75 仮面の下の毒に気をつけて3
それはまるで傍から見たら、おとぎ話の1シーンのよう。
ある一人の美しい王子が、ある一人の美女を見染めてダンスに誘う。
「どうか一曲、私とお手合わせ願えますか、レディ?」
「……っ!」
見染められた美女は、麗しい王子に真っ赤になりつつ、優雅にその手を取る。
そして次の瞬間に始まる軽やかなステップ。
広いダンスホールを右へ左へ。
くるくるくるくるくる。
美しい螺旋を描くような魅惑的なダンスに、会場中の人々の視線はたちまち釘付けになる。
ああ、なんてパーフェクトな1シーン。
全乙女ゲーマーが憧れる、まさに典型的なシンデレラストーリー。
けれど私は――
「ほんっっっと、エルハルドって顔だけはいいのよね、顔だけは」
「でも中身がただの女たらしじゃ幻滅っ。なんでみんなあんな人のがいいのかなぁ? カイン様のほうが千倍……ううん、百万倍素敵なのに!」
エルハルドがアマンダを誘いダンスを踊っている間、私はテラス付近の壁際に張り付いて、じっとフロア全体を観察していた。
隣で欠伸をしているルーナも、私とほぼ同意見だ。(公爵に関する評価はともかくとして……!) ハリエットとリゼルは私とルーナの辛口批評に、顔を見合わせ苦笑している。
「お二人とも随分辛辣だねぇ。あのエルをこき下ろす女性なんて初めて見た」
「まぁ、エル様には良い薬でしょう。世の全ての女性が自分の意のままにならないことを理解すべきです」
「あら、私よりリゼルのほうがよっぽど辛辣だと思うけど?」
私達は一斉に視線を合わせ、くすくすと笑った。
あの後、エルハルドは私の願いを聞き入れ、アマンダをダンスに誘ってくれた。アマンダもまんざらではないらしくフロア中央を独占して、これ見よがしに『黄金の貴公子』とのダンスを他の女性達に見せつけている。
これでアマンダのご機嫌は取れたかしら?
イグナーツについて、何か情報を聞き出せるといいんだけど……。
私は内心ドキドキしつつも、アマンダのシンデレラタイムをひたすら見守り続けた。
それから約1時間後。
たっぷりと『黄金の貴公子・エル』との時間を満喫したアマンダは、上機嫌でバーへと戻ってきた。そしてバーの片隅に佇む私達の姿を見るなり、軽く肩を竦める。
「あなた達の趣向、悪くなかったわ。まさかあのエルと知り合いだったなんてね?」
「あの……それでイグナーツのお話、聞かせてもらうことは……」
ナニワの商人のように揉み手しながら近づくと、アマンダはバーテンダーが差し出したカクテルをクイッと飲み干す。
「いいわ。私が知っている全ての情報を提供しましょう。これだけのもてなしを受けておいて返礼なしじゃ、あまりに不公平ってもんだわ」
「やったー!!」
とうとうアマンダから快諾を得て、ルーナが万歳三唱した。
これで第一難関突破。私もホッと胸を撫で下ろす。
「―――デボラ」
「ぎゃ、ぎゃあぁぁぁーーーっ!?」
次の瞬間、妖怪・フェロモン大魔王が背後から私の耳にフッと息を吹きかけた。私はこの世の終わりと言わんばかりの悲鳴を上げる。
「…………、俺に囁きかけられて、ここまで下品な悲鳴を上げた女はお前が初めてだ、デボラ……」
「ホホホホ、申し訳ありません、エル様。ですが気配を消していきなり女性の背後に立つもんじゃありませんわ。グーで殴られたいんですの?」
私は一気にエルハルドのそばから後ずさり、無意識にファイティングポーズを取る。
ルーナも私を真似して、同じくファイティングポーズを取った。
すると仮面の下からでもわかるほどに、エルハルドは顰め面になる。
「もしかして俺、嫌われてる……?」
「お気づきになるのが遅いですね、エル様。最初からお二人には避けられまくっていたではありませんか」
「……」
リゼルから容赦ないツッコミが入り、エルハルドは、はぁ~と大きく肩の力を抜いた。「やれやれ」というポーズさえ、周りの女性達を容易く魅了するのだから、本当にタチが悪い。
「まぁ、俺の魅力を理解できない女を落とすのも、ゲームとしては面白いか……」
「(ゲームとか言っちゃってますよ、この人……)」
私に嫌われていると察しても、全くめげる様子がないエルハルド。男女の恋愛をそんな風にしか見られないなんて、考えようによっちゃあ可哀そうな人なのかもね。
ともあれ彼のおかげでアマンダの協力を取り付けられたのだから、そこは素直に感謝するとしよう。
「エル様本当にありがとうございました。これで私達、前に進めそうです」
「……ふふ、貸しはその内きっちり返してもらうからな?」
「……………。―――はい」
なーんて。
これ以上ややこしいことになりたくないので、今は素直に頷いておく。
だけどエルハルドからの借りなんて、今後フルシカトする予定よ!
だって私は悪女デボラ。約束なんて守るはずないじゃない!
エルハルド、あんたは私に利用されるだけの男。あいにくだけど、今度こそ二度と会うことはないわ!
「ああ、それから俺の貸しを無視しようとしたなら、今夜のことは即アストレー公爵本人に報告するからな?」
「――」
――にやり。
けれど私の浅はかな考えが全て面に出ていたのか、エルハルドは不気味な警告を残していった。
ひ、ひぃぃぃっ!
公爵への告げ口だけはどうか……どうか平にご容赦をっっ!
「それではレディ・ビアンカ。再びこの会場でお会いできる日を楽しみにしております。今夜のあなたとの時間は、取引の件を差し引いても本当に素晴らしいものでした」
「ま、まぁ、エル様……」
エルハルドはとどめとばかりにアマンダの手の甲にキスをして、優雅に会場から立ち去って行った。
多くの男を手玉にとってきただろうアマンダでさえ、エルハルドを前にするとまるで初めて恋を知った少女のような表情になる。
うーん、さすが腐ってもフェロモン大魔王。
逆立ちしても公爵には真似できない、完璧なカリスマヒーローとしての立ち振る舞いだわ。
「さ、では何から話せばいいかしら? まずはイグナーツの素行の悪さから?」
「お、お願いします!!」
それから私達はようやくアマンダから本題を聞き出すことができた。バーの一角に集まり、まずはイグナーツ本人の人柄から語ってもらうことにする。
「そうね、イグナーツ本人は武の才能があるわけでもなく、騎士としては平凡以下。ザイフェルト伯爵家の三男だと言うから一時期付き合ってもいたけど、ギャンブル好きで金遣いも荒いし、典型的なクズね。だからこそ私も速攻で切ったんだけど」
「イグナーツはロクサーヌのことを、なんと言ってましたか?」
「私と付き合っている時は散々こき下ろしていたわね。実家の商売に夢中で、男をろくに立てない強欲女……と。だからイグナーツのほうから婚約破棄してやったんだと、自慢げに話してたわ」
「それがまたどうして再びスチュアート家と婚約を結ぶことになったんでしょう?」
私がズバリ尋ねると、アマンダは再びタバコに火をつけ、ゆらゆらと煙を燻らせ始める。
「イグナーツは元々あった借金が、私と付き合ったことでさらに膨れ上がっていたから、なんとしてでもロクサーヌとよりを戻してみせると息巻いてた。私がそんなことできるの?と訊いたら、自信満々に策略があるって、聞いてもないのに話し始めたわ」
「策略?」
「イグナーツが騎士団でどんな役職についているかはご存じ?」
「えーと、確か……」
「キャッセルブルグ駐屯地の武器倉庫の管理係でしたか。確か」
透かさず補足を入れてくれたのは、新聞記者であるハリエットだ。
「そう、イグナーツが管理している武器庫には、毎年補充されるけれど、使われる機会がないまま錆びていくだけの武器が山とあるわ」
「そうなの?」
「まぁ、国境沿いの守備は主にカニンガム家の軍隊が牛耳っていますからねぇ。騎士団の仕事はもっぱら王都周辺の警備や要人警護に限られています。国に忠誠を誓った王国騎士団はともかくとして、地方に駐屯する騎士の中にはまともに剣を振るえない者も多いでしょう。活躍の場がない以上、腐る武器が山ほどあるのも合点がいきます」
ハリエットの捕捉に、アマンダはしたり顔で頷く。
「で、管理が杜撰な駐屯地の武器庫から、イグナーツは毎年バレない程度の量の武器を内紛が続く他国に流しているの。いわば職権を悪用した小遣い稼ぎってわけね」
「えっ、それってつまり密輸じゃないですか!」
私の代わりに大きな声を上げたのはルーナだ。私はとっさにルーナの口元を手で押さえ、声を潜めろと目で合図を送る。
「個人による武器の密輸……」
「なるほど、密輸によって稼いだセコい金で、イグナーツは借金を返しているという訳ですかい。密輸だけじゃなく、窃盗罪・横領罪も適用される犯罪ですねぇ。でもそれがスチュアート家とどういう関わりが?」
私がアマンダの話を必死で頭の中で整理している間、ハリエットが主体となってどんどん質問していく。
見た目は昼行燈に見えるけど、さすがねハリエット。もしかしたら彼は予想以上の切れ者なのかもしれない。
「その密輸がね、とうとう駐屯地の上司にバレそうになったのよ。そこで、イグナーツは自分の罪を他人に擦り付けることを思いついた。自分が他国に売り捌く予定でいた剣や槍などを、スチュアート商会の貿易船の中に紛れ込ませたのよ」
「ええっ!?」
「そんなこと、できるんですか?」
アマンダの言葉に、私達は一斉に食い付いた。いよいよ話が核心に迫ってきたみたい。
「スチュアート商会に雇われた人夫に小金を握らせれば、そんなに難しいことではないと言ってたわ。そしてスチュアート家が貿易品を扱う船の中から、密輸品が発見されればどうなるか……」
「当然スチュアート商会の取引全てが中止となり、精査対象となるでしょうね。もし武器の密輸が真実ならばスチュアート商会そのものの存亡危機だ」
「え? でもそんな事件とか騒ぎとかあった?」
王都にやってきて日の浅い私だけれど、スチュアート家が密輸に関わったなんて噂、聞いたことはない。それとロクサーヌの復縁話が、どう繋がるのかしら?
「そう、ここでイグナーツのギャンブル仲間が登場するのよ。財務省の貿易監査官にブルーノっていう奴がいるんだけど、こいつがイグナーツと共謀したの」
「共謀!?」
「イグナーツが内通者を金で雇ってスチュアート家の船に密輸品を紛れ込ませる。それを貿易監査官のブルーノが発見する。でも実は二人はグルでした。その後はさて、どうなるかしら?」
「……」
「なるほど……。元々ありもしない密輸事件をでっちあげて、スチュアート家を陥れたのか」
ハリエットは顎の無精ひげを指で擦りながら、ニヤリと口角を上げた。
ブルーノの役職である貿易監査官……というのは、つまり現代で言うところの税関みたいな機関かしら?
密輸犯と税関が手を組んで、まっとうな商売をしているスチュアート家の貿易品に偽装工作する。そして密輸の事実を隠蔽する代わりに、イグナーツと再び婚約しろと脅迫する。
スチュアート家としては根も葉もない濡れ衣を着せられたのだから、当然抵抗はしたでしょうね。でも実際ロクサーヌはイグナーツと婚約し直しているのだから、最終的にはスチュアート家を守るために卑劣な脅しに屈してしまったということになる。
さすがに胸糞悪くなって、私の口から思わず下品な単語が飛び出した。
「イグナーツも相当のクズだけど、そのブルーノって奴はイグナーツをさらに上回るクソね」
「その通り。ブルーノは財務省の貿易監査課の一部をも巻き込んで、スチュアート家の密輸がさも真実であるかのように仕立て上げたの。そして大金と引き換えに、事件そのものを隠蔽したんでしょうね」
「官庁ごと腐ってるって奴ですかい。世も末だなぁ……」
「イグナーツにしてみれば自分にかけられた嫌疑が晴れる上に、スチュアート家からの大量の持参金が手に入るのだから、こちらも一石二鳥だったでしょうね」
アマンダは再びカクテルを口に含むと、「どうかしら? 私がイグナーツから伝え聞いたのはこんな所よ?」と、妖艶に微笑んだ。
私は大きく頷き、再びアマンダにお礼を言う。
くっそー、許すまじ、イグナーツにブルーノ!
アマンダ相手にペラペラと犯罪の全容を語ったその小悪党ぶり、これから死ぬほど後悔させてやるわ!
私は鼻息を荒くし、ロクサーヌをどうやって助けるべきかと考え始める。
「いや、予想だにしない特ダネを掴めて、記者的には満足です。でもこれは思った以上に大事件ですねぇ。解決するためには、やはりアストレー公爵の協力が不可欠なのでは?」
「―――、……………は?」
けれど怒りで興奮中の私の頭に、ハリエットが容赦なく冷水を浴びせてきた。
い、今なんつった? 今回の事件の解決には公爵の協力が不可欠?
確かに王国騎士団や財務省の役人やらが絡んでいて、私個人ではどうにもならないレベルの話ではあるけれど……。
「そうですよ、デボラ様! ここはカイン様のお力を借りましょう! 事件の真相を話せば優しい公爵様のこと、きっと事件を解決してくれます!!」
「ちょ、ちょっと待って!!」
ハリエットの言葉を聞いたルーナはなぜかノリノリで、瞳をキラキラ輝かせながら公爵について熱く語る。対する私の背中からはダラダラと嫌な汗が噴き出し始めた。
だって密輸事件のあらましを公爵に説明するってことは、その事実を知った過程についても話さねばならなくない?
む、無理よ、無理だわ! 私だって自分の命と貞操は惜しいもの!
「だめよ、公爵には話せないわ! そんなことしたら私が今夜、仮面舞踏会に忍び込んだことが速攻バレるじゃないのっっ!」
「ほら、そこは何とかテキトーに誤魔化して! エルハルド王子と偶然出会っちゃったことは秘密にしておきますからぁ~♪」
「そ、そんなの当たり前でしょっ!!」
私はすでに公爵に頼る気満々のルーナに、反対しまくった。
けれど現実問題、公爵を頼らなければロクサーヌは助けられそうにないわけで……。
他に何かいい打開策はないかと、縋る思いでハリエットを振り返った。
けれどハリエットは、
「すいません。俺はただの一新聞記者なんで。お役所相手じゃ、さすがに何もできないなぁ~♪」
と、陽気に口笛なんか吹いている。
く、くっそー、この裏切り者!! こんな時こそ何かいい知恵出しなさいよ!
こちとら前世がオタクなだけの、超凡人なのよ!?
しかも武器密輸事件なんてネタ、『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の中には全く登場しなかったし……。
「ううぅぅぅ、おうううぉうぅぅぅぉーーー………っ」
「ちょっと大丈夫この子? なんか妙な唸り声上げ始めたんだけど?」
その場で頭を抱え込み、奇妙奇天烈な声を発する私をアマンダが心配してくれた。
一難去ってまた一難。
前世の知識が使えない状態で、もちろん他に具体的な解決策など浮かぶはずもなく。
リアルモンクの叫びとなった私は自分の精神を守るために、以降の思考を完全放棄することに決めたのだった。(本日二度目)




