22、ヴィンセントは助けたい
俺がヴィンセント・セルレッタとして何不自由なく生きられたのは十歳までのこと。
四年前。
俺が乗った馬車は父が治める領地から近隣の町に向かう途中で荒くれ者たちに襲われた。
ただ運悪く襲われたのか、誰かの手引きによって襲われたのかは分からない。
俺の家は父が行方不明になったり叔父が家を乗っ取ろうとしたり、メイドの中に暗殺者が紛れていたりと、何かと問題を抱えていたからだ。
その日から俺の人生は一転した。
見た目の良い子供は高く売れるからと、隣国まで運ばれて闇市で奴隷として競りに出された。
俺はそこでマイルズという見た目は穏やかで人畜無害そうな中年男に買われることとなる。
マイルズは闇市で手に入れた違法魔道具を使い、俺に隷属魔法を施した。
俺はマイルズの命令には決して逆らえなくなり、また自分に関する情報を外部に漏らすことができなくなった。
外出の自由は与えられているが、必ず日が暮れるまでに帰ってくるようにと命じられている。
反発しようとしても、隷属魔法の力によって体の自由を奪われてしまう。
マイルズは小さな商店を営んでおり、表向きは真っ当な商人として生きている。
その裏では人身売買、違法薬物取り引きなど、様々な悪事に手を染めていた。
俺はマイルズの商店の下働きとして、マイルズが人畜無害に謙虚で誠実な真っ当な商人として生きるための従順な駒として働かされている。
マイルズが裏で悪事に手を染めていることが決して表に出ないように、裏社会の人間との取り引きがスムーズに行えるように、それだけのために俺は生かされている。
「はぁ……いつまでこんな生活が続くんだろ」
自室として与えられた物置のような薄汚れた部屋は地下にあり、窓から景色を眺めることもできない。
灰色に染まった毎日に嫌気がさすが、いつかきっと家族の元に戻れる日がくると信じてどうにか生きている。
日の光が差し込む窓はこの部屋にはないが、体内時計的に今はきっと朝だろう。
ベッドから起き上がると、無造作に伸びた黒髪を後ろで一纏めにする。身支度を軽く整えると、隣接する部屋に向かった。
鍵を開けて立て付けの悪い扉を開けるとギギギと音が鳴り、中にいた数人の幼子はこちらに顔を向けた。
ここには四歳から七歳ほどの子供たちが集められている。
部屋の中には家具が一切なく、冷たい石床の上に乱雑に並ぶのは、子供たちの人数分の薄い敷物だ。
俺は部屋の中に足を踏み入れると扉を閉めて鍵をかけ、身を寄せ合って膝を抱えている子供たちの頭を軽く撫でていった。
そして敷物の上で横たわって寝息をたてる幼子の前で膝をついた。
痩せ細った体には傷一つなく、スースーとリズムよく寝息が聞こえてくる。
「もう大丈夫そうだな」
栄養状態は良好とは言えないが、命の危険は脱したようだと息を吐く。
昨日まで幼子の体にあったひどい火傷は、治癒ポーションのお陰ですっかり消えた。
全身を襲う痛みと高熱から解放された幼子はその後もぐったりしていたが、一晩寝てどうにか回復したようだ。
この店の店主は昨日の午後にクレーマー気質の嫌な客の応対をしたらしい。癇癪の捌け口として煮え湯を頭から浴びせられた幼子の命が助かったのは、薬屋で出会った女神のような少女のおかげだ。
長いプラチナブロンドの髪に赤い瞳の美しい少女は、どこからどう見ても貴族のお嬢様といった高貴な出で立ちだった。
そんな少女が素性も明かさない不審な男だった俺に手を差し伸べてくれて、手持ちの治癒ポーションを譲ってくれた。
俺は奇跡のような出会いに感謝せずにはいられない。
「必ずお金を返さないと」
俺は表向きはこの店の下働きという立場で、小綺麗な格好をさせられて、最低限の賃金を受け取って生活している。
それだけでは何年かかっても到底返せないと分かっているが、まとまった金が用意でき次第、あの薬屋に預けるつもりでいる。
少女に渡したブローチは、俺が自分自身を証明できる唯一の品だった。
決して失くさないように、誰にも奪われないようにずっと大切に持っていたものだが、あの時は無性にあの子に託したい気持ちでいっぱいになっていた。
「いつかまた会えるといいな……」
きっと叶わない。だけどこの掃き溜めのような生活の中で小さな願いを抱けることは、今の俺にとってかけがえのないもののように思えた。
それから一週間後。
俺は日の出と共に商店の裏口前についた馬車に子供たちを乗せていた。
どこに向かうかは知らされていない。
ただ目的地まで子供たちを送り届けるのが俺に課せられた仕事。
目的地がまともな場所でないことは分かりきっている。この子たちはきっとどこかに売られるのだろう。
それでもこの子たちが少しでも長く生きられるように、少しでも今よりまともな生活を送れるようにと祈った。
粗悪な馬車に揺られて辿り着いたのは町外れの廃れた教会。
内部に入ると地下に行くように命じられて、子供たちを引き連れて暗い階段を下りていった。
地下には十メートル四方の広い空間があり、低い天井に埋め込まれた魔道ランプがぼんやりと光っている。
部屋の中には数名の成人男性と数十名の幼子がいた。
部屋の中央には俺を隷属させているマイルズの姿。
マイルズは丈の長い黒いローブを羽織り、首や手首には大粒の石や骨に紐を通したような趣味の悪い飾りをいくつも着けていた。
異様な格好をしているが、この場では彼が一番立場が上なのだと思わせるような佇まいだ。
「ヴィンセント、子供たちをここに連れてきなさい」
マイルズに命じられるまま、俺は子供たちを部屋の中央に行かせた。
この部屋に集められた子供たちはそれぞれ決められた位置に立つよう言われ、全員で輪になるように向かい合って立った。
子供たちは全員肩をすくめながら青白い顔をしている。
言うことを聞かなければ暴力を振るわれると知っているから、逃げ出そうとする子はいない。
「ヴィンセント、儀式が無事に終わるまで壁際で待っていなさい」
俺は命じられるまま行動する。
マイルズとその他の男たちは子供たちを囲むように立ち、呪文のような言葉をブツブツ呟きはじめた。
程なくして部屋の中央の地面がうっすらと赤黒く光る。
子供たちを囲むように直径三メートルほどの円があり、その中には大小様々な円と紋様がびっしり描かれていて、それら全てがじわじわと、インクが染みていくように赤黒い光を帯びた。
(これは……魔法陣!?)
魔力を帯びて赤黒く光る魔法陣からは、ピリッと肌を刺すような邪悪な気配が漂っている。
紋様から赤黒い煙のようなものが螺旋状に上がり、子供たちの足に絡み付いた。
「────ひっ」
「っっ……!」
恐ろしすぎて声が出ないのだろう。子供たちは誰一人として騒ぐことなく、ただ恐怖に震えた。
マイルズたちが今から何を始めるつもりなのかは分からないが、子供たちを逃がすべきだと本能が告げる。
ここにいてはいけない。早く逃がさなければ。
子供たちをここから遠ざけなければいけない。
心では強くそう決意しているのに、部屋の中央に向けて足を踏み出せない。
俺は『儀式が無事に終わるまで』ここから離れることができない。そう命じられている。
(────クソッ)
待っているようにと命じられたため、足を動かせないでいる。
隷属魔法に縛られている自分にできることは何もない。ただ壁際で今から行われる何かを見ていることしかできない。
強く握った拳に爪が食い込んで血が滲む。
どうにかしてここから動くことができないかと模索する。
俺はマイルズに危害を加えることができない。
そして命令されたことには決して逆らえない。
(何か……何かできないか)
この場所から動かず、マイルズに傷を負わせることなく邪魔ができないかと模索する。
ふと足元に転がる瓦礫が目に入った。
ここは廃れた教会の地下ということもあり、壁がずいぶん劣化して下部が少し崩れていた。
俺は風魔法が使える。
床に転がる瓦礫を一つだけ風で浮かせ、マイルズの右側にいる男を目掛けて飛ばした。
瓦礫は男の側頭部に勢いよく直撃した。
男は呪文のようなものを唱えることを止めて、片手で頭を押さえながらその場に踞り、魔法陣の赤黒い光は少しだけ薄くなった。
俺は再び瓦礫を一つ風で浮かせて、マイルズの左側にいる男に狙いを定めた。
一度に複数飛ばすと命中率が下がってしまうため、こうやって一つずつ飛ばすことしかできない。
そうして瓦礫をマイルズの左側にいる男の頭に命中させると、男は気絶したらしく前に倒れた。
魔法陣の赤黒い光は更に薄くなる。
次。再び瓦礫を一つ風で浮かせて、マイルズの正面に立つ男に狙いを定めようとした時。
「ヴィンセント! 止めなさい!」
マイルズに命じられた俺は風魔法を解除した。持ち上げていた瓦礫がゴトリと床に落ちる。
マイルズと残りの男が詠唱を止めたことで、魔法陣の赤黒い光は完全に消えた。
マイルズは懐からナイフを取り出して俺に近づいてくる。
その顔は険しい。
俺は彼の張り付けた笑みしか見たことがなかったので、そんな顔もできるんだなと冷静に思った。
ナイフはきっと俺に振り下ろされる。
恐怖心はない。
儀式のようなものを邪魔したことで、こうなるであろうことは最初から覚悟している。
本当はマイルズ以外の男たち全員を気絶させたかったが、呪文のようなものを唱える四人のうち、二人を動けない状態にできた。
きっと今日はもうこの儀式とやらを中断せざるを得ないだろう。
俺にはこれ以上何もできないが、子供たちがここからどうにか逃げて、誰かに助けを求められることだけを願った。
「ヴィンセント! 貴様よくも我らが敬愛するお方に贄を捧げる儀式を邪魔してくれたな」
マイルズは俺の右肩にナイフを突き刺した。
ナイフを握る彼の手には強い怒りが込められており、力が緩むことなくナイフの刃が俺の肩に食い込んでいく。
「────ッ」
痛みに耐えながら後方に目をやった。
子供たちは放心状態で突っ立っており、その近くにいる男は困惑した表情でマイルズの背中を見つめている。
マイルズが俺に怒りを向けている間に、子供たちだけでどうにか逃げてくれないだろうか。
「ックソッ、せっかく苦労して上位種の魔物の血を手に入れたというのに、また一から魔法陣を描かなければいけないではないかッ」
マイルズの口ぶりから察するに、儀式が中断されたことで全てが無駄になり、新たに魔法陣を描くところから始めないといけないようだ。
思わず笑みが溢れてしまった。
それがマイルズの逆鱗に触れたらしく、俺の肩からナイフが抜かれて、頭上から振り下ろされようとしていた。
あぁ、これはさすがに死ぬやつだ。
死にたくないが後悔はしていない。
このままずっと、この男に命じられるまま死んだように生きていくくらいなら、少しでも人の役に立って人間らしく死ねる方がいい。
(だけどせめて、あと一度くらいはあの少女に会いたかったな)
静かに目を閉じて、プラチナブロンドの髪の美しい少女を頭に思い浮かべた。
一度しか会ったことのない少女。名乗りすらしなかった俺が今ここで死んだところで、彼女がそれを知ることはない。
貴族からすれば、治癒ポーションを誰かに無償で提供したところでさほど痛手にはならないだろう。
俺が渡したブローチの存在も、いつかそのうち忘れ去られる。
それでも彼女に渡せて良かった。彼女がブローチのことを思い出す時に、ついでに俺のことも思い出してくれたらいいなと思った。
「────ぎゃあぁあぁぁッ!」
すぐ耳元で汚い雄叫びが聞こえた。次いで地面にカランと何かが落ちる音。
せっかく美しい記憶だけを思い浮かべながら死を待っていたのに、余計なノイズに邪魔された。
不快な気持ちで目を開けると、俺の足元でマイルズが呻きながら踞っていた。
彼の右手から血が流れている。
これは一体、どういう状況だろう。
遠くから鈍い音が聞こえて目をやると、子供たちの近くにいた男が地面に倒れていた。
その横にはいつの間にか女性が立っている。
赤髪を左右で緩く編み込んでいる見覚えのある女性だ。
「ヴィンセント、私を守りなさい」
踞っていたマイルズが女性の方を見ながら叫ぶ。
俺は命令されるがまま、マイルズを守るようにして彼の前に立った。
部屋の入り口付近から足音が聞こえて目を向ける。
そこにはプラチナブロンドの髪の少女と藍色の髪の長身の男性がいた。
少女は俺に近づきながら話しかけてくる。
「こんにちは。私はそこにいるマイルズさんに用があるのだけれど、そこをどいてもらえるかしら」
「......すみませんが、俺はその申し出を受けることができません。どうか力ずくでどかしていただけないでしょうか」
「マイルズさんにそう命じられているのね」
「……」
俺が何も答えられないでいると、少女は両手から黒い靄のような何かを放出させた。
それが俺に向けて放たれたところで、俺の視界は全て黒に染まった。
何も音が聞こえない。
目も口も手も、上半身が1ミリも動かせない。
必死に耐えていた肩の痛みは今は何も感じない。
よく分からない状態だが、俺がマイルズに命じられて少女を傷つける心配は今のところはなさそうだということだけは分かった。
(何でこの子がここにいるんだろ……子供たちを助けるために来たのかな)
マイルズによって頭上からナイフが振り下ろされようとしていた瞬間、死を覚悟して目を瞑っていたためきちんと見ていなかったが、マイルズとその仲間の男を攻撃したのは赤髪の女性だろう。
それならこの少女はマイルズの敵ということになる。
そうなるとマイルズの手下のような存在である俺も少女の敵ということになるが、まぁそれは仕方ない。
あと一度くらいは会いたいという願いが叶ったことがとにかく嬉しい。
この少女に殺されるなら悪くない。
フッと気持ちが軽くなり、子供たちをどうにかして守らなければいけないという緊張感もなくなって、そうして俺の意識は遠のいた。




