516話 最悪のパターン
三月下旬。菜の花が満開の季節に、春休みを迎えた三門玲司は兄とともに空港を目指す。行き先は二人の故郷。長い電車旅の中、レイジはこれまでの出来事を振り返る。
「島での生活はどうだ? 母さんから色々聞いてはいるけど」
「なかなかに波乱万丈な日々だったよ」
最後に会ったのは二年以上前のことで、そうなった理由はレイジが突如故郷を出て、遠くの島で暮らし始めたからだ。
その間レイジはどんな生活を送っていたか兄に聞かれると、今までの日々の記憶が鮮明に蘇った。それはまさに、何が起こるか分からない、アグレッシブな毎日だった。
「この島に来たとき……海岸に漂着した俺を拾ってくれた命の恩人の居候になって、近くの高校に通うことになった」
レイジは望んでこの島に来たわけではない。そして母と暮らし始めたのは半年経ってからであり、それまでは同級生の下で世話になっていた。
「高校に入学して、“ノーツ”っていう特殊な力の測定をして……思えばあれがすべての始まりだったな」
レイジが暮らす島の最大の特徴。それは一部の人が、炎を出したりフィジカルを増強したりといった、超能力染みた力が不定期に目覚めることだ。
そしてどんな“ノーツ”を持っているか測定を行い、性質に応じてランクが付与される。レイジがSランクと判定されたのは、高校に入学して間もないときのこと。
「特殊な力……お前の目か」
「ああ、後は読心術も」
兄はレイジが持っている力に心当たりがある。それは小学生の頃、空から降ってきた赤い光を右目に受けたレイジは、見た人の願いを叶わなくさせる力を宿した。
加えて彼にはそれ以前から、心を読む力がある。総合してSランクと評された。
「その目のせいで故郷では疎まれていたが、こっちではエリートなんだな」
「ああ、こっちの人は俺を憎まない。単純に、期待の新人だと熱く歓迎してくれたよ」
“ノーツ”の存在が世界に広まると、悪用する人間が襲来してくる恐れがある。ゆえにこの島は外部との連携を絶っている。レイジの素性を知っているのは、彼より先に正式に島へ転校していた幼なじみくらいだ。
目の偏見がないこの島において、当初のレイジはSランクのトップに君臨し話題となった。当時四人しかいなかったS+ランクとも張り合えたとか。
「入学早々、うちの学校に乗り込んできた奴がいてさ。いきなり勝負を仕掛けられたんだ」
その挑戦者とは久里浜華燐のことだ。微弱な熱を持つ幻の炎を生み出し、それを纏うことでパワーを増幅させる“ノーツ”を持つカリンは、Sランク首位がレイジによって塗り替えられたことを知ると高校を早退し、彼の帰宅に間に合うように彼の高校へ乗り込んできた。
それがレイジとSランク上位陣、そしてその上のランクとの勝負の始まりとなった。
「勝負か。勝ったのか?」
「ああ。この目のおかげでな」
パワーで張り合うと勝ち目はないから、カリンが納得してかつ、レイジにも勝機があるルールを提案した。
案は通ったものの追い込まれたレイジは止むを得ず右目の力を使い、カリンの勝利を阻止した。
「すごいじゃないか」
「ああ、最初は皆そう言ってくれたよ。でももっと上が現れた」
レイジのレベルが霞むような、圧倒的な実力者。その登場が早すぎたせいで、彼の評判はすぐに流されてしまうことになった。
「上?」
「そもそも俺らの学年での話だから兄貴には馴染みないよな。俺より少し後にもっとヤベー奴がワラワラ出てきてさ」
これらはあくまでも同学年の中での話に過ぎないが、その限られた世界においてもレイジの登場は一過性の話題に過ぎなかった。彼が台頭して僅か一ヶ月後に現れた、新たなS+ランクのトップたちに話題を吸われたせいだ。
「最初はS+ランク四人、俺が倒す気だったけど……」
「へえ、初耳だな」
「誰にも言ってない。成し遂げた後に言うつもりだったから」
入学早々、Sランク上位六人に三勝一敗の好成績を収めたレイジは、そのままの勢いでその上の四人のS+ランクを倒そうと目論んでいた。
しかし彼より先にその上に立った者がいた。彼女たちは彼のように貪欲に勝利を狙っておらず、いつの間にか追い抜いたというもので、トップに立ったことに喜びを感じていなかった。
「でも俺より先にトップに着いた奴らがいて、そいつらは強さに興味なかったものだから、馬鹿らしくなって」
後に続こうとは思えず、レイジは夢を諦めた。そのとき兄は疑問に思った。
「じゃあそいつに勝とうとはしなかったのか?」
「ああ、まるで次元が違う。遥か未来から来たみたいに」
ランクやその中の序列は必ずしも強さと比例するものではないが、到底勝てる相手ではないと見たレイジは、競うのを諦めることを選んだ。
そもそも競っていたことさえ、なかったことにする気でいる。
レイジに挫折を味わわせた一人、神田玄。彼女は“ノーツ”抜きに圧倒的な身体能力を誇り、一度見た物は視界の外へ行っても現時点の動きが見えるという隙の無さに長けた“ノーツ”を活かし、誰にも負けない頂点に立った。
「そんな怪物を生み出してしまったのは、俺のせいだ」
レイジは島に来る三年前に、ハルカとカリンに会ったことがある。そのときの出来事が、彼女の強さ、そして二人を分かつ元凶となってしまった。
「中一のときのバスケの大会で、俺はそいつの……神田と久里浜のチームと戦った。そして恨みはなかったけど、そいつらの心を折ろうとした」
「あの大会か……確かに、あの頃のレイジは荒れていたな」
故郷での境遇に苛立ちが溜まったレイジは、無関係な人にこっそりと八つ当たりをした。そのターゲットがカリン。彼女のせいで敗北したかのように試合をコントロールし、狙い通り彼女を孤独に追い込んだ結果、彼女はハルカとの仲が険悪になり、二人は別々の高校へ進んだ。
「その償いを果たすために、俺は神田に挑んだ。久里浜をあいつと向き合わせるために」
レイジはハルカに勝とうと思っていなかったが、カリンとのわだかまりを解消させるためにも、彼女の素顔を曝け出そうと抗った。
結果、カリンはトラウマを乗り越えて和解することはできた。
「で、和解したはいいものの、いざこざの原因は俺なせいで」
「二人ともレイジのことを信用しなくなった、ってところか?」
概ね当たっている、とレイジは黙って頷いた。二人が絶縁するきっかけを作った張本人であり、その動機が彼なりの正義でなく単なる憂さ晴らしだったわけで、彼が割り込んでこなければ二人が高校で離れ離れになることはなかったのだから、許してもらえるはずがない。
「黙っておけばよかったのに」
「そうもいかなかった。特に神田は、久里浜の心に傷をつけた犯人を見つけ出す気でいたから」
和解して、過去のことは一件落着、とはならなかった。ハルカはカリンとの拗れの原因を作った人に仕返しをするつもりでいて、レイジはいつまでも素性を隠しておけないと考えた。先に自分がその犯人だと明かしておけばよかったとも思えたが、今さら反省しても後の祭り。
だから問題の日から三年後の大会で、レイジはあのときと同じ本性を露にすることで、素性を明かしたのだ。
「考えが甘かったんだよな。俺は二人のこと覚えていたし」
レイジは自分の判断を悔いていた。結局素性を明かすにしても、カリンの信頼を得る前にやっておくべきだったのだと。そしてそうした方がいいと思ってしまった臆病な思考を改めたいと願う。
「あわよくば、過去の俺を忘れて二人が仲直りできればそれでいいと思っていたから……来たるべきときに話そうと思ってしまった」
「なるほどな……まあ、最悪のパターンを想定しておけばってところか」
ハルカの憎悪の大きさを甘く見ていた。カリンと拗れを解消しても仕返ししないと気が済まないケースを想定していれば、備えて先に謝ることができた。
そうしなかったのは、現実を知らない方が幸せでいられるという、知らぬが仏の精神でいたためだ。
「だから、久里浜とはもう絡まないようにする。どれだけ償おうと過去は消えないし、また何かされると怯えさせないためにも」
「それもありかもな」
過去の態度をどうこう言っても仕方がない。だからレイジは今後のことを考えた。信頼を取り戻すためにあれこれ干渉するのではなく、極力関わらないことにして、危害を加えると疑われる機会を減らす。
その方がベターだという結論に至り、そう決めたことは本人たちにも話している。
「でもレイジ……本当にそれでいいのか?」
兄がレイジが、それをベストと思っているとは感じられず、そう尋ねた。心を読めるレイジは、逆に自分の本心を見透かされる感覚に慣れておらず、思わずピクリと体が弾む。
「ははっ、相変わらず分かりやすいな、君は」
そして幼い頃から変わらずポーカーフェイスが苦手なレイジを見て兄は微笑んだ。手玉に取られることを恥ずかしく思いながらも、昔の姿を覚えてくれている兄を実感し、ようやく会えた事実を噛みしめる。
「久里浜には、俺以外にも支えてやれる人がいる。俺が口出ししなくても、きっと解決してくれるから」
「俺以外、ね」
責任を投げ出したわけではなく、他人を信頼して委ねたのだと知り、兄は安堵した。しかしまだ納得したわけではない。
「最悪の事態を想定して、それで最善と言えるか」
レイジがさっき言っていたことを行動に移せていないと、兄は指摘を入れる。彼は図星を突かれたものの、考えを改めるには至らない。
だから兄に、相談することにした。
「久里浜に、彼女の座を賭けて勝負する気の奴がいるんだ。まず久里浜が勝つだろうけど、もしもそいつが勝ったら……」
レイジはカリンの身に迫る直近の波乱について打ち明けた。彼はこの激突について、予測はしているものの彼女には何も話していない。彼の他に、事情を知る人がいて、彼らがカリンへ報告しており、それで十分だと思ったからだ。
「万が一にも勝たせないために、レイジは何をする?」
兄はアイディアを話さない。思いついてはいるが、それは心の声としてレイジへ伝えている。それを採用するか応用するか、あるいは否定するか。彼の言葉を聞くことにした。
「久里浜の代わりに、俺が勝負する」
「そう……それでいいんだな」
出したアイディアをそのまま受け入れられ、兄は少し残念な気になる。だがレイジとその人の関係を深く知るわけではなく、その点については彼本人の方が詳しい。
兄はレイジの判断を信じつつも、宣言したからには実践するよう念を押す。
「でも言ったからにはやり遂げろ。ビビって何も行動しなければ、結局は傍観者だ」
「分かっている」
兄はレイジの目を見て、確かな覚悟を宿していると察した。だがそれは、何か大事なものを犠牲にするような、悲しげな表情にも見受けられた。
「……なぁ、兄貴。ツバサとはどういう関係なんだ?」
「いきなりどうした?」
突然話題が変わって兄は困惑する。だがレイジにとっては無関係ではない。彼がカリンのために取ると決めた行動は、今の質問の答え次第で確固たるものとなる。
「あいつ、兄貴の使った過去問とか持っているし、兄貴が死んだことだって知ってた」
「ああ……」
兄は事故によって命を落とし、以降はレイジの幼なじみの茗荷谷翼の絵で作られた偽りの存在という設定としている。その秘密をレイジに知られなように隠していたわけだが、真相は暴かれた。
そこでレイジは、なぜツバサを秘密の共有相手に選んだのか尋ねる。本当は最悪の答えであったときのこが怖くて聞かないようにしていたが、今は受け入れる覚悟ができている。
「付き合っているか……そう聞きたいんだな」
「ああ」
レイジは迷いなく答えた。兄は返答に迷ったが、彼の求める答えを察して返事を出した。
「そうさ。ツバサの方から俺に」
「分かったもういい」
レイジは食い気味にストップをかけた。聞きたいのはイエスかノーかであり、それ以上の詳細はむしろ知りたくない。
「でもありがとう。おかげで覚悟は決まった」
レイジの初恋は破れた。だがそれは、彼がカリンを助けるための強い意思を支えるものとなった。