14、セラフィーナは悪女になる
「皆さん、ごきげんよう」
私は食事を終えたトレーを持ちながら一学年上の伯爵令嬢たちとシェリルがいるテーブル席の前までやってくると、微笑みと共に挨拶をした。
彼女たちは歓談を止めて一斉にこちらに顔を向ける。
「お久しぶりですわセラフィーナ様。何かご用でしょうか?」
令嬢たちの中心人物である女生徒が口を開いた。
私と彼女たちは年に一度どこかの茶会で顔を合わせる程度の関係性だ。
まともに会話したことなど数えるほど。そんな私に急に話しかけられたことを訝しく思ったらしく、ほんの少しだけ表情に警戒の色を滲ませた。
「ふふ、お久しぶりですマリアさん。最近何だか楽しそうにしていらっしゃるから、ご一緒できればと思いましたの」
私はシェリルにほんの少しだけ視線を向けてから、口に手を当てて楽しげに笑ってみせた。マリアさんたちはあからさまに安堵したような顔をする。
「ええ、もちろんです」
「ありがとう」
私は空いてる席にトレーを置いて腰を下ろした。令嬢たちと軽く挨拶を済ませると、無言でシェリルに微笑みかけた。
それを見たマリアさんがまた口を開く。
「セラフィーナ様はこの子とお知り合いですか?」
「いいえ。でも入学してから何度か遠目で見かけて気になっていたの。パーミュラーさん、だったかしら? お近づきになれて嬉しいわ」
「っ、それはとても光栄です、ガーネット様」
シェリルはどう答えるのが正解か探るようにぎこちなく答えた。
私はすぐにシェリルから目を逸らし、令嬢たちに適当な話を振る。
「今季のフィンズベリーのサロンには皆さんはもう行かれましたか? 新作がとても素敵だと聞いて、楽しみにしていますの」
「それは私も聞きましたわ。ずいぶん斬新だとか」
「ええ、そのようですね。私は再来週行く予定なのですが、本当に楽しみですわ」
「私も近々母と行く予定をしておりますの」
マリアさんたちはキャアキャアと盛り上がりだした。
シェリルは何の話? というような顔で聞いている。これは限られた貴族しか立ち入れない会員制サロンの話なのだから無理もない。
もちろんそのうち連れて行ってあげるつもりでいるが、それはこの場で言うことではないため黙っておく。
「パーミュラーさんは……あぁ、ごめんなさい、あなたには分からない話をしてしまったかしら」
「あ、いえ……お気になさらず」
私は申し訳なさそうな顔をして、ほんの少しだけシェリルに視線を向けると、すぐにマリアさんたちの方を向いて微笑んだ。
マリアさんたちもつられたように笑みを浮かべる。醜い笑みを。
醜悪さを隠せていない。そんなものでよく伯爵令嬢をやれているものだと内心で嘲笑する。
私はわざとシェリルに疎外感を与えるような話題を出したが、マリアさんたちはそれがずいぶんお気に召したようだ。その反応から、やはり彼女たちはシェリルに嫌がらせをしていたのだと確信する。
このままここで話し続けていたら、私はマリアさんが主催する茶会などに招かれることになるだろう。
そこで彼女たちがシェリルに対して嫌がらせをしている事実を掴み、それを窘めれば全て丸く収まる。
私はもちろんそんな面倒なことをするつもりはない。
今この場で、今後一切は誰もシェリルに手出しできないようにすればいいだけなのだから。
「ところで、マリアさんは犬がお好きかしら?」
「? ええ、可愛らしい小型犬は好きですわ」
何の脈絡もない質問にマリアさんは眉をひそめながらも答えた。
私は顔に浮かべた笑みをより深くして、思いを口にする。
「そう。私はどちらかといえば大きな犬が好きなの。懐かない犬を手なずけた時の達成感が堪らなく好きよ。従順な犬はとても可愛らしいもの」
「ええ、私もよく言うことを聞く犬が好きですわ」
「あら私たち気が合いますね。────それでね、マリアさん」
私は言葉を区切り、顔から笑みを消した。
どこまでも高圧的で冷ややかな視線をマリアさんに向ける。
「私には今、可愛がる予定でいる大きな犬がいるの。そうね、ちょうど今の季節の木々を彩る花のような色味をした素敵な子よ。たっぷり躾をして飼い慣らすことをすごく楽しみにしていて、それなのにどうやら他人に横取りされてしまったようなの。────ねぇ、マリアさん。私は今すごく困っているのだけれど、どうすればいいと思うかしら」
「そ、れは……」
低い声でゆっくりと、思いが伝わるように淡々と話し終えると、マリアさんは青い顔をして黙り込んだ。
私の心情をきちんと理解してくれたらしい。
近くの席で聞き耳を立てている人たちから息を呑む気配がした。
私は笑みを消したまま言葉を続ける。
「あぁ、ごめんなさい、こんなことを急に相談されても困るわよね。だけど心配はいらないわ。今なら簡単に返してもらえそうだから、さほど困っていないのよ」
「っ、そうでしたか。それは安心しました」
「また何かあればご相談してもよろしいかしら」
「もちろんですわ」
マリアさんは口元をひきつらせながら快諾してくれた。理解力のある人で本当に良かった。きっと根は悪い人ではないのだろう。
用事を終えた私はにこやかに立ち上がり、一足先にその場を去った。
数日後には、今年入学した侯爵令嬢は男爵令嬢をペットのように扱い、従順にさせている。侯爵令嬢は邪魔する者には容赦しないため、決して手を出してはいけない。という楽しい噂が広まっていた。
私が学園でシェリルと関わったのは、昼食時のたった一度きりだというのに。
噂なんて本当に当てにならないものだといういい実例ができた。
「セラフィーナ様……! 食堂でなぜあのようなことを仰ったのですか?」
週末の別荘地に向かう馬車の中、シェリルは私の顔を見るや否や身を乗り出す勢いで詰め寄ってきた。
元気そうで何よりだ。
「なぜ? 私は犬の話をしただけじゃない」
「……っ、そうですけど。そうですけどもっ……! そのせいでおかしな噂が広まってしまったじゃないですか。どうするおつもりですか」
「気にする必要はないわ。私は人前で犬の話をしただけなのだから。それを曲解して誰かに話したり噂などという不確かなものに踊らされる人になんて興味はないもの」
「うぅ……ですが、私はセラフィーナ様が悪く言われることが嫌なんです」
シェリルは眉をひそめながら肩を落とした。
しっかり噂が広まっているということは、シェリルには誰も手出しができなくなったということで、彼女にとってはいいことのはずなのに。
「あれ以降、マリアさんたちに絡まれなくなったのではなくて?」
「そう、ですけど……」
「良かったじゃない。そもそもあなたが私を頼ろうとしていたら、あんな回りくどいことをせずに済んだのだけれど……」
悲しそうに目を伏せて言うと、シェリルはぐぬぬと唸った。
「うぅ……来週からは学園でも普通に友人らしく振る舞っていただけませんか? 悪い噂はすぐに消しましょう」
「そうね、あなたが暫くの間、学園で私の言う通りに過ごすというのなら考えてあげてもいいわ」
「……人前で恥ずかしいことをしろと言うのでなければ」
「そんな命令はしないから大丈夫よ。そうと決まれば来週からさっそく一緒に昼食をとりましょうか」
「っ、はいっ!」
シェリルはようやく顔を明るくさせた。
悪い噂はいつかは消すつもりでいたけれど、せっかく楽しい状況になったのだから、現状を利用して試したいことがある。
翌週の昼休み。
私は食堂の入り口で待っていたシェリルと一緒に中に入った。
「行きましょうか」
「……」
シェリルは無言で頷いた。そのまま一言も話さないまま、俯きながら私の後をついてくる。
食事を受け取るために提供カウンターに行くと、私はメニューを見ながら隣に声をかけた。
「シェリル、これとこれを注文してちょうだい。一口食べてみたいわ。あぁ、あとこれもお願いね」
「……はい」
シェリルは小さく返事をして、言われるがまま注文する。
いくつもの皿が載ったトレーを受け取ったシェリルは、また俯きながら私の後ろに続く。
三方向が壁に仕切られた半個室のテーブル席に着くと、二人で向かい合わせに座った。
私は窓際、シェリルはその対面にいるため、食堂内にいる人たちからはシェリルの背中しか見えない状態だ。
席に着くと、シェリルははぁーーと特大の溜め息を吐いた。
「ずっと俯いているのって慣れなくて辛いです」
「文句を言わない約束でしょ」
「うぅ……そうですけど……」
シェリルはブツブツ文句を言いながらも、目の前の食事に瞳を輝かせる。
そうして嬉しそうに食べはじめた。
「これも、これも、早く食べてみたかったんです」
「でしょうね」
「わぁ、これすごく美味しいですよ! セラフィーナ様も一口どうですか?」
「そうね。せっかくだからいただくわ」
私たちは楽しく会話しながら食事をしているが、左右に厚い壁があるため誰にも会話は聞かれておらず、シェリルの嬉しそうな顔も誰にも見えていない。
私たちの席には誰も近づいてこないため、食堂内にいる人たちは、私が楽しそうにしている様子だけを目撃している状態だ。
そうしてまたいろんな憶測をされ、新たな噂が広まっていく。
「聞いたか。無理やり従わせているらしいぞ」
「毎日とてもじゃないが食べきれないような量を食べさせられているんだってな。可哀想に」
ヒソヒソと私を非難する声がどこからか聞こえてくる。
その中にはなぜか羨ましそうにこちらを眺めてくる男子生徒が複数いて不思議に思ったが、形はどうあれシェリルを独占していることへの羨みだろうか。
それから数日経った頃、昼食をとっている私たちの席に一人の男子生徒が近づいてきた。
お目当ての人物がやっと来たようだ。
「食事中に済まないが、質問してもいいだろうか」
「ええ、何かしらネヴィルさん」
私は食事の手を止めて、さっぱりとした深緑色の髪の男子生徒を見上げた。
彼は騎士団長の息子であるレナルド・ネヴィル侯爵令息。
この学園で私に物申すことのできる数少ない人物だ。
レナルドはテーブルの上を見て不快そうに顔をしかめた後シェリルを一瞥し、そして私の目を真っ直ぐ覗き込んできた。
「ガーネットさんが男爵令嬢を虐めていると耳にしたのだが、本当か?」
直球すぎる言葉を投げかけられたが、想定内なので動じない。
レナルドは噂を鵜呑みにする愚かな人間ではないが、気になったことはその目と耳で直接確認しないと気が済まないという性格をしている。
予知夢の中でも何度も私に物申していたそうだから、必ず来ると思っていた。
「ずいぶんおかしな噂が広まっているようだけど、私はそんなことはしていないわ。だけどここで私がそれを否定したところで信じてもらえないでしょう。今回は牽制する目的で声をかけてきたのかしら」
「……まぁそうだな。暫く様子見させてもらうつもりでいる」
「それなら放課後の茶会にあなたもご一緒するのはどうかしら」
「茶会?」
レナルドは急な誘いに困惑の表情を浮かべた。
「今日はちょうど学園のサロンを借りて、この子と茶会をする予定があるのよ。疑惑があるのならすぐ近くで確かめる方が早いでしょう」
「まぁ確かに、判断材料は多い方がいいに越したことはないが」
「ではそうしてくださるかしら」
「…………そうだな。分かった、そうさせてもらおう」
終始顔をしかめていたレナルドは、現状ではそれが一番かと判断したらしく、了承してさっさと立ち去った。
私は放課後にサロンを借りる申請をしている。
学園では事前に申請していれば、個室を借りて茶会などを開けるようになっている。
茶葉やお菓子など、口に入れるものは自分たちで準備しなければならないが、茶器などは学園のものを使えて、準備と後片付けは学園側のメイドがしてくれる。
放課後になると、私はレナルドと一緒にサロンに向かった。
部屋の中にはメイドが一人。
テーブル上はすでにセッティング済みで、いつでも茶会を始められるようにしてある。
私とレナルドが席に着くと、シェリルもすぐにやって来た。
「ありがとう。終わったらまた声をかけるから下がってちょうだい」
私は紅茶を淹れ終えたメイドに声をかけて退室させる。
「あらためましてご挨拶を、私はシェリル・パーミュラーと申します」
「レナルド・ネヴィルだ。急にお邪魔させてもらうことになって済まない」
「いいえお気になさらず」
シェリルはレナルドと簡単な挨拶を終えると自分の席に座り、テーブルに並ぶスイーツを眺めながらそわそわしだした。
早く食べたいと目で私に訴えかけてくる。
「あなたの好きにしていいわよ」
「はいっ」
元気よく答えたシェリルはさっそくトングを手に持ち、ケーキを二つ皿に載せる。そうして満面の笑みで食べ始めた。
彼女はレナルドがいることをすっかり忘れているようだ。しかし二口食べたところで存在を思い出したらしい。
「────っ失礼しました。ネヴィル様はどれになさいますか?」
シェリルは一度置いたトングを再び手に持ち、真剣な表情でレナルドに問いかけた。
レナルドは一連の流れにポカンとしていたが、気を取り直して答える。
「あっ、あぁそれではクッキーをいただこうか。甘すぎるものは苦手なんだ」
「分かりました」
シェリルは渦巻き模様のクッキーをトングで二枚取って皿に置くと、レナルドに差し出した。
そして今度こそやるべきことは済んだといった感じで、再びケーキを味わいだした。
レナルド一人が戸惑いの表情を浮かべる中、サロンには和やかな空気が流れていく。
「今日から始まった魔法実技の授業では、抜群のコントロール力だとさっそく教師から褒められました」
「それは良かったわね」
シェリルは誇らしげに授業でのことを話す。
学園では魔法を使える生徒にだけ実技の授業があるが、シェリルは光魔法の使い手として授業を受けている。
神聖魔法は光魔法の上位互換的存在なので、力を抑えるだけで簡単に誤魔化すことが可能だ。
まだ何の力にも目覚めていないと申請してもよかったが、魔法が得意な相手には誰もが慎重になるため、光魔法の使い手として登録しておく方が平穏な学園生活を送れるだろうと判断したためだ。
シェリルが光魔法が得意だと知れ渡るよりも悪い噂が広まるほうが早かったため、すでに軽い嫌がらせを受けた後だが、もちろんそうなるだろうなと思っていた。
「セラフィーナ様はどうでしたか?」
「私はただでさえ不気味な闇魔法なのに、噂も相まって教師にすら怖がられてしまったわ」
「ああぁぁ、早く噂を払拭しないと……!」
「今の状態はこれはこれで面白いから急ぐ必要はないと言っているでしょう」
「そんなこと言わないでくださいぃ」
淡々と話す私と興奮気味のシェリルが言い合っている様子を、レナルドはクッキーを食べながらずっと静観していた。
そうしてようやく会話に参加する気になったらしく、低く静かな声が私とシェリルの間に割って入った。
「……質問してもいいだろうか」




