94 王家連続暗殺未遂事件【カイン視点】
デボラがニングホルムでエルハルドと共に事件に巻き込まれている頃。
カインとクロヴィスは、珍しく第三皇子・アリッツが住む剣の宮に招かれていた。
剣はカニンガム家の象徴。第二側妃・ロザリアの居住区でもある。
「この度は大変お疲れさまでした、クロヴィス兄上。アストレー公爵閣下。まだ全てが終わったわけではありませんが、多忙なお二人にとって束の間の休息になればと思い、本日はこうして茶会の場を設けさせて頂きました」
本日の主賓であるアリッツは、ニコニコと微笑みながら兄とその友人を迎え入れた。クロヴィスはともかく、今までアリッツと個人的な会話を交わしたことさえないカインは、何とか理由をつけてここから退出できないものかと考えを巡らせている。
「こちらこそ今回はアリッツに色々助けられた。こうして親睦を深められるのは私も嬉しいよ」
一方のクロヴィスと言えば弟の成長が嬉しいらしく、これまた満面の笑みだった。そこにアリッツおススメのスイーツが、ずらずらと運ばれてくる。
「こちらは僕が贔屓にしているミュミエール洋菓子店の新作ケーキです。飲み物は紅茶、コーヒー、アルコールなど各種ご用意してありますが、いかがいたしますか?」
「そうだな、じゃあ私はコーヒーをもらおうかな」
「……」
ワゴンで運ばれてきた数々のスイーツを見て、カインはげんなりした。元々超が付くほど少食なのに、これまた胃がもたれそうな甘いものばかりを並べられても……。
そんなカインの様子に気づいて、アリッツは苦笑した。
「アストレー公爵は甘いものが苦手とお聞きしていたので別のものを用意してあります。チェン・ツェイ殿から購入した緑茶や和菓子などを取りそろえております。お口に合えばいいのですが」
「チェン・ツェイ?」
覚えのある商人の名を耳にして、カインは視線を上げた。デボラと親しい商人を、なぜアリッツが知っているのか。その視線の意味を正確に汲み取ったアリッツは、尋ねられるまでもなくこう答える。
「実はアストレー公爵の奥方様には色々助けて頂いたんです。お金の価値を知らなかった僕に、経済を学ぶきっかけを下さったのがデボラさんと、友人のロクサーヌ嬢なんです」
「デボラが……」
まさか第三皇子のアリッツとまで、いつの間にか知り合いになっていたのか。
そういえばデボラの素行調査報告書にミュミエール洋菓子店の名があったな、とカインは思い出す。もしかしてアリッツまでデボラに心酔しているんじゃなかろうな……と思わず身構えるものの。
「特にロクサーヌお姉様……いえ、ロクサーヌ嬢の叱咤激励のおかげで、僕は自分がどれほど皇子として怠慢であったかを自覚することができました。ロクサーヌ嬢にはこれからも僕の良き師であってほしいと願っているんです」
その後アリッツの口から飛び出すのはロクサーヌ、ロクサーヌ、ロクサーヌ……。
どう見てもアリッツがベタ惚れしているのはデボラの友人の方だった。
とりあえずこれ以上面倒なことにはならなそうだ……と、カインは安堵する。
「そうか、ならばこれからのアリッツにますます期待したいところだな」
「恐縮です。僕、兄上を助けられるように頑張るつもりです!」
アリッツは鼻息を荒くし、上機嫌で自分の紅茶にジャムを一匙落とした。
今までは王位争いのライバルとしてしか交流してこなかった二人が、こうして協力し合えるのはいいことだ。カインは目の前に運ばれてきた緑茶を口に含みながら、和やかな兄弟の姿を静かに見守った。
「……、………うっ」
「アリッツ?」
しかしその直後、異変が起こる。
突然アリッツが苦しげに呻いたかと思うと、そのまま椅子から派手に転げ落ちたのだ。
「う、ぐ……あ、兄上……っ」
「アリッツ!?」
「毒だ、ルイ!」
「!」
アリッツの顔色が一瞬で青白くなったのを見て、カインは叫んだ。クロヴィスも倒れたアリッツに素早く駆け寄ると、弟の口に指を突っ込んで口に入れたものを無理やり吐かせる。
「う、ぐ………っ、げほっ、ごほっ……っ!」
「侍医を呼べ! すぐに解毒の準備を!」
「は、はいっ!」
クロヴィスの命令に、その場にいた侍女達は騒然となった。アリッツはよほど苦しいのか、唇をがくがくと震わせながらクロヴィスの腕に縋る。
「あ、兄上、僕……」
「心配するな、必ず助かる。気を強く持つんだ」
「あ、に……」
そのままガクリと、アリッツは意識を失う。クロヴィスが弟を介抱する傍らで、カインは先ほどアリッツが紅茶の中に入れたジャムを手に取った。
「これだな」
小皿に入れられたジャムからは、不自然な甘酸っぱい匂いがする。果実系の匂いとよく似ているから、普通の人間は気づかず口に入れてしまうのだ。
「おそらく使われた毒はカシュオーン産のニライの毒だ」
「カシュオーン産……」
カインの指摘に、クロヴィスは険しい表情になる。
クロヴィスは常日頃から命を狙われているため、毒殺に対する警戒心は人一倍強い。だが今日はアリッツのホームに招待されたため、ついつい油断してしまっていた。
剣の宮で働く使用人達も、アリッツが暗殺の対象になるとは全く想定していなかっただろう。普通ならば必ず毒味役がいるはずだが、アリッツがこうして苦しんでいる現実を見ると、彼の警護はお粗末だったと言わざるを得ない。
「しかもこの毒は俺やお前じゃなく、アリッツ皇子を直接狙ったものだ」
「アリッツを!? なぜ?」
「俺やお前を狙うならジャムに毒は仕込まない。俺もお前もコーヒーや紅茶に甘味料は入れないからな」
「確かに……」
そうこうしている間に王宮付きの医師達が到着し、アリッツの治療が始まる。
「使われたのはニライの毒だ! すぐに解毒処置を!」
「ははっ」
「それから直ちに剣の宮全体を封鎖せよ! 茶を用意した侍女と、厨房の者も全員拘束しろ!」
「ぎょ、御意!」
剣の宮は先ほどとは一転、剣呑な雰囲気に包まれた。侍医達に運ばれていくアリッツの姿を見送りながら、クロヴィスは悔しげに舌打ちする。
「しかしなぜ私でなくアリッツなんだ? もしやこれも私を陥れるための策なのだろうか……」
「……」
クロヴィスは苦渋の表情を浮かべ、どうしてアリッツが毒殺されそうになったのか、その理由を考え始める。
いちばん在り得るのは対抗勢力による、クロヴィスの追い落としだ。
この状況で、まず最初に犯人として疑われるのは同席していたクロヴィスやカインだ。
今回の王都災害支援で、アリッツはその才能を如何なく発揮し、周りの評価を見事に覆した。
それを不服に思った第一皇子が毒を盛った……。
特にアリッツを擁立したいカニンガム家はそう考えるに違いない。
しかし敵の狙いがクロヴィスを追い詰めることだとしても、あまりにもやり方が強引すぎる。今まで人畜無害だった第三皇子を狙う必要性が、一体どこにあると言うのだろう?
「ク、クロヴィス様、一大事でございます!」
「どうした!?」
だが事態の急変はそれだけではおさまらない。なぜかクロヴィス付きの王国騎士の一人が、慌てて部屋に駆け込んできたのだ。
「ラヴィリナ皇女が……、ラヴィリナ様が、突然お倒れになられました!」
「なにっ!?」
「倒れてすぐ医師を呼んで現在治療中ですが、医師が言うにはおそらく毒を盛られた可能性が高いと……」
「ラヴィリナまで……毒殺だと!?」
先ほどまで真っ青だったクロヴィスの顔から、さらに血の気が引いた。
わずか12歳のラヴィリナ皇女は、クロヴィスの異母妹でありながら溺愛の対象者でもある。健気に慕ってくれる妹の身にも危機が迫ったとあって、さすがのクロヴィスも激しく動揺する。
「ルイ、お前はリナ様のそばについていて差し上げろ。こっちのことは俺が何とかする」
「カイン……」
「しっかりしろ。敵の狙いが何なのかはわからないが、一斉に王族が狙われたのは事実だ。お前自身も身の回りに気をつけろ」
「……、ああ、わかった」
クロヴィスは踵を返し、足早に剣の宮から退出していった。
カインはこれから怒鳴り込んでくるだろう第二側妃やカニンガム公の相手を、クロヴィスの代わりにしなければならない。
(一体ヴァルバンダ王家の周りで、何が起きているんだ……?)
一人その場に佇みながら、カインは眉を顰める。
それは今までずっと隠れ続けていた闇が突然表に現れたかのように。
予想もしなかった王族連続暗殺未遂事件は、王宮だけでなくこの国全体を大きく震撼させることとなったのだ。
それから丸二日ほど、カインはクロヴィスの代わりに事件関係者の交渉窓口となった。
予想通り、主にカニンガム家からの抗議が激しかったが、アリッツだけではなくラヴィリナ皇女も狙われたことにより、クロヴィスへの疑念は早々に払拭されることとなった。
その後の調べで、ラヴィリナ皇女に盛られたのもニライの毒であることが判明。アリッツのジャムに毒を仕込んだ調理師は自害し、また現在ラヴィリナ皇女付きの侍女も尋問を受けている最中だ。
幸いクロヴィスが咄嗟に毒を吐かせたことで、アリッツはすでに快方に向かっているが、処置が遅れたラヴィリナ皇女は未だ昏睡状態のままだった。
「ルイ……」
「……………」
ようやく事後処理が落ち着き、カインは事件発生から三日目の夜にラヴィリナ皇女を見舞った。その枕元に付き添うクロヴィスは、普段の美男子ぶりが想像できないほど憔悴しきっている。
「少し休め、ルイ。飲まず食わずで付き添っていたら、お前のほうが体を壊してしまう」
「私が体を壊してリナが助かるなら、今すぐ死んでみせるんだが……な」
「……」
そう空笑いするクロヴィスの瞳は、いつもと違い暗く淀んでいた。
母を早くに亡くしたクロヴィスが、唯一懐いたのが第3側妃・テレーゼで、そんな彼女が自分の命と引き換えにして産み落としたのがラヴィリナ皇女だ。
だからこそクロヴィスにとってラヴィリナはどんな至宝にも代えがたい大事な家族。彼の唯一の弱点だと言ってもいいだろう。
「……カイン、すまない」
クロヴィスはカインに背を向けたまま、ぽつりとつぶやく。
「気にするな。お前はただリナ様が目覚めることだけ祈っていればいい」
「………」
愛する妹の苦しむ姿を見ていることしかできない兄。
カインはそんなクロヴィスを不憫に思い、静かにラヴィリナ皇女の寝室を立ち去った。
「……本当に……すまない」
クロヴィスが宵闇の中で呟いた謝罪の本当の意味を、その時は察することもできずに……。
そしてカインがラヴィリナ皇女の見舞いを終えたところで、新たな報告者がやってきた。デボビッチ家から駆け付けたのはデボラの護衛のコーリキとジョシュアである。
「どうした?」
ジョシュアはともかく普段は落ち着いているはずのコーリキの狼狽ぶりを見てカインは嫌な予感を覚える。
案の定、コーリキから受けた報告は信じられないものだった。
「アリッツ様とラヴィリナ様の暗殺未遂事件でお忙しいところ申し訳ありません。ですが実は表沙汰にはなっていないのですが、先日エルハルド殿下も郊外である者から狙撃を受けました」
「つまり第二皇子にも暗殺の手が?」
カインの質問に、真っ青な顔をしたジョシュアが頷く。
これでクロヴィスを除く第二皇子、第三皇子、ラヴィリナ皇女と、王位継承権を持つ王族すべての命が狙われたことになる。しかも犯人の狙いが全く分からない。これだけ多くの王族を一度に暗殺して、一体敵に何の利があるのか。
「それでエルハルド殿下を銃撃から庇ったのが、実はデボラ様だったんス……」
「――」
コーリキとジョシュアは改めてカインに向かって深々と頭を下げる。
刹那、カインの眼底にカチリと激しい火花が散って、思考回路が瞬く間にショートした。
なぜ、どうして、デボラがエルハルドと共にいたのか。
なぜ、デボラは自分の身を呈してまでエルハルドを庇ったのか。
様々な感情と事実が入り混じり、カインの中の嫉妬をごうごうと煽り立てていく。
「一度では飽き足らず、再び重大な失態を犯してしまい面目もございません。その後エルハルド殿下を狙撃した犯人は護衛騎士によりすぐ捕縛されましたが、デボラ様が気を失って倒れられて」
「それでデボラは今どこにいる」
おおよそ予想は付くものの、そうであってほしくないという思いを込めてカインはコーリキに尋ねる。
だが返ってきた答えは、カインを激昂させるのに充分すぎるほどのものだった。
「実はデボラ様はそのまま治療と称し、エルハルド殿下がお住まいになる薔薇の宮に連れていかれてしまいました。当デボビッチ家としてはすぐにデボラ様をお迎えに上がったのですが、名誉の負傷をまだ治療中とのことでデボラ様を返して頂けていません」




