6、セラフィーナは聖女を囲う
シェリルは四つん這いになったままずっと『あぁあぁぁぁ』と嘆いている。
今頃になって魔物に襲われかけたことへの恐怖心が湧いてきたのだろうか。
「あんな生活が始まるなんて嫌だぁ……でもあの人たちに守ってもらわないと殺されちゃう……自由がなくなるのも嫌だし……あぁぁ厳しい鍛練も始まるぅ……」
シェリルは地面を見つめたままぶつぶつ呟いている。
聞こえてくる言葉は今後を憂うようなものばかり。
聖女の力が予定よりも早く目覚めたことは、シェリルにとってあまり良いことではないようだ。
詳しく聞きたいところだが、まずは目的を果たすことにしよう。話を聞くのはその後だ。
「シェリル、この先に行けば蝶が沢山見られるのでしょう」
「っあ、そうでした!」
シェリルは嘆くことを一瞬で止め、勢いよく顔を上げて立ち上がった。
先ほどと同じ個体かはたまた別の個体かは分からないが、近くを飛んでいる一頭の蝶を見つけたシェリルは顔を明るくさせた。
「行きましょう! セラフィーナ様っ」
「ええ」
アルマたちに前後左右を守られながら森の中を進む。
辺りに魔物が現れても護衛の誰かがすぐに仕留めるため、私とシェリルは倒された後の魔物を遠目で眺めるだけに留まっている。
「皆さんが守ってくださるので安心ですね。さっきはたまたま全員いなくて焦っちゃいましたが」
「そうね。たまたま不運が重なってしまったものね」
シェリルは安心しきっている。二人で話しながら蝶の跡を追いかけて、開けた場所に出た。
小さな沼が点在し、沼を囲むように咲き誇る赤紫色の花たち。
辺りには深い青とエメラルドグリーンの二色の羽を持つ蝶が沢山飛んでいる。
今しか見られないという美しい光景に心を奪われる。
アルマが敷いてくれた敷物の上にシェリルと並んで座り、暫くの間何も考えずに眺めていた。
「私、セラフィーナ様とここに来られて良かった」
シェリルは蝶から視線を外さないま呟いた。
独り言のようなので、私も同じ気持ちでいると心の中で返事をする。
同年代の子供を自分から誘ったのはこれが初めてだったが、この美しい光景を一緒に楽しんでいる相手がシェリルで良かったと心から思う。
またいつか一緒に来ることができたらいいな。
ここ以外にもいつか行ってみたいと思っている場所は沢山ある。誘えば喜んで付いてくるだろうか。
そう考えてから、シェリルが聖女であることを思い出した。
聖女は教会に保護される決まりとなっている。
そうなればもう私とこんな場所まで来ることなんてできなくなるだろう。
それはとても不快なことに思えた。
とても気に入らない。聖女の力を引き出したのは私だというのに。
私はシェリルでもっと楽しむつもりでいたのに、彼女と自由に行動できなくなる。その機会を教会に奪われてしまうことが腹立たしい。
蝶を眺めながら考えていると、隣のシェリルが頭を抱えて呻きだした。
少し前に、四つん這いになって嘆いた時の感情が戻ってきたようだ。
「ねぇシェリル、聖女になったら嫌なことが待っているのかしら」
「うぅ……そうなんです。聞いてください」
シェリルは涙目で話しはじめた。
聖女に認定されると教会での厳粛な生活が始まり、専属護衛に守られながら生活することになるそうだ。
予知夢の中でのシェリルの護衛は六人いて、交代制で常に四人がシェリルのそばにいた。
「六人とも苦手だったんです。ただでさえ自由が少ないのに近くにいる人たちが嫌な人ばかりで、だけど守ってもらわないと危険で……」
シェリルは聖女を殺そうとする組織に狙われる日々が始まってしまうことも嘆く。
苦手な人たちに囲まれて、自由がなく、命を狙われる。
確かにそんな生活がはじまることを知っていたら嘆かずにはいられないだろう。
「だけど聖女に認定されれば殿下と婚約が可能になるのよ」
俯いていたシェリルは殿下という言葉に顔を上げてポッとなる。
「それは、確かにそうかもしれませんが……だけど殿下はセラフィーナ様と……」
「私はまだ婚約していないしそんな話すら出ていないわ。今のうちにあなたからアプローチすればいいじゃない」
「そ、れは……そうかもしれませんが……だけど、そうしたら王族の婚約者として相応しい教育まで始まって……うぅぅ……」
シェリルはまた嘆きだした。
どうやら王太子となった殿下の婚約者として受けた王妃教育が過酷だったようだ。
「だけど早めに鍛えて強い力を使えるようになれば、いざという時に人々の役に立てる……高価な魔力回復ポーションを使いながら鍛練するなんて教会でしかできないし……」
シェリルは葛藤している。
彼女は未来の自分を殺そうとする私に声をかけてくるような子だ。どこまでも真っ直ぐな心根を持っている。
これから起こる嫌なことと幸せなことを天秤にかけていたはずなのに、いつの間にか他人のために悩むなんて。
そんな姿を見ながら、私は自分にできることを考えた。
シェリルは聖女として神聖魔法を鍛えたいと思っているが、教会に属することには抵抗があるらしい。
シェリルがまだ教会の聖女になりたくないのなら、私が彼女の希望を叶えればいいだけではないだろうか。
「それならまだ公にしなければいいじゃない。公にせずとも鍛えられるでしょう」
「だけど教会に聖女だと認めてもらえば、魔力回復ポーションを使って鍛練できるんです。魔王に立ち向かえるほどの力をつけるにはそうするしかなくてですね……」
私が軽く提案すると、シェリルは眉尻を下げながら答えた。
「あら、私を誰だと思っているのかしら。その程度のサポートなら私にだってできることよ」
「っ、でも……セラフィーナ様にそんなことをさせるわけには……」
「あなたの力が目覚めた原因は私にあるのだから、それだけで私が力を貸す理由になるのよ。聖女が力をつけていく過程を間近で見られるなんてとても素敵じゃない。ぜひそうさせてもらえると嬉しいのだけれど、ダメかしら?」
「そんな、ダメなんてことは」
「それなら私のサポートを受け入れてくれるかしら」
「それは……もちろんとてもありがたいですが……」
「それなら交渉成立と考えていいかしら。私があなたの役に立てるなんて夢みたいだわ」
こちらがお願いしている立場だと錯覚させるように押し切ると、シェリルはぱあっと顔を明るくさせた。
「はいっ、ぜひよろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくね」
***
森からの帰り道。
私は町の魔道具店に寄り道をして必要なものを買い揃えた。
それからシェリルの家に行き、まずは彼女の両親に事の成りゆきを説明した。
さすがに保護者に無断で契約するわけにはいかない。
現在パーミュラー男爵家の応接室には、シェリルと両親、私と四人の護衛がいる。
シェリルの両親は顔面蒼白で娘の我が儘をお許しくださいと頭を下げてきたが、これは双方の利害の一致だと説明して無理やり納得してもらった。
私は手に持っていた大きな封筒から魔法誓約書を数枚取り出した。
これは魔法の効力を持つ特別な紙でできていて、ここに記した誓約内容は決して破ることができなくなる。
貴族や商人が特別な契約時に使うもので、かなりの値段がするものだ。
聖女の力が目覚めた場合、それを知るものは必ず教会に報告する義務があり、秘匿することは重罪になる。
まずはその問題から片付けることにしよう。
私はシェリルに七枚の魔法誓約書を渡した。
受け取ったシェリルはそれらに『シェリル・パーミュラーが聖女であることを秘匿すること』と書き、作成者欄に署名する。
シェリルは七枚全てに同じ内容を書き記すと、この場にいる全員に一枚ずつ配った。
「では皆さん、その紙に署名してください。これは命令です。もし断れば、私は聖女としてこの世界を救いません」
シェリルは高圧的な態度を演じながら高らかに宣言した。
心にもないことを口にしているため表情がぎこちないが、しっかり言えたので問題はない。
これでこの誓約はシェリル本人の意思で成立することになり、この魔法誓約書はそれを証明するものとなる。
魔法誓約書で交わした約束は作成者が破棄しない限り決して破れない。
この場にいる全員が聖女に脅されて、自分の意思に関係なく聖女の存在を秘匿しなければいけなくなった、という状況の出来上がりだ。
これで誰も重罪に問われる心配はない。
もちろんシェリル本人も重罪に問われる心配はない。
彼女は魔王を浄化できる唯一の存在。誰よりも大切に扱われなくてはならない。
たとえ国王だろうと罰することなどできないはずだ。
さて、秘匿するとはいえ晴れて聖女となったシェリルには護衛が必要となる。
男爵家の娘として誘拐されたり暴漢に襲われたり、運悪く何かの事故に巻き込まれる危険が無いとはいえないので、外出時には護衛が必ず近くで守らなければならない。
森からの帰り道でシェリルの希望を聞いたところ、ケイやブルーノのように気さくな人がいいとの答えが返ってきた。
それならばとケイとブルーノに頼んでみたところ、彼らは『いいよー』『オッケー』といつもの軽い調子で即答した。
あまりの軽さだったが彼らの実力はアルマたちも認めているし、与えられた仕事はいつもしっかりこなしてくれる。信頼できる人たちだ。
シェリルもその場で喜んで了承したため、彼女の護衛はケイとブルーノにあっさり決まった。
シェリルを安心させるため、ケイとブルーノには護衛としてしっかり役目を果たすという魔法誓約書をシェリルと交わしてもらう。
パーミュラー男爵家にとっては想定外の出費となるため、ケイとブルーノの護衛料は私が払うことに決めた。
真面目なパーミュラー男爵夫妻はそんなことまでさせられないと断りを入れてきたが、勝手に護衛を決めたのはこちらなので出させてもらいたいと押し切った。
パーミュラー男爵家での手続きを終えた私は、アルマとギルと一緒に馬車に乗って帰路に着いた。
帰宅後。私は自室の机の上に領収書をずらりと並べて、顎に手を当てながら考える。
まだ使っていないが十数本の治癒ポーションにシェリルの専属護衛費、数枚の魔法誓約書。
今日一日だけでかなりの出費だ。
これからは大量の魔力回復ポーションが必要になる。
シェリルが聖女認定される日がくるまで、継続的にお金が必要になるだろう。
***
シェリルの聖女の力が目覚めた翌日。
私はアルマ、ギルと一緒に図書館に足を運んでいた。
世界中の書物が集められた国一番の大図書館で、二階建ての大きな建物の中にはずらりと本棚が並ぶ。
「お嬢、あちらにありましたよ」
アルマと館内を歩いていると、単独で行動していたギルが私のお目当ての書物が並ぶコーナーを見つけてきてくれたので、彼に案内してもらう。
そこは聖女と魔王に関する書物が集められたコーナーだ。
この国には二百年周期で魔王と聖女が現れていて、いつの時代も聖女は魔王の浄化に成功している。
本体が浄化された魔王は魂だけの存在となり、そこから二百年かけてゆっくり体を復活させるといわれている。
この国には魔王が発した魔力によって土壌が穢れ、作物が育たなくなってしまった土地がいくつも存在している。
穢れは聖女の力で取り除くことができるが、二百年前の聖女は体が丈夫ではなかったようだ。
魔王を浄化した後は体に負担がかかる公務に就くことなく、田舎で静かに暮らしたという。
私は魔王による被害状況が残された書物をいくつか読みながら必要な情報を纏め、不動産屋に足を運んだ。
「ここがいいわね。値段も手頃だわ」
お目当ての土地をいくつか確認し、その中で一番手頃な土地を仮押さえして帰宅した。
夕食の時間になると、両親と一緒に食事室で夕食をとった。
私の父は焦げ茶色の髪をいつもきっちり後ろに撫で付けていて、厳格そうな見た目をしている。
母はプラチナブロンドの髪を編み込んで後ろで一纏めにしている。いつも穏やかでふんわりとした空気感を持つ人だ。
タイプが真逆の二人だがどちらも美しく、夫婦仲はとてもいい。
そして二人とも私にとても優しい。
私は父に話しかけた。
「お父様、誕生日に欲しいものが決まりました」
「そうかそうか。何に決めたんだい?」
「私専用の別荘地が欲しいです。ここから馬車で一時間ほどのところで、景色が素敵な場所を見つけました」
私のお願いを聞いた父と母は顔を見合わせた。
きっといつものように侯爵家の伝を頼って入手困難な異国の珍しい品をねだられると思っていたのだろう。
「土地ねぇ……そうね、セラちゃんが自分専用の別荘地を持つことに反対する理由はないけれど、さすがに誕生日プレゼントとしては高額過ぎる気がするわよね」
「君がそれを望むのなら、別荘地を持つこと自体は賛成だ。しかしそんなに高い土地は買ってあげられないよ」
十歳の子供に土地をねだられたというのに却下することなく、買う前提で話を進めてくれる親などうちの両親くらいだろう。
何にせよ娘に甘すぎる両親のおかげで、シェリルと一緒にこっそり修行する場所が手に入りそうなので交渉する。
「もちろん予算のことは私なりにしっかり考えました」
私はそう前置きして、事前に準備していた資料を両親に見せた。
私が欲しい土地の詳細が書かれた資料で、場所や地質、土地の値段が書かれているものだ。
両親はそれにしっかり目を通しながら険しい顔で考え込んでいる。
「……なるほど、穢れた地か。それならこの値段でも納得がいくな」
「作物が育たないというだけで、人体に影響が無いことは検証されているのよね。それでも忌み嫌われる場所ではあるけれど……」
「はい。私は店を開いたり作物を育てる予定はありませんので、コリンと遊べる十分な広さと遠くに見える景色の美しさを重視して探しました」
「そうか。そうだな……」
「そうねぇ……」
両親は少しの間二人で話し合ってから、私の方を向いた。
「よし、この土地をプレゼントすることを約束しよう」
「ありがとうございます。誰かに先を越されてしまったら悲しいのですぐに買っていただけますか?」
「もちろんだとも」
こうして娘に甘い両親が土地を買ってくれることが決まり、私は自分専用の別荘地を手に入れた。