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19、セラフィーナは森に立つ


 シェリルとアレックス殿下の仲は良好だ。

 良好すぎて時と場所を選ばず二人の世界に入ることが多々あるため、その度に私が二人まとめて注意を促すほど仲良しである。


 レナルドは相変わらずシェリルに熱い視線を向ける時があるものの、シェリルと殿下の仲を陰ながら支えていた。

 そこに悲愴感は全く感じられない。

 彼は想い人が幸せならそれで十分だというタイプの人間らしい。


(平和ね……)


 ここ一年ほど、平和そのものだ。

 シェリルのダンスはある程度上達した。私が男子生徒の制服を着ることはなくなり、アレックス殿下に嫌がらせができる貴重な機会を失ったことは惜しいが、十分嫌がらせができたので概ね満足している。


 私はまだ誰とも婚約していない。

 婚約の申し入れはいくつもきているが、今のところ惹かれる相手がいないため、顔合わせ以上の交流は誰ともしていないのが現状だ。


 婚約はそう焦ることでもないため気長に考えている。



 学園での二時間目が終わると、私はクラスメイトの令嬢たちと共に次の野外授業に向かっていた。

 外に出るために昇降口に向かう途中の渡り廊下で、前から走ってくる桃色の髪が目に入る。


「セラフィーナ様っ……!」


 シェリルは血の気が引いたような青白い顔で私に駆け寄ってきた。

 ただ事ではなさそうだとすぐに察して、私はシェリルと二人で人気のない場所に移動した。


 シェリルは肩で息をしながら必死の形相で口を開く。


「ついさっき『予感』がして、これから野外授業が行われる森で何かが起こりそうな気がして。もしかしたら魔物が大量に押し寄せてくるんじゃないかって、でもそんなの予定より一年も早いですし、そもそも魔物を操るはずのディアンちゃんが森にいないのに起こるなんて変ですよね。でも何か対策をしなければ大変なことになるかもしれなくて……」


 シェリルは固く握った両手を自身の胸に押し当てながら、小さな肩を震わせている。

 動揺しながらも必死に伝えてくれたことは理解できた。

 私はシェリルを落ち着かせるように微笑みかける。


「魔物が森の奥から一斉に出てくること自体は数十年に一度の周期で起こり得ることよ。だとしても落ち着いて対処しましょう。私は今からアルマに連絡をとってディアンをこちらに向かわせるわ。あなたは殿下とレナルドにも同じように伝えて、私の到着が間に合わなかった場合に備えてちょうだい」

「でも、もし違ったら」

「それならそれで何も問題はないわ。私たちは今できる最善を尽くしましょう」

「っはいっ!」


 シェリルはアレックス殿下たちがいるであろう方に向かって走っていった。


 私は誰も残っていない教室に戻り、鞄に入れていた通信魔道具を手に取る。

 魔力を流して少し待つと、アルマが持っている通信魔道具に繋がった。


「はい、こちらアルマです」

「セラフィーナよ。あなたは今ちょうどディアンと一緒にいるはずよね? ディアンを連れて急いで学園の裏門まで来なさい」

「承知いたしました」


 アルマは今日はディアンの散歩がてら森に行くと言っていた。ここからあまり離れていない場所だ。

 ディアンには常日頃からアルマの命令に従うように言い聞かせてある。


 本来なら森で魔物が押し寄せてくることは一年以上先に起こる出来事だ。

 ディアンをこちらに引き入れたからといって、その脅威が完全に消え去ったとは考えていないため、高等部になってから学園に隣接する森にディアンを棲ませるつもりでいた。

 そうすればいつ何が起ころうともすぐに対処できると思っていたからだ。


 しかしシェリルの予知夢で未来を知り、本来なら起こるはずの出来事をいくつも変えていっているのだから、想定どおりの出来事が起こらない可能性も考えておくべきだった。


 と、今はそんなことを反省している場合ではない。

 私はアルマたちを迎えるために学園の裏門までやってきた。

 ここは学園で掃除などの業務に携わる者や食堂関係者などが出入りするための門なので、馬車が行き交う正門とは違って人気の少ない狭い道に面している。


 そうはいってもセキュリティは万全で、屈強な門番数名によって守られている。

 学園の敷地内に入るにはボディチェックと身分証の提示が必要になり、生徒の関係者といえど事前申請がなければ中に通されない。


 そこで私は肝心なことに気づいた。

 ディアンは魔物だ。たとえただの犬のふりをしたとしても、私が勝手に学園の敷地内に入れることはできない。


 学園の敷地内に入らずとも森に入ること自体は可能だが、学園の野外授業が行われる場所まで行くためにはずいぶん遠回りしなくてはならない。


(ここに殿下を連れてくるべきだったわね)


 王族が命じれば大抵のことは大目に見てもらえるはずだ。

 急いで戻ろうと踵を返すと、こちらに向かって走ってくる金色の髪の男子生徒が目に入った。

 彼は私と目が合うと、端正な顔に笑みを乗せて右手を上げた。


「やぁ、私の助力が必要だろう」

「さすがです殿下。よろしくお願いいたします」


 アレックス殿下とレナルドはシェリルの予知夢のことや、私が黒い魔物を従えていることを知っている。


 こうやってスムーズに頼れることは正直とても助かる。

 早い段階でシェリルが聖女であることを彼らに知られたことには意味があったのではないかと思えてくる。


「もうすぐ女性と黒い狼のような魔物がここに到着する。彼らは私が招いたお客様だから決して攻撃することのないように」

「魔物ですと!? そんなものを招き入れて大丈夫なのでしょうか」

「よく飼い慣らされた利口な子だから問題ない。野外授業の特別ゲストとして急遽招き入れることになったんだ。全ての責任は私が負うことになっている。だからここを通すように」

「かしこまりました」


 殿下は裏門を守る者たちに命じた。

 数分後、赤髪の女性と大きな黒い生き物が走ってくる姿が目に入り、門番たちは身構えながらも腰の剣を抜くことなく招き入れた。


「お嬢様、お待たせいたしました」

「期待以上に早く来てくれてありがとう。さぁ行くわよディアン」

「ガウッ」


 私はディアンと共に森の方へ駆け出し、アルマと殿下も後ろに続く。

 辺りはとても静かで、遠くから生徒のざわめきや叫び声が聞こえてくる様子もない。


「間に合いそうね」

「ガルルル」


 私が独り言のように呟くと、ディアンはそれに答えるように低く唸った。ピンと立てた耳が小刻みに動いている。

 私はこの子と会話はできないが、何となく意志疎通が可能だ。


「もうすぐ魔物が来るのね。数は少ないかしら」

「ガルゥ」

「そう、とても多いのね」

「ガウッ」


 ディアンから現状を教えてもらったところ、かなりギリギリのタイミングだがどうにか間に合いそうだった。


 森の入り口は木々が少なく見通しのよい開けた場所になっている。野外授業はいつもそこで行っており、集まる生徒たちとその周囲を守る騎士たちの背中が見えてきた。


 本来ならそこは二、三体の魔物が現れる程度の場所であるため、魔物に慣れることを目的とした授業を行うのに適した場所だ。

 まさか今から低位とはいえ数百体の魔物が襲ってくるなどと誰も露ほども思っていないだろう。


「お嬢さま、シェリルさんと令息一名、令嬢一名が右方十メートル先の木の陰におります」

「分かったわ。あなたはシェリルの近くに控えていなさい」

「承知いたしました」


 シェリルはこのクラスの生徒ではないため、隠れて待機している。

 一緒にいる令息一名とはレナルドで、令嬢一名とは彼の知り合いの女生徒だろう。

 私たちの一つ上の学年には結界魔法に長けた女生徒がいるらしく、この場にいる生徒全員を守る結界を張ることなど造作ないとのこと。


 レナルド曰く、性格に難はあれど信用できる人物らしい。

 学園内で何か危険なことが起こりそうな時は、その女生徒の力を借りる予定でいると事前に聞いていた。


 いつも野外授業には生徒たちの護衛として騎士が五名いるが、今は八名いる。

 直前でできる限り人数を増やすように殿下が命じたのだろう。


 集まっていたクラスメイトは驚いた様子でこちらに注目した。

 使役した時よりもずいぶん大きくなったディアンは、大きな犬とも狼とも魔物とも判別がつきにくい見た目をしている。


「あの生き物は一体何かしら?」

「ガーネット様と殿下が連れてこられたのだから、危険な生き物ではなさそうだけど……」

「ずいぶん大きくて恐ろしい見た目をしているわ」


 疑問や恐怖の声が次々と聞こえてくる。

 そうこうしているうちに、森の奥、遠くの方から地面をけるような複数の音と獣の唸り声のようなものが聞こえてきた。


 私とディアンは森の方に足を進める。

 クラスメイトたちは私たちの進路の妨げにならないようにと、サッと左右に避けて道を作ってくれた。


 そうして私は先頭に立って森の奥を見つめる。

 遠くの方から小さな灰色の生き物たちが姿を現す。十、二十と目視できる数がどんどん増えていく。

 魔物たちはずいぶん広範囲からやってくるようだと、大きく左右を見渡して確認する。


 私の後ろにいるクラスメイトたちは殿下の命令で一ヶ所に集まり、レナルドに連れられて合流した結界魔法が得意だという赤茶色の髪の女生徒は、彼らを守るように大きな半透明の膜を張った。


 ディアンの力があれば、こちらに向かってくる魔物を全て退けることは可能だ。

 だけどただ退けただけでは、いつまた襲ってくるかも分からない。


 せっかくわざわざ向こうから来てくれるのだから、殲滅しておいた方がいいに決まっている。


「ディアン、見える範囲の魔物たちの動きを止めなさい」

「ガウッ」


 ディアンは前に駆け出して、大きく開いた口から咆哮した。

 魔力を乗せた鳴き声は木々の隙間を抜けて伝わっていき、見える範囲にいる魔物たちが動きを止めた。


 私はディアンの体に向けて黒い魔力を放つ。

 全身に私の魔力を纏わせることにより、その機動力と攻撃力は数倍に膨れ上がる。


 ディアンは疾風のように駆けていく。

 動きを止めた魔物たちを切り裂くたびに、ディアンの体を覆う黒い魔力がゆらりと揺れた。


 目視できるところまで魔物がやってくる度にディアンは咆哮し、魔物たちの動きを止めて確実に仕留めていく。

 ディアンの体に纏わせている黒い魔力の効果は永続的ではないため、効果が薄れないように私は何度も魔力を放った。


 両手から禍々しい黒い魔力を放ち、それを黒い魔物に纏わせる。

 そうやって繰り返す様はさぞ恐ろしく見えるのだろう。


「あんなに恐ろしい生き物を自在に操っているのか?」

「私たちがあの黒い魔力に触れたらどうなってしまうのかしら」

「怖いわ」


 後方から私に対する恐怖と忌避の声が耳に届くが、想定内の反応なので傷つきはしない。

 今は何を言われようとも相手にすることなく、ディアンを強化するために魔力を放ち続けた。

 魔力に余裕があるため、私も魔物に向けて攻撃性のある闇魔法をいくつも放ち、次々と仕留めていく。


 やがてディアン以外の魔物は全て地面に転がって動かなくなり、森の奥から何かが来る気配はなくなった。


 念のため、私はその場に膝をついて地面に両手を置き、感知魔法を発動させる。

 闇の魔力を遠くまで蜘蛛の巣のように張り巡らせ、もう何も襲ってくる心配はなさそうだと確認を終えた。


 私はゆっくり立ち上がり、後方に視線を向けた。

 ざわついていたクラスメイトたちは一瞬でしんと静まり返る。


「皆さんが無傷で済むように力を尽くしたというのに、ずいぶんな言い種が聞こえてきたわ。少しくらいは痛みを味わってもらった方が良かったのかしら」


 私は冷ややかな目で淡々と思いを口にした。

 クラスメイトたちは蒼白になったり、肩を竦めたり、ぶるりと体を震わせたり、頬を染めたりと、反応は様々。


 この場面でなぜ頬を染めるのか、その意味はここ最近理解できるようになったため疑問にすら感じない。

 何はともあれ怪我人を一人も出すことなく解決できたのだから、シェリルは喜ぶことだろう。



 翌日から、休み時間になると私にやたらと会いにくる女生徒が現れた。


 オーレリア・オルグレン伯爵令嬢。

 私の一つ上の学年で、赤茶色の髪に猫のようなオレンジ色の瞳をしている。

 彼女は森で魔物が押し寄せてきた時にレナルドから要請を受けて、結界魔法でクラスメイトたちを守っていた女生徒だ。


 彼女は初めて目にした闇魔法に心を奪われたらしい。


 その様子を近くで見ていたレナルド曰く、オーレリアさんは熱に浮かされたようにハァハァと荒い息を漏らしていたそうだ。


『何あれ。あれってもしかして闇魔法? 絶対闇魔法だよね。あんなに禍々しい黒は確実にそうだよね』

『うわぁぁすごい。あの黒い魔力に触れてみたい。触れたらどうなるんだろう。私にもあんな風に纏わせてくれないかな。気になるなぁ』

『あぁ研究したい。研究させてほしい。お願いしたら研究させてくれるかなぁ』

 などとずっと独り言を呟いていたという。


 三度の飯より結界魔法の研究が大好きオーレリアさんは、一度興味を引かれたものにはとことん入れ込む性格らしい。


「おはようございますガーネット様。今お時間よろしいでしょうか」

「ごめんなさい。次の授業の準備をするので今はお話しできないわ」

「そうですか……それでは次の休み時間は?」

「五分程度でよければ」

「っしゃ! では次の休み時間にまた来ます」


 オーレリアさんは令嬢にあるまじき声を上げて喜びをかみしめるように右手を強く握ると、軽やかな足取りですぐに帰っていった。

 そして次の休み時間に再び私の教室を訪れた。


「あの黒い魔力を間近で拝見してもよろしいでしょうか」

「ええ」


 開口一番に私の魔力を見たいと言うので、希望を叶えるべく教室の真ん中で黒い魔力を放出させた。

 攻撃性を持つ魔法ではないため危険性はないが、クラスメイトたちはざわついた。


 そんな中、窓際で立ち話をしていたアレックス殿下とレナルドだけがこちらに近づいてきた。

 オーレリアさんは黒い魔力に大興奮だ。

 私は魔力が蒸散しないように球状に留まらせて、オーレリアさんが観察しやすいようにする。


「触れてみてもいいですか。どうしても触れてみたいんです。いいですか? いいですよね?」

「ええ、問題ないわ」

「えいっ」


 オーレリアさんは私が許可するとすぐに、空中に浮かぶ黒い魔力の真ん中に勢いよく手を突っ込んだ。

 彼女の手首から先が黒に呑み込まれて見えなくなる。


「へー、こんな感じかぁ」


 何を感じ取っているのかは不明だが、オーレリアさんは独り言のように感想を呟きながら楽しんだ後、私の魔力に突っ込んでいた手を戻した。


「ちょっとだけ持っていっていいですか。これだけなので全く問題ないですよね? ね、ね」


 何のことを言っているのか分からずオーレリアさんの手に視線をやると、そこには3cmほどの立方体が載っていた。

 表面は半透明の厚い膜、中は黒いもので満たされている。


「これは……私の魔力?」

「そうです」

「へぇ。こうやって魔力を持ち運びしようとする人は初めて見たよ」

「俺も以前持っていかれたことがあります。これは彼女の趣味みたいなものかと」

「知らないものを欲しくなるのは当然です。だから良いですよねガーネット様。これっぽっちなら何も問題ありませんよね? ね、ね」


 アレックス殿下は立方体を興味深そうに眺めている。レナルドは見慣れた光景のようだ。

 オーレリアさんは私がまだ了承してもいないのに立方体をポケットに入れた。

 こんなに堂々と図太い人に会うのは久しぶりで、胸が高鳴る。


「ええ。構わないわ。その程度ならいつでもどうぞ」

「っしゃ! ありがとうございます。ではまた」


 オーレリアさんは右手を強く握って喜びを露にすると、簡単な挨拶をしてさっさと教室から出ていった。


「愉快な人でしたね。それに結界魔法をあんな風に使う人は初めて見ました」

「私の専属護衛に結界魔法の使い手がいるが、結界を長時間維持することは難しいと言っていたよ」

「彼女はあの程度のサイズなら数十分は維持できるらしいです」

「私の魔力を持っていって何をするつもりなのかしら」

「あぁ、それは……」


 レナルド曰く、オーレリアさんは属性ごとに性質が違う魔力を分析することが好きらしい。

 いろんな属性に触れて性質を知ることで、結界の強度を高められるという。


「私の魔力を分析することで、彼女の結界魔法は闇魔法に対する防御力が強くなるということかしら」

「恐らくそうかと」

「そう……」


 そうと知っていれば魔力を渡すことに慎重になったのにと、少しだけ後悔する。

 私とオーレリアさんが敵対する理由はないけれど。


(……敵、敵か)


 そこでふと、私はあることを思い立った。


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