520話 悲鳴一つ上げずに
「一ノ宮からだ」
秋葉原秋杜はスマホの振動に気づいて取り出すと、珍しく一ノ宮耀からメッセージが送られてきたことに気づく。
ヒカリとは高校が違い、“ノーツ”が目覚めた時期も離れている。一時期はBランク同士という共通点こそあったが、ここ一年はほとんど関わりはなかった。
だがこの春休み、大きな変化があったことで、会う機会が多かった。隣の高校に通う友達がヒカリと付き合うことになったと相談を受け、一緒に会っていたのだ。
しかし確認したのは、送り主がヒカリだということだけ。アキトはすぐにスマホをしまった。
「返信はいいのですか?」
「ああ。というか読んでない」
液晶だけ一瞬眺めてすぐにしまったアキトを見て、船堀愛姫は不思議そうに尋ねる。
するとアキトは素っ気なく答えてきたので、気を使わなくていいと伝えてみる。
「覗いたりしませんので、どうぞ」
「……そうか」
アキトはしばらく様子を窺ってから再びスマホを手に取った。チラッと視線を向けると、アリスはこっそり移動している。
「やっぱり見るじゃん」
「いえっ、これはその……」
予想通りの動きにアキトは溜め息をつく。するとスマホの明るさを上げて机に置いた。
「別に見られて困るようなやりとりはしていないから」
「そ、そうですか……」
見たいというならコソコソしなくてもいいと、誤解を招かないためにもアキトはアリスの前に晒す。
「レイジ絡みのことで色々あったから警戒するのは分かるけどな」
だがアリスの気持ちが分からないこともないとフォローも入れる。
アリスが好きな三門玲司は、知り合う前からヒカリと付き合っていた。だが二人は別れ、アキトを経由してアリスの耳にも届いた。
別れた今はアタックするチャンスと意気込むアリスにヒカリは釘を刺してきた。春休みのある日、二人は勝負をした。
ヒカリからアリスに勝負を吹っ掛けた。自分が勝ったらレイジに言い寄るのは許さない。もしもアリスが勝ったら彼のことを好きにしていいと、彼の意思に関係なく巻き込んだ。
結果はヒカリの勝利となり、レイジにアプローチするのは禁止とされてしまった。
「アキトさんまで取らないでください……」
掠れる声でアリスは嘆いた。アキトもレイジも同じくらい好きだが、どちらもヒカリに干渉されている。
レイジとは別れた今も距離を詰めるのを許されず、他の人と付き合い始めたのにその人と仲が良いからという理由からアキトにも色目を使い、ヒカリはやりたい放題。
勝負に負けたせいで見ていることしかできないアリスは、せめてもの願いを呟く。
「私も予想外だったよ。船堀が一ノ宮に負けるなんて」
アキトは勝負を思い返した。春休み、ヒカリが決めた待ち合わせ場所である、レイジの家の最寄り駅からすぐの海岸での決闘。アキトはアリスの付き添いで現地に同行。
アリスが飼っている竜に乗っていけば速く、その上タダで往復できるが、勝負に備えて電車で行った。
海岸に到着したとき、待ち受けていたのはヒカリただ一人だった。レイジはどこかと尋ねると、彼女は知らないと冷たく返した。場所を彼の家の近くにした理由は、彼にとって来やすいからというものであって、必ずしも彼が来るとは限らない。ヒカリ自身も彼を呼んでなく、彼のスケジュールを知らないまま日時も指定した。
だがレイジが知らないということはない。心が読める彼は、除け者にして約束をつけても勝手に把握してくる。ヒカリがそれを見越して話を進めたのは事実だ。
肝心の勝負の内容は、数日前にヒカリが決めてアリスは承諾していた。ルールは水鉄砲バズーカを相手の体に先に当てた方の勝ち。
射程は十メートル、弾数は六発。お互いに同じ製品を使用するという一見フェアなルールだが、二人には“ノーツ”という固有の力がある。
お互い、自分の方が有利だと思えたから成立した勝負。その火蓋が切って落とされた。
アリスは竜をペンダントから出して跨り上空を飛来する。射程の十メートルは正面に対して適切な角度をつけて放ったときの話であり、上空に向かって打っても重力に負けてしまう。
アリスは相手の届かない高さを陣取ることに成功したが、それはヒカリの想定内の行動。即座にアキトを盾に、ではなく正面からしがみついた。
「空から撃ってくるつもりよ! 卑怯よ!」
派手にスキンシップをとりつつ、ズルいと訴えかけるヒカリにアキトの心が揺らぐのを恐れたアリスは、竜を地上、砂浜に向かわせて降りた。
「ほら、戻ってきたから離せって」
アキトはヒカリの腕を掴んで体から引き離そうとする。すると彼女は足に力が抜けたようによろめいた。
「待て、今は力枯らしていないぞ」
アキトは離すときに力んで“ノーツ”を使ってしまったと疑われそうな雰囲気になり、先手をとって否定する。彼の力は触れたもののエネルギーを枯らすというもの。彼に掴まれたヒカリは体力を奪われ力が抜けてしまう。
しかし強制発揮ではない。実際はヒカリのお芝居だが、使ったかどうかは目視で区別できない。それを利用してアリスに信じ込ませ動揺させる作戦だ。
「自分からだ、抱きついたのです! 自業自得ですっ」
アリスは後ろめたさを感じることなく、むしろ倒すチャンスと捉えた。ヒカリは彼女に、自分も同じハンデを背負うという建前でアキトに抱きつきいくと予想していたが、読みは外れ。彼女の体力を奪うことに失敗した。
地上に来たらヒカリと対等、とはならない。アリスは撃たれた水風船を、炎を放って蒸発させた。これが彼女の“ノーツ”の真の力。自在に炎を放てるうえに、炎を浴びると自身の威力が増す。
炎を瞬時に放てるから、当たりそうになっても防御できる。それもまたアリスが負けないと自信を持てる理由だった。
アリスも反撃に出る。避けたヒカリは海に浸かり、バランスを崩して全身ずぶ濡れになった。だが追撃に備えてすぐ立ち上がる。
そこから睨み合いが続く。弾数が少ないため不用意に撃っていると弾切れになる。そこでアリスは炎をヒカリにぶつけにいった。
しかしまるで効かない。悲鳴一つ上げずに炎の渦を突破する。アリスはカラクリに気づいた。海に倒れたときに全身に水滴がつき、炎を相殺したのだ。
水風船と違い炎はいくらでも放てる。アリスはヒカリに付着した水滴がすべて蒸発するまで浴びせ続けた。
だが一向に水がなくならない。何度やっても結果は同じだ。気味が悪くなったアリスは正攻法で勝利することへ切り替えてバズーカを撃つも、またも避けられ海に倒れる。
アリスが撃つたびに、ヒカリは避けて海水に沈む。溺れそうになって体力が削られるも、彼女はひたすら立ち上がる。
そしてアリスの残弾が尽きたところを、連射して仕留めた。炎を纏って接近を防ごうとしても、海水のベールを纏ったヒカリはいとも簡単に破ってきた。
完敗したアリスはその場に崩れ落ちる。見下すヒカリから垂れてきた水滴は、どこかしょっぱい匂いがした。
「連携技か……そんなもの作った覚えはないが」
そして話を戻すと、アキトはヒカリからのメッセージに心当たりはない。彼女にではなく、レイジに聞き返して返事を待った。
「三門は何か進歩はあったの?」
レイジは春休みに同学年の誰かと“ノーツ”を活かした成長はあったのか、という意味合いで聞かれていると知りながら、あえて違う方向性の返事をする。目的は話題を逸らすためだ。
「兄貴と故郷に帰った。日帰り」
目論み通り、西千葉心朱たちは皆驚いていた。彼女たちの認識では、ありえない話だからだ。
「亡くなったって聞いてたけど……」
「実はもう一人いたってやつ?」
ココアたちはレイジよりずっと前に、彼の兄が他界していると聞いていた。だから彼の言ったことを信じられず、事実かを確かめる。
だが真実は一つに対し事実は複数ある。淡路小通が推測したように、レイジには兄が複数いて、一人は死んでいて別の一人は彼とともに帰省したという二つの事実だ。
二つの事実が間違いか正しいか、それを決定付ける真実は一つだけだ。
「いや一人だけだ。死んだってのは嘘だ」
「えっ、そうなの!?」
ココアたちが握っている、死亡している認識が間違いだとレイジは告げる。彼女たちもあくまで噂で聞いただけであり、死の瞬間を目撃したり墓や仏壇といった物的証拠を掴んでいるわけではない。
「嘘つき」
「俺じゃねえよ、言ったのは」
むしろ逆に、レイジは兄が生きているものと思い込んでいた。ならココアたちへ情報を流したのは誰か、それはヒカリだ。
「嘘だよ……レイジも見たでしょ」
「何を」
ヒカリの説得をレイジは食い気味に弾く。言いたいことは分かっているが、それは結局証拠にならない。事情を知らない人たちの前で話すことではないから、余計な情報が出る前に遮る。
「何をって、あの気持ち悪い絵を」
「……気持ち悪い?」
ヒカリは咄嗟に頭に浮かんだ言葉が声に出た。それを聞いたレイジは彼女を突き飛ばした。
「痛っ……」
「ツバサの絵が気持ち悪いだと」
机をずらす勢いで押され、床に転げるヒカリ。それを見下すように躙り寄るレイジ。その目は怒りに満ちていた。
その様子を見たココアは、三か月前のイベントでタイムスリップして出会った過去のレイジが、絵を濡らされてブチ切れた光景がフラッシュバックした。
ヒカリが見たのは茗荷谷翼の部屋の壁を埋め尽くすように貼られていた、レイジの兄の似顔絵だ。
客観的に考えてホラーだが、それでもツバサが精一杯描いた絵だ。それを貶したことが、レイジの逆鱗に触れる。
ヒカリは逃げる気力も失い、罰を受ける覚悟を決めた。言葉でいくら謝っても心の内を見透かされるので無駄。むしろ気持ちが籠っていないことを読まれると一層苛立たせてしまう。
「……反省したようだな」
レイジの呟きに、ヒカリは耳を疑った。
謝った覚えはない。恋敵が自室に想い人の兄の絵を描いて一面に貼り、本人に見られても軽蔑されないのは納得いかない。
そればかりか、奇妙だと感じた自分が責められる。やるせない気持ちで、けれどもレイジを怒らせたのは事実だから、彼の気が済むまで体を捧げるつもりでいた。
けれどもレイジは、まるで謝罪を見抜いたかのように手を引いた。心にも態度にも表れていないのに、彼には何が見えたのだろうか、ヒカリは不気味に思った。
一方でレイジにも考えがあった。ここでヒカリは内心深く反省しているように周りにアピールすれば、怒りを引き摺っていないと、争いは済んだと思い込ませることができる。彼女の心を読めるのは自分だけという特権を利用して、いいように事実を上書きしたのだ。
だがヒカリには手を貸さない。警戒した彼女が取り乱すと面倒なので、黙って自分の席へと戻る。
一変した教室の空気。レイジが以前言っていた、春休みのうちに帰省して、故郷にとある思想を浸透させた黒幕を暴きにいくという話の進展について、聞き出せる者は居なかった。
聞かれないからレイジも話さない。夢を叶えるために、意欲の妨げとなる要素は事実であっても明かさない。それが彼の故郷の思想。それは”ノーツ”を使うことによって、自由に夢を叶えられる人とまったく叶えられない人の二種類の人間がいることから始まった。
叶えられない、選ばれなかった側に誰が該当するかを隠すことを目的に、人の夢を叶えることに執着する世界。そんな実態など、話したところでこの島の住民には関係のない話なのだから。
そして二人組三組による、春休み中にマスターしたチームワークお披露目大会の話もなかったことになった。