21、セラフィーナは出会う
学園が終わって放課後になると、私はアルマとギルと一緒に町にやってきた。
学園のサロンで出す紅茶やスイーツなどの買い付けはいつも当家の使用人に任せているが、魔法誓約書やポーションといった高額商品は私が直接店に出向いて購入している。
魔道具店に行き、懐に忍ばせておくための魔法誓約書を補充してから、行きつけの薬屋に足を運んだ。
ここは質のいいポーションを取り扱っているため、腕の立つ冒険者などに人気の店だ。
今はちょうど客がいないタイミングだったらしく、店内に客は私たち三人しかいない。
販売カウンターで顔馴染みの店主から魔力回復ポーションと治癒ポーションを必要数注文した。
ギルが支払いを済ませてアルマが紙袋に入った商品を受け取る。
用事を終えて帰ろうとした時、店の扉が勢いよく開いた。
ギルとアルマはごく自然な動きで私の前に立ち、警戒を強めた。
店に入ってきたのは私と同じ年頃に見える黒髪の少年。
長めの髪を後ろで軽く纏め、細身で背が高く、ダークグレーのズボンに白い襟つきシャツ、ループタイ、艶のある革靴といった綺麗な身なりをしている。
ここまでかなり急いで走ってきたようで、開けた扉に手でもたれかかりながら肩で息をしている。
「────っ、お願い、ですっ、治癒ポーションを、売ってください」
息も絶え絶えに紡ぎ出された言葉には気迫が混ざっている。
ようやく顔を上げて店主を見つめる瞳は澄んだ青。
どこまでも真っ直ぐで濁りのない美しい瞳だ。
「手続きはこちらにどうぞ」
店主に促されて、少年はカウンターに歩み寄った。
何となく成り行きが気になった私は店内に留まることにした。商品棚に置かれた商品を見るふりをしながら、店主と少年の会話に聞き耳をたてる。
少年は懐から小さな革袋を取り出すと、カウンターに銀貨と銅貨を数枚並べた。
「これで治癒ポーションを一つ、どうかお願いします」
必死さが窺える声に店主は動じず、首を横に振った。
「残念ですが、これっぽっちでは前金にすらなりません」
「っ、そこをどうかお願いします。不足分はいつか必ずお支払いしますから、どうか」
「そう言われましても……君、保護者は? 名前と住所を言えますか」
「俺はヴィ────……ッ」
少年は何かを言いかけたがすぐに止め、歯をギリリと鳴らして口ごもる。
険しい顔で黙り込んでしまった少年に、店主はあからさまにハァと息を吐いた。
「身分すらはっきりしない相手には、そもそも貸付けすらできない決まりになっています」
「……」
少年はしばらくの間、無言で俯いた。
店主の言葉に何も返せないようだ。
しかし急に何かを思い立ったように勢いよく前を向いた。
「それでしたら、この体の一部を売ります」
「はぁぁ?」
「目玉や指などは高く売れるのでしょう。どの程度売ればポーション一本分に相当しますか?」
「いや、君ねぇ、それはさすがに」
「はい。さすがに両目両手がなくなってしまうと不便すぎるので、いろんな箇所を片方ずつでお願いします」
「ちょっ、待て待て、落ち着いて────」
「落ち着いてなどいられません。急を要するんです。どの箇所をどれだけ必要かお答えください」
少年は必死の形相で正気とは思えない交渉を持ちかける。
店主は丁寧な言葉遣いを忘れるほど押されていたが、コホンと咳払いをして仕切り直した。
「ここでは人体を切り売りすることはできません。そもそもそれは国に認められていない違法行為です」
「そんな…………」
少年は青白い顔でよろけて、後ろに一歩下がった。
断られるとは思っていなかったらしく、絶望的な表情を浮かべている。
店主はやれやれといった様子で息を吐く。これで諦めてくれるだろうとホッとしているようだ。
しかし少年は意を決したように懐から何かを取り出すと、強い眼差しを店主に向けながら、その何かをカウンターの上に置いた。
ゴトリと重量感を思わせる音を立てて置かれたそれは、宝石がついたブローチだった。
繊細な銀細工に、店内の照明を受けて青や紫に輝く宝石。少し離れたところから見ていても価値のあるものだと分かる代物だ。
「これをお売りします。ですからどうか」
「……これはずいぶん立派なものですね」
店主はブローチを見るために下方に視線を移したが、しっかり観察することなくすぐに視線を上げた。
「残念ですが、こちらを買い取ることはできません」
「っなぜですか!?」
「これが君のものだと証明できますか? 君は自分の身分すら私に明かしていない。そのような者からどう見ても高価なこれを買い取るなど、リスクでしかありません」
「っ、それは……」
少年は口ごもってしまった。
どうやって入手したものか分からない。盗品である可能性の方が高く感じられるものを買い取れないのは、至極当然のこと。
少年もそれを理解したらしく、血が滲むほど唇を強く噛みしめた。
悲痛な表情を前にしても店主は毅然とした態度を崩さない。
身分の提示という最低限のやり取りすら成り立たない相手と取り引きできないのは当然だろう。
一連のやり取りをしっかり見届けた私はフムと考えて、少年に歩み寄った。
「ねぇあなた。私と取り引きしましょうか」
急に右からかけられた声に反応して、少年は大きく首をこちらに動かした。澄んだ青い瞳と目が合う。
「ギル、一本出してちょうだい」
「承知しました」
ギルは少しも躊躇することなく腕に抱えていた袋から小瓶を一つ取り出すと、私に手渡した。
アルマも平然としながら顔に笑みを浮かべている。
彼らは私が命を落とすほどの危険に身を置く可能性がない限り、決して私の行動を諌めることはしない。
「この治癒ポーションをあなたに譲りましょう」
少年は目を丸くした。
見ず知らずの相手から急に声をかけられて、まともに会話することなく治癒ポーションを差し出されるという状況に頭が追い付いていないようだ。
しばらく呆然としていた少年は、ようやく状況を理解したらしく口を開いた。
「っ、ですが俺は君に料金を支払えません。先ほどまでのやり取りを見ていたのでしょう?」
「半年後でも一年後でも、もっと後でも構わないから、いつか返してくれるならそれで大丈夫よ。お金が用意できた時にこの店に預けてくれればそれでいいわ。もちろん書面で契約を交わす必要もないから安心してちょうだい」
普通ならあり得ない取り引きだ。高価な治癒ポーションをただ同然で差し出しているようなものなのだから。
少年は躊躇いながらもゆっくり右手を前に出し、差し出された小瓶を受け取った。
それを胸の前で大事そうに抱えながら、私の顔をしっかり見据えた。
「ありがとうございます。このご恩は必ず……いつになるかは分かりませんが、必ず」
少年は涙ぐみながら喉の奥から言葉を絞り出し、治癒ポーションをそっとポケットに仕舞った。
そのままカウンターの上のブローチを掴むと、両手で私に差し出してきた。
「お返しできるその時まで、これを預かっていただけないでしょうか。決して盗品などではなく俺自身の持ち物です。証明はできませんが、嘘偽りない真実であると心から誓います」
「これは大切なものなのでしょう?」
少年は自分の体の一部を売ろうとしていた。それが無理だと分かり、渋々といった様子でこのブローチを取り出していた。
本当に少年の持ち物なのかは定かではないが、何よりも大切にしている品だということだけは明らかだった。
「とても大切なものです。だからこそ君に渡したい。このご恩を忘れないために、必ずお金を返すその時まで、どうか預かっていただきたいのです」
少年の青い瞳からはどこまでも誠実さが感じられる。差し出されたブローチの宝石よりも美しい。
「分かったわ。大切に預かっておきます」
「ありがとうございます。では俺は急ぎますので失礼します!」
少年は勢いよく頭を下げて、店から出ていった。
私とアルマ、ギルもすぐに店内から出る。少年の背中はもうずいぶん遠ざかっていた。
「アルマ、今日は夕暮れ時まであの少年を監視してくれるかしら」
「承知いたしました」
アルマは少年を追うようにして雑踏に消えた。
「お嬢、一目惚れですか」
「ふふ、そう見えたのかしら」
隣からかけられた軽口に笑顔で答えると、ギルはフムと考えるように顎に手を添えた。
「そうですね……そう見えなくもなかったような、何となくそう感じたような……? それで、彼の何が気になったのですか?」
「あの少年は私と同じ年頃だったわ。ギルには彼がどんな生活を送っているように見えたかしら」
「店主とのやり取りから察するに訳ありでしょうね。あのような身なりですから浮浪者ではないと思いますが……あぁ、なるほど」
顎に手を当てて考えながら歩いていたギルは、指先をピンと立てた。
「そう、貧しかったとしても真っ当な生活をしているのなら自分の名前と住所が言えないとおかしいわ。身寄りがないのなら、あの年ならまだ養護施設にいるはず。すでに働いていたり冒険者として一人立ちしているなら、身分証を提示できるはずでしょう」
「あー……それはつまり、そういうことですか」
ギルは少年の置かれた立場を察して、不快そうに眉根を寄せた。
私は先ほどまで対話していた黒髪の少年を頭に思い浮かべながら話を続ける。
「私には彼が誠実な少年にしか見えなかった。そんな人がもし裏社会に身を置いているのだとしたら、それはきっと不本意で、彼の身近にはずいぶん性根の腐った大人がいるのではないかしら」
「楽しそうですねお嬢。暇潰しですか?」
「ふふ、腐った組織をこの町から消し去れたら素敵でしょう。それにもしかすると、私が探している組織の手がかりが見つかるかもしれないわ」
「そうだったら最高ですね。違ったとしてもこの上ない慈善活動ができますし」
「ええ。アルマの報告が楽しみだわ」
優秀なアルマが少年の住む場所を突き止めるのは確実で、あとはどんな情報を仕入れてくるかによって、私たちの今後の動きが決まる。
少年に何の確認もなく彼が世話になっているであろう場所を潰すつもりでいるが、きっと問題はない。
あんなに誰かのために必死になって治癒ポーションを手に入れようとした少年は、近くにいる大人を頼ろうとしなかった。
そんな人間など居なくなってもきっと困らない。
「彼は間に合ったかしら。大切な誰かが助かるといいのだけれど」
「そうですね。まぁその誰かが潰す組織の一員だとしたら、結局また治癒ポーションが必要な事態に陥るのですけどね」
「そうね。そうならないことを祈りましょう」
ギルと二人で朗らかに話しながら町を歩く。
私は決して善人ではない。だけど必死に交渉する少年を見ていたら、手助けになりたいという気持ちが自然と沸き上がってきた。
少年と、彼が助けたかった誰かがこれ以上辛い目に合わなくて済む未来がくることを願った。
ギルと二人で帰宅した数時間後に、アルマが偵察から戻ってきた。
「どうだった?」
「少年はとある小さな商店の裏口に入っていきました。閉店準備をする時に少しだけ表に顔を見せて店主と交流し、その後は建物の外に出てくることはありませんでした」
アルマの情報によると、その商店は輸入品を扱う小規模な店らしい。
店主はマイルズという名前の茶髪に茶色の瞳、眼鏡をかけた中肉中背の中年男性。どこにでもいるような風貌の、一見無害そうな男だという。
「ごく普通の真っ当な店で、真っ当な店主の下で下働きをしていました」
「そう。その店主も含めて明日も引き続き情報を集めてくれるかしら」
「承知いたしました。ところでお嬢様はあの少年に一目惚れしたのでしょうか?」
「ふふ、アルマまでそういうことを言うのね」
自分ではそんなつもりはないのに、そんな風に見えたのだろうかとおかしくなった。
少年とはきっと、近いうちにまた会えるだろう。
早くその日が来たらいいな、その時は笑顔が見られるだろうかと楽しみになる。
預かったブローチは大切に持ち歩こうと決めた。




