81 第三皇子のスイーツ大作戦3
「あ・いやー、デボラ様! こんなところで会えるなんて奇遇あるネ! これも仏様のお導きアルよ!」
「あら、あなたは……!」
ルビーネ国際市場を見て回っていた私達に、不意に声をかける者がいた。
なんていう偶然。なんという巡り合わせ。
背後から人好きする笑顔で近づいてきたのは、アストレーで私の力になってくれた異国の商人だった。
「チェン・ツェイ! あなたもシェルマリアに来ていたの?」
「はいなー。デボラ様のおかげでアストレーでの商売も軌道に乗ったネ。次の目標は王都進出アルよ!」
「あ、チェン・ツェイさん、こんにちはー!」
「久しぶりだべな! 意外なところで会うべ」
「お嬢ちゃん達も相変わらず元気そうアルねー」
私達は再会を祝して軽く抱き合った。
アストレーから王都に来てからまだ一カ月ほどしか経ってないけれど、チェン・ツェイの顔を見たら急激に懐かしさがこみ上げる。
イルマやマリアンナ、ケストランやアビーやリリ。アストレーのみんなは今頃元気にしてるかしら?
そう感慨に耽っていると、隣に立つアリッツやルーナが揃って首を傾げた。
「あの、デボラ様、こちらは……」
「あ、紹介するわね。彼はアストレーの商人で、チェン・ツェイ。東方の国の珍しい商品を扱っているの」
「よろしくアルねー」
「東方の珍しい商品………!」
チェン・ツェイの紹介にがっつり食ついて生きたのは、言わずもがなロクサーヌだ。その顔には「これはまた金儲けの匂いがする……!」と書いてある。
「皆さん、よかったらチェンのお店に寄っていってほしいネ。市場に出店したばかりで、まだまだお客様少ないアルよ。東方の食べ物の美味しさ、みんなに知ってほしいアルよ」
「あ、私お茶漬け食べたい~!」
「おらはキムチ鍋がいいべ!」
アストレーですっかり和食通になったエヴァとレベッカのテンションが爆上がり。その様子を見て、ルーナも「なんだかよくわかんないけど美味しいものなら食べたいです!」とノリノリで便乗した。
今の所これといった食材を見つけられていなかったリュカも、東方の食べ物に興味があるようで、チェンの言葉に甘えてみんなでお店にお邪魔することになった。
チェンのお店の玄関には竜の置物がドン!と置かれていて、どこぞの中華街を思わせるような装飾だった。逆に王都では異彩を放ちすぎて、客に敬遠されていると言えなくもない。
お店の一部はレストランになっているけど、あいにくとお客は全くいなくてガラガラ状態だった。
「王都に出店したはいいけど、宣伝戦略に失敗してるアルねー。デボラ様に何かいい知恵出してほしいアルよ」
「あのね、私はそもそも投資家でも経営者でもなんでもないんだけど」
店主であるチェン自らに接待されつつ、私達は予定外のお茶の時間を楽しむことになった。大きな円卓に座った私達の前に、さまざまな食べ物が運ばれる。
「デボラ様のお好きなおせんべいもアルね。米粉や小豆を使ったお菓子もご用意できるネ」
「あー、おせんべい! 日本人のソウルフードよね、これ!」
私は目の前に出された海苔せんべいや、ごませんべいを手に取ったバリバリと食べ始めた。逆におせんべいを初めて見たアリッツやロクサーヌは目を丸くしている。
「これ、食べ物なんですか? なんだか異様に硬くて、色も赤茶けているような……」
「これは東方風のクッキーみたいなもんだべ。甘いというよりはしょっぺぇけど、一度食べたら病みつきになるべ!」
「それに海苔を巻いたものから醤油でこってり焼いたもの、それにごまをまぶしたものと色々味にも種類があるんですよ!」
アストレーですっかり和食に詳しくなったエヴァやレベッカが、おせんべいについて詳しく説明する。さらにみんなの前に緑茶が出され、それを口にしたアリッツが悲鳴を上げた。
「うわっ、なんだ、このお茶。とても苦い……っ」
「本当だ。砂糖かミルクはないですか?」
紅茶を飲み慣れている王都民にとって、緑茶の苦みは予想外だったらしい。アリッツもルーナが渋い顔をしているのを見て、思わず私は笑ってしまった。
「残念ながら、この緑茶には砂糖もミルクも添えませんの。むしろこの苦みが癖になりますのよ?」
「えー、でも全然甘くないですよ、このお茶。私の知っているお茶とは全然違います!」
ルーナは訝しりながら、再び緑茶を口にした。けれどお子様味覚の彼女は、緑茶がお気に召さなかったようだ。
「でも確かに言われてみれば、微かな苦みはありますが、このお茶の香りは独特な気がします。とても爽やかで後味がすっきりしているというか……。今までに経験したことがない味です」
「本当ですわね。確かに苦みは強いですけれど、これはこれでとても美味しいお茶ですわ。苦味を美味しいと感じる嗜好の方も一定数いるはずですしね」
やはりリュカとロクサーヌはさすがというか、すぐに緑茶の良さを分かってくれた。
苦味はいわゆる後天的味覚だ。ビールやウィスキーを最初から美味しいと思わないように、経験を重ねることで苦みを旨味と感じるようになる。
するとリュカは何か閃いたように大きく目を瞠り、小声で呟いた。
「そうか……俺はずっとケーキや菓子は甘くなければならないと思い込んでいた。けれどこの苦みや甘しょっぱさを、応用できればあるいは……」
「え? まさか苦いケーキを作るってこと?」
リュカのつぶやきに、ルーナが驚いたように声を上げる。
でも確かにこの王都では甘いお菓子しか食べたことがないような気がする。甘いものもいいけど、前世日本人だった私としては、みたらし団子やポテトチップスなんかのしょっぱいお菓子も恋しいわ。
「もちろん苦さに特化したお菓子……てわけじゃないよ。でも例えばチョコレートケーキでも、ビターチョコを多めに使ったりとか、この緑茶を使ったケーキなんかは目新しいと思うんだ。このオセンベイっていう東方の菓子も面白い。うん、なんだか創作意欲が湧いてきたよ……!」
「素晴らしいですわ! わたくしも東方のお茶と菓子は大変気に入りました。是非とも我が商会でも取り扱いさせて頂きたいと思います」
チェンのお店のメニューは、リュカの料理人魂、ロクサーヌの商魂に火をつけたようだ。
よかった、よかった。これで新作ケーキの件も何とかなりそうね。
「それにしても世界は広いんですね。お金の件といい、この東方の不思議なお菓子といい……。僕は自分が世間知らずなことを思い知りました」
そんな中でただ一人、アリッツが神妙な顔をして、自分の立場を振り返っていた。
元々はリュカを助けるための市場見学だったけど、今日の出来事は第三皇子の意識改革にも一役買ったようだ。
人生何がどう転ぶかわからないもんだなぁ、と思いつつ、私は暢気に緑茶を啜るのだった。
それから約十日後。
私達は再びチェン・ツェイのお店に集まり、リュカの試作ケーキの味見に付き合った。
あれからリュカは試行錯誤を重ね、ようやく新作ケーキを完成させた。それは緑茶をベースにしたグリーンティーケーキで、今までのミュミエール洋菓子店にはなかったタイプのケーキだ。
「あ、少しほろ苦いけど、これなら私も食べられる!」
「それに色どりも美しいわね。ホワイトチョコレート作られたお花もとても可愛くて貴族の子女が喜びそうなデコレーションね」
リュカの新作ケーキは本当に美味しくて、アリッツやルーナが「リュカは天才だ!」と絶賛していたのも頷ける。おそらくこれなら舌の肥えた師匠や難癖をつけてきた兄弟子も、一口で黙らせることができるだろう。
「あいやー、もしミュミエール菓子店追い出されても心配無用アルね。これほど腕のいい職人さんならば、是非うちのお店で雇いたいアルね!」
「チェン・ツェイさん、ありがとうございます!」
むしろチェン・ツェイはリュカを自分のお店にスカウトする気満々だ。リュカは苦笑し、困ったように頭を掻いている。
「素晴らしいですわ。リュカのケーキも、東方の食品も我がスチュアート商会と提携して、王都で販売できればと考えています。けれど……」
さらに商売っ気を出したロクサーヌが、ここぞばかりにソロバンを弾く。
ただし新しい商品を販売するにはそれなりに問題があるようだ。
「東方の国からの輸入品を販売するのは、従来品に比べてコストがかかります。そのコストを上乗せすると、緑茶や菓子などの嗜好品はかなり高額になってしまい、販売層が貴族に限られてしまうのが難点ですわね」
「あいやー、東方の食べ物、貴族様だけじゃなく庶民にも広まってほしいアルよ。かといってこれ以上原価を下げると儲けが出ないアル」
そうロクサーヌとチェンが頭を悩ませていると、壁際にいた人物が遠慮がちに片手を挙げた。
「あの差し出がましいのですが、僕から一つ提案いいですか?」
「……アリッツ様?」
ロクサーヌが振り向くと、アリッツは遠慮がちに自分の意見を述べ始める。
「実はお金の存在を知って、僕は今までの自分を恥じました。リュカが新作ケーキを作ろうと頑張っている間、僕も経済の専門家を呼んで、最低限のことを勉強しました。今の王都の物価、庶民の賃金の平均値、王都民の税が一体何に使われているのか……。付け焼刃ではありますが、ほんの少しはこの世の中のことを勉強したつもりです」
「まぁ……」
このアリッツの学ぶ姿勢に、私は驚きを隠せなかった。
なぜなら『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の中のアリッツは、政治的手腕については一切触れられず、最初から最後まで能天気な弟キャラだったからだ。
最も象徴的だったのは彼が王位継承権を辞退して、スイーツ専門店を開くという庶民エンディング。つまり彼は為政者としては極めて無能と描かれていたのだ。
けれど――
「それで色々学ぶうちに、この王都では物流のコストが最もかかるじゃないかと思いました。例えば地方の穀物を王都で販売する場合、まずは産地から集出荷施設への輸送、その後港への輸送、さらにその荷を卸売り市場や物流拠点に運び、さらに小売店へ出荷させる。この全てに輸送代がかかるため、費用が莫大なものになってしまいます」
「確かにアリッツ様の言う通りです。さらにその荷を積んだり下ろしたり、そう言った人件費もかかりますわね。食品ならばそれを保管する倉庫も必要となり、もし商品が売れなければ保管費もかかってきます」
アリッツの意見に、ロクサーヌは真剣に耳を傾けた。
えーと、なんか私には理解できない難しい話になってきたわね。
それにしても先日までお金のおの字も知らなかったアリッツが、たった十日でここまで立派に意見できるようになるなんて。意外に彼は努力家なんだとわかり、私のアリッツに対する印象がガラリと変わる。……もちろんいい方に。
「それで僕、考えたんですけど、輸送に費用が掛かるのはそれぞれ別々の業者を使っているからじゃないかと。ならばその物流専門の部署を作ればいいんじゃないかと思うんです」
「まぁ、つまりそれは専属の運送業者を起ち上げろってことですの!?」
「はい」
ロクサーヌは厳しい表情になり、腕を組んで考え込んでしまった。
東方の輸入品に将来性は感じるものの、新たに運送業者を起ち上げるにはそれなりの先行投資が必要となる。
「確かに物流を自前の会社に統一することができれば、時間と労力の短縮、さらには費用削減に繋がりますわね。その際は輸入品自体の売り値もぐんと安く設定できるはずです」
「じゃあ……!」
「とは言っても、そこまで大掛かりな運送業者を起ち上げるとなれば、さすがに私の独断で決定はできませんわ。もちろんチェン・ツェイ殿の協力も必要不可欠となりますし」
「もちろんチェンの商会も出資させてもらうアルよ! これは大きなビジネスチャンスと見たアルね!」
チェンは商魂たくましく、すぐさまアリッツのアイディアに飛びついた。
アリッツの突然の変わりように、ルーナもリュカもポカンとしている。
「なんか難しくてよくわからないけど、アリッツってやっぱり皇子様なんだねー。すっごく頭いいのね」
「そ、そんなことはないよ、ルーナ」
「いや、ついこの前までお金を知らなかった奴の言葉とは思えないぜ! アリー、お前みたいに庶民のことを考えてくれる奴が王様になってくれたら、俺は嬉しいけどなぁ」
「リュカまでそんな……」
ルーナとリュカにベタ褒めされて、アリッツはまんざらでもない様子だ。またロクサーヌのアリッツを見る目も少し変わったように思う。
「もちろんアリッツ様のご意見は、数ある対処法の一つにすぎませんわ。ですが物流のコストを見直すという点はとても優れていると思います。確約はできませんが、これから我が商会に戻り前向きに検討させて頂きます」
「ほ、本当ですか、ロクサーヌお姉様……!」
「は? お、お姉様?」
アリッツの口から予想外の単語が飛び出し、ロクサーヌは言わずもがな、私まで思わず動きを止めてしまった。
一方のアリッツと言えば、頬を紅潮させながらロクサーヌのことをウルウルとした瞳で見つめている。
「レディ・ロクサーヌ……いえ、ロクサーヌお姉様と呼ばせて下さい。あなたのおかげで僕は自分の未熟さを嫌というほど思い知りました。どうかこれからも、世間知らずの僕の良い導き手になってくれませんか?」
「え………えぇぇぇぇえええーーーっ?」
アリッツはズズズイッとロクサーヌに近づき、その手を強く握った。
あらあらあらあらあら、これはもしかするともしかする……?
こんな展開、ゲームにはなかったけれど、ロクサーヌの厳しい言葉がアリッツの皇子としての資質を開花させたみたいだ。
「あ、アリッツ様、買いかぶり過ぎですわ。私はただ商売好きの年増女でございますし……。殿下を導くなど恐れ多くてとてもとても……」
一方のロクサーヌと言えば、5つも年下の皇子に言い寄られて頬の筋肉をヒクヒクと引き攣らせていた。その顔には『王室の面倒事に巻き込まれるのは真っ平御免!』と書いてある。
うんうん、その気持ち、私も痛いほど共感できるわ!
でもなんだかとても面白いから、このまま傍観を決め込むことにしよう。
「そんな事を仰らず、どうか僕を見捨てないで下さい。こんな無知な僕に真正面から真摯な言葉を投げかけて下さったこと、とても嬉しく思っています。僕みたいな甘ったれには、ロクサーヌお姉様くらいの厳しさがちょうどいいと思うんです!!」
「いやいやいやいや、別にそういう意味で厳しくしたわけじゃないですわーー!」
アリッツに猛アプローチされ、珍しくロクサーヌがたじろいでいた。
まるで助けを求めるように私やルーナのほうに視線を飛ばしてくるけど、私達はそれを二ヤニヤしながら華麗にスルー。おかげでロクサーヌから大声で怒鳴られた。
「デボラ様、ルーナ! 一体何のための友人ですの!? わたくし、今本当に困っておりますのよ!」
「えー、でもロクサーヌ、アリッツはかなりのお買い得物件だと思うよ? なんてったってこの国の第三皇子だし!」
「家の格が違い過ぎます! 所詮我が家は男爵家。しかも私のほうが五つも年上です!」
「でも第三皇子にそこまで慕われたら、女としての誉れではなくて?」
「デボラ様まで! とにかくアリッツ様、経済のことを勉強したいならいくらでもご教授致します。ですからこの手を放して……」
「ロクサーヌお姉様の手は案外小さいんですね。これからはそんなお姉様を守れる存在に、僕はなりたい……」
「ぎゃあぁぁぁぁーーーーーっ!」
可憐な少年の求愛を受けて、恋愛慣れしてないなロクサーヌは絶叫していた。
そんな二人を見て私やルーナ、リュカは大爆笑してしまう。
こうしてアリッツとの出会いから始まったスイーツ大作戦は『アリッツとロクサーヌの恋の始まり(ただし一方的)』という意外な結果に着地した。
それはこの世界が私の知っていたゲームの展開とは明らかに異なり、未知の未来へと進んでいる証でもあった。




