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15、レナルドは目覚めた

 

 俺、レナルド・ネヴィルは侯爵家の次男だ。


 父は王立騎士団の団長をしている。

 俺も騎士団の見習いとして、平日は学園が終わってから家で自己鍛練し、休日は騎士団の訓練に参加することが多い。


 この国の第一王子であるアレックス殿下とは幼なじみで、幼少期からずっと仲良くしている。

 もちろん殿下の方が身分が高く尊ぶべき存在だが、お互い言いたいことを言い合える関係だ。


 セラフィーナ・ガーネット侯爵令嬢とは初等部からずっと同じクラスだが、仲が良いわけでも悪いわけでもない。


 王立学園では男女が混ざって交流するということがあまりなく、男は男同士で集まり、女は女同士で集まって友情を深めていくといった感じだ。


 自ら茶会を開いて気になる異性を招くような人もいるが、俺もガーネットさんもそういったことをしないタイプなので、中等部に入学した今でも、挨拶以上の話は滅多にしない関係だ。


 ガーネットさんに密かに想いを寄せている令息は多い。

 プラチナブロンドの髪に赤い瞳は珍しく、ただでさえ人目を引く色合いなのに、完璧な顔の造形も相まって女神のように崇められている。

 あまりに美しすぎるため容易く声をかけられないと、男子生徒は遠くから眺めているだけだが。


 ガーネットさんは同じ年頃の令嬢たちの中で一番地位が高く、沢山の令嬢たちに囲まれて優雅に微笑む姿をよく目にする。


 令嬢たちはいつもガーネットさんを中心にして盛り上がっているが、よくよく観察するとガーネットさんはあまり発言をしておらず、相づちを打っているだけのことが多い。


 それでも口を開くときはどこか達観したような大人びた言葉を紡ぎだす。見た目の美しさと雰囲気も相まって、発言に重みが感じられる。


 どれだけ多くの人間に囲まれていても、彼女一人だけ一歩下がったところから静観しているような不思議な人だ。


 誰にでも優しくおおらかだが、そう見せかけているだけで本当は誰にも興味を持っていないような、そんな空虚さが感じられる。


 とんでもなく綺麗だけど人間味が感じられない人。

 そんなガーネットさんが男爵令嬢を虐めているという噂が耳に入った。


 その男爵令嬢は貴族になってまだ三年目らしい。

 今年の新入生にずいぶん可愛い子がいるらしく、入学してすぐにいろんな令息と仲良くしだしたなどと噂になっている人物だった。


 その男爵令嬢は少し前から一学年上の令嬢たちと一緒に昼食をとるようになったらしいが、そこでガーネットさんがその令嬢たちに向かって意味深な発言をしたという。


 直接的な言葉ではなかったらしい。

 だがその場で聞いていた誰もが『シェリル・パーミュラーは私が従えるのだから、邪魔することは許さない』といった意味に解釈したという。


 あのガーネットさんが人前でそんな風に捉えられるような危うい発言をするなんて信じられなかった。

 彼女はいつもどのような時も、その場にいる誰よりも強い存在感を放つ反面、誰よりも透明な存在だ。


 ガーネットさんは何にも染まらない。

 どんな悪意にも穢されることのない気高さを持ち、彼女自身も悪意を放つことはない。


 だから信じられなかった。だがそれと同時に、やっと彼女が夢中になれる存在が現れたのだろうかとも思った。


 誰に対しても興味がなさそうな美しすぎる微笑みを崩さないガーネットさんが誰かに興味を抱いたとしたら、その人物は決して逃げられないような気がする。


 ガーネットさんはきっとその男爵令嬢を虐めてなどいないだろう。

 虐めなんかよりもっと純粋で清らかで、どこまでも質が悪い何かで繋いでいるのではないだろうか。そう思わずにはいられない。


 真実はどうあれ、悪い噂が流れていて、その噂の男爵令嬢は食堂で俯きながらガーネットさんに従うように後ろを歩いている。


 俺は昔から曲がったことが大嫌いで、誰かが不当に傷つけられることが許せない。困っている人には手を貸さずにいられない性分だ。

 確かではない悪い噂は、きちんと事実確認をしないと気が済まない。


 幸いにも侯爵家の息子という高い身分を持っているため、相手が王族でない限りは強気に出られる。

 今回の相手は俺と同じ侯爵家という高い身分を持つ令嬢なので、もし本当に非道な行いをしているなら、この学園には俺かアレックス殿下くらいしか彼女を諌められる人間はいない。


 そういうわけで、昼食時にガーネットさんとパーミュラーさんの席を訪れて声をかけた俺は、パーミュラーさんの前に置かれている食事を見て顔をしかめてしまった。


 彼女の前には男の俺でも食べきるのが難しそうなほど大量の食事が並んでいたからだ。


(無理やり食べさせているという話は本当だったか……)


 目の前の真実に愕然とする。

 俺はガーネットさんの加虐心に火をつけてしまったらしい男爵令嬢に目をやった。


 間近で顔を見るのは初めてだ。しかしなるほど、噂になるのは納得しかない愛らしい容姿をしている。


 桃色の髪に大きな藍色の瞳。庇護欲をそそられるような容姿だ。

 ガーネットさんがこの子を虐めてみたいと思ってしまったのは無理もないかなどと納得し、それならもうこの子を助けるためにはアレックス殿下に力添えしてもらうしかないんじゃないかなと、すでに諦めモードに突入した。


 しかし、声をかけた以上はきちんと確認しておかなくては。全く無意味だとしても。


「ガーネットさんが男爵令嬢を虐めていると耳にしたのだが、本当か?」

「ずいぶんおかしな噂が広まっているようだけど、私はそんなことはしていないわ」


 ガーネットさんからは俺が想像していた通りの微笑みと回答をもらった。

 しかしその後に続く言葉は意外なものだった。


 疑惑があるのならすぐ近くで確かめる方が早いだろうと、今日の放課後に開く茶会に同席したらどうかと提案された。


(何を企んでいるんだ?)


 彼女の意図は掴めないが、声をかけたこちら側には断る理由がない。

 せっかく誘いを受けたのだから、茶会とやらに参加して見極めてやろうではないかと半ばやけくそで了承した。


 そして放課後。俺は招かれたサロンの中に入り、座るように促されて席についた。

 テーブルの上には大量のスイーツが並んでいて、甘ったるい匂いが部屋中に漂っている。


 思えばガーネットさんとこうやって同じテーブルに着くことはこれが初めてだ。

 ガーネットさんを異性として意識したことがないので、特に緊張することもないが。


 ガーネットさんのことは綺麗だと思っているが、あまりに顔が整いすぎているため美しい人形を前にしているような感覚になる。

 さすがに失礼すぎると自分でも思っているため、口に出したことはないが。


 二人きりなことに特に緊張することもなく待っていると、すぐにパーミュラーさんが来た。


「あらためましてご挨拶を、私はシェリル・パーミュラーと申します」

「レナルド・ネヴィルだ。急にお邪魔させてもらうことになってすまない」

「いいえお気になさらず」


 俺と簡単に挨拶を済ませて席についたパーミュラーさんは、心ここにあらずといった感じでテーブルを凝視しながらそわそわしだした。

 緊張しているのだろうかと思っていたら、ガーネットさんがクスッと笑った。


「あなたの好きにしていいわよ」

「はいっ」


 ガーネットさんの言葉にパーミュラーさんは元気よく返事をした。

 食堂で見た雰囲気とずいぶん違うな……と思っているうちに、パーミュラーさんはトングを手に持ちケーキを二つ皿に載せて、満面の笑みで食べ始めた。


 そして二口食べたところで、何かに気づいたようなハッとした顔をして、俺に目をやった。


「────っ失礼しました。ネヴィル様はどれになさいますか?」


 彼女は一度置いたトングを再び手に持ち、真剣な表情で俺に問いかけた。

 俺は一連の流れにしばし唖然としていたが、質問されていることに気づいて慌てて返事をする。


「あっ、あぁそれではクッキーを二枚いただこうか。甘すぎるものは苦手なんだ」

「分かりました」


 パーミュラーさんは渦巻き模様のクッキーを二枚取って皿に置き、俺に差し出した。

 そして何だか一仕事終えたような清々しい顔をして、再びケーキを味わいだしたかと思えば、ガーネットさんに向かって何とも軽やかな口調で話をし始めた。


 二人の間に緊張感はなく、ごく自然に流れるように会話をしている。

 ガーネットさんはいつもこうやって聞いているのだろうと思わせるような穏やかな顔で、パーミュラーさんの話を聞いている。


 どちらかというと早口なパーミュラーさんと、ゆっくり静かに話すガーネットさん。

 調和していないようで息がぴったり合っているような不思議な会話を、俺はクッキーをかじりながら聞いていた。


(何だこの二人? かなり仲良しじゃないか?)


 パーミュラーさんは俺の前だからと無理をして演じているようには見えない。

 むしろ俺の存在を忘れている気がする。

 最初に俺と挨拶を交わしてからクッキーを取り分けるまでの間は、確実に俺のことを忘れていたはずだ。


 侯爵家の人間が二人いるこの空間でここまでリラックスできるなんて信じられない。すごいなこの子。


 ガーネットさんの方はさすがに俺の存在を少しは意識しているようだが、彼女がこんな嘘臭くない穏やかで血の通った笑みを浮かべているところなど初めて見た。


 楽しそうに微笑み合う二人。

 このままいつまでもずっと、この二人を観察し続けたいという不思議な気持ちが込み上げてくる。


 俺の存在はもう透明なままでいいのではないだろうか。

 ただ静かに空気と同化して、目の前の光景を眺め続けるだけで俺の中の何かが満たされる。そんな気がした。


 そうやって時間だけが過ぎていったが、俺はここに来た理由をどうにか思い出した。

 何も聞かないわけにもいかないと思った俺は、二人の間に割り込むように口を開いた。


「……質問してもいいだろうか」


 静かに問いかけると、ガーネットさんは俺に笑みを向けた。

 直前までパーミュラーさんに向けていたものとは違う、俺がよく知っている作り物のような美しすぎる笑みだ。


「ええ、もちろん」

「君たちはどういった関係なんだ?」

「私たちは十歳のころから友人として付き合いをしていたのよ」


 俺がストレートに質問すると、ガーネットさんは数年前にパーミュラーさんと町で知り合ったことで友人になったことや、学園では友人として関わらないことに決めた経緯、パーミュラーさんが令息たちに言い寄られて困っていたこと、パーミュラーさんが嫌がらせを受けること懸念したことなどを順を追って説明してくれた。


 食堂で令嬢たちに向かって『この子を従えて楽しむのは私なのだから邪魔をするな』という意味に捉えられるような言葉で牽制したのは、パーミュラーさんを守る意図があってのことらしい。


「すぐに信じてもらえるとは思っていないから、気が済むまでこうやって茶会に参加してもらって結構よ」


 ガーネットさんはにっこり笑うと、またパーミュラーさんと楽しげに話し始めた。


 俺としては今のこの時間だけで十分すぎるほど、信じるに値するのではないかと思える。

 こんなにまったりとしながらガーネットさんとのお茶の時間を過ごす令嬢なんて、この子ぐらいしか存在しないのではないだろうか。


 しかしせっかく気が済むまで参加していいと許可されたのだから、しばらく参加するべきだろう。

 虐めているのは本当かと声をかけたのはこちらの方だ。


 しっかり観察し、二人が本当に友人であると見極める必要がある。これから目の前で繰り広げられるであろう光景をこの目に焼き付けなくてはならない。


 そうして俺は彼女たちの茶会に何度も参加しては、二人の様子を黙々と眺めるようになった。


 今日もパーミュラーさんは信じられないほどのスイーツを小さな口で頬張っている。

 その細い体のどこに収まっているのか不思議でならないが、俺は目の前で起きる超常現象にはどうにか平静を保てるようになった。


 彼女が昼食時にあり得ない量の食事をとっていたのは、わざと嫌がらせに見せかけたガーネットさんの善意だったようだ。


 パーミュラーさんの食欲がとんでもないことに俺はすっかり慣れた。

 姿勢や食べ方はどこまでも綺麗なのに、とんでもない速さでスイーツが消えていくことに感動すら覚えるほどだ。


 しかし未だに慣れないことがある。

 慣れないというか、どうしても気になって仕方ないというか。

 目が釘付けになってしまう。


 俺は初めて抱く感情に戸惑いを覚えていた。

 この感情が一体何なのか、理解できるようになるまで悩んだものだ。

 ガーネットさんとパーミュラーさんが触れ合う姿に、慣れるどころか平静を保てなくなってしまったのだから。


「今日は語学のテストで満点だったんですよ」

「それは頑張ったわね」

「えへへもっと褒めてください」

「まぁ、あなたはいつからそんな甘えたがりになったのかしら。仕方ない子ね」


 目の前で触れ合う二人の少女を、俺は空気になって傍観している。

 そう、俺は空気だ。二人が話している間は決して二人の邪魔をしてはいけない。

 この神聖な空間に俺という穢れが存在していることは、本来なら許されざる行為だ。


 ガーネットさんは目を細めながら優しく窘めるように言うと、パーミュラーさんの頭をそっと撫でた。

 パーミュラーさんは心地良さそうにうっとりして顔をとろけさせる。


(────ッッ)


 あまりの衝撃的な光景に俺は顔を背けてしまい、胸元を強く押さえる。

 これ以上見てしまったら心臓が破裂してしまうのではないかという危機感を覚えた。


 呼吸を整えて平常心を呼び戻す。

 この場で心を落ち着けることは剣の鍛練なんかよりも過酷で困難を極める。


 気高く美しい少女と庇護欲をそそられる可憐な少女の触れ合いの破壊力がすさまじいことを、どうして俺は今まで知らなかったのだろうか。


 彼女たちの茶会に参加するようになり、俺の真面目すぎる凝り固まった心には爽やかな風が吹き込むようになった。

 その風に乗って漂ってくる、酔いしれるほどの花の香りが心に満ちていく。


(ずっと見ていられるな……)


 少女たちの触れ合いはあまりに眩しくて美しい。

 俺は今日も見極めという名目で観察しながら幸福を味わっていた。

 そしてこれからも、許される限りいつまでもこうして茶会に参加したいと心から願っている。

 この世で最も尊い光景を目に焼き付けるために。


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