4、セラフィーナは遊ぶ計画を立てる
ガーネット侯爵家の娘である私、セラフィーナの部屋では、大きな白い犬と桃色の髪の少女が戯れていた。
この犬はうちの飼い犬であるコリン。
虐待されていた過去があり人間不信なため、私以外の誰にも懐かない子である。
餌をもらったり散歩に連れていかれたり体を洗われたりと、身の回りの世話をするメイドたちの言うことはきちんと聞くが、それは私が命じたから仕方なく言うことを聞いているといった感じだ。
私にだけ従順な可愛い子。
そんなコリンがシェリルに懐いている。
懐くというより玩具にして遊んでいるようにも見えるが、楽しそうに人間で遊ぶところは初めて見た。
それだけでシェリルは本当に聖女なのかもしれないと思えてくる。
遊ばれているシェリルもとても楽しそうだ。
「あぁー夢みたいです」
怪我をしない程度の強さで頭をガブガブ噛まれながら、シェリルは幸せそうに目尻を下げている。
何が夢みたいなのかと尋ねたところ、こうやって犬と遊ぶことに憧れていたのだという。
彼女の母には動物アレルギーがあるため、家で動物を飼えないようだ。
「ねぇシェリル、そろそろ本題に入らせてもらっていいかしら。こちらに座りなさい」
もうずいぶん待ったので頃合いだろう。
幸せそうな空気をわざと壊すように冷たく言い放ち、ソファー席にいる私の対面に座るように促す。
私の近くに立つアルマは氷魔法で複数の氷の針を作り出し、いつでも飛ばせるように指の隙間に挟んで構えている。
シェリルは小刻みに震えながら素直に従った。
「それでは予知夢について詳しく聞かせてもらおうかしら」
私がそう切り出すと、シェリルは目を泳がせた。
きっと私にとってあまりいい話ではないのだろう。そもそも破滅して命を落とすと言われている時点で、それ以上に悪い話などないと思うのだけれど。
そして詳しく聞かないことには何も対策しようがない。
話したくなるようにリラックスしてもらわないといけないようだ。
苛立ちを抑えながら、部屋の隅でワゴンと一緒に待機しているギルに目配せをする。
この家にはもちろんメイドがいるが、アルマとギルが近くにいるときは彼らが私の身の回りの世話をしてくれる。
護衛の仕事だけではやることがなさすぎて暇すぎるとのことらしい。
今はこの部屋には他に使用人はいない。
ギルは手慣れた様子でテーブルにカップや皿、カトラリーを並べていき、スイーツが沢山載ったケーキスタンドを中央に置いた。
優雅な動きにシェリルは見惚れていたが、ギルの腰にある長剣が目に入ったらしくカタカタと震えだした。
ギルはお茶を淹れ終わると、また部屋の隅に戻った。
宝石のように美しいスイーツを前にして、シェリルは瞳を輝かせている。
「どうぞ。好きなだけ食べていいのよ。アルマに頼めば取り分けてくれるわ」
私は飲食を許可したが、シェリルは躊躇っている。
しかし目はスイーツに釘付けだ。
「どうしよう……こんなにお高そうなスイーツ、食べたが最後、超高額を請求されて払えなくて奴隷のように扱われるんだ……」
シェリルは思っていることがそのまま口から出ていることには気づいていない。
「聖女になるまであと五年……五年間奴隷のような生活は長すぎる。でもお父さんは倹約家だからこんなのうちじゃ絶対に食べられない……」
ブツブツ呟きながら葛藤した末に、シェリルはアルマに声をかけた。
「苺のケーキと器に入ったこれとバナナが入ったこれをお願いします」
シェリルはアルマに頼んで、苺のケーキとチョコムースとバナナオムレットを皿に載せてもらった。
それら全てを一分以内に平らげると、再びアルマに視線を向けた。
「あの、チーズケーキっぽいこれとチョコケーキとレモンが乗ったこれとクリームが層になったこれをお願いします」
シェリルはアルマに頼んで、チーズケーキとガトーショコラとレモンタルトとミルクレープを皿に載せてもらった。
欲望に忠実すぎて清々しさすら感じる。
スイーツを全て綺麗に平らげたシェリルは、天を仰ぎながら『もう心残りはありません』と呟き、晴れやかな顔で話し始めた。
どれだけ食べてもこちらは何も請求するつもりはないが敢えて黙っておく。
シェリルの話によると、彼女が十五歳になる年の学園の野外授業中に魔物が大量に襲ってきたことで、彼女の聖女の力が目覚めるのだという。
それから聖女として丁重に扱われるようになり、私の婚約者であるアレックス殿下はずいぶんシェリルに親身になって、困ったことはないかと気遣うようになる。
もちろん愛を囁いたり体に触れるような行為はなく、常識のある距離感。
それでも婚約者が自分以外の女に優しくしていることが気に入らない私は、嫉妬してシェリルに嫌がらせを始める。
それはどんどんエスカレートしていき、愛想を尽かした殿下は私との婚約を解消した。そしてシェリルを新たな婚約者に迎えるらしい。
(聖女に危害を加えるような人間なんて、愛想を尽かされて当然ではないかしら)
私は他人事のように客観的にそう思う。
シェリルの話の中に出てくるセラフィーナという人物は、私ではない誰かとしか思えない。
私がするはずのない行動ばかりをとる愚かな女。
シェリルの話は全く真実味がなく、ただの妄想としか思えない。
だけどそれはシェリルの中では嘘偽りない真実だろう。彼女の吸い込まれそうな瞳からは、純粋に私の未来を悲観する気持ちが伝わってくるから。
この子は本当に私を救うために、勇気を出して声をかけてきた。
そしてシェリルの話の中には一つだけ真実が含まれていた。
それは私が闇魔法を使ったということ。
現時点で私が闇魔法を使えることを知っているのは両親とアルマとギルだけ。
まだ公になっていないためシェリルが知っているはずがない。
それを知っているというだけで、シェリルには何かしらの不思議な力が備わっている可能性が高くなる。
彼女が聖女である信憑性が少しだけ増した。
シェリルはクラスメイトが魔物に襲われそうになる場面に遭遇し、とっさに庇って神聖魔法に目覚めるらしい。
光のバリアを出現させて魔物からクラスメイトを守り、怪我を負ったクラスメイトを治癒の光で癒した。
私は考えを巡らせる。
シェリルの話から考えられる神聖魔法の覚醒条件は、神聖魔法が必要なほど逼迫した状況に陥ること。
シェリルがもうすでに女神様からお告げを受けているのなら、彼女の中にはすでに神聖魔法が備わっていて、目覚める時を待っているはずだ。
「シェリル、次の休みの日は一緒にピクニックに行きましょう」
私は両手を胸の前でパチンと合わせて、何の前置きもせずに提案する。
シェリルは首を傾げた。
「ピクニックですか?」
「ええ、私はあなたの話を信じられるほどまだあなたと仲良しではないでしょう。だからピクニックに行きましょう。私はあなたと仲良くなりたいわ」
微笑みながらそう言うと、シェリルは瞳を輝かせた。
「私もセラフィーナ様と仲良くなりたいです!」
「それでは決定ね」
「はいっ」
シェリルはわくわくした様子で追加のケーキをアルマに取り分けてもらい、再び甘味を堪能しだした。
「ふふ、楽しみね。お弁当はこちらで用意するわ。何を入れましょうか。リクエストしていいわよ」
「本当ですか? それでは────」
シェリルは全く遠慮することなく次々とリクエストしはじめた。
同年代の子にこんなに素直な反応をされたのは初めてなのでとても新鮮だ。
「晴れるといいですね! とっても楽しみです」
「ええ、楽しみね」
楽しいピクニックの行き先が魔物が棲む森であることは、もちろんシェリルには伝えない。
予想外の逼迫した状況で身に危険を感じてもらわなければ意味がないのだから。
聖女の力が覚醒するはずの状況に身をおいて、それなのに力が覚醒しなかった場合、シェリルはどうするのだろう。
もちろんシェリルが怪我をしないようにしっかり準備するつもりでいる。
シェリルが聖女でない可能性もゼロではないため、もしかしたら聖女が目覚める瞬間を見られるかもしれない。
それはそれでとても貴重なものだ。
予定より何年も早く力を目覚めさせることになってしまうが、むしろ安全面に配慮して確実に力を目覚めさせることは必要だ。
シェリルが予知夢を視た時点でその通りの未来が訪れる確率は大幅に低下している。
彼女は自分が聖女の力に目覚めることを知った。ほんの僅かでも気持ちに余裕が生まれているはずだ。
逼迫した状況で力が覚醒するという前提条件を満たしていなければ、シェリルは力に目覚める前に魔物に殺されてしまう可能性すらある。
だから私がしようとしていることはただの嫌がらせではない。私は自分が楽しむことしか考えていないなんて、そんなことは断じてない。
(ふふっ、どういう結果になるのでしょうね)
シェリルがもし聖女でなかったら、私は高位貴族を欺いた愚かな少女を当分の間雑に扱っても許されるだろう。
とても愉快で可愛いおもちゃを手に入れられる。
もしシェリルが聖女だったとしたら、私は聖女の力を覚醒させた立役者になるだけ。
どちらの結果だったとしても私は特に損害を受けない。
(治癒ポーションはいくつ必要かしら。臨時の護衛としてブルーノとケイに声をかけてみて、それから……)
私はさっそく脳内でピクニックの準備に取りかかる。
アルマとギルだけでも護衛として十分なはずだが、信用できる知り合いに協力してもらい万全の態勢で挑む。
お小遣いが大分減ることになりそうだけれど、お金は惜しみなく使う予定だ。
私はまだ魔物が出る森に行ったことがないため、図鑑でしか見たことのない魔物という生き物を実際に見られることも楽しみでたまらない。