踊る両輪
御崎エンジュのことをはじめて意識したのは小学校五年生のときのダンス発表会だった。以来、わたしは彼に勝つために生きている。
わたしのママは結婚する前、ソコソコ有名なダンサーだったらしい。五歳から通わされたダンス教室では、みんながいる前で「他の子は習い事だけど、あなたはプロになるためにやるのよ」なんて言われたっけ。ママの暗示のおかげだろうけど、必ずやプロの世界で脚光を浴びて全人類を夢中にさせるのだと本気で思ってた。
だから、小学校のダンス発表会なんてお遊びみたいなものだった。優勝するのが当然。自惚れなんかじゃない。あれはわたしが優勝すべき舞台で、我ながら完璧なダンスだったのだ。
その発表会は参加したい人だけ参加していいっていうお気楽なもので、けど御崎エンジュが体育館のステージに上がったとき、わたしは素直にムカついた。それまで全然興味のなかった小さな男子に、ダンスを舐めるな、と苛立った。思い出作りならダンス以外でやれ、とも。
ドビュッシーの『月の光』が流れて、彼の大きく開いた両腕が滑らかに波打ち、それからひしと自分を抱きしめて、右腕を垂直に伸ばし、余った左腕で片輪を操りその場で回転してみせたくらいから、わたしは爪を噛んでいたと思う。
車椅子でダンスなんて、と馬鹿にしていたわたしは、見たことのない踊りから目が離せなくなっていた。
曲が終わったとき、耳が割れるかと思った。万雷の拍手。見に来た父兄は泣いている人のほうが多かったっけ。
ぐわーって胸が熱くなったけど、自分が優勝する確信があった。だってわたしのほうが明らかに上手かったから。
銀紙が貼られたメダルは、体育館を出てすぐに捨てた。ぐしゃぐしゃにしてやった。何度も踏んずけた。間の悪いことに、そこにエンジュが通りかかって、土と同化しつつあったメダルを拾って「あかんよ」なんて言いやがった。
「せっかく作ってもろたんやから」
言いたいことはたくさんあって、でも一番最初に口から飛び出したのは「ずるい」だった。
「なにがずるいん?」
「あんた、贔屓されてるだけだし」
エンジュが車椅子というだけでみんなプラス評価を付ける。彼が登場したときからみんな泣いて拍手する準備を整えているように感じて、だからこんな最低な気分になってしまったのだ。
「それなー。せやから上手く踊れるように本気でやっとるんよ。贔屓されとるかもやけど」
「でも今日のはうちが一番だし」
真剣にダンスをやってるなら同意してくれるはずだと思った。けれど彼は「や、一番かどうか決めるんはお客さんやろ」なんて、ちっとも優しくない現実を突きつけた。
何度か言い返したりしているうちにヒートアップして、気付いたら取っ組み合いの喧嘩になって顔面を殴られたし、わたしはエンジュの股間を思いきり蹴ってやった。
喧嘩を止めたのは父兄たちで、担任にはわたしだけが怒鳴られ、ママにはビンタされたけど、そんなことは些細だ。この日、わたしの胸に夢の種子が宿り、その後すくすくと育っていったことだけが大事。
二十五歳になった今でも敗北の記憶を胸に宿し、プロとしてダンスを続けている。
エンジュは十六歳で渡米して車椅子ダンスのプロ集団に参加し、実績を積み上げてきた。今ではそこそこの立場にいるようで、健常者のダンサーと車椅子ダンサーをフェアに採点するような前代未聞の競技会を企画する程度には発言力も実行力もあるらしい。
わたしにとって踊ることは勝ち負けでしかない。お互いに持ってるものは違うけれど、注いできた時間や労力は甲乙つけがたいんじゃないかと自惚れるくらいには夢中でやってきた。
ほかの女性より細く長い足は、この世界を突き進んでいく自分だけの武器だ。彼にとっての両輪がそうであるように。
まだ叶えていない夢は、わたしの武器を確実に研いでくれた。
エンジュから届いた挑戦的なメールに「Fuck」とだけ返し、アメリカ行きのチケットを予約した。