俺だけが勇者を知らない~その1
村人のみんなは勇者を知っている。
ノアだけが、自分だけが勇者を知らない。
ノアは、最初から村にいたわけではない。
1年前のある日、ノアは村の前で行き倒れていた。
左手には、『勇者の剣』が握られていた。
そのところを村人に拾われたのだ。
それ以前の記憶は、ノアにはない。
ノアへの対応を巡って、村人の間でも様々な意見があった。
「『勇者の剣』をほかにも使える人がいたなんて!」
ノアを受け入れる者。
「その剣は勇者のものだ!」「勇者から奪い取ったんだろ!」
ノアを受け入れない者。
「ノアと勇者ブラン、どっちが強いのだろう」
前の勇者とノアを比べる者。
共通して言えるのは、口々に皆、勇者ブランのことを知り、勇者は強く、お人好しであることを語っていた。
「なんだよ、みんなブラン、ブランって……」
ノアは新参者のはずなのに、自分だって『勇者の剣』が扱えるのに、注目度が弱く拗ねていた。
この村の者は、あまりにも勇者のことを言いすぎる。
当たり前のように勇者ブランのことを言う。
なのに自分だけが、勇者ブランを知らない。
そのことが少しだけ妬ましくなった。
ノアは時々いたずらをする。村人の気を引くために。
ある日のノアは、村の野菜を盗んでいた。
その畑を耕していた少年――グリスに叱られていた。
「人の作物を盗むな――!この盗人め!
浮浪者のお前が、だれのおかげでいてもらえると思ってるんだ!
食物を作る男、グリス様のおかげだろ――!!」
本当に盗みたいのではなく、グリスの反応が見たくてわざと野菜を盗んだりしていた。
もちろんグリスの姉、穏やかだが強いグリシーヌには悪さができず、きちんと野菜を返している。
「すまない、グリシーヌさん。あいつの怒った顔が見たくてな」
「ふふ……その気持ち、よくわかるわ。あの子かわいいもんね。
でもあの子まじめだから、ほどほどにしてね」
ある日のノアは、
青年村長ヴァンにひそかに想いを寄せていた――少女ロゼをからかったりしていた。
「そろそろ告白したらどうだ?」
「やだ。あいつが言ってくれるまであたしは待つ」
「いーかげん、あいつのこと諦めて、俺に惚れたらどうだ」
「冗談じゃないわ!」
もちろん本気でノアは言っているわけではない。
ヴァン一筋なロゼが、ノアに惚れるわけがない。
ただただノアは、その反応がおかしくて、ロゼをからかっていたのだ。
それだけでない。ヴァンの煮え切らない反応はノアも気になっていたのだ。
ロゼだけでなく、ヴァンもロゼのことが好きなのは、ノアの目から見ても明らかだったのに、なぜ、とっととロゼに告白しないのか。
それでもノアは、当たり前のように村になじんでいった。
『勇者の剣』で村から来たモンスターを追い払うという、役目を与えられた。
村のみんなからは声を掛けられ、優しくされていた。
ただ一つ、疎外感を感じることといえば、「自分だけが勇者ブランを知らない」ことだった。
ただ最初から、村になじんでいたわけではなかった。
1年前、ノアが村人によって見つけられた時。
もっと深く、疑いの目で見られていた。
「彼こそが、勇者ブランを殺したのではないか」
しかし村長ヴァンの一言で、村人たちはいったん疑うのをやめた。
「よせよ。ブランは戻ってきたとき、『勇者の剣』を持っていなかっただろ」
ブランは捨てたのだ。魔王を倒したときに、もうこの剣は必要ないだろうと。
ブランが『勇者の剣』を使うとしたら、また魔王が復活したときだ。だがきっと、それは訪れはしない。
――この剣で、魔王の心臓を貫いたのだから。