80 第三皇子のスイーツ大作戦2
リュカのために、新作ケーキのアイデアを練る――
新しく課せられたミッションに、私は頭を悩ませた。
前世の記憶があるものの、私のスイーツに関する知識なんて、一般人とそう変わりない。自分でお菓子を手作りしたことだってないし。
(というか、そもそも王都にやってきたのは、マーティソン家に放火した犯人を捜し出し、公爵を守るためだったんだけど……。なぜ私は本筋とは関係ないスイーツ大作戦に巻き込まれているのかしら?)
これが乙女ゲームなら、メインストーリーから外れたサブクエストのようなものだ。元ゲームオタクとしてはサブクエストは後回しにして、とっととメインストーリーを進めたい。
とは言っても実際こうして困った人を目の前にすると、否ときっぱり断るのも心苦しい。私は諦めの境地で、一つため息をついた。
「わかりましたわ。私にできることはお手伝い致しましょう。でもあまり期待しないで下さいませ。私、スイーツに関しては全くの素人ですの」
「デボラ様、ありがとうございます! やったー!!」
ルーナは大きく万歳して、無邪気に喜んでいる。
アリッツやリュカも心なしか、私を見ながら瞳をキラキラさせている。
その期待の視線が、私に重く圧し掛かる。ああ、できることなら今すぐデボビッチ邸に帰りたい。
「ではまず根本的な問題を列挙していきましょう。新作ケーキということは、斬新なアイディアが必要ということですわよね」
けれどこれは千載一遇の商機と判断したロクサーヌが、私の逃走を許さない。テーブルに置かれていたメニュー表を広げて、まずは論理的分析から取り掛かった。
「この店で出されているケーキはデコレーションケーキやフルーツタルト、シュークリームにババロアやゼリー」
「それにここのクッキーも美味しいんですよね。私はキャラメルクッキーがお気に入りです!」
メニュー表を見ながら私は低く唸った。
元々この世界の食文化自体が『きらめき☆パーフェクトプリンセス』と共通していて、ケーキも現代日本の物とあまり変わらない。
この世界がゲームを元にした世界だからなのか、それともそんなことは関係なく元々文化が似通っているのか。
まるで『鶏が先か、卵が先か』のコロンブスの卵みたいな命題ね。どっちにしろ、メニュー表には私が食べたことあるようなケーキばかりで、新しいアイディアなんてさっぱり浮かんでこなかった。
「ところでリュカ。念のために聞くけど新作ケーキのアイディアは本当に一つもないの?」
「すいません……」
私が尋ねると、リュカは視線を逸らして申し訳なさそうに俯いてしまった。
うーん、これはかなりのプレッシャー感じているみたいね。これ以上彼を追い詰めるのは得策ではない。
視線を横の人物に移すと、その人物も眉尻を下げながら困ったようにかぶりを振った。
「あいにくと僕は食べるほう専門で、特に目新しいアイディアは……」
「すいません、私もお菓子を自分で作ったことはありません!」
案の定、アリッツもルーナも役に立たなさそうだ。となれば、この場で頼れるのは一人だけ。
「ならばここで話し合っていても埒が明きませんわね。どうでしょう、デボラ様。日を改めて後日、ルビーネ国際市場を見て回るのはどうでしょう?」
「ルビーネ国際市場? ……なるほど、それも一つの案ね」
ロクサーヌの提案に、私は即頷いた。
ルビーネ国際市場とは、この王都・シェルマリアを代表する大きな市場のことだ。国際市場は身分の隔てなく誰にでも解放されていて、様々な食材や日用品・雑貨などが売られている。
アストレーの市場もそれなりに大きかったけれど、王都の市場はまた活気と規模が違うはず。今までケーキ用に使われていなかった珍しい食材も、売られているかもしれないわ。
「どうでしょう、皆さん。ロクサーヌの提案通り、新しい食材を求めてルビーネ国際市場を見て回ってみるのは」
「賛成、賛成、さんせーい! なんか面白そうです!」
「皆さん、お忙しい中俺のためにわざわざありがとうございます!」
ルーナとリュカはまるでピクニックでも行くようなテンションで、大きく手を挙げた。ただ一人、アリッツだけがきょとんと首を傾げている。
「ルビーネ国際市場? そこには何か面白いものがあるんですか?」
「まぁ、アリッツ様はルビーネ国際市場に行ったことがありませんの?」
「お恥ずかしながら……」
やはりなんだかんだ言っても我が国の第三皇子。大層な箱入り息子らしい。
いくらなんでも皇子に買い物の付き添いをさせるのはどうかと思ったけれど、当のアリッツは「もちろん僕も随伴させて頂きます!」と行く気満々だ。
さすがに普段の皇子スタイルでは大騒ぎになってしまうとため、当日は平民に変装してもらうことになった。
でもこのメンバーで市場見学なんて、本当に大丈夫か?
――大丈夫だ、問題ない。
まったく大丈夫じゃないフラグを立てて、私達はいよいよ当日を迎えたのだった。
「わー、やっぱり大きな市場は活気がありますねぇ! 露店もたくさん出てるし!」
一般市民に変装した私達は、はぐれないように1グループになり、ルビーネ国際市場を見て回っていた。
朝8時から開催している市場には、巨体な広場に5000以上の店が立ち並んでいる。
今日は食料品を扱う日だけれど、例えば水曜日は書籍や絵画、木曜日は骨とう品や家具といったように、曜日ごとに市場のテーマが変わる。とにかくここに来れば手に入らない物はないと言われるほど、巨大なマーケットなのだ。
「それにしても……」
私は市場の中を歩きながら、背後にいるアリッツを振り返った。
市民に変装したとは言え、護衛の騎士二人(もちろんこの二人も変装している) を連れたアリッツは、やはり一般人とは違った雰囲気をまとっている。
その正体が一般市民にバレやしないかと、始終ヒヤヒヤした。
「ね、デボラ様。あそこの露店で売っているお菓子、とっても美味しそう。試しに買ってみませんか?」
そんな中でもルーナのはしゃぎっぷりは通常運転で、早速露店で美味しそうなスイーツを見つけていた。それは蜂蜜とスパイス入りのクッキーで、紙カップに入れて売られている。
「はい、いらっしゃい。うちのレープクーヘンは評判いいよ。一口食べたらやみつきさ!」
女店主は豪快に笑いつつも、自慢の商品をアピールしていた。
ちなみに今日、私はエヴァとレベッカをお財布係として連れてきている。やはりここは私が支払うべきだろうと判断し、エヴァに全員分の代金を支払わせた。
「もちろんエヴァとレベッカの分も購入していいのよ。せっかくのお買い物ですものね」
「あ、ありがとうごぜえます、デボラ様!」
「実はレープクーヘン、前から一度食べに来たかったんですよねぇ~♪ わ、やっぱり美味しい! 来てよかったわね、レベッカ!」
「んだ!」
女の子はやはり甘いものに目がないようで、ほくほく顔でクッキーに齧り付いている。
もちろん私も言わずもがな。
あら、このクッキー本当に美味しいわ。露店で売られている商品って、高級店とはとはまた違った良さがあるわよね。
昔神社のお祭りで食べた綿菓子の味を思い出しながら、私達は紙コップ一つ分のクッキーをペロリと平らげた。
「そういえば昔俺も、こんな風に自分で作ったクッキーを村のみんなに配ってたなぁ。最近は修行修行で、こんな素朴な味を忘れてた……」
今回の主役・リュカも自分の原点を思い出したのか、感慨深くクッキーを味わっている。
そんな中でただ一人、アリッツだけが浮かない顔で首を傾げていた。
「あの、皆さんお楽しみのところ、一つ質問いいですか?」
「はい、なんでしょうアリッツ様」
「先ほど、このクッキーと引き換えに、あの女性に渡していた丸い金属は何でしょうか?」
「は?」
アリッツは今クッキーを買ったばかりの屋台を振り返り、本当に訳が分からないというような表情をしていた。
は? 女主人に渡していた丸い金属ってもしかしてコイン――お金の事かしら?
アリッツの意図がわからなくて護衛の騎士に視線を移すと、騎士達は罰が悪そうに頭を掻いていた。
「ちょっとお待ちになって、アリッツ様、もしかして貨幣の存在をご存じでない?」
アリッツのその質問に、厳しい口調で問うたのはロクサーヌだ。
ロクサーヌの本質は商人で、金儲けを生業としている。そんな彼女からしてみれば、アリッツの今の発言は聞き捨てならないものなのだろう。
「カヘイ?」
「貨幣とはつまりお金のことでございます。商品交換の際の媒介物となるもので、その商品の価値を決めるものでございます。まさか今時、モノとモノを等価値で交換する物々交換が主流だとは思っておりませんわよね?」
「……、えと………」
「アリッツ様は恐れ多くもこの国の第三皇子でございますわよね? そんなお方がまさか小さな子供でも知っている経済の常識さえも知らないなんてこと、ありえませんでしょう?」
「……」
「ロクサーヌ嬢、その発言はさすがに殿下に対し不敬に当たります」
急に黙り込んでしまったアリッツを庇うように、護衛の騎士二人が目の前に立った。
だけどロクサーヌの言いたいことはわかる。まさかアリッツがお金の使い方を知らないなんてびっくりだ。
「え? アリーってお金のこと知らなかったの?」
「ウソだろ? みんなお金を稼ぐために働いてるんだぜ? お金がなきゃ食べ物も衣服も何も買えない」
「そ、そうなんだ……」
「うーん、皇子様ってやっぱ世間知らずなんだべな」
「いやー、私も商人の娘ですから、ロクサーヌ様の呆れる気持ちはよくわかります」
「……」
みんなから非常識なことを暗に責め立てられ、アリッツは深く俯いてしまった。けれどそんな彼に情けをかけるどころか、ロクサーヌはさらに怒りを爆発させる。
「まぁ、なんてことでしょう! カニンガム家は殿下に対しどんな教育をしていらっしゃるの!?」
「ロクサーヌ、声がでかい! でかすぎる!」
私は慌てて興奮するロクサーヌの口を手で押さえて、人気のない近くの路地に引っ張り込んだ。他のみんなも慌てて私達の後についてくる。
「ですがデボラ様! これは由々しき事態ですわ。仮にも王位を継ぐかもしれぬお方が、お金の存在さえ知らないなんて!」
ロクサーヌは怯むどころか、アリッツを守る騎士二人に食って掛かる。
「あなた方も自分の主人がこれほど無知でよろしいと思っておりますの!? 甘やかすにもほどがあります! この国の民がどんな風に税を納めているのか知らない者が、王として人の上に立てまして!?」
「レ、レディ・ロクサーヌ、それはもっともでございますが……」
ロクサーヌに正論を並べ立てられ、騎士二人も怯んでいた。
とは言ってもこの騎士を責めるのはお門違いだろう。そもそもアリッツにちゃんとした教育を施さなかったのはカニンガム家で、騎士二人に直接の責任はない。
それはロクサーヌもわかっているのか、すっかりしょぼんと落ち込んでしまったアリッツに近づき、自らのバックから財布を取り出した。
「ご覧ください、アリッツ様。こちらが硬貨、こちらが紙幣。どちらも物やサービスを交換する際の道具となっています」
「硬貨に、紙幣………」
ロクサーヌから渡されたお金をまじまじと見つめながら、アリッツは真剣な顔をしていた。下位貴族から自分の無知を指摘されても無礼だと怒り出さずに、真摯に対応する態度は、やはり素直で立派だと思う。
「民はこのお金を税として納めています。税金は王室の生活を支えるためにも使われています」
「えと、つまり僕は国民のおかげで暮らせているということ?」
「その通りでございます」
ロクサーヌはまるで小さい子供に教え諭すように、経済の基本をアリッツに教えていく。
「殿下、お金とは人々が生きていく上での全ての基盤であります。先ほど申しました通り、ありとあらゆるの物品の売買には、この貨幣が用いられております。そしてお金を稼ぐには、それ相応の労働が必要となります。例えばほら、あそこに見える宝飾店の首飾り」
ロクサーヌは路地裏から見える露店を、おもむろに呼び差す。
「あの店で売られている首飾りを一つ買うためには丸一日働く必要があるでしょう。今アリッツ様が着ている粗末な服を買うためでさえ、少なくとも三日の労働は必要でしょう」
「……」
「そんな風に、他人は労働と引き換えに賃金を得ています。そしてその賃金の一部分を、税として国や領地に納めているのです」
「………」
「ですからその税を預かり、有効に活用する者として、あなたはお金の使い方、その運用法を学ばなければなりません。無知とは即ち怠慢でございます。その怠慢はいずれ人の上に立つ時、鋭い凶器となってあなた自身に襲い掛かるでしょう」
「レディ・ロクサーヌ……!」
ロクサーヌの言葉に慄いて、アリッツは悲し気に顔を上げた。
そんなアリッツに対しロクサーヌはにっこりと微笑み、うんうんと二度頷く。
「大丈夫です、殿下。今からでもまだ十分間に合います。己の無知を悟り変わろうとする志があれば、あなたの努力は必ず実を結ぶでしょう」
「そうでしょうか? 僕などクロヴィス兄上に比べたら、何もできない力ない皇子だと言うのに……」
「なぜ兄上と自分を比べる必要があるのです? アリッツ様は自分ができることに力を注げばよろしゅうございます。その第一歩が、お金の価値を知ることですわ。平民であるリュカと友人になれた殿下ならば、きっと労働者の心も理解することができるはずです」
「レディ・ロクサーヌ……」
ロクサーヌの励ましでアリッツの顔に笑みが戻り、その瞳が爛々と輝きだした。
うんうん、やはり上に立つ者は労働者の苦労を知っていなくてはね!
さすが、ロクサーヌ。いいこと言うわ!
そしてこのロクサーヌの教育的指導が、その後のアリッツの運命を大きく変えることになるなんて、この時の私は思いもしなかった。




