7、セラフィーナは聖女を眺める
食事中は読まない方がいいと思います。
三週間後の休日。
私はシェリルを別荘地に招待した。
家から馬車で一時間ほどの場所にある小高い丘の上。
森や岩場を抜けた先に別荘地があり、そこにはすでに別荘が建っている。
木の温もりが感じられる二階建ての家だ。
私の誕生日はまだ先だが、別荘地が欲しいとお願いした翌日にはもう土地を購入してもらえ、その翌日に着工され、そして完成した。
こんなに早く別荘が建ったのは私の父が親バカすぎるからだ。
私は当分の間は小屋でもあればそれでいいかと思っていたが、せっかくの別荘地なのにそれではダメだと父に却下され、父からの厚意をありがたく受け取った結果こうなった。
別荘の周りは灰褐色にくすんだ地面が広がり、後方は岩場、左右には灰色の木の幹が並んでいる。ここは以前は緑豊かな林だったようだが、土地が穢れてしまい草木が育たなくなったようだ。
別荘の前方には何もないため、雪がかぶった遠くの山脈が見渡せる。
「あはははは、くすぐったいですよコリンちゃん」
「わふわふっ」
草木の緑色は一切見当たらない物寂しい場所に似つかわしくない楽しげな声が響く。
大きな白い犬は実に楽しげに桃色の髪の少女を地面に転がして遊んでいる。
少女も心から楽しそうに笑う。
私はシェリルとコリンが遊ぶ様子を眺めながら、野外に設置されたテーブル席でお茶を飲んでいた。
私の護衛のアルマとギルは、今は一緒にテーブルを囲んで寛いでもらっている。
シェリルの護衛であるケイとブルーノは別荘の中でいちゃいちゃしている。
今はアルマたちがシェリルの近くにいるため、ケイたちが護衛対象から目を離していても問題ない。
その場の流れでシェリルの護衛になってくれたケイとブルーノには感謝しているので、気を抜ける時には気を抜いてもらっている。
シェリルはコリンとたっぷり遊んで満足したらしく、体についた土を手で払いながらこちらにやってきた。
シェリルが私の左側の席に座ると、立ち上がったギルがいつものように優雅な手つきで紅茶を淹れる。
「ギルさんが淹れてくださるお茶は本当に美味しいです」
「お褒めいただき光栄です」
紅茶を一口飲んだシェリルはほっこりした顔でしみじみ呟いた。色気を振りまくギルにはすっかり慣れたようだ。
リラックスしきっているシェリルはカップをソーサーの上にカチャンと音を立てて置いた。
「シェリル、カップは静かに置きましょうね」
「っはいっ」
軽く窘めるとシェリルは曲がっていた背筋をピンとさせた。
彼女は家でマナー講習を受けているようだが、まだしっかり身に付いていないため気を抜くとすぐに忘れてしまうようだ。
マナーはとことん体に覚えさせて、どんな時でも美しい所作を保てるようになることが望ましい。
私はシェリルの負担にならない程度に声かけをするようにしている。
お茶を飲み終えると、四人で別荘の裏手の岩場にやってきた。
目の前に広がるのは鉱石地帯。
ゴツゴツした岩場からいくつもニョキッと生えている鉛筆型の灰色の石。それらは真上、右上、左上といろんな方向を向いていて、長さはそれぞれ二十から三十センチほど。
これからシェリルにはここで鍛練をしてもらうことになる。
聖女の力を極め、魔王がいつ復活しても余裕で倒せるように準備することが目的だ。
「これからあなたにはここの鉱石を浄化してもらうわ。半透明になるまで光を当て続けてちょうだい」
「分かりました。魔力が無くなる限界まで続ければいいのですね」
「ええ、そうよ」
「鍛練はすごく大変だったけど頑張ります」
予知夢の中で鍛練を経験しているシェリルはさっそく両手から光を出して、灰色の石の一つに光を当てはじめた。
彼女は神聖魔法に目覚めて日が浅いので光を出すことにまだ慣れていないようで、全力を出しているのだろうが光は強くなったり弱くなったりと不安定だ。
私とアルマ、ギルは少し離れた場所でそれを眺めた。
シェリルは継続して光を出し続けている。
灰色の石は上部から少しずつ半透明になっていき、シェリルは『わぁ、綺麗』と感嘆の声を漏らした。
この石は元々澄んだ半透明の青色の鉱石だったが、二百年前に現れた魔王の魔力によって穢れてしまったものだ。
シェリルは自分が浄化することによって鉱石がどんどん美しさを取り戻していることに感動している。
私が期待していた通り、目に見えて効果が現れることはやる気に繋がるようだ。
時間の経過と共にシェリルの顔は険しくなっていき、五分ほど経ったあたりで光を放つのを止めた。
石は上部が三割ほど半透明になっている。
シェリルは眉根を寄せながら右手で口元を覆い、ギルの方を向いた。
「このあたりが限界みたいです。魔力回復ポーションをいただけますか」
シェリルは吐き気を堪えながらギルに頼んだ。
ギルが右手に持っているのは紫色の小瓶。これが魔力回復ポーションだ。
人の体内には血液と同じように魔力が巡っている。
魔力の総量は人によって違う。使っていない時は常に一定量を保っているが、使えばどんどん減っていき、使いすぎると気分が悪くなる。
魔力を限界まで使うと胃の中をかき混ぜられているような感覚になって吐き気を催すらしい。
空っぽになった魔力は約一日かけて回復し、それと共に吐き気も収まっていく。
魔力は使えば使うほど総量が増え、扱いに慣れることでコントロールも上手くなっていく。
魔力回復ポーションは、時間経過による回復を待たずとも魔力量を元通りにできるものだ。
私は青白い顔をしたシェリルに向き合った。
「まだ吐いていないから限界じゃないわ。限界まで頑張りましょうね」
「え……」
シェリルは唖然とした。
教会での鍛練では吐き気を催したところで魔力回復ポーションを飲んでいたようなので、ここでも同じようにすればいいと思っていたのだろう。
「魔力回復ポーションはとても高価なのよ。限界まで頑張らないとポーションがもったいないでしょう。だから吐くまで頑張って。そして吐いてからもまだ魔力が使えるとしたら、それはまだ限界を迎えていないという証拠になるわね。何度か吐いたとしても完全に力を出せなくなるまで頑張りましょう」
「あ……えっと……ですが地面を汚してしまうので」
「大丈夫よ」
私の隣に立つアルマが右手に持つバケツを前にさっと出した。左手には口をすすぐためのコップとタオルを持っている。
「アルマがきちんとサポートしてくれるから気兼ねなく吐いてちょうだい」
有無を言わさぬ笑顔を向けた。
シェリルは言葉を失ってぐぬぬとなったが、すぐに気持ちを切り替えたらしく両手を握りしめながら『頑張ります!』と意気込んだ。
予想通りの答えに私は笑みを深めた。
シェリルは魔力回復ポーションがどれだけ高価なものか知っているため、私にかかる負担はできるだけ減らそうとしてくれる。
素直で可愛くて従順な子はとても好ましい。
本当は魔力回復ポーションをどれだけ贅沢に使ったとしても私は全く困らない。
シェリルが今浄化している鉱石はとても希少価値のあるものだ。それを売れば魔力回復ポーションはいくらでも買える。ついでにケイとブルーノの護衛料もまかなえるほどだ。
だから吐き気がする時点で魔力回復ポーションを飲んでも問題ないのだが、本当の限界まで魔力を使えばそれだけ魔力量が増えるのではないかと思った。
これはちょっとした好奇心からくる実験であり、あとはほんの少しの嫌がらせも含んでいる。
シェリルが本当に聖女だったことで、予知夢の中のセラフィーナという人物は本当に未来の私なのだと実感するようになった。
私らしからぬ愚かな行動をとる女。それはあり得た未来の私。
未来の私は殿下に婚約破棄されてしまい、その後、殿下はシェリルと結ばれる。
つまり私は女としてシェリルに負けてしまうのだ。
理由はどうあれ婚約破棄されてしまうという事実がほんの少し腹立たしくなった私は、シェリルの無様な姿を見れば溜飲が下がるかもしれないと思った。
本当に吐くまで頑張るのだろうかとワクワクしながら眺める。
シェリルは再び険しい顔で力を使いはじめた。
それから二分ほど経つと『うぷっ』と言って光を出すことを止めた。
息を止めて唇を引き結ぶ。そうしてシェリルは下を向いた。
「おぇえぇえぇぇぇ」
シェリルは豪快に吐いた。
見事な吐きっぷりを私は眺める。
どれだけ愛らしい少女でも嘔吐するとこんな風になるのだなと興味深く観察する。
生気を感じられない姿は廃棄寸前のしなびた野菜のようで、とてもじゃないが可愛いと思えない。
シェリルの無様な姿を見られた満足感で、予知夢の中の私の無念が晴れた気がする。
アルマがすかさずバケツで受け止めたため、シェリルの服も地面も汚れずに済んでいる。
アルマは魔法で出した水をコップに入れてシェリルに差し出した。
シェリルはうがいをしてタオルで口元を拭う。
少し落ち着くと水を飲み、ふらふらしながら再び鉱石に光を当てはじめた。
そしてまたすぐに『うぷっ』となって下を向く。
「おぇえぇえぇぇ」
シェリルは再び嘔吐した。アルマはバケツでそれを受け止める。
シェリルは水で口を濯いでタオルで拭くと、再び石に光を当てはじめる。
それを三度繰り返したところでシェリルは光を出せなくなった。
「もう無理ですぅぅ」
シェリルは本当の限界を迎えたようだ。
「ギル」
私が名前を呼ぶと、ギルはシェリルに魔力回復ポーションを差し出した。
シェリルはそれを青白い顔で受け取り、一気飲みする。
青白かった顔は色を取り戻し、しなびた野菜のようだった顔は艶っと若々しさを取り戻した。
何度も吐いているとは思えない復活ぶりに、魔力回復ポーションの凄さを目の当たりにした。
「わぁ……すごく魔力量が増えました。この方法はすごく効果があるようです」
「それは良かったわ」
何事もなかったように完全復活したシェリルは、予知夢の中より効率的に力を増加させられたと感動している。
すっかり元気になったシェリルはまた鉱石を浄化しはじめた。鉱石がどんどん本来の美しさを取り戻していくことが楽しいようで、夢中になっている。
先ほどと同じように全く力が使えなくなるまで何度も吐き、ポーションで復活するというのを繰り返した。
私もずっと見学しているだけというのも時間が勿体ないので、少し離れた場所で闇魔法の特訓をすることにした。
小さな闇魔法の玉を両手の上に一つずつ出し、くるくる横回転させる。
闇魔法はシェリルの神聖魔法と真逆の性質を持つ魔法。
とても危険な魔法なので、しっかりコントロールできるように鍛えている。
一時間ほど魔力操作に集中してからシェリルの様子を窺いに行った。
「うぅ……」
シェリルは水を飲みながらぐったりしている。
魔力回復ポーションでは心の疲労までは取り除けない。
そろそろ限界だろう。
「シェリル、今日はこのくらいにして休憩しましょう」
「はーい……」
力なく返事するシェリルを連れてテーブル席に向かった。
一足先に向かったギルによって、すぐにお茶が飲めるように準備されていた。
二人で並んで座り、美しい景色を見ながらお茶をする。
ケーキスタンドを前にするとシェリルは元気を取り戻した。
アルマに取り分けてもらったスイーツを幸せそうに食べている。
あれだけ吐けば食欲がなくなるのではないかという心配は杞憂だったらしい。むしろいつも以上に食べている。
これからは用意するスイーツの量を増やした方が良いかもしれない。
シェリルは今日、小さめの鉱石を一つ浄化できた。
シェリルが浄化した鉱石はギルが根元から切り離して持ってきてくれた。トレーの上に置かれたそれをシェリルはまじまじと見ている。
シェリルは浄化中も綺麗だなーと感動して見ていたが、光を出すことに集中しなければいけなかったので、こうやってゆっくり見られて嬉しいようだ。
「すごい……私がこれを……」
鉱石に見入っているシェリルを眺めながら紅茶を飲む私に、ギルが何かを耳打ちした。
私はギルと小声でやり取りをしながら、ギルが差し出したものを受け取った。
「シェリル、今日は本当に頑張ったわね。ご褒美にこれをあげるわ」
私が差し出したのは鉱石の欠片だ。
ギルが鉱石を採った際に根本に一緒についてきたもので、二センチほどの大きさのものが二つある。
欠片といえども十分美しい。売ればそれなりの値がつくだろう。
「これを頂いていいのですか?」
「もちろんよ」
シェリルは自分の手の上に置かれた半透明の青い鉱石を見ながら頬を紅潮させた。
よほど嬉しかったのだろう。
翌日、翌週と同じように別荘地に行き、シェリルは鍛練に励んだ。
「おぇえぇえぇぇぇ」
シェリルは今日も豪快に吐いている。
使いきった魔力はポーションによって回復し、吐いたことによる体のダメージは自分が持つ力で自然と癒えていくらしい。
シェリルはすっかり吐くことに慣れきっていて、その順応力に感心する。
せっかくの休日を鍛練だけして過ごすのは勿体ないため、午後からは町に遊びに行ったりして気分転換する。
鍛練や私との時間でシェリルの休日を全て奪うつもりはないため、他に予定がある場合はそちらを優先していいと伝えてある。
しかしシェリルは学校の友人とは平日に会えるからそれで十分らしく、毎週しっかりと鍛練に励んでいる。
私は離れた場所で闇魔法の特訓をし、時たまシェリルの様子を見に行った。
「セラフィーナ様、また一つ浄化し終えました!」
シェリルは浄化できた鉱石を誇らしげに見せてきた。
その顔は何かを期待しているようで、投げたボールを取ってきて褒められ待ちをする時のコリンと姿が重なる。キラキラ輝く瞳は早く褒めて褒めてと言っているようだ。
「よく頑張ったわね」
そっと頭を撫でるとシェリルは嬉しそうにはにかんだ。
この子は犬のようだと以前から思っていたが、やはり人懐っこい犬そのものだ。
従順で単純で扱いやすい素直な犬。可愛い飼い犬が増えたようでとても嬉しい。
シェリルとは同い年なはずなのに保護者のような気持ちになる。
この子は私がしっかり守ってみせよう。
この先シェリルができるだけ辛い思いをしなくて済むように、ずっと平穏に過ごしていけるように、何もかも私の思い通りに進めるべく、頭の中を巡らせた。