俺だけが勇者を知らない〜その2
きっとこの剣はもう使われない。
『勇者ブラン』によって、魔王はもう倒されたんだ。
――なぜか、ノア自身さえも確信していたことだった。
ノアに課された役目、それは『勇者の剣』で村に襲ってくるモンスターを追い払うことだった。
しかしもう、こののどかな村にモンスターは襲ってくる日はあるのだろうか?
「『勇者の剣』なんて、使う日は来るのかよ……」
村の者どころか、ノアでさえもそう思っていた。
「ふぁ~あ。月を見るのはいいな……」
月を眺めているとなぜか安心する。それがノアの夜遅くまで起きる要因だった。
ノアにとっては決して珍しいことでない。
そのことが朝の寝起きが悪い原因でもあるのだが。
しかし今日は、西側の木の葉が風に揺れる音が、やたら騒がしい。
村の皆は起きないのだろうか。
しかも聞きなれない羽音まで紛れ込んでいた。
――これは鳥の音ではない。
「――これは、モンスター……?」
村人が起きたら大騒ぎになるだろう。
起きる前に始末しなければ。
ノアは冷静に判断していた。
何より驚いていたのは、記憶もないのに「この程度のモンスターなら恐れるに足らない」と完全に理解していたノア自身のほうだった。
やってきたのは、小さなドラゴンだった。
一匹でやってきたのか?
『勇者の剣を持つ』自分は冷静に立ち回れるが、武器を持たない人間にとっては脅威になる。
「この村に、モンスターがのこのこと現れやがって……!」
その小さなドラゴンは、火のブレスで森を燃やしていた。
「次は脅しじゃねぇぜ!お前を燃やすからな!」
小さなドラゴンは、ブレスを使えるだけでなく、人語も理解できるようだった。
「お前、しゃべれるのか……?」
「しゃべるのが人間だけと思っていたのか?」
「いや、ちっちぇドラゴンがしゃべるのだと思って」
「この俺様を、ち・っ・ち・ぇ、だと~~~!!」
どうやらこのモンスターも、体が小さいことを気にしていたようだった。
(それじゃ隣の家のからかい対象、グリスと一緒じゃないか)
小さなドラゴンは怒りにまかせて、あちこちに火のブレスを放っていた。
普通の人間なら、驚いて慌てふためくだろう。
しかしノアは違った。
好都合だ。森の中でも、あまり木がなさそうなところに逃げていく。
村から引き離すように、誘導するように。
ノアは感じていた。
(身のこなし、鈍ってなさそうだ。)
同時にノアは、持ち合わせていないはずの戦いの記憶に疑問を持っていた。
(自分は、どこで戦ったことがあるのだろうか?)
自分の強さは、どうやら『勇者の剣』だけでできているようではないようだ。
「まぁ、この『勇者の剣』の敵じゃないけどな」
一度このセリフを言ってみたかったと、いたずら半分に思っていたが、怯えもせずにすらすら言える自分に驚いた。
「一撃でお前をしとめる!」
「『勇者の剣』……?」
ぴたりと小さなドラゴンの体が止まった。
つられてノアの動きも止まってしまった。
「おいら、あまり剣の形見てなかったけど……やばい、逃げるぞ!魔王様に報告だ!」
「おい、どこに逃げるんだ!」
「決まってらぁ!魔王城に、てめぇ、今度は承知しねぇ……!」
モンスターが襲ってきながらも撃退した。仕留めそこなったのは、申し訳なかったが。
村に帰ってきたとき、まだ外は暗かった。
しかしみんなは寝間着姿のまま、起きだして、村の門に集まっていた。
モンスターが襲ってきた一連の騒ぎは大きかったようで、みんなが起きだして駆けつけてきたのだ。
「やったぁ!ノア」
「まさか、本当に『勇者の剣』を使う日がくるなんて」
「お前さんのおかげだよ、ノア」
その中にはからかい相手のグリスもいた。
「まぁ、これくらい仕事やってもらわないと困るしなぁ」
いつもは着飾っているロゼも、めずらしくすっぴんだった。美しいことには変わりないが。
「へぇ、やればできるじゃない。」
夜遅くまで仕事をしていたのか、ヴァンだけは普段着だった。
「ありがとう、ノア」
ノアは大きな仕事をした感覚がなかった。まるで当たり前のような仕事をしただけだったという感覚だった。
「俺は仕事をしただけだ。それに、モンスターを逃がしてしまった……」
「なぁに、勇者ブランも魔王以外のモンスターは追っ払うだけだったからね」
「そんくらいお人好しだったのさ」
(ここにも、『勇者ブラン』の名前は出るんだな)
ここにいるのは、ただの『ノア』のはずなのに。
勇者ブランのことを胸がざわめいてきた。
村人のみんなに悪気があるわけではない。それはノアにもわかっていることだった。
それでも、勇者ブランの話を持ち出す。
――勇者ブランを、俺に重ねてみている。
「わけがわからない!なんで勇者の剣を持っているだけで俺を受け入れる!?」
せきを切ったように、ノアは叫びだした。
それはノアがずっと前から村人へ、抱いていた疑念だった。
「みんなそうだ、俺のことを勇者、勇者って!」
「ノア……」
村人は、困惑した表情でノアを見つめていた。
「グリスだってそうだ。本当に勇者であることが疑わしいんなら、俺にぶつかるどころか、影でこそこそ、もっと俺を遠ざけるはずだ!」
「どうせ重ねてみているんだろ、俺には似ても似つかない、『お人好しの勇者』に!」
「村の中で、俺だけが勇者を知らない」
「俺はお前ら村人たちのことを、信じることができない!だって、俺は俺自身すらも一番わからない!自分のことを一番信じられないんだよ!」
ノアは自分の家に向かって逃げ出した。
「なぁ、勇者ってそんなに偉いのか?」
誰もいない空間で、一人勇者ブランに問いかけた。
「なぁ、勇者ってだけでみんなに受け入れられるって、どんな気持ちなんだ、ブラン?」
返ってくる答えはない。
――実はノアの家は、いなくなった『勇者ブラン』の家でもあったのだ。