521話 今日一番の大声で
始業式から数日が経った今でも、前後で隣接する二人の空気は最悪。三門玲司と一ノ宮、かつて付き合っていた二人は一変、呟き声も届く距離にいながら一切会話をしなくなった。
学校が再開した初日のうちはまだ話せていた。だがヒカリがレイジの幼なじみを卑下する発言をして彼に突き飛ばされて以降、目も合わせなくなった。
そんな様子を、クラスメイトというポジション上、見せつけられてしまう西千葉心朱は、二人の関係の変遷を思い返す。
“ノーツ”と呼ばれる、一部の人に突然宿る不思議な超能力。それが目覚めた時期が近い同学年を“同期”と呼ぶ。
その“同期”にあたるレイジとヒカリは、それが決め手とは限らないが惹かれ合い、交際するに至った。
そしてココアにも、“同期”に好きな人がいた。
最初は二人の関係が羨ましかった。ココアは気になっていた人が自分の少し後に“ノーツ”に目覚めて“同期”になって、いっそう想いが強くなった。その相手は秋葉原秋杜。
アキトはレイジと違い、そのせいでココアの恋は実っていない。彼は“同期”恋愛否定派だった。関係が拗れれば仲間に嫌な思いをさせるとか、リスクを考えてココアの思いを跳ね返していた。
ココアはレイジとヒカリが別れたと聞いて、二人に復縁してほしいと願った。このままではアキトの主張は変えられない。“同期”恋愛の破局という悪い例を作ってしまったことが、彼の意見をより強固なものにしてしまった。
だがココアもついに折れた。レイジたちの姿を自分とアキトに置き換えて想像し、ああなるくらいなら今まで通りの関係を続けたいと思うようになった。
アキトのことは諦めよう。そう割り切ったココアだったが、それはそれとして、ヒカリが彼と親しくなるのを見過ごせなかった。
「あんたアキトのことどう思っているの」
休み時間になり、ココアは自席で黙って過ごしているヒカリの前に立って、釘を刺そうとした。
「あんたが付き合うことにしたのって別の人でしょ」
「そうだけど、でもよく会ってたよ。向こうから」
ヒカリはココアが疑っているのを察し、自分は悪くない、アキトの方から会いにきていると思わせようとする。ちなみにヒカリはココアが彼のことを諦めようとしている話は聞いていない。
単に春休みのうちに度々会っていた話が流れ、嫉妬を向けられているものだと思っている。
「私はユウガと会いたいだけなのに、なぜか他の男子も集まるんだよね」
ヒカリはさらにココアの神経を逆撫でする。悪意はない。けれどもとことん他人のせいにしようとする姿勢が純粋な悪意を生み出す。
ヒカリがレイジと別れ付き合うと決めた相手は田浦夕雅。乗り換えたわけではなく、すでに相手がいるにもかかわらずユウガの方から付き合おうと言い寄ってきて、レイジが止めてこなかったから、彼女はユウガの交際相手を双方合意の勝負で負かして座を奪い取った。それだけだ。
放っておけばレイジと別れたまま誰にも迷惑はかけなかったのに、周りが干渉してくるものだから、逆らわず流れに乗って、そしてこの惨状だ。こうなる前にレイジに止めてほしかったと思っているのに、彼は知らんぷりをする。
「アキト君はその一人、それだけだよ」
ココアがどれだけ粘っても手に入れられなかった相手を、まったく意識していないのに彼女と違う関係を手に入れられた。
それは奇妙にも優越感とも思えてしまい、無意識のうちに浮かべた笑みと放った言葉は邪悪なものだった。
“同期”と付き合えていたヒカリは羨ましかった。別れた後に、自分の意中の人と関係を深めたヒカリは羨ましかった。けれどもココアは、ヒカリのことを良くは思えなくなっていた。
「……泥棒って思ってる?」
ココアはヒカリから目を背けた。図星を突かれたことだけではない。読まれたくない心を見透かしてくる、お見通しだと訴えかけているように思えるその瞳は、レイジの色に染められているみたいで、反射的に視界から消したくなった。
「おかしな話だよね。こんな私のどこがいいんだろう」
ヒカリは自分の性格が悪いことを自虐する。本当なら、こんな自分を受け入れてくれる人は普通は居ない。
けれども一人だけ居た。それが真後ろにいるレイジだった。
「……三門、あんたは一ノ宮のどこが」
「無駄だよ。“同期”で誕生日が近くてクラスメイトだったから選んだだけで、中身なんて見ていない」
ココアはレイジの意見を求めたがヒカリが遮った。彼女が言ったのは彼が以前言っていた事実。
レイジがヒカリと付き合うと決めたのは、上記の共通点があること。それらを満たすのはヒカリだけだが、だからといって本命とはならない。
それを告げられたヒカリは、自分がレイジ好みの容姿や性格、成績ではないことを自覚して、やさぐれた態度で背を向けたまま呟いた。
「じゃあ今もそうじゃない?」
ココアは逆転の発想で、レイジの言うヒカリの良さは今も残っているのではと考えた。性格がどんなに歪んでも、仮に他の男に印をつけられたとしても、彼の言う共通点が消えることはない。
「今回も同じクラスだし……あ、もしかして始業式来るの遅かったのって」
一つ断たれる可能性があったのは、クラスメイトであるという共通点だったが、ある種の呪いで二人は三年間同じクラスになった。そしてココアはクラス発表の日に、ヒカリが普段より遅くに来ていたことを思い出す。
その理由はレイジから聞いており、発表に緊張して結果を見にいく足が動かなかったというものだが、今、その考えに行き着いた理由が見えた。
「その共通点がなくなるのが怖かった、とか」
「違うそんなんじゃない!」
ヒカリは今日一番の大声で、精一杯否定した。思わずココアも引いてしまった。
「声でかいわよ」
「ご、ごめん……」
周囲の視線を自覚したヒカリが、口を押さえて謝り、静かに腰を下ろす。
「……私の方こそ、ごめん。こんなことになるなんて」
ココアからも謝った。ヒカリがユウガと付き合うきっかけを作ったのは彼女だ。彼女が彼に、ヒカリをレイジから離させるために心を揺さぶってくれないかと依頼した。
だがきっかけはまだ辿れる。そもそもどうしてヒカリをレイジから離させる必要があったのか。それは彼が、この前の春休みに彼女を連れて故郷へ行こうとしていたからだ。
だから流れとしては、次はレイジが謝る番。ヒカリもココアもそう思っていたが、彼は無視してスマホを取り出す。
「でも私たちが一ノ宮を他の男とくっ付けさせようとしたのは、あんたのせいよ」
何も言わないレイジに苛立ち、ココアは率直に言葉をぶつけた。
「俺がヒ……一ノ宮を連れてあの街へ行こうとしたからか」
「そうよ。あんた命狙われているんでしょ?」
故郷へ行くだけでなぜ危険なのか、それはレイジが住民なら敵意や殺意を向けられているためだ。彼の持つ悪夢の瞳は、見た人の夢や願いを叶わなくさせる“ノーツ”。
この島では人に迷惑をかけたり自然に悪影響を及ぼす力を持つ人は珍しくないため個性として平然と受け入れられているが、レイジの故郷は夢に関して特に敏感だ。
殺したい、目を奪いたいと願う人も多々いて、レイジは生き延びるために瞳を使って、彼らの願いを叶わなくさせることで生き延びてきた。そしてこの島に辿り着き、ヒカリたちと出会った。
「あんたが意地でも一ノ宮を連れていこうとしたせいなんだから」
「確かに、それは俺の判断ミスだった」
ではなぜレイジは帰省に、それもヒカリを連れていこうとしたのか。それは彼が故郷の思想の秘密を暴こうとしたからだ。
夢を叶えさせてあげたい。だから夢を追う妨げになることは隠しておく。その思想が浸透しており、レイジ自身も毒されている。その社会を変えるため思想を広めた黒幕を暴く。
だが心が読めるレイジでも真相は見えてこない。だからヒカリを連れていこうとした。彼女なら何かできる。かつて彼に秘密にしていた、彼の兄の死という秘密を彼に明かしたときのように。
だが今となっては、ヒカリを巻き込もうとしたこと自体が間違いだった。そう取れるような呟きに、ココアは戸惑い、ヒカリは嫌悪感を抱いた。
「判断ミス?」
「一ノ宮に頼ったのが間違いだってことだよ」
レイジは自分が悪いと認めつつ、けれどもヒカリにも非はあるという、痛み分けの反省を告げる。当然彼女は良く思わなかった。
「最初から兄貴と行こうとしていればよかったし、結果それが正しかった」
レイジは反論の隙を与えず語る。実際にヒカリではなく自分の兄を連れて故郷へ行ってきた彼は、故郷の思想の手がかりを得られた。
夢は叶えられる人と叶えられない人がいる。後者に該当する人にその現実をつきつけないために、誰の夢でも応援する。それがレイジの故郷の思想の根幹にあった考え方だった。それは大きな手がかりとなる。
ヒカリと行っていればこれを得られたか、その結果は考える必要はない。兄と行って得られた事実がある以上、彼女を選ぶ必要はなかったのだ。
「お前を巻き込んだせいで、西千葉たちにも厄介事をさせちまったわけだしな」
「さっきから私のせいにして……私だって行きたいって駄々こねたわけじゃないから!」
ついにヒカリは怒鳴った。危険事に首を突っ込むレイジに、どうしても同行したいなんて思ってなどいない。
だがココアたち周囲の反対を無視してついていこうとしていたのは事実だ。
だがあくまでもレイジの思いに応えるためであり、彼に迷惑はかけていない。それに彼も、故郷の人に気づかれないよう潜入するつもりでいたわけで、危険に曝そうとは思っていなかった。
「いや、私たちが止めても聞かなかったじゃない」
「そうだけど、レイジにわがままは言ってないっ」
友達の反対に聞く耳を持たなかったのは駄々を捏ねたのではと指摘するココアに対し、そういう意味ではないと返す。レイジと一対一で会話していれば、誤解されることはない。それに慣れてしまっていたせいで、誤解されるような言葉足らずになってしまったとも言えるが。
一方で心が読めるレイジは、言葉にはないヒカリの本心を読み取っていた。そして彼はヒカリを拒否していなかったのも事実だと覚えている。
そして勘違いさせてしまう言い回しだったことを反省した。レイジは相手の本心を読めても、自分の思いは心の声では伝えられない。読心術は受信限定だ。
「そもそもお兄さんと一ノ宮はそんなに違うの?」
「さあ? 俺も兄貴の“ノーツ”は知らないし」
兄が良くてヒカリでは駄目だと言うのなら、納得いく根拠を話してもらいたい。言葉でも心でも率直に尋ねてくるココアに対し、レイジは曖昧な答えしか返せない。
ここで正直に、兄は“ノーツ”を持たないと話してしまうとヒカリは凡人未満だと思い込み、さらに心にダメージを受けかねない。だから比較を濁した。
「とにかく俺が言いたいのは一ノ宮に固執しない方がよかったってことだ。兄貴を頼ればよかったんだから」
レイジは話を戻した。言いたいことは無理にヒカリを連れていこうとしなくてよかったということ。そうしていれば周りが止めようとすることも、彼女を彼から離すことも要らなかったのだ。
「そんなこと言っても仕方ないじゃない」
「それはお前たちも同じだろ」
ああすればよかったのに、そうしなかった。だから謝る。そういう流れができていたから乗ったわけであって、後の祭りと言われてしまえば本末転倒だ。
だが無駄なやりとりではない。ヒカリがレイジに幻滅するだけの失言は重ねてきた。これでもう関係を完全に断つことができる。
けれどもレイジはできない。彼はヒカリを陰から守っている。だがその役目は、いつまでも自分である必要はないと感じつつあった。
「だから先を見よう。一ノ宮、これからはアキトたちに守ってもらえ」
交友を広めておけば、不意の襲来から守ってもらえる確率が上がる。レイジはヒカリに、春休み中のアキトたちとの関係の進展を、無駄にしないようにとエールを送った。
高校卒業後にはレイジは故郷へ帰ってしまう。そこについていくことはできない。そう宣告されたと解釈したヒカリは、いっそう自分を追い詰めて、二度と同じ言葉を言えないようにさせたいと願ったのだった。