「城下町の市場調査-巡礼編Ⅻ 躰道する基軸ー」
私たちは、温かなふわふわとした空気に包まれながら、ベッドに横になっている。
フィーネは、今日だけは私と一緒。
――なんだか、すごく変な気分ね。
≪変なことを言うな。
いつも私と一緒だろうに?≫
そんなヴァルのちょっかいが、なぜだか心地いい。
(でも、ヴァルには体が無いじゃない?
……もしかして。嫉妬してるの?)
≪ば、馬鹿なことを言うな……≫
ヴァルは、少しだけそっぽを向いた――
そんな気がした。
「いつもさ、ナーレはどうしているの?
寝る時ってさ?」
フィーネが体を横にして私の眸を覗きくこむように尋ねてくる。
「……えっと、普通に、布団に入って――そのまま目を閉じるかな」
私は少し間を置いて答える。フィーネの視線が、じっと私の瞳を捕らえて離さない。
「ふーん……そっか……」
フィーネの声は、小さくて、けれど妙に心をくすぐる響きがあった。
その声の調子に、胸の奥がちくりとする。
(……なんだか、すごく近い……)
意識していなかったけれど、フィーネの手が少しだけ私の腕に触れた気がして、心臓が急に跳ねる。
「今さっきみたいに、ヴァルが私に話しかけてくるけど」
私は、ぎこちなくも、でも自然にフィーネの横に身を寄せる。
「そう……いつも通りだよ」
でも、その『いつも通り』の距離感は、今日だけ、少しだけ特別に思える。
フィーネは小さく息をついて、私の横顔をじっと見つめる。
「うーん……ナーレって、あんまり自分のこと話さないよね……」
その声に、私は少し戸惑いながらも、体の力を抜いて横になる。
(そう……私は、普段あまり自分のことを話さない……)
でも、今日は違う。今日だけは、なんとなく心の奥の扉を少し開けてみたい気分だった。
「……ヴァルは、ナーレがどうしてるか気になるの?」
フィーネの問いに、私は少しだけ肩をすくめる。
≪……ああ、当然だろ……≫
ヴァルの声が、頭の中で少し恥ずかしそうに響く。
その声に思わず笑みがこぼれる。
「……そうかもね」
私の答えに、フィーネは満足そうに微笑む。
その笑顔は、ふわりと心を温めるようで、眠気と混ざって少しだけ夢見心地になる。
(もう少しさ、正直に話してくれたら良いのに。
どうして黙っちゃうの?)
≪私の話をして──何になるというんだ?
神として尋ねたいのか?≫
(……ヴァルって、やっぱりそうなんだ……)
私は少しため息をつきながら、でも心の奥で何かを期待している自分に気づく。
≪……別に、面白半分で訊いているわけじゃない。
ナーレのことが知りたいだけだ≫
その声は、少しだけ低く、いつもより真剣に響く。
(……ヴァル、少しだけ、私のことを知りたいって思ってくれてる……?)
私はフィーネの横で、少し照れくさそうに顔を伏せる。
「……えっと、ヴァルに話すとしたら……特別なことじゃないけど、普通のことかな……」
≪……普通のこと、か……面白そうだな≫
ヴァルの声に、少し微笑みが混ざる。
その瞬間、空気がほんの少し柔らかくなった気がした。
「ねぇ、フィーネ?
私って話す事って無いって訳じゃないのよ。
昔みたいに話して、やっかみがあるんじゃないかって不安なのよ」
フィーネは一瞬きょとんとして、それからゆっくりと瞬きをした。
私の言葉を、ちゃんと噛みしめるみたいに。
「……やっかみ、かぁ」
そう呟いてから、ふっと力の抜けた笑みを浮かべる。
「ナーレってさ、優しすぎるんだよ」
そう言って、少しだけ身を寄せてくる。
「昔みたいに話してくれたら、私は嬉しいよ。
やっかむどころか……懐かしいな、って思うだけ」
その声音は、柔らかくて、曇りがない。
(……ああ、そうなんだ)
胸の奥に溜まっていた不安が、少しずつほどけていくのが分かる。
≪……心配しすぎだな、お前は≫
ヴァルの声が、呆れたようでいて、どこか安堵を含んで響く。
「……そう、なのかな」
私は小さく笑って、天井を見上げた。
昔みたいに話すことが、誰かを遠ざける理由になるんじゃないか。
そんなふうに思っていた自分が、少しだけ滑稽に思えて。
フィーネの温もりがすぐ隣にあって、
その距離が、今はちゃんと心地いい。
私は、思ったことをそのまま口にすることにした。
「選択の儀から、不思議なことが起きすぎるの。
誰かさんが黒幕だとか、歴史が改変されてるとか……。
難しいことばかりで、頭が追いつかないんだもん」
≪私は事実を話している。
君の時代がおかしくなると、非常に困るのだ。
たとえ、ここが――≫
そこで、ヴァルは口を閉ざした。
まただ。
けれど私は、もう気づき始めていた。
ヴァルがこうして黙るとき、
それが何を意味しているのかを。
(……もう黙っているだけじゃ、ヴァルは何も言わないのね……)
私は小さく息を吸い込み、少し勇気を出して踏み込むことにした。
「……ねぇ、ヴァル。黙ってばかりじゃなくて、少しだけでも教えてよ」
私の声は、普段より少しだけ低く、真剣さが混ざっていた。
≪……踏み込むな……いや、しかし……≫
頭の中でヴァルがもじもじするのが伝わる。
(こうして自分から訊かないと、何も話してくれない……)
私はフィーネの手をそっと握り、目を伏せたまま続ける。
「……どうして、そんなに黙っているの?」
静かなベッドの上で、空気が一瞬だけ止まったような気がする。
でも、確かにその静寂の向こうに、ヴァルの心が少しずつ顔を出す気配があった。
「うん……知りたいの」
私は少しだけ頬を赤らめながらも、はっきりと答える。
「ただ単に、面白半分で訊いてるんじゃない……
ヴァルが何を考えているのか、どう感じているのか、知りたいだけなの」
≪……そうか……なら、話す価値はあるのかもしれないな……≫
ヴァルの声は、普段よりも柔らかく、少しだけ戸惑い混じりだった。
(……やっぱり、ヴァルも……私のことを気にしてくれている……?)
その想いに、胸がじんわり温かくなる。
私はフィーネの手を握ったまま、そっと視線を上げ、ヴァルに向けて問いかける準備をする。
「……じゃあ、少しだけ教えてくれる?」
≪責任は取れないぞ?
どうも、少女というのはどの時代もこんな感じだというのを理解した筈なんだがな?≫
ヴァルが苦笑し始めた。
私は小さく笑って、ヴァルの言葉を受け止める。
「……うん、でも知りたいんだもの。責任は私が取るから」
≪……面倒なことを言うな……だが、そういう顔を見ると放っておけないな……≫
ヴァルの声には、少しだけ困惑と優しさが混ざっていた。
(……やっぱり、ヴァルってこういう人なのね……)
私はフィーネの手を握り直し、そっと自分の胸のあたりに引き寄せるようにする。
「……だから、少しだけでも、教えて」
私の声は小さいけれど、真剣さと期待が込められていた。
ベッドの上に漂うふわふわの空気の中、ヴァルの苦笑が少しずつ、優しい響きに変わっていくのを感じた。
≪何処から話そうか、
未来の話でもするか?
正確にはこの世界とは別の世界、未来の世界について≫
私は一瞬、息をのんだ。
胸の奥が、すっと冷えて、それからじわりと熱を帯びる。
「……未来?」
思わず、そう聞き返していた。
(この世界じゃない、未来……?)
頭では理解しようとしているのに、感情のほうが先にざわつく。
フィーネが不安そうに私を見るのが分かって、私は小さく頷いた。
大丈夫、というつもりで。
「うん……聞かせて」
逃げずに、目を逸らさずに。
「それがどんな世界でも……私は知りたい」
≪……後悔するかもしれんぞ≫
ヴァルの声は、静かで、どこか覚悟を確かめるようだった。
「それでも」
私は短く、でも迷いなく答える。
ベッドの上の温もりはそのままに、
空気だけが、確かに一段深いところへ沈んでいく。
――ここから先は、もう引き返せない。
そんな予感だけが、静かに胸に残っていた。
≪そうだな……未来の話か。
この世界から……そう──二千年先の話さ。
科学が全ての闇を照らしている。
そういう未来だ。≫
私は、思わず言葉を失った。
二千年――その響きが、頭の中で何度も反響する。
「……そんなに、先……」
喉の奥が少し乾いて、声がかすれる。
科学が、すべての闇を照らす未来。
それは救いのようにも聞こえるし、どこか怖くもある。
(闇が全部、照らされたら……
影に隠れていたものは、どうなるの?)
私はそっと息を吐いて、ヴァルの言葉を噛みしめた。
「……それって、幸せな世界なの?」
≪科学が全てを照らすなら……
迷うことも、祈ることも、無くなるのかな
私は人間だったからな。そんな先は知らない。≫
その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
(……人間、だった……)
さらりと言われたはずなのに、その一言だけが強く残る。
私は小さく息を吐いて、天井を見つめた。
「全部が分かる未来でも、全部が救われるわけじゃないんだね」
迷わない世界。
祈らなくていい世界。
それは、楽で、正しくて――でも。
「……私、迷うのも、祈るのも……
人間らしいって思ってた」
フィーネが何も言わず、そっと私の指を握る。
その温度が、今ここにある“答え”みたいだった。
≪そうかもしれない、そうでないかもしれない≫
ヴァルの声が、静かに続く。
≪私は、あの未来が“正しい”とは言い切れん≫
私は、ゆっくりと頷いた。
「……うん。分からなくていい。
分からないから、考えるんだと思う」
「なぁ? ナーレはさぁ──いつもこんなのを子守唄にしてんのか?」
フィーネが、半分あくび混じりにそう言って、私のほうを見た。
からかうみたいなのに、声はもうすっかり眠たげで。
「……子守唄って」
私は思わず苦笑してしまう。
「そんな立派なものじゃないよ。ただ……考えごとが多いだけ」
フィーネはくすっと笑って、目を細めた。
「そっか。難しい話ばっかりだから、眠くなるのかと思った」
(それ、子守唄としては最悪じゃない?)
そう思いながらも、否定はしなかった。
≪……子守唄か。
私は子供なんて持ったことはない。
名実ともにな。≫
ヴァルが、どこか肩の力を抜いた声で言う。
「……」
私は少し間を置く。
言葉を選んでいる、というより――噛みしめていた。
(子供を持ったことがない、か……)
名実ともに、なんて付け加えるあたりが、いかにもヴァルらしい。
≪だが……≫
ヴァルは、ほんの一拍置いてから続ける。
≪こうして誰かの眠る傍で、声を落とすのは……悪くないな≫
私は、思わず小さく笑ってしまった。
「それ、十分それっぽいと思うけど」
≪……そういうものなのか?≫
少し戸惑ったような声。
「うん」
私は目を閉じたまま、静かに答える。
「少なくとも……今は」
フィーネの寝息は、もうすっかり規則正しい。
その温もりと、ヴァルの緩んだ声に包まれて、
部屋はとても穏やかだった。
(子守唄ってさ)
(歌じゃなくてもいいんだね)
誰かが、そばにいて。
難しいことを語って、黙って、
それでも離れずにいる――それだけで。
≪ならば、ナーレ。四方山話をしよう。
長い話になるぞ?≫
私は、くすりと小さく笑った。
眠気の底から、ほんの少しだけ意識を引き上げながら。
「……うん」
返事は短く、それでいて迷いはない。
「長くてもいいよ。どうせ……今夜は逃げないから」
フィーネの呼吸は、もう完全に眠りのリズムだ。
その温もりを確かめるように、私は指先に力を込める。
≪……では、覚悟して聞け≫
ヴァルの声は、どこか懐かしさを帯びていた。
≪英雄の話でも、神の話でもない。
名も残らなかった者たちの、四方山話だ≫
「……好きだよ、そういうの」
目を閉じたまま、私は囁く。
遠い未来の話。
別の世界の話。
正しさにも、救いにもなりきれなかった出来事たち。
それでも語られるなら――
それは、誰かの子守唄になれる。
≪昔、昔、遠い未来に――『独りの男が』
………………≫
その声は、はっきりしているはずなのに、
どこか遠くで響いているみたいだった。
私は、静かに耳を澄ませる。
けれど、言葉の輪郭は次第にほどけていく。
(……続き、ちゃんと聞きたいのに……)
まぶたが重くなって、
思考がゆっくりと沈んでいく。
フィーネの温もりは変わらずそこにあって、
ヴァルの声は、確かに続いている。
ただ――
それが物語なのか、夢なのか、
もう区別がつかなくなっていた。
遠い未来の、誰かの話を子守唄にして。
段々と、意識は静かな闇へと溶けていった……。
≪おやすみ、ナーレ。
できれば、いい夢を。
――私の、泡沫よ≫
ナーレ達は、夢の世界へと旅立った。
少女たちの、緩やかな夜が訪れる。
≪……すまない。
まだ、全てを話すわけにはいかない≫
私は、神の力を解いた。
フィーネとナーレを
夢の世界へ送り出すために――
最初から、その力を施していたのだから。
≪……はぁ……ようやく、静かになったか……≫
私は肩の力を抜き、暗がりに溶け込むように佇む。
≪ナーレは……相変わらずだな。
言葉少なに、でも心は全部私に向けている……そういうところが、厄介だ≫
夢の中の二人を見送りながら、私は独り言のように続ける。
≪人間というのは、こうも純粋で無防備な存在なのか……
それでいて、全てを受け止めてしまう。愚かで、可笑しくて、愛しい≫
少し笑みを浮かべ、しかしすぐに目を伏せる。
≪……だが、まだ話すわけにはいかない。
未来のこと、真実のこと……知れば、彼女達は重くなりすぎる。
そうはさせまい……私が背負うべきだ≫
夜の静寂の中、俺はそっと息をつく。
≪これもまた、神の務めか……いや、
面倒な務めだな……だが……――守るためなら、当然のことだ≫
そして、暗闇にひとり、未来と過去の狭間で思いを巡らせる。
≪……だが、まだ安らぎには程遠いか……≫
暗闇の中で、私は静かに息を整える。
≪彼女達は無垢だ。
夢の中でさえ、恐れも迷いも抱えている。
それを知りつつ、私は傍らにいる……これもまた、神の責務か≫
そっと手を伸ばし、ナーレの髪を撫でる。柔らかくて、暖かい感触が伝わる。
≪枝分かれした時の狭間で、二人はまだ知らぬ旅路を歩む……
迷える羊に賛歌を──慈悲を、そして静けさを与えよう≫
瞳を閉じ、深い息をひとつ。
≪全ては、彼女達が進むべき未来のため……
私は、影となり光となる。そう、影であり光である限り、守り続けるのだ……≫
夜の静寂の中、微かな呼吸だけが響き、
神は独り、二人の夢を見守り続けた。
【ヴァル君? 一寸余計な事しないで欲しいな。】
闇の奥から、ふっと空気が軋む。
≪……気づいていたか≫
俺は目を細め、声の主を見据えた。
【当たり前だろう?】
どこか芝居がかった、けれど油断のない声音。
【フィーネの“両親の話”を今ここでするタイミングではない】
俺は小さく舌打ちする。
≪余計な干渉はしていない。
眠りを深くしただけだ≫
【それが余計だと言っている】
彼――否、“観測者”は肩をすくめた。
【予定は満ち満ちているんだ。
一つ歯車がずれるだけで、連鎖的に狂う】
≪……相変わらずだな。
すべてを“予定”で呼ぶ≫
【君だって同じだろう?】
くすりと笑う気配。
【守るために、話さず、見せず、眠らせる。
それもまた、選択だ】
俺は、再び二人の寝顔に視線を落とす。
穏やかで、何も知らない――今はまだ。
≪……ああ。
だが、彼女達が歩くのは“誰かに用意された道”じゃない≫
【その通り】
声は、少しだけ真面目になる。
【だからこそ、順番が大事なんだよ。
フィーネの両親の話は……“その時”まで取っておこう】
沈黙。
夜は何も答えない。
≪……分かった。
だが覚えておけ。
俺は、彼女達の味方だ≫
【知っているさ? そう造ったんだからな】
声は遠ざかりながら、最後にそう残した。
【だから、君が一番厄介なんだ。――ヴァル
私がどれだけ、ヤキモキしているのか分かってくれ給え】
闇が元に戻る。
残ったのは、規則正しい寝息と、静かな夜。
俺は、もう一度だけ二人を見て、呟いた。
≪……次は、逃がさん。
話すべき時には、全て話す≫
夜は深く、
運命は、まだ眠りの底にある。
聞こえているのは、お囃子の賑わいだけ。
定めの旋律は、今はまだ、音になっていない。




