「城下町の市場調査-巡礼編XL 家政婦体験篇XXXIー」
【ついに恐れていたことが、起きたんだが?】
男は行先掲示板の前に佇み、瞬く間。
そこに刻まれていた筈の文字が、
一瞬! ひとつ残らず消えていた。
列車名も、番線も、時刻も。
黒い板の上には、ただ白く。
――――≪ 40 ≫と輝いた。
「……あん?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
周囲を見渡せば、駅員は居ない。
改札には誰も居ない。
それどころか、先程まで確かに居たはずの乗客達まで、
何処かへ失せていた。
静まり返った駅構内に、
蛍光灯の微かな唸りだけが響く。
男は喉を鳴らした。
【いやいやいや、待て待て待てぇ。
“40”ってなんかの悪戯かな……? 】
キンコン、キンコンと、
踏み切り音が聞こえて────
行先掲示板がチカチカと明滅した。
≪ 家政婦体験篇:31 ≫
掲示板の黒い面に、
じわりと水が滲むように、新たな文字が浮かび上がる。
――――男は、凍りついた。
朱い夕日が群青色に蒼褪める頃、
漢は夜鷹の姿を観測した。
【夜が来そうだ……早く帰ろう】
トボトボと駅ホームを遡って行き……。
長い舌の先端で、
放送が流れた……。
〖次はぁ……家政婦体験、苛性負体験……。
お乗り口は64番ホーム、15両編成です──〗
男の足が、ぴたりと止まる。
【……は?】
振り返る。
だが其処には、64番ホームなど存在しない。
1番から12番まで。
見慣れた数字だけが、古びた吊り看板に並んでいる。
――なのに。
ホームの果て。
本来なら行き止まりの筈の暗がりの向こうに、
一本だけ、線路が増えていた。
錆びた鉄の匂い。
濡れた土の臭気。
夕暮れの群青の中を、真っ黒な線路が、
何処までも、地平の外側へ伸びている。
その脇に立つ標識には、
白い文字でこう書かれていた。
「64」
【いや増えてんじゃねぇかよ……!!】
男は後ずさる。
すると、また放送が流れる。
今度は先程よりも近く、
まるで耳の裏側を舐めるような声で。
〖間もなくぅ……64番ホームに、
“帰宅列車”が参ります。
お帰りのお客様は、
お忘れ物の無いよう、ご注意ください〗
ガタン。
暗闇の奥で、何かが鳴った。
ガタン。
ガタン、ガタン。
一定の間隔で、何かが近付いてくる。
線路の継ぎ目を叩く、列車の音。
だが、おかしい。
音が多すぎる。
15両編成。
そんな放送だった筈なのに。
ガタン、ガタン、ガタン、ガタン、ガタン。
幾つも。
幾つも。
幾つも。
まるで、百を超える車輪が、
ひとつの列車に繋がっているかのように。
やがて闇の向こうに、
灯りが見えた。
一つではない。
無数の窓。
無数の目。
列車の前面に並ぶ、橙色の灯火。
それらが夕闇の中で、
一斉に男を見た。
〖64番ホーム、
“家政婦体験・苛性体験”行き。
間もなく、到着致します〗
運転席の窓越しに座っている運転手を私は視た。
蒼白い室内灯に照らされて、
運転手は確かに座っていた……。
制帽を深く被り、
背筋を真っ直ぐに伸ばし、
両手を膝の上に置いたまま。
――微動だに、していない。
列車が近付く。
車輪が軋む。
窓硝子が震え……。
しかし、彼は動かない。
【ぼーっとしてる? 】
思わず呟いた、その瞬間。
カタリ──と。
運転手の首だけが、
音を立てて此方を向いた。
身体は前を向いたまま。
肩も、腕も、指先も、一切動かぬまま。
首だけが、
ぐるりっ……と。
不自然なほど滑らかに、
九〇度、回った。
帽子の影から覗いた顔には、
眼が無かった。
空洞だった。
真っ黒な、深い穴が二つ。
其処から、駅の灯りよりも昏い何かが、
ぬるりとこちらを覗いている。
運転手は、口だけで笑った。
唇が裂ける。
耳元まで。
裂けて、裂けて。咲けて。
その口が、頭までに達するまで……。
────────。
その口が窓硝子越しに、確かにこう言った。
「――お客様ァ。
終点で、お待ちの方が居ります」
直後。
列車の扉が、
一斉に開いた。
≪あぁ……そうだった≫
地獄で……あの御方がお待ち……。
男は夢遊病者のような足取りで、
貨客車両と運転席を繋ぐ狭い通路を進む。
列車は、とうに走り出していた。
窓の外には何もない。
街も、線路も、空もない。
ただ、群青を塗り潰したような闇だけが、
窓硝子の向こうを流れている。
ガタン。
ガタン。
揺れに合わせて、
吊革が誰も居ないのに揺れていた。
男は運転席の扉に手を掛ける。
冷たい。
まるで、墓石に触れたようだった。
ぎい、と。
扉は、驚くほど簡単に開いた。
運転席には、
誰も居なかった。
先程まで、
確かにあの“運転手”が座っていた筈なのに。
制帽だけが、
運転台の上に置かれている。
その黒い帽子の内側には、
赤い糸で、小さく名前が縫い付けられていた。
――「おまえ」
男は、息を呑む。
その時。
………──がちゃん。
背後で、
運転席の扉が勝手に閉まった。
振り返る。
だが、もうそこに、
車両へ戻る扉は無かった。
そして、私は視線を運転席に戻す。
あるのは、ただ。
先程までは存在しなかった、
下へ続く、細い穴だけ。
運転席の床が開いている。
その奥から、
微かに、懐かしい声が聞こえた。
「遅かったじゃないの? 」
妙に気取った、幼い頃に聞いた声。
もう二度と会えないと思っていた、
あの御方の声だった……。
私はアヴェーラの呆けた表情そのままに、
彼女をフィーネの所に連れていこうとしていた……。
「ナーレったら♪ そんなにおませさんでしたのね?
一体、どこへ行こうと言うの?」
当の本人はうっとりしている、
────「私の時代が来た」という言葉に一目惚れを引き起こしていた。
「どこって……フィーネのところよ、フィーネのところ!」
私は半ば引き摺るようにして、うっとりと夢見心地のアヴェーラの腕を引いた。
「えぇー……? 今の私は、此の家の新たなる時代を担う者……。
もっとこう……荘厳に、皆に迎えられるべきではなくて?」
「その“新たなる時代を担う者”が、一人で勝手に廊下の真ん中で蕩けてたら困るの!」
「まぁ♪ ナーレったら厳しいのね?」
厳しいも何もない。
アヴェーラは頬を紅く染め、片手を胸に当てながら、
何処か遠くを見詰めていた。まるで、己が戴冠式でも見ているかのように。
――その姿は、正直に言えば。
「……怖い」
「失礼ですわ!?」
「だって、さっきからずっと“私の時代が来た……”って呟いてるじゃない!」
「来たのですもの♪」
彼女はくすくすと笑い、ふわりと裾を翻す。
古びた屋敷の廊下を、彼女の長い髪がさらりと流れた。
碧玉越しの翠色の光が窓から差し込み、その横顔を照らす。
妙に似合ってしまっているのが、腹立たしい。
「私は逢瀬を愉しめば、宜しいのでしょう?
それには役不足ですわ……」
「役不足じゃなくて、役者不足でしょうが」
「どちらでも同じですわ♪」
同じなものか。
私はじろりと彼女を睨んだが、
当のアヴェーラは意にも介さず、うっとりと頬に手を添えている。
「逢瀬だなんて……もっとこう、
薔薇が咲き乱れる庭園とか。月夜の温室とか。そういう場所で為さるものでしょう?」
──アヴェーラ! 渾身の流し目!
「また、私を押し倒すのは嫌よ……
エスリンさん達が必要ね! 」
…………私は懇切丁寧にお断りした。
「…………仕方ありませんわね」
彼女はふわりと笑って、長い睫毛を伏せる。
「漸く、私が選ばれる側ではなく。
選び、招き、語らう側になれたのに」
アヴェーラは少し、
名残惜しそうに、服の内ポケットから鈴を取り出して、
一、二つ鳴らした。
「だから、きっと。
私は今、誰かと逢うこと自体が嬉しいのです」
……あぁ、もう。
そういうことを、不意に真面目な顔で言うから。
さっきまでの浮かれた顔を、少しだけ叱る気が削がれてしまう。
「……だったら尚更、変な顔のまま行かないで」
「変な顔?」
「今の貴女、にやけ過ぎ」
「うふふ♪ だって、嬉しいのですもの」
──そう言って彼女は、隠しもせずに笑った。
まるで、永いこと閉ざされていた部屋の窓が、
やっと開いたみたいに…。
────それ程に待つこともなく、
エスリンとヴィーウィ先輩が合流した。
二人は状況を具に見て取ったのか……。
エスリンは一瞬だけ、私と、頬を染めて上機嫌なアヴェーラを見比べた。
それから何も言わず、
嫋やかに裾を摘まみ、すっと一礼する。
「お迎えに上がりました、お嬢様」
「えぇ♪」
アヴェーラは、さも当然のように微笑んだ。
やめて。
今の貴女、妙に“それっぽい”から。
一方で、ヴィーウィ先輩は眼鏡の奥で僅かに目を細める。
「……成程。とうとう始まりましたか」
「始まってないです」
「始まりましたわ♪」
即座に否定した私の声へ、
アヴェーラが嬉々として被せてきた。
ヴィーウィ先輩はそんな私達を見て、
小さく息を吐く。
けれど呆れたというよりは、長らく閉ざされていた時計が、
ようやく針を動かしたのを見届けたような顔だった。
「フィーネ様はどちらに?」
エスリンさんが周囲を見回す。
私にとって、それは新鮮だった。
彼女は何時だって、
迷うことなく答えを知っている側の人だったから。
何処に何があり、誰が何を考え、次に何が起きるのか。
そういうものを、静かに見通している人。
だからこそ、こうして僅かに視線を揺らし、
扉の奥や廊下の先を確かめる姿は……。
ほんの少しだけ、年相応に見えた。
「フィーネでしたら、
二階の踊り場に……。こっちです!」
私は三人を案内するべく、
右側の階段を昇って、
二階、踊り場奥にいるフィーネの所へ戻った。
古い木階段は、踏むたびに軋んだ。
先頭を行く私の後ろで、アヴェーラの靴音が軽やかに響く。
その更に後ろを、エスリンさんとヴィーウィ先輩が静かに続いた。
フィーネは本を片手に腕を組んで、
独りぼっちの椅子の上に陣を敷いていた。
「やっと来たのか!」
そう言って、フィーネは椅子から勢いよく立った。
けれど、その勢いは私達の姿を認めた瞬間に、
ぴたりと止まる。
正確には――アヴェーラを見た瞬間に。
「…………」
「…………」
……………………暫しの、沈黙。
アヴェーラは優雅に微笑んだまま。
フィーネは立ち上がった姿勢のまま、固まっている。
まるで、互いに何かを言うべきだと分かっていながら。
何から言えば良いのかだけが、分からなくなってしまったみたいに。
その間の悪さに耐え切れず、私は口を開こうとして――
「……ふん」
先に顔を背けたのは、フィーネの方だった。
「随分と遅かったじゃないか。私は待たされるのが嫌いなんだ」
「ごめんなさいませ♪」
「別に謝れなんて言ってない!」
怒鳴るように返したくせに、フィーネの耳は真っ赤だった。
アヴェーラはそれを見て、ふわりと目を細める。
「でも、待っていてくださったのでしょう?」
「っ……!」
「しかも、一人で」
「う、うるさい!」
フィーネは慌てたように私を見る。
「おいナーレ! 何とか言え!」
「いや……言われても」
助けを求められても困る。
────だって、さっきまで“私の時代が来た”で蕩けていた人と、
今“待ってなんかない!”で真っ赤になっている人とでは。
どう見ても、お似合いだったから。
「それで、謎が解けたのですね!」
フィーネを見るアヴェーラは、久しぶりにいつものスイッチが入った。
さっきまでの蕩けた顔は何処へやら。
目を輝かせ、身を乗り出し、
今にも机に地図でも広げそうな勢いでフィーネへ詰め寄る。
「え、あ、あぁ……まぁな」
フィーネは一歩だけ後ずさった。
「お前、切り替え早くないか?」
「当然ですわ! 私の時代ですもの!」
フィーネがチラリと私視線に合わせてきた。
「まだ言ってるのか……」
フィーネが頭を抱える。
けれど、アヴェーラは気にも留めず、ぱっと両手を合わせた。
「それで? 絵画の意味は? 空白の一頁は?
あの家訓と、初代の奥方の日記はどう繋がるのですの?」
「ま、待て待て待て! 一気に来るな!」
「待てませんわ!」
今度はフィーネの方が、完全に押されていた。
その様子に、後ろでエスリンさんが小さく口元を隠す。
ヴィーウィ先輩も、珍しく少しだけ笑っていた。
フィーネは観念したように深く息を吐くと、
椅子の横に置いていた古びた紙束を持ち上げた。
「……あの絵は、家督を継ぐ者を示してたんじゃない」
「え?」
「“誰を選ぶか”を示してたんだ」
そう言って、フィーネは踊り場の欄干に身を乗り出して、一階へと視線を伸ばした。
――あの放射線のように伸びる絵を。
私達も其処へ向ける。
一階の広間。
「歴代の当主は、皆。
自分の娘じゃなく、“十三歳の娘”を選んでる」
その瞬間。
アヴェーラの表情から、浮かれた色が、すっと消えた。
「正確には、誰を選ぶか。家督を継ぐ者を、
──“十三歳の娘”を選ぶ」
フィーネは断片的に、
けれど確信だけは揺るがぬ声でまとめた。
「十三歳……」
アヴェーラが、殆ど無意識のように繰り返す。
その声は、先程までの夢見るような熱を失っていた。
「初代の奥方の日記にも、家訓にも。
妙に何度も出てきていたでしょう? “十三歳の娘”って」
フィーネは腰に本をタンタン!っと叩いた。
「あれは比喩でも、象徴でもない。
本当に、“十三歳であること”が条件だったんだ」
「でも、何で……?」
私が問うと、フィーネは少しだけ言葉を選ぶように目を伏せた。
「……十三歳なら、まだ家に染まり切ってない。
でも、子供のままでもいられない」
踊り場に、碧と蒼が差し込む。
フィーネの横顔が、その中で妙に大人びて見えた。
「だから、選べるんだ。
家の中に居ながら、家の外も見られる。
従うだけでも、壊すだけでもない」
アヴェーラは黙ったまま、自分の手を見ていた。
細く、白い指。
十三歳だった頃には、きっともっと小さかった筈の手。
「……私も」
ぽつりと、彼女が零す。
「私も、十三の時に。此の家に選ばれたのですのね」
誰にともなく呟かれたその言葉に
エスリンさんが、静かに目を伏せた。
「謎は解けた! でも手順がひどいんだ」
フィーネは、パシン!っと欄干へ叩きつけた。
しんみりしかけていた空気が、見事なまでに吹き飛ぶ。
「まず日記を読ませて、次に絵を見せて、
急に空白の頁だぞ!? その後に“十三歳の娘を選べ”だ! 誰が分かる!」
「分かりましたわ♪」
「お前は黙ってろ!」
即答したアヴェーラに、フィーネが即座に怒鳴る。
けれどアヴェーラは少しだけ元気を取り戻したように、くすくす笑った。
「だって、初代の奥方は、そういう回りくどい方だったのでしょう?」
「回りくどいどころじゃない! 最後の頁なんて、ほぼ脅迫文だぞ!」
フィーネは紙を捲り、勢いよく読み上げる。
「“ここより、家督を継ぐ者を選定する。
十三歳の娘を選び取り、相応しき者として定める”――って!
先に言え! 最初に言え!」
「それを最初に書いたら、謎になりませんもの」
「謎にしなくて良い!」
ヴィーウィ先輩が、こほんと小さく咳払いした。
「ですが……恐らく、それでは駄目だったのでしょう」
「え?」
「最初から答えだけを与えれば、“誰かを選ぶ”という言葉だけが残る。
ですが、あの本は。家の歴史と、日常と、奥方の願いを、先に読ませた」
エスリンさんも、静かに続ける。
「だから、最後に“十三歳の娘を選べ”と書かれた時。
それは命令ではなく……託されたものに見えるのです」
フィーネは、ぐっと言葉に詰まった。
悔しそうな顔のまま。
でも、否定はしなかった。
そして、アヴェーラは。
そんな皆の言葉を聞きながら、宝石に染まる屋敷を見下ろしていた。
まるで、初めて。
この家に託されていたものの重さを、
今──知った。
────みたいに………………。
もう! 赦してくれ!
あーマジで!
話しが長くなる匂いがして来た!!!!
───もうみんな、我慢しろ!
「これ! ぜってぇ長くなる!!! 」
(カオス回終わったら、深掘り会/回かよ!
冗談もよしこちゃんだぜ……)
「あぁ──ラッキーパンチかと思ったよ。
唯の不運回だったわ! 」




