2、セラフィーナは捕まえた
ガーネット侯爵家の娘である私、セラフィーナは、王都の町を散策しながら休日を目一杯楽しんでいた。
一緒に行動しているのは私の専属護衛のアルマとギルの二人。
彼らは私を守る役目を担っている。
二人とも町に溶け込むような落ち着いた色味のシンプルな服装だ。
ギルは普段は長剣を携えているが、今日は懐に短剣を隠し持っているだけ。
アルマは短剣すら所持していない。
二人とも武術、魔法の腕が確かなので、武器などなくとも身一つで護衛として申し分ない。
私の父はこの国の宰相だ。
国王陛下の右腕のような存在で国内外に敵が多数存在する、
娘である私は幼い頃から何度も拐われそうになったり暗殺者に命を狙われたりしてきた。
そのため外出する時は必ず護衛と一緒に行動している。
アルマとギルは私に忠実な護衛だ。
私は現在、庶民に扮して町を楽しむという遊びをしていて、彼らはそれに付き合ってくれている。
私は雑貨店の前で足を止め、花をモチーフにした淡いピンク色の髪止めを手に取った。
「アルマ、これは私に似合うかしら?」
「もちろんです。お嬢様に似合わないものなどこの世に存在しません」
「アルマ命令よ。本心を口にしなさい」
「あまり似合っておりません」
アルマは穏和そうな微笑みを浮かべたまま、きっぱりと言い切る。
私は可笑しくて笑ってしまった。
それでは他のものはどうかとアルマと一緒に商品を見ながら話していると、後方で見守っていたギルが頭上から覗き込んできた。
「お嬢にはこっちの方が似合うのではないでしょうか」
彼は青い髪止めを手に取ると、私の髪に軽く添えて口角を上げた。
「良いですね」
泣き黒子のある垂れがちの目を細めて満足気なギルの色気に当てられて、周りにいた女性客が頬を染めた。
ギルは見目がいいため女性によくモテる。
「アルマはどう思う? 本心を口にしなさい」
「よくお似合いです」
「それならこれを買うことにするわ」
財布を持っているギルに会計を済ませてもらい、髪止めをさっそく着ける。
これで庶民感がアップしたことだろう。
「ありがとうカンナ。また来るわ」
「ええ、楽しんできてくださいませお嬢様」
雑貨店の店主は以前は私の護衛をしていた女性だ。
挨拶を交わして店を出て、次の店に向かうことにする。
大通りを歩いていると隣のアルマがぼそりと呟いた。
「誰かにつけられています」
「そう。どんな人か気になるわ。確認してきてちょうだい」
「承知いたしました」
誰かに跡をつけられることなど日常茶飯事なので、特に驚きはない。
今回はどんな人物だろうか。
興味本位で観察してくる町の子供か、私に取り入ろうとしているどこかの貴族か、いかがわしいことをするために少女を狙う変態か、はたまた暗殺者か。
どのパターンもすでに経験済みだ。
もちろん私に危害が加えられないように護衛たちが守ってくれるので、心配はしていない。
アルマは確認のため、私から離れて人混みに消えた。
「暖かくなってきたことだし、変態の類いかしら」
「暗殺者は先週来ましたし、変態の可能性は高そうですね。もしそうだったら殺しますか?」
「拘束して警ら隊に差し出すだけでいいわ。できるだけ穏便な対処を心がけなさい」
「承知しました」
私はギルと町の散策を続けながら、今回跡をつけてきているのはどんな人だろうとお互い意見を出し合って楽しんだ。
そして数分後にアルマが戻ってきた。
「お嬢様と同じ年頃の少女でした。桃色の髪でかなり整った容姿、裕福な家の娘といった風貌です」
「そう。心当たりはないわね。しばらく放置しておきましょう」
暗殺者ではなさそうなので、一先ず放っておくことにした。
そのうち飽きていなくなるだろう。
そう思っていたが、一時間が経過してもまだ跡をつけてくるようなので、再びアルマに様子を窺いに行かせた。
私はギルと一緒にお目当ての店に向かう。
「あそこが噂の店ね。もうあんなに並んでいるわ」
曲がり角を曲がって見えてきたのは、我が家のメイドから聞いて気になっていたスイーツ店だ。
すでに十人以上の列ができていたので、私たちは最後尾に並んだ。
侯爵家の力を使えば並ばずとも容易に商品が手に入るが、苦労して手に入れてこそ、より庶民の気分を味わえるというもの。
二十分ほど並んで、お目当てのドーナツとマフィンを手に入れた。
紙袋を抱えながら店から出て、達成感を味わえたことに満足していたところでアルマが戻ってきた。
「少女はお嬢様を食い入るように観察しながら『私にしか出来ないことだから、頑張らなきゃ』と何かを意気込んでいました」
「家のために私に取り入りたい貴族の娘かしら」
「捕らえて尋問しますか?」
「そこまでしなくていいわ。でもその子の素性は気になるわね。調べてきてちょうだい」
「承知いたしました。では、迎えの馬車がくるまでに戻ってまいります」
「よろしくね。……あぁそうだ、あなたにこれを一つあげるわ」
私は紙袋の中から小袋に入った揚げたてのドーナツを一つ取り出してアルマに渡した。
せっかくだから出来立ての美味しい状態を楽しんでもらわなければ。
「ありがとうございます。では」
アルマは感謝を口にしながらそれを受け取って、また人混みに消えた。
私はギルと一緒にベンチに腰かけてドーナツを食べることにした。
これこそ庶民の味、といった素朴な味を堪能する。
その後は広場で大道芸を眺めたりして、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
そうしてそろそろ家に帰らなければという時間になって、ようやくアルマが戻ってきた。
まだ私の跡をつけている少女について、アルマが仕入れてきた情報を聞く。
「そう、男爵家の子なのね」
その少女は領地を持たない成り上がり男爵の娘らしく、一年前に父親が叙爵され、数日前に田舎からこちらに引っ越してきたようだ。
少女は貴族の子息子女が通う王立学園には中等部から通う予定らしく、今は家庭教師から貴族としての最低限のマナーなどを学んでいる最中らしい。
「それじゃやっぱり、私と仲良くなる機会を窺っているのかしら」
「父親は堅実な商人で、野心家といったわけではないようです。少女の目的までは分かりませんでした。力不足で申し訳ございません」
「あなたは十分な情報を持ってきてくれたわ。ありがとう」
少女の外見特徴から素性を特定してきただけで十分な働きだ。私の護衛は多方面で優秀である。
今日はもう話しかけてこないのかしら、と残念に思いながら、私は侯爵家からの迎えの馬車を待つために、馬車乗り場の椅子に腰かけた。
「────お嬢、来ます」
ギルの静かな声かけで、私はゆっくり横を向いた。
こちらに近づいてくる桃色の髪の少女が目に入る。
肩上の長さのふわりとした柔らかそうな髪に大きな藍色の瞳。
(アルマから聞いていたけれど、想像以上に可愛らしい子ね)
私は高位貴族の娘として、生まれた時から美しい人やものに囲まれて育ってきた。
両親は美形で、私自身も美しい容姿であると自負している。
目の前の少女は美しいとは形容しがたいが、純粋な可愛らしさは私よりもこの少女のほうが上だと素直に思った。
「あっ、あのっ……! ガーネット様でお間違いないでしょうか?」
「ええ、そうよ」
「っっ」
私が笑顔で答えると、少女は着ているモスグリーンのワンピースをキュッと握った。
何か言いたいことがあるようだが、言葉が出てこないようだ。
少し待った後、少女は息を深く吸い込んだ。
「信じていただけないかもしれませんが、私にはあなたの未来が見えます。実はあなたは数年後に破滅する運命なんです。ですが私はあなたに不幸になってほしくありません。力に呑み込まれることのないよう、清く正しく品行方正に生きてください! そうすれば必ず破滅を防ぐことができると私は信じています……!」
目をぎゅっと瞑って最後まで一気に言い終えた少女は、はぁはぁと肩で息をした。
私は笑顔を保ったまま絶句する。
想像すらしていなかった言葉を投げかけられたのだから無理もない。
少女の意味不明な言葉を頭の中に反芻し、そうしてふつふつと殺意のようなものが湧いてきた。
見ず知らずの人から『あなたは将来破滅する』などと言われて不快にならない人はそうそういないのではないだろうか。
(二度と不快な言葉を発せられないように、私を不快にさせたことを骨の髄まで後悔させようかしら)
私が心に望むまま、この場でアルマとギルに命じるだけでそれは容易に叶えられる。
しかしここは多くの人で賑わう町。
通りすがりの人々が何事かと足を止めてこちらを見ている。
冷静にならなければ。
殺意を引っ込めてゆっくりと立ち上がる。
侯爵家の娘として、相手の言い訳くらいは聞いてあげる優しさを持たなければ。
「ここで話をするのも何だわ。続きはこちらで聞かせてもらえるかしら。さぁ、一緒にどうぞ」
「えっ……」
さすがにここで立ち話するような内容ではないため、場所を変えることにした。
ちょうど到着した迎えの馬車に乗るよう促したが、少女は返事をすることなく狼狽えている。
「アルマ」
名前を呼んで目で合図するだけで、アルマは私が望む行動に出てくれる。
アルマは少女に近づいた。
「お嬢さん、遠慮なさらずどうぞ」
アルマは少女の緊張感を解きほぐすように優しく声をかけた。
少女は返事をせずに唇を引き結んで固まっている。
アルマが一歩前に踏み出す。少女は一歩後ずさる。
そして少女の体がぐらりと後ろに傾き、アルマはそれを抱き止めた。
恐らくアルマが氷魔法で少女の足元を滑らせたのだろう。
二人の会話はよく聞き取れないが、少女は血の気が引いたように青ざめてカタカタ震えだした。
きっとアルマが氷の針で少女を脅しているのだろう。
もちろん周りの誰にも気づかれないように。
そういえばアルマは私のために貴族と接することは初めてだった。
殺意を向けて脅さないよう、表向きは穏和に対応してほしいと伝えておけばよかったと思ったが、もう手遅れなので仕方ない。
声を出せずに固まっている少女を一押しするため、私は少女の前に立つ。
「お家まで送らせてもらうわ、シェリル・パーミュラーさん」
「なぜ私のことを……」
「ふふっ、いつか学友になる同じ年頃の貴族の子供のことは知っていて当然よ」
まだ名乗ってすらいない少女に微笑みかけると、少女は瞳を輝かせた。
自分のことを知っていてくれて嬉しいようだ。
そうして少女は感動しているような恐怖を抱いているようなよくわからない表情をしながら、私と共に馬車に乗り込んだ。