出たいんでしょ?⦆


声には、少し苛立ち混じりの強い響きがあった。

私は小さく頷き、指先で玉を慎重に動かした。


また、次のレリーフの枠へと移動する。


繰り返していくうちに、レリーフの枠を見ただけで、

どの形を嵌めればいいのか、なんとなく分かってきた気がした。


まだ確信はない。

けれど、少しずつ、感覚が道筋を作り始めているようだった。


「……多分、これ?」


両手を挙げている、少し不思議な形の生き物のレリーフ。

自分の直感を信じるように、小さく息を吸った。

壊さないように、そっと裏返す。


≪蟹のレリーフ≫

 ≪Περπατώ ανάμεσα στη θάλασσα και στις πηγές του ρέματος,

  πηγαίνω και έρχομαι, ξανά και ξανά.

  Τα κύματα των δακρύων σου με παραπλανούν.


  Θέλω να επιστρέψω σε σένα.

  Μόνο για λίγο… ω θάλασσα που υψώνεσαι.

  Οδήγησέ με και δέξου με≫

 

「うぅ~ん……やっぱり読めないや」


私は小さく息を吐きながら、

両手でその生き物のレリーフを支え、枠へと嵌め込んだ。


――カチリ、と。

わずかな手応えとともに、四つ目のレリーフが収まる。


やっと、三分の一が終わったのだと実感しながら、

私は指先の緊張を少しだけ解いた。


「ねぇ……。

 どうして、レリーフの裏にあの文字があるの?」

私は静かに呟いた。


このレリーフには意味がある。


そして裏側に刻まれた言葉にも、

きっと意味があるはずだと感じていた。


ただ形を嵌めるだけの作業ではないのだと、

どこかで理解し始めていた。


⦅知らない。

 それ、アンタが考えることじゃん。

 アタシはさ、ただ聞いてるだけ。

 ――手助けしちゃダメって言われてんの⦆



――――――レッティーナも、ヴァルと同じことを口にした。


(どうして――――――?)


胸の奥に、小さな疑問だけが、静かに沈んでいった。

【どうだったかな?

 序盤にしては簡単な問題だったろ? 】


男は、酒が抜けてやっとまともに口を開いた。


⦅何が簡単よ!

 マジで重労働じゃん!!! ⦆


【そうだったかな?

 まあ……大して重要な点ではないな】


【初回サービスだぞ?

 あと二回やるだけだろ……。

 何が退屈なんだ。言ってみろ? 】


男は、どこか面白がるような調子でそう言った。

軽い酒気の名残が、言葉の端にわずかに漂っていた。


⦅ナーレも言ってたけど、同じことの繰り返しじゃん。

 何を意図してんの?⦆


【月と太陽の運行だよ?

 何を言ってるんだ。

 悠久の昔からある営みに、今さら意味が欲しいのか?】


男は、わずかに鼻で笑うように言った。

その声は、問いを退ける静かな硬さを含んでいた。


【もしや、ブラックホールが存在する意味や、

 人がなぜ、実りもないことを、駄馬のようにだらだらと喋るのか――

 その意味を説いているつもりか?】


男の声は、どこか皮肉めいていたが、同時に突き放す冷たさも含んでいた。


【答えてやるよ。

 ――心理は宇宙の中にあるんじゃない。


 宇宙という“心理像”を、僕らが観測しているだけだ。

 だから、人は真理が宇宙に内在していると錯覚する】


男の声は、静かに断言するような響きを持っていた。

酒の気配はすでに消え、言葉だけが冷えた空気の中に残っていた。

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