87 皇子達の駆け引き【エルハルド視点】
王都の至る所で大雨と火事の被害が発生し、多くの民が困窮している頃。
王宮では災害対策緊急議会が開かれて、今後の対策が練られていた。
しかし一夜が明けたというのに、議題はちっとも進まない。会議場には名だたる貴族や軍人が集まっている――にも関わらず『災害の後始末』などという責任ばかりが重く、実入りが少ない役割を誰もやりたがらないからだ。
「恐れながら我がカニンガム家の駐屯軍のほとんどが、今は辺境の警備に詰めております。隣国の動きが活発化している中、軍を呼び戻すことはできません」
「ならば王国騎士団を出すのはどうか」
「失礼ながら騎士は王族と、王族がおわす宮殿をお守りするのが主な役目。決して下働きをするために存在するのではございません」
(茶番だな……)
議会の長であるクロヴィス第一皇子の周りで、自らの保身に終始する貴族・軍人達。その言い分を聞きながら、第二皇子・エルハルドは必死にあくびを噛み殺していた。
明け方に緊急議会が招集されてよりすでに三時間。第一皇子のクロヴィスだけでなく、当然エルハルドもこの場へと呼ばれていた。
けれどエルハルドは兄・クロヴィスの有能さを知っていたし、こんな時自分は何の役目にも立てないことを自覚している。故にその場にいるだけで、とりあえず議題に口を挟むようなことはしなかった。
議会の中に用意された王族専用の席から見下ろしていると、クロヴィスとその補佐役であるカインが、そろそろキレかかっているのが分かる。
さてさて、兄上のお手並み拝見……とばかりに、エルハルドは高みの見物を決め込んでいた。
「兄上、遅くなりました!」
「(ん?)」
だが議会に新風を吹き込んだのは、意外なことに今まで政に一切関わってこなかった第三皇子・アリッツだ。議会場に入ってきたアリッツは財務大臣を後ろに従えて、議長であるクロヴィスのもとへと向かう。
「兄上、災害支援のために、どれほど国庫からの支出が必要か、こちらの書類にまとめてあります。ですがどう考えても、備蓄だけでは賄えません。ですからこの際、貴族から義援金を募るのはいかがでしょうか?」
「これをお前がまとめたのか? この短時間に?」
「はい、何の力も知識もない僕ですが、民は国の宝であり、私達王族や貴族は民の税金で暮らしている身です。こんな時こそ身を粉にして働くべきだと思ったのです」
「ふむ……」
クロヴィスはアリッツから書類を受け取って、ざっと目を通した。
第三皇子の聡明さを初めて目の当たりにし、誰も彼もが「おおっ」と、大きなどよめきを上げている。中でもアリッツの後見役でもあるカニンガム家は、アリッツの予想外の行動に狼狽えた。
「アリッツ様、民を助けたいというお心がけは立派ですが、そのような大事、この私に一言相談して下さればよかったものを」
カニンガム家当主であるラデツキー=カニンガムは、アリッツに対し明らかな不満を述べる。カニンガム家にとってアリッツは単なる傀儡であらねばならない。聡明で賢い皇子では、いずれ他国に戦争をけしかけたいと目論むカニンガム家の利には成り得ないからだ。
しかしそんなカニンガム公の意見を遮って、クロヴィスは満足げに微笑む。
「いや、このリストよくできている。アリッツ、まさかお前がここまでやるとは、正直思っていなかった」
「お褒めにあずかり恐縮です」
「財務大臣、こちらの義援金リストは実現可能か」
「はっ。先ほど租税として徴収された総額から、各貴族の義援金負担額をはじき出しましたところ、これだけの義援金が集まれば、王都の復興も早急に可能かと」
「ふむ……」
誰もが義援金を強制的に徴収される……と恐れる中、エルハルドもまずい事態になったと、低く舌打ちをする。
まさかここでアリッツが有能さをアピールしてくるとは思わなかった。
これではただ議会に出席しているだけの自分の無能が、際立ってしまうではないか。
「――エルハルド」
「はい、兄上」
――ほら、来た。
これだから嫌だったんだ。
エルハルドは内心辟易しながら、クロヴィスに名指しされて席を立つ。
強い後ろ盾はないながらも政に対し壮大な理想を持ち、それに邁進するクロヴィス。特に目的もなく享楽的に毎日を過ごしているエルハルドにとって、そんな兄の存在はまぶしすぎるのだ。
「誰も行かぬと言うのなら、私自らが王国機動隊を率い司令官として町に出よう。その代わり、おまえにこの場を任せたい」
「は? 兄上が町に? 正気ですか?」
「正気も正気。今回の王都復興は父王の名代としてこの私が全ての責任を持ち、義務を果たす。貴公らもそれで文句はなかろう?」
クロヴィスが議会内を見渡すと、誰も彼もが気まずそうに目を逸らした。
だがここで意外な人物がクロヴィスの提案に難色を示す。
そう、誰あろう我らがデボビッチ家の当主・カイン=キールである。
「いや、ちょっと待て。長であるおまえが議会を離れたら、それこそ今後収拾がつかなくなるぞ」
カインはエルハルドを冷たく一瞥し。
「こいつには、無理だ」
と、きっぱりと言い切る。
カインのこの発言にはさすがのエルハルドも笑みを消し、憮然とした表情になった。
「確かに私は議会を離れるべきではないかもしれない。けれど誰かがやらねばならぬのだ。こうしている間にも多くの民が亡くなり、今日という一日を過ごすことにさえ困窮している。早急に手を打たなければならないのは自明の理」
クロヴィスは苦笑しながら、カインとエルハルドを交互に見る。
「という訳で、一つ提案だ。私が抜けた穴は、アストレー公爵がエルハルドの補佐につくことで埋める……と言うのはどうだろう?」
「嫌だ」
「絶対嫌だ!」
カインとエルハルドは、ほぼ同時に。
ほぼ同じ声量で、クロヴィスの提案を却下した。
カインにとってはエルハルドは自分の妻にちょっかいを出す不逞の輩。
エルハルドにとってカインは気になる女性の夫で、いわば目の上のたんこぶ的存在。
まさに水と油。
犬と猿。
まるで好きな女の子を取り合う幼稚園児並みにレベルが低い。
だがカインもエルハルドも、どうしてもこの男とだけはキャッキャウフフはできないのだ。
「やれやれ、民が困っているこの時でさえ、手を取り合うことはできないのか」
「手を取り合える要素がどこにある」
お前、ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ、と、カインの体から暗黒オーラが立ち上った。
クロヴィスが本気で頼めば大概のことには折れてくれるカインだが、ことデボラが絡んでくると、カインは理性を失い、冷静な判断が出来なくなってしまう。そんな友の変化をいい傾向だと思っていたクロヴィスだが、今回のケースではそれが裏目に出た。
さて、どうしたものかと頭を抱えた――その時。
「あー、あー、わかりました。わかりましたよ、兄上! では私が司令官として町に出ましょう! それで問題は全て解決でしょう!?」
「え」
「え」
「え」
「え」
「え」(以下略)
ほとんど投げやりのエルハルドの発言に、クロヴィスも、カインも、アリッツも、その他の議員全てが「え」しか言うことができなかった。エルハルドは「なんだその反応は」と不満に思いつつも、ようやく重い腰を上げる。
(アストレー公爵に補佐につかれるくらいなら、俺自ら町に出たほうが百倍……いや、千倍ましだ! 損な役回りだろうが何だろうが、喜んで引き受けてやろうじゃないか!)
第二皇子……と言っても、執務のほとんどを兄のクロヴィスに任せ、女遊びばかりに興じていたエルハルドの世間的信用は薄い。
彼がチート能力を発揮していたのはあくまでゲーム内でのこと……。まだゲームが始まっていないこの時点では、彼の政治手腕はクロヴィスより遥かに劣り、またエルハルド自身もそれがコンプレックスでもあった。
「わぁ、エルハルド兄上もとうとうやる気になられたのですね! 僕嬉しいです。兄弟三人力を合わせて、民のために頑張りましょう!」
「お、おう……」
そんな中、いち早く気を取り直し、エルハルドのもとに駆け寄ったのは天真爛漫が売りのアリッツだ。純真無垢な瞳で見つめられ、エルハルドはなんだか居心地が悪くなってしまう。
「……そうか、エルハルドがそう言ってくれるなら、司令官はお前に任せるとしよう。ブライトナー将軍」
「………はっ」
エルハルドの言質をとったクロヴィスは、ある一人の将軍の名を呼ぶ。
前に進み出たのはイグニアー家の外戚に当たり、普段は西の要所を守る辺境伯だ。
「貴公に王国機動隊の第1師団から第3師団までを預ける。その師団を連れ、司令官たるエルハルドの補佐を頼む」
「御意」
エルハルドが司令官に名乗りを上げたことで、イグニアー家も巻き添えを食うことになった。
こうしてようやく議会の方針は定まり、それぞれがそれぞれの目的のために動き出す。
「では皆迅速に動かれよ! 我ら王族・貴族は常に民と共にあり、国家は民あればこそ成立する! その民の危急の時なれば、おのが義務に改めて立ち返り、その責務を行使せよ。これはヴァルバンダ王国第一皇子クロヴィス=ディ=ヴァルバンダの勅命である!」
デボラがここにいれば『これはもうクロヴィス殿下を攻略できる追加ディスクは絶対発売すべきよ、きゃああああーーーっ!!!』と狂喜乱舞すること間違いなしの、総司令・クロヴィスの凛々しき宣言。
しかしクロヴィスが名君の器を見せれば見せつけるほど、エルハルドの心には暗い影が落ちるのだった。
× × ×
(はぁ~、これからどうしようか……)
そうしてやってきました、城下町へ。
王都復興の旗印たる司令官に任命されたエルハルドは、着慣れない鎧を着こみ、下町にほど近いマルトリッツ男爵邸に大陣営を置いていた。
とは言っても、エルハルドは特に何もすることなくボーッとしている。むしろマルトリッツ男爵が用意した酒を飲みながら、丁重な接待を受けているくらいだ。
兄から現場の司令官を任されたと言っても、所詮エルハルドはお飾りの大将。
実際に王国機動隊に指示を出して動くのは、ブライトナー将軍だ。
むしろ貧乏くじを引かされたのはエルハルドではなく、この将軍の方だと言っても差し支えないだろう。
(被災者の支援って一体どれくらいかかるんだ? 三日? それとも一週間? まさか一か月以上、ここで退屈していろと言う訳じゃないよな……)
エルハルドはこれからの日々を想像しながら、早くも嫌気がさしていた。
これから何日も何日も、ブライトナー将軍の申し立てに「よきに計らえ」とだけ言う仕事。それが第二皇子たる自分の役割。
最初から分かっていたことだが、今回の災害対策議会の総司令を務めるクロヴィスや、経済方面に目覚めた弟・アリッツが、妙に羨ましく思えてしまう。
自分にはあんな風に、夢中になれるものが何もない……。
だがエルハルドが落ち込んでいたその時、一つの騒ぎが起きた。
「も、申し訳ありません! もうしばらく……もうしばらくお待ちを! 司令官殿には急いで取り次ぎますので!」
「そんなの待ってられません! 司令官がおいでになったというのなら、急いで伝えたいことがあるのです。そこをお退きなさい!」
エルハルドはバタバタと近づいてくる声と足音に、ふと視線を上げる。どうやら邸内に響いているのは、一人はこの屋敷の主であるマルトリッツ男爵。もう一人は女性の声のようである。
(なんだ? 曲がりなりにもここは王族が駐屯する大陣営だぞ。しかも男爵相手にこうも強気に出れる女とは一体………。いや、待てよ、この声はもしかして……)
エルハルドは突然閃き、勢い良く立ち上がった。そして応接間のドアを開け、自らの足で廊下に出る。
「殿下、いかがいたしました?」
扉の前に立って護衛していたのは、いつも通りエルハルドに付き従う騎士・リゼルだ。エルハルドは先ほどとは打って変わり、期待に満ちた表情で辺りを見回す。
「リゼル、こちらに近づいてくるあの声に、聞き覚えはないか?」
「そう言えば……」
エルハルドの予想通り、その女性は肥え太ったマルトリッツ男爵の制止を振り切り、廊下の角を曲がって姿を現した。
ぬばたまの黒髪に、ルビーのような赤い瞳。
今日は粗末な形をしているが、彼女本来の美しさは、やはり隠しきれない――
「やぁ、また会ったな、夜鳴鶯。突然訪ねてくるほど寂しかった?」
「げっ! まさか軍の司令官って……エルハルド殿下!?」
大陣営にいるエルハルドのもとに押し掛けてきたのは、公爵家夫人であるデボラ=デボビッチ。
暇つぶしの相手を見つけたエルハルドは、たまには損な役回りも引き受けてみるもんだな……と、薄くほくそ笑んだ。




