3、セラフィーナは聞き出す
笑顔なのに悲愴な面持ちという複雑怪奇な様子のシェリルは、馬車に乗り込むと一瞬で瞳を輝かせた。
「わぁぁ……! すごい」
何がすごいのだろうかと思いながら私は座席に座り、対面に座るようにシェリルに促す。
すごい、綺麗、クッションふかふか、などと呟くシェリルの様子から、馬車の内装に感動しているのだと分かった。
アルマは私の隣、ギルはシェリルの隣に腰を下ろした。
「さぁ、なぜあのような発言をしたのか聞かせてもらえるかしら、パーミュラーさん」
私は笑顔で問いかけた。
発言の真意を確かめずにはいられない。
シェリルはなかなか口を開こうとしないので、彼女の隣に座るギルに目配せした。
彼は無言で頷いてシェリルの方を向く。
「お嬢の問いかけを無視してはいけませんよ」
ギルはとても顔がいい。
垂れがちの目を細めて色気のある声で話す様子は、意中の女性を口説いているかのような甘さを醸し出している。
本人にそのつもりはないが、今まで何度も女性を勘違いさせてしまっているらしい。
話しかけられたシェリルはギルと目が合うと頬を赤らめた。
そしてすぐに青ざめる。
ギルの手には短剣が握られていて、その切っ先がシェリルの方を向いているからである。
ギルも私の護衛として貴族と接するのはこれが初めてだった。
穏和に対応するよう伝えておかなかったのは私の落ち度だが、もう手遅れなので仕方ない。
「彼らは私の護衛として私の意思を優先させるために、いつもこうやって強行手段をとってしまうのよ。だけど私には彼らを窘めることなんてできない。私は侯爵家の娘として、どんな形だろうと彼らの忠誠心を受けいれたいから。だからあなたには早く話すことをお勧めするわ」
私は真剣な表情で適当な言葉を並べ立ててシェリルを諭した。
死にたくなければ早く話しなさい。言うことを聞かなければどうなるかわからない。という警告はきちんと伝わっただろうか。
シェリルは私の顔とナイフを交互に見ながら狼狽えた。
「あっ、あのですね、私は将来聖女になる存在なので私が死んでしまったら魔王を浄化できる存在がいなくなってしまって大変なことになるので人類にとって大打撃というか人類の存続すら危ぶまれるのでそれだけはダメです絶対」
シェリルは混乱している。
酩酊したように頭をふらつかせながら矢継ぎ早に言葉を発した。
まるで酔っぱらいの戯れ言のような言葉。何の証拠もない。
だけどその発言が嘘であるという証拠もない。
「ギル、武器を収めなさい」
「承知しました」
ギルは短剣を懐にしまった。アワアワしていたシェリルは安心したように息を吐く。
聖女とは悪しき存在である魔王を浄化できる唯一の存在だ。
それがもしこの世からいなくなってしまったら、シェリルの言う通り大変なことになってしまう。
聖女の出現や魔王の復活については、教会の預言者が十年前────聖女がこの世に誕生した年にお告げを受けている。
シェリルは私と同じ十歳。
私はまだシェリルが聖女であるという確固たる証拠を得ていないが、彼女が聖女でないという証拠もない。
聖女が実際に現れるまでは、そんなものは存在しない。
私を含む十歳前後の子供は皆平等に聖女候補である。
「あなたはなぜ自分が聖女だと思っているのかしら」
私はシェリルに問いかけた。
虚言だと責めはしない。自分のことを聖女だと思い込んでいる少女の脳内が純粋に気になって仕方がない。
「それはお告げで……」
「聖女本人がお告げを受けることもあるなんて初めて聞いたわ。それなら教会に申告したの?」
「いえ……だってお告げを受けたからといっても何も証拠がないので証明のしようがなく……」
シェリルの言うことは尤もだ。
預言者になるのはなぜか必ず元々教会で地位が高い者であるらしい。そのためその言葉の信憑性は高く、お告げが外れたこともないらしい。
だが聖女となる人間は貴族だったり庶民だったり様々。
高位貴族ならまだしも成り上がり男爵家の娘が何の証拠もなく『私は聖女です』と言ったところで、信じるものは少ないだろう。
私は出会ってすぐにシェリルに言われた言葉を思い出した。
「あなたが聖女だというのなら『私が破滅する』というのはそれに関係することなのかしら」
そう尋ねると、シェリルは顔を明るくした。
「そうなんです。ガーネット様は闇の魔力を使って怪しげな組織と結託して聖女である私を殺そうとして、その結果大勢が死んでしまうんです」
「そう、だからあなたは私にあんなことを言ったのね」
「そうですっ!」
伝えたかったことが私にしっかり伝わったと思ったのだろう。シェリルは満足そうに笑いながら頬を紅潮させている。
しかし私の感情は冷めきっていた。
聖女が魔王を浄化する前に死んでしまうなどあってはならないこと。
どんな理由があったとしても、私が聖女を害するなんてあり得ない。それだけは断言できる。
「ねぇあなた、聖女の重要性を私が理解していないとでも?」
私はずいぶん低い声で、冷ややかな視線を向けて問いかけた。
聖女がどれだけ重要か。そんなことは絵本の読み聞かせによって幼児でも知っていること。
つまりシェリルは私が聖女に危害を加えるような浅はかな人間であると言ったのである。
シェリルはヒュッと息を呑んで顔面蒼白で震え、そしてまたアワアワと狼狽え出した。
「ひぃぃ……! 違います誤解です私はガーネット様を貶めるつもりなんてこれっぽっちもありません本当です信じてくださいぃ」
「それならなぜ私はあなたを殺そうとするのかしら?」
「それは……殿下とのことなどがいろいろあってですね、つまりその……」
「殿下? きちんと理解できるように説明してくれるかしら」
「はいぃっ!」
ゆっくり静かに命じると、シェリルは元気よく答えて背筋をシャキッと伸ばした。
シェリルが話す内容は、私たちが十五歳になり王立高等学園に入学してからのことだった。
そこでは私は第一王子のアレックス殿下と婚約しているらしい。
学園で聖女の力に目覚めたシェリルのことを、アレックス殿下は気にかけるようになる。
私は最初こそシェリルに優しかったがどんどん精神が病んでいってシェリルを苛めるようになる。
それは次第にエスカレートしていき、最終的にシェリルを殺そうとする。
アルマとギルはそれを止めようとして私に殺されてしまう。
周りにいた人間を何人も殺めた私は、シェリルや王子の護衛たちに捕らえられ、処刑されてしまう。
全く信じられない話だ。
作り話だとしても酷すぎる。
だけど不思議と必死に説明するシェリルが嘘をついているようには全く感じなかった。
(何らかの原因で私の精神が蝕まれてしまい、まともな判断ができない状態に陥ったとしたら……)
シェリルが真実を言っていることを前提とするならば、現状ではそれが最適解といえる。
それならまずは彼女が聖女である確信を得てから、私が病んでしまう原因を突き止めて、それから────
私は今後のことを思案しはじめた。
まだ半信半疑だが、シェリルは本当に聖女だという前提で動いてみることにするのもいいかもしれない。
それはとても楽しそうだから。
こんなにも意味不明な話をしてくる男爵令嬢にも興味が湧いてきた。
当分の間、この子をおもちゃにして楽しむのはいいかもしれない。
そう思ったら胸が高鳴る。
シェリルは不安そうな顔で私の顔をチラチラ見ている。
信じてもらえたのかどうか、気になって仕方がないようだ。
それからすぐに、ぐぅーーという音が響いた。シェリルは赤くなった顔を両手で覆って俯いた。
音の出所はシェリルのお腹らしい。
アルマとギルが小腹を満たすためにマフィンを食べているため、馬車の中には甘い匂いが漂っている。
お腹が鳴ったのはその匂いのせいだろう。
「お腹が空いているようね」
「……お恥ずかしいです。実はお昼ごはんを食べていなくて……」
「それならあなたも一つ食べるといいわ。ギル、渡してあげて」
「承知しました」
ギルが紙袋から取り出したマフィンを差し出すと、シェリルは満面の笑みで受け取った。
「ありがとうございます!」
シェリルはまるで小動物のように、小さな口でマフィンにかぶりつく。
アルマが水筒からカップに注いだお茶を差し出すと、それも嬉しそうに受け取って飲んだ。
つい今しがたまで私の顔色を窺って青くなっていたというのに。
そしてギルもアルマも、自分に凶器を向けてきた相手だというのに。
そんなことなどすっかり忘れたようにリラックスしている。
その図太さには感心すら覚えた。
(この子は見ていて飽きないわね)
馬車の窓から夕陽が差し込む中、アルマたちに『美味しいです』と笑顔を向けるシェリル。
彼女に聞きたいことはまだ沢山あるけれど、今日はもうじっくり話を聞く時間はない。
「パーミュラーさん……いえ、シェリルと呼ばせてもらうわ。あなたも私のことをセラフィーナと呼んで構わないわ。ねぇシェリル、このままあなたを家まで送っても大丈夫かしら?」
「っそれはとても助かります。よろしくお願いいたしますセラフィーナ様」
「明日は予定がおありかしら?」
「?? いえ、何もありません」
「それなら我が家に招待するわ。明日は迎えの馬車を出すからそれに乗ってきてちょうだい」
「私がセラフィーナ様のお家に……」
シェリルは食べかけのマフィンとお茶を持って固まった。
私はまだ彼女を信じるとも許すとも言っていないのだから無理もない。
見ていて飽きないので、信じることにしたというのはまだ黙っておこう。
「あなたにはまだ聞きたいことが沢山あるわ。明日ゆっくりお話を聞かせてもらえるかしら」
私は口の端を軽く持ち上げながら小首を傾げた。これはお願いではなく命令だ。
シェリルも拒否権はないということを理解しているようで、真顔で首を上下に何度も動かした。
その後は魂が抜けたようにぼーっと馬車の天井を見上げながら、それでも無意識にマフィンを食べている。
よほど空腹だったようだ。
ドーナツとマフィンの残りをお土産として持たせたシェリルをパーミュラー男爵家の前で下ろして、私たちは帰路に着いた。
「楽しそうですねお嬢様」
「だって可愛いおもちゃ……お友だちができたのだもの」
「遊ぶ気満々ですね。本当にあの子が聖女だった場合のことを考えてほどほどにしてくださいよ」
「もちろん分かっているわ」
わくわくしている私の気持ちは顔に出てしまっているようで、アルマとギルに胸の内を見透かされてしまった。
今日は一日とても楽しかった。今後の楽しみもできた。
私は素敵な気分で休日を終えることができた。