92 破滅の序章
私の部屋が何者かに荒らされて以来、デボビッチ家は絶えずピリピリしていた。
あいにくとまだ公爵は王宮での雑事が忙しく、屋敷には帰ってこれない。その代わりに私の周りの警護を倍に増やし、久々に外出禁止令も出された。
今回ばかりは私も大人しく命令に従い、社交を控えてデボビッチ家に引き籠っている。時折屋敷を訪ねてくれる友人知人の存在が、唯一の心の慰めだ。
「今回は大変な目に遭いましたわね、デボラ様。天下のデボビッチ家に盗みに入るなど、なんて無礼千万な輩でしょう」
「まさか被災者支援にかこつけて屋敷内に忍び込むなんて……。絶対許してはいけませんわ」
そう怒りを露にしてくれるのは、本日お茶を飲みに来てくれたロクサーヌとマノン様だ。この二人にはボランティア活動でもお世話になった。
ただ一つ、違和感があるとすれば、この場にあれだけしつこかったルーナがいないことだ。
「そう言えばルーナ、体の調子が悪いんですって?」
「ええ、招待状にそう返信が来たわ」
「元気なあの子が体調不良なんて、それこそ明日槍でも降るんじゃないかしら」
ここにはいないルーナのことを噂しながら、私達は思わず笑ってしまう。
でも本当にどうしたのかな、ルーナ。
あれだけうっとおしく思っていたものの、いざ彼女がいないとなると一抹の寂しさを感じてしまうから不思議なものだ。
「それにしても盗賊の狙いは一体何だったんでしょうかね? 幸いにも何も盗まれていなかったのでしょう?」
「うーん、そうなのよね……」
ロクサーヌに尋ねられ、私は深く考え込む。
私の部屋を荒らしたのは、やっぱり例のグレイス・コピーがらみの組織の仕業にしか思えない。でも敵が私の何を欲しがっていたのかがわからないのだ。
「ねぇ、ロクサーヌ」
「はい?」
そして私は、元々ロクサーヌを攻略しようと思っていた動機を思い出した。
取り巻きキャラの彼女を味方にすれば、社交界でも有利になるからと思ったんだけど、彼女に近づいた理由はもう一つ。かつてマーティソン子爵家で開かれたお茶会に、彼女も出席していた気がするのだ。
「私の記憶に間違いなければ一年ほど前、マーティソン子爵家主催のパーティーに出席していなかった?」
「ああ、そんなこともありましたわね。あの時デボラ様とお話しする機会はございませんでしたけれど」
やっぱり。
私は大きく身を乗り出して、その時のことを詳しく聞いてみる。
「その時に何か奇妙に思ったことかなかったかしら? 例えばイクセル叔父様の言動に不自然な点があったとか」
「さぁ、どうでしょうかね? 子爵と会話していたのは主にわたくしの母でして……。傍らで話を聞いていたわたくしからすれば、子爵は朗らかで話題が豊富な好人物という印象でしたわ」
「そっか、そうよねぇ……」
ロクサーヌの証言を聞いて、私は少なからず項垂れた。
くっそぅ、我が叔父ながら生前は本当に外面がよかったのね。だからこそ例の黒幕相手にも、うまく立ち回っていたんでしょうけど。
「ただ商人としての視点から言わせてもらえば、大変抜け目がない……と言う感じがしましたわね」
「抜け目がない……」
「ええ、わたくし、失礼ながらたくさんの商人と商売してきたからわかりますの。あれは狐というより……、いえ、亡くなった叔父様を悪く言うのは、デボラ様に対して失礼ですわね」
「ううん、遠慮なく忌憚ない意見を聞かせてちょうだい」
私は少しでも事件の手がかりになればと思って、ロクサーヌの証言に耳を傾ける。ロクサーヌは最初言いづらそうにしていたけど、私が根気よく促すと重い口を開いてくれた。
「実はマーティソン子爵家には、色々後ろ暗い噂がございましたわ。何でもかなり危険な商品の裏取引を行っているとか」
「やっぱり……」
「子爵ご本人もその噂を知りながら、うまく立ち回る狡猾さがあるように見受けました。こう言っては何ですけど、わたくしが一番近づきたくない人種です。商人の風上にも置けませんわ」
ロクサーヌはガチャンと乱暴にティーカップをソーサーの上に置く。
「ですからサロンの噂とは別に、デボラ様に対しても最初あまりいい印象がございませんでした。だってあのマーティソン子爵の姪御さんでしょう? でもそれもとんだ誤解でしたわね。大変申し訳ございません」
「いいえ、いいのよ。そう思われても仕方ないわよね……」
私はふぅと一つ息をついて、ロクサーヌの証言の一つ一つを頭の中で確認する。
やっぱり見る人が見れば、叔父の行動はかなり怪しいものだったのだ。公爵やクロヴィス殿下が内偵を入れていただけはある。
「なんだかよくわかりませんけれど、デボラ様の叔父様は随分計算高い人でしたのね」
そして全く事件とは無関係のマノン様が、私達の話聞いて率直な感想を述べる。
それは客観的だからこそ、ある意味事の本質を見抜いていた。
「それならばマーティソン子爵は、死んでもただでは死なないタイプだったんでしょうね。もしこの世に未練を残していたら、幽霊になって出てきそう……」
「まぁ、マノン様ったら」
突然オカルト方面に話が向いて、私とロクサーヌと一緒に笑ってしまった。
幽霊……か。確かに執念深いあの叔父なら化けて出そう。
もちろんそんなのはすぐに浄化してやるけどね!
悪霊退散! 急々如律令! エロイムエッサイム! エロイムエッサイム!
「それでデボラ様、マーティソン子爵と今回の窃盗事件に、何か関係がありまして?」
「ううん、いいの。忘れてちょうだい。単なる私の思い過ごしかもしれないから……」
「……」
私は作り笑いを浮かべて、ここで話題を打ち切ることにした。
もう少しロクサーヌの見解を聞きたいとは思うけれど、彼女まで事件に巻き込むわけにはいかない。今日聞けた話だけでも充分参考になったし、今はこれで良しとしよう。
「……水臭い。もう少し私を頼って下さってもいいと思うのですけれど」
私の言い方に何か思う所があったのか、ロクサーヌは不満げに眉をひそめた。
私はそんな彼女の機嫌を取りながら、別の話題がないかと探してみる。
「そう言えばご存じですか? 最近、王家の三人の皇子の人気がうなぎのぼりなんですってよ」
タイミングよく、新しい噂を提供してくれたのはマノン様だ。それはそれで興味が持てる話題だったので、私は全力で乗っかる。
「人気……と申しますと?」
「先日の災害で、三人の皇子はそれぞれ得意分野で活躍なさったでしょう? クロヴィス殿下は議会をまとめ、腰の重い軍を動かし王都復興への道筋を整えた。加えて末弟のアリッツ様はクロヴィス殿下を補佐し、財務省や町の商工会との交渉を受け持った。この辺りは私よりもロクサーヌのほうが詳しいとは思いますけれど」
「ご、ごほん……っ! そ、そんなことはありませんわ!」
アリッツと一括りにされ、ロクサーヌは心なしか頬を紅潮させる。
「それにエルハルド殿下も。イグニアー家出身のエルハルド殿下は、今まで庶民にとって最も馴染みがなく、遠い存在でした。でも今回の災害支援の現場司令官として熱心に動かれて、民からの評価は見事にひっくり返りました。まさか王族が真剣に民のために働いてくれるとは思わなかった。エルハルド殿下を見直した……って」
「なるほどねぇ~」
こうして話を聞いてみると、確かに三人の皇子のバランスが絶妙だ。
頭脳派で政に長けた第一皇子に、その補佐ができる第三皇子。そしてフットワークが軽く、民の心を魅了することを得意とする第二皇子。この三人が手と手を取り合えれば、素晴らしい政治が行えるかもしれない。
「デボラ様もそう思いますか? 実は私の周りの貴族もそういう意見の人が増えています。三人の皇子はいずれも為政者としての才能があり、お互い協力できれば怖いものなしなんじゃないかって」
「なんだか王位継承問題の風向きが変わってきましたわね。これは早急に我が商会でも対策を練る必要がありそうですわ……!」
なんでも金儲けに結び付けたがるロクサーヌは、早速脳内ソロバンを弾いていた。
それにしても王都を襲った災害が、逆に三人の皇子の結束を固めるきっかけになるなんて皮肉な話だ。けれど仲が悪いままでいるよりは、ずっといい。
(それに本当に三人が協力できれば、やれ薔薇派だの、やれ剣派だの、派閥争いもなくなりそうだし……。これって良いこと尽くめなんじゃないかしら?)
この時、私はのほほんと良い方に、良い方にと考えを巡らせていた。
けれど三人の皇子の評判が上がれば上がるほど、それをよく思わない輩も出現する。
そして三人の皇子に悲劇が降りかかるのは、それから間もなくのことだった。
つらつらと長い王都編をここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
ここまでが王都編・盛大な前振りでした。
くそ、ここまで来るのに92話………。
次回から大きく物語が動きますので、引き続きよろしくお願いします。
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