寝耳に水
家族にとっては寝耳に水だっただろう。
東京で就職し、半年が経って突然、「心臓が止まって、危険な状態で家族全員東京に呼んでください」などと言われれば溜まったものでは無かったと安易に想像できるし、今でも申し訳なく思っている。
東京が嫌いな祖父も来てくれた。
(祖父は携帯を実家に忘れ、一時行方不明になりかけたそうだ。弟がたまたま病院の入口で見つけたらしい)
集中治療室には通常、入れないはずなのに、家族が僕の顔を見に来ていたあの日から2週間が経っていた。
身体は回復の兆しを見せ、心機能が戻ってきてきていた。
だが、まだ不便はいくつかあった。
首に刺さっている管があって首を曲げれない。
腕はベルトで固定され、動かせない。
関節部分に針が刺さっていて曲げれない。
複数の機器が取り付けられているため、起き上がることも出来ない。
でも、痛み止めの量が減り、意識が朦朧としなくなっていた。
生きてるだけでいいと思っていた時間はいつのまにか過ぎ、環境に慣れてくると次の欲が出てくるものだ。
実際、僕は様々な欲に悩まされた。
床ずれが痛いので体勢を変えたい、汗をふきたい、天井以外をみたい、話したい(人工呼吸器をつけていた)、お礼が言いたい、喉が渇くので水が飲みたい。
小さなものから大きなものまで様々な欲が顔を見せる。
生きたいという状態から生きている状態に変化する事で欲が変わっていった。
床ずれはまだ何とかなった。
足には針などは刺さっておらず、足で腰を浮かせたり出来た。だが、動かしていると首に刺さっている管が取れたら本当に危ないからやめてくださいと看護師さんに怒られた。熱が37度から38度を行き来していた為、常に汗をかいていた。気持ち悪かった。寝た状態だと顔の汗が耳の中に入る。その不快感と抜くこともできないもどかしさと無力感に身体中がぞわぞわとした。
天井は見慣れたが、動けないので諦めた。
白い天井だった。模様はシンプルで縦線がいくつかあるだけだった。
話したいは感謝の言葉を指で看護師さんの手のひらに書いた。今でも思っています、ありがとうございました。
水はその時は諦めたが、人工呼吸器を抜管した後に母が様子を見に来た時に頼んだら買ってきてくれた。勿論会えないのでお茶を看護師さんに渡して貰った。
当時は麦茶が飲みたいと伝えたのだ。右手はコンパートメントで使い物にならなくなっていたし、針が刺さっていたので、紙コップに入れてもらい、ストローで飲ませて貰ったのを覚えている。
渇き切った干からびた喉に流し込む感覚は今でも覚えている。
幸せを噛み締めて飲んだ。
耳に入って取れなかったあの水の不快感と喉を潤したあの麦茶はこれから一生忘れないだろう。




