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91 張り巡らされる糸2




 私はマグノリア救貧院の庭先に咲くグレイスを見て、息を飲んだ。

 一瞬にして頭の中が漂白される。

 そして自分が何のために王都にやってきたのか、改めて立ち返るのだ。

 そうだ、この花のせいで私は家族を失った。

 そして今また夫である公爵も、この花にまつわる事件に巻き込まれている。


 そもそもアストレーにしか咲かない花が、なぜこの場所で咲いているんだろうか。

 考えれば考えるほど頭が混乱し、気づけば口の中がカラカラに乾いていた。



「……そこにいるのはどなた?」

「!」



 庭先に立ち尽くしている私に、不意に声がかけられる。

 私は背中に鋭い視線を感じ、慌てて振り向いた。


 ……そうだ、この視線。

 なんだか細かい静電気がまとわりつくような……。王宮での舞踏会の時にも同じような視線を感じた。

 そして背後を確認すれば――

 そこには小姓達を引き連れるマグノリア様が立っていた。


「あ、マグノリア様……」

「………」


 私は急いでドレスの裾を取り、マグノリア様に向かって膝を折る。

 でもその間も嫌な予感が体中を駆け巡り、心臓がバクバクしていた。


「……あなた、どなただったかしら?」

「――へ?」


 でもその張り詰めた緊張感も、マグノリア様の一言で中断される。

 あ、あれぇ? マグノリア様、もしかして私が誰だか……わからない?

 今まで何度もお会いしているし、私のキャラって自分で言うのもなんだけど、だいぶ濃い目だと思うんだけどなぁ。


「マグノリア様、こちらアストレー公爵夫人でいらっしゃいます。お忘れですか?」

「あ、ああ、そう……だったわね、ごめんなさい。疲れがたまっているのかしら?」


 けれどすぐに小姓の一人が、小声でマグノリア様に耳打ちする。それでどうやら私のことを思い出してくれたようだ。


(なんかすっきりしないなぁ。さっきのチリチリした視線、絶対マグノリア様だと思うんだけど……)


 私は依然頭を低く下げながら、正体不明のもやもやに悩まされる。

 私を鋭く睨みつけながら、でもその一方で私の名前をド忘れしているマグノリア様。

 こんな矛盾って、あるのかしら?


「その白い花を見ていたの?」

「あ、は、はいっ!」


 そしてマグノリア様は花壇の前にしゃがみ込み、グレイスに向かって手を伸ばす。それから軽く頭を振って、落胆のため息をついた。


「やっぱり駄目ね。今回こそうまく咲いたと思ったけれど」

「え?」

「花弁のところをよく見てごらんなさい。うっすら黄ばんでいるでしょう? これは虫にやられた証拠よ。このままじゃ種をつけるのは無理ね」

「あ、本当だ……」


 言われてみれば、グレイスの花弁は少ししおれて、元気がない様子だった。マグノリア様はその花弁を摘まみながら、苦笑する。


「大丈夫、この花は本物よ」

「あ、はい」

「アストレー地方にだけ咲く稀有な花だと聞いて、その株を取り寄せたの。大変有用な薬になる花だとか。けれど一度も栽培に成功したことはないの。もしも栽培に成功すれば、多くの民が救われるのにね……」

「………」


 なるほど。多くの慈善活動をしてきたマグノリア様が、グレイスの栽培を試みようとするのは充分あり得る話だ。もしもこの花が薬として流通するようになれば、色々な種類の感染症の治療が可能になるからだ。

 うーん、やっぱり私の考え過ぎだったかな? マグノリア様曰くこの花は本物で、紛い物のグレイス・コピーではないようだし。


「デボラ様、すいません、お待たせしました。……あ」

「コーリキ」


 そして温室の様子を見に行っていたコーリキが、私のもとに戻ってきた。マグノリア様がいるのを見て、慌てて頭を下げる。

 一方マグノリア様はゆっくり立ち上がり、再び私を見た。


「そう言えば、今日は何の御用でいらしたのかしら?」

「あ、はい。この度の災害支援でマグノリア様にご教示いただけたこと、決して忘れません。今日は貴族代表として、そのお礼に参りました」

「まぁ、殊勝なお心がけね。こちらこそお世話になりました。ありがとう、サブリエール伯爵夫人」

「……」


 ぐぁぁぁっ! また名前を間違われたぁっ!

 マグノリア様の発言が単なるボケなのか、それともわざとらしい嫌味なのかわからなくて、私は混乱する。

 けれど当のマグノリア様は相変わらず慈愛の微笑を浮かべたまま、グレイスの花を慈しむように見つめていた。





             ×   ×   ×





「はぁぁぁー、なんか釈然としない……」


 マグノリア救貧院からの帰り、私は馬車の中で脱力した。

 なんだか異様に疲れてしまったわ。結局あの後敷地内でハリエットの姿も見当たらなかったし、マグノリア様は終始私の名前を間違われるし……。

 やっと見つけたパズルのピースがうまく当てはまらないような、そんなもどかしさを感じていた。


「あれぇ? さっきからどうしたんすか、先輩。なんだか難しい顔してるっスよ」

「え?」


 そして馬車に同乗してくれているジョシュアが、隣に座るコーリキに話しかける。確かにコーリキは眉間に深い皺を寄せて、何やら考え込んでいた。


「あ、申し訳ありません。何でもありません、気にしないで下さい」


 コーリキは言葉を濁すけれど、私にはその態度が何となく引っかかる。


「何でもないということはないんじゃない? 救貧院の温室で何か気になるものでも見つけた?」

「………」


 私が問いただすと、コーリキはやや逡巡した後に、自分が何を目にしたのかを報告し始めた。


「ええ、温室ではたくさんの異国の植物が栽培されておりました」

「そうね。庭にもたくさんの種類の植物が植えられていたもんね」

「マグノリア様は他国の宗教団体とも交易しているから、いろんな花の種とか苗も手に入るんじゃないっスか? それが何か問題っスかね?」

「………」


 ジョシュアが純粋な疑問を口にすると、コーリキは「これは後でカイン様にも報告させて頂きますが……」と前置きした上で、自分の考えを述べ始めた。


「確かにマグノリア様は諸外国にも名が知られた聖職者であられ、救貧院に外国産の植物があっても何ら不思議ではありません。ただ……」

「ただ?」

「あの温室には、カシュオーン産の植物や花が多く栽培されていたように見受けられるのです」

「カシュオーン……?」


 耳慣れない言葉を耳にした私は脳内辞書を引っ張り出してみる。

 カシュオーン……カシュオーン……。

 あ、そうか、そう言えばカシュオーンって海を隔てた隣国の名前だったっけ。確かアンジェリカ様の旦那様の故郷だったはず。


「それに何の問題が?」

「お忘れですか? カシュオーン国は、グレイス・コピーの最大輸出国です」

「あ……!」


 そこまで言われて、私はジョシュアと顔を見合わせた。

 コーリキに指摘されるまですっかり忘れていたけど、確かにカシュオーンと言えば悪役右大臣が支配する危険極まりない国だ。

 

「それにしてもコーリキ、よくカシュオーン産の植物なんて見分けられたわね」

「これでも一応カイン様の護衛で、何度か港の検閲にも立ち会いましたしね。あと何かの役に立てばと、植物図鑑を読んでいたりもするんです」

「す、すごいっス! さすがコーリキ先輩、オレも見習わなきゃ……」


 ジョシュアはコーリキの記憶力の良さに感動していた。

 一方コーリキは、自分の考えを述べれは述べるほど深刻な表情になっていく。


「とは言え、あの植物が有害だったのかどうかまでは区別がつきませんでした。それにカシュオーン産だからと言って、全ての品種が害悪なわけでもありません。でも……」

「でも?」

「清貧をモットーとする救貧院に似つかわしくないものがあった……と言う悪印象は、どうしても拭えないですね……」

「………」


 今度はコーリキだけでなく、私やジョシュアも深く黙り込んでしまった。

 多くの民に慕われ、今回の災害でも被災者の希望の星となったマグノリア様。

 そんな方がまさか……なんて、私も考えたくない。

 突如浮かんだこの疑念が、どうか間違いであってほしいと心から願う。


「とにかくこの件はどうか内密に。私からカイン様にご報告すれば、すぐに内偵が入り詳しいことがわかるでしょう」

「わ、わかったわ」

「了解っス」


 コーリキに言い含められ、私はとりあえず口を固く閉ざすことにした。

 さっきのマグノリア様の鋭い視線と言い、温室で育てられていたというカシュオーン産の植物といい……。

 予想外のところから灰色の雲が流れてきて、私は不安という感情に振り回されることになった。




 そして一度動き出した疑念は、新しい疑念を生む。

 マグノリア救貧院からデボビッチ本邸に戻ると、そこでも新たな事件が発生していたのだ。


「あ、デボラ様大変ですだ! デボラ様のお部屋が何者かに荒らされましただ!」

「えっ!?」


 玄関ホールに入るなり、真っ青な顔をしたレベッカが私のもとに走り寄ってきた。私はコーリキとジョシュアを連れて、すぐに自分の部屋へと向かう。


「うわぁ~、これは……」

「見事にやられたな……」

「……」


 部屋に辿り着くと、中はひどい有様だった。

 昔刑事ドラマで見たような光景が、そのまんま目の前に広がっている。

 衣装ケースやドレッサーは見事にひっくり返され、引き出しという引き出しは全部漁られていた。投げ出された服や小物で床は足の踏み場もなく、いかにも空き巣が入りました……と言わんばかりの光景だ。


「も、申し訳ありません! これは留守を預かっていたわたくしの管理不行き届きでございます!」


 その場に駆け付けた侍女頭のクローネが、ひれ伏さんばかりに頭を下げた。私はすぐにその手を取って、彼女のせいではないとかぶりを振る。


「そんなに責任を感じないで。誰が悪いかと言われれば、それは盗みに入った奴が当然悪いわよ」

「ですが……」

「すいません、デボラ様、一体何が盗まれたのか、確認お願いできますか?」

「了解よ」


 コーリキに言われ、私はエヴァやレベッカに手伝ってもらい、部屋の私物を調べてみた。

 けれどおかしい。ざっと見たところ、高級な宝石やドレス、金目になりそうなものはもちろん、何一つ盗まれていない。


「変ですね。公爵夫人の私室に盗みに入るという大胆不敵な真似をしていながら、何も盗まれたものがないなんて……」

「だよね……」


 私の部屋に盗みに入った犯人の狙いは一体何だったのか。全く予想がつかなくて、私達は途方に暮れる。


「とは言え、日夜厳重に警備されている公爵邸に……しかもその奥方の部屋を荒らせる手練れとなると限られてきます。クローネ殿、最近使用人以外にこの屋敷に出入りした怪しい者に心当たりは」

「怪しいかどうかはともかく、先日までマグノリア救貧院の支援物資をお預かりしていたため、運送業者や救貧院の関係者が頻繁に屋敷内に出入りしておりましたわ」

「あ……っ!」


 ここでまたマグノリア救貧院の名前が出て、私は思わず大きな声を上げる。


「また救貧院っスか……」

「いや、早まるな。そう見せかけたいだけの敵の罠かもしれない。ここまであからさまにデボラ様の部屋を荒らすのは、何か別の意図があるはずだ」

「………」


 コーリキは厳しい表情で辺りを見回すと、「とにかくヴェイン隊長を呼んできます」と一旦現場を離れた。

 その後は誰もが荒らされた部屋を前に立ち尽くし、文字通り絶句している。


(一体私の周りで何が起こっているの……?)


 王都に来てから初めて敵から大きなリアクションがあって、情けないことに私の足はがくがくと震えていた。前々から覚悟していたはずなのに、いざ直接攻撃されたら、私の心はこんなにも容易く恐怖に支配されてしまう。


(だめ……だめよ、デボラ。ここで弱気になっちゃ。私が弱気になったら、一体誰が公爵を助けるの……!?)


 私は自分の体を強く両手で抱きしめ、大地を踏みしめる二本の足に「フンッ!」と力を込める。

 こんな時、ふと脳裏をよぎるのは最悪の予感だ。

 『きらめき☆パーフェクトプリンセス』が始まる時間軸まで……残り1ヶ月と少し。ここで私が進むべき道を間違えたら、公爵はゲーム設定どおり死んでしまうかもしれないのだ。


(一体誰が敵なのかは知らないけれど、こんな脅しになんか屈しない! 絶対未亡人になんかならないったら!)


 正体不明の敵を前にして、私は改めて戦意を奮い立たせる。

 でもこの時点で、敵が私の大事な人達にまで罠を張り巡らせているなんて――



 浅はかな私に、そんなこと予想できるはずもなかった。





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