74 仮面の下の毒に気をつけて2
「あれ? もしかしてお二人は『黄金の貴公子』とお知り合いだったりしますかい?」
私達の反応を見て、ハリエットは愉快そうに口角を上げた。
はぁ? 『黄金の貴公子』って何それ?
金の髪に金の仮面。確かに金だらけのゴージャスイケメンではあるけれど、あまりにベタすぎる異名じゃないかしら。
私はエルハルドの視界に入らないよう壁際に張り付きつつ、蚊の鳴くような小さな声で答えた。
「知り合いと言えば知り合いね。でもできれば自分から近づきたくないわ」
「というか、この国の皇子が何でこんなところにいるんでしょうかね?」
「ちょ、ルーナ!」
私が言葉をぼかしているというのに、ルーナはあっさりと『黄金の貴公子』がエルハルドであることをバラしてしまう。するとハリエットの笑みが深くなり、腕組みしながらうんうんと頷いた。
「なるほど、やはり『黄金の貴公子・エル』の正体は、エルハルド第二皇子ですか。まぁ、エルはこの会場に集まる全ての女性を魅了するほどの色男ですからねぇ。ただものではないと思っていました。彼に誘われて踊ることが、一種のステータスになってるくらいですよ」
「仮面をつけて正体を隠してても、女たらしには変わりがないのね」
私が吐き捨てるように言うと、ハリエットは苦笑した。
全くどこにいてもフェロモンをまき散らすしか能がないのね、エルハルド。少しは自分の身分と立場を考えて行動したらどうかしら? 第二皇子がお忍びとは言え、こんな胡散臭い場所に出入りしているなんて大問題じゃない?
「いや、でもデボラ様がエルと知り合いというなら話は早い。これを利用しない手はないですよ」
「はぁ?」
しかも私がこれだけ再三近づきたくないと言っているのに、ハリエットは不穏な提案をしてくる。私の眉間の皺が一本から三本に増えたのは言うまでもない。
「利用ってどういうこと?」
「ご覧ください、エルが今ダンスのパートナーを務めているのは、この仮面舞踏会の主催者です」
そう言ってハリエットは再びエルハルド達に視線を戻す。
言われてみれば彼と踊っている女性は恰幅のいい、ぶっちゃけて言えば太った中年のおばさんだった。けれどこの舞踏会を仕切るオーナーならば、我が物顔で彼と踊っているのもわかる。
「エルは身分と正体を秘密にしていますが、その気品はやはり隠しきれなくて、オーナーである彼女のお気に入りなんですよ。そしてオーナーのお気に入りであるがゆえに、他の女性は自分からエルに声をかけることはできない。オーナーの機嫌を損ねたら、出禁を食らってしまいますからね」
「ふーん」
私は全く興味なさげに、ハリエットの話に適当に相槌を打った。ルーナに至っては「あんな人どうでもいいんだけどなぁ」と暢気にあくびさえしている。
「まぁ、とにかく聞いて下さい。つまりエルに自分から声をかけられない女性達は、エルのほうから声をかけられるのを待っている。ここでは彼に誘われて踊ることが、一種のステータスになってると言ったでしょう? だがエルは月一、二程度しか姿を現さず、自分でパートナーを選ぶことも滅多にない。彼のお眼鏡に適う女性は非常に希少なんです。これが何を意味しているか分かりますか?」
「うーん、つまりエルに誘われて彼を独占することができれば、女としての誉れっていうこと……」
かしら?と途中まで言いかけて、私はようやくハリエットの意図を察した。ハッと大きく目を瞠れば、ハリエットはしたり顔で頷く。
「もちろんそれはアマンダも例外ではありません。もしもエルをたった一晩でもパートナーにすることができたなら、彼女は大喜びするでしょうね」
「り、理屈はわかるわ。でも私は自分からエルに近づくのはいやよ!」
ハリエットの言葉に、私は激しい拒絶反応を起こした。
ただでさえ公爵には秘密で仮面舞踏会に潜入してるのに、その会場でよりにもよってエルハルドと接触するなんて、正気の沙汰じゃない!
「デボラ様、そこを何とか」
「何とかしたくない!」
「でもアマンダの協力がなければ、ロクサーヌ嬢を救うことは不可能になりますよ?」
「そ、それはそうだけど……」
私はグヌヌヌ……と歯を食いしばり、究極の選択を迫られた。
わが身の保身を優先してアマンダの説得を諦めるか、もしくはわが身を人身御供にしてエルハルドに接近するか。
とれる道は二つに一つ。
一体どうしたらいいものかと悩みに悩んでいると――
「おーい、そこのきんきらりんの人! ちょっとお話いいですかぁーーー?」
「げっ、ルーナ!」
最悪のタイミングでやっぱりやってくれました、トラブルメーカー・ルーナ!
必死にエルハルドの視線から逃げていたというのに、ルーナは自分から踊っているエルハルドに近づいて声をかけたのだ。
おかげで怪訝そうに振り向いたエルハルドと私の視線が、バッチリ合ってしまった。
「おやおや、まさかこんな所で君達とお会いすることになろうとは」
「ご、ごきげんよう。本当に奇遇ですわね……」
――にっこり。
私とルーナを認識した途端、悪魔はしたり顔で微笑む。
どうやら仮面をつけていても、エルハルドは一発で私達の正体を見抜いたようだ。さらにダンスを終えてオーナーに丁重に挨拶した後、すたすたと私達の許へと歩み寄ってくる。
『黄金の貴公子』が見慣れぬ参加者に近づいたのを見て、女性だけでなくその場にいる全員が大きくざわついた。
「あのエルが自分から声をかけるなんて、あの方たちは一体誰?」
「ヘンリーがいるけれど、残りの二人は見かけたことがないわね……」
チクチクチクチク、薔薇の棘のような視線が一斉に刺さり、私は、うっ、と小さな悲鳴を上げた。
か、帰りたい。今こそ全力でデボビッチ家に逃げ帰りたい!
けれど及び腰の私を逃がすまいと、エルハルドは私の前に大きく立ち塞がる。
「もしかしてあの陰気そうな旦那とうまくいってないのかな? ならば喜んで俺が恋のお相手を務めよう、ミセス・デボラ=デボビ……」
「ストーーップ! その名前をここで出すなぁっ!!」
私は慌てて両手を伸ばし、エルハルドの口を両手で塞いだ。
すると周りからまた「おおっ」と大きなどよめきが起こり、女性達からは激しい嫉妬の視線が飛んでくる。
「なんなのあの女! 気安くエル様に触れて!!」
「新参者のくせに生意気ね! 少し懲らしめてやろうかしら!?」
意地悪女のテンプレのような暴言を囁かれ、私は思わず身震いする。
ひぃぃーーー、ごめんなさい!
でも私だって本当は『歩く18禁男』には、なるべく近づきたくなんかないのよ!
「ちょっと、何馴れ馴れしくデボ……ディアナ様に近づいてるんですか!? あなたに一番に声をかけたのはこの私なんですけど!!」
そして悪魔の前で涙目になっている私を救おうと勇ましく立ち上がったのは、本来ならばヒロインの立ち位置にいるルーナだった。ルーナは私とエルハルドの間に割り入り、キャンキャンと高い声で吠えまくる。
「またお前か、ちんちくりん……」
「ちんちくりんってなんですか! 私がちんちくりんなら、あなたはただの背高のっぽですよ!」
本来ならば運命の恋人設定であるエルハルドとルーナは、私を巡って喧嘩を始めた。
なんかこの辺りもゲームの展開と全く違うんですが……。
二人が険悪ムードになるのを見て、私はひとり遠い目になる。
「……エル様。ここだと人目に付きます。一旦奥にお下がりになってはいかがでしょう」
「!」
するといつの間にか私達の背後に一人の男性が立っていた。
仮面をつけているけれど、その凛とした立ち姿から、すぐに誰だかわかる。
「あなたは確か、リゼル……」
「どうぞこちらへ、レディ」
気配もなく私達に近づいてきたのは、エルハルドの護衛騎士のリゼルだった。
リゼルは私に向かって優雅に手を差し出し、紳士らしくエスコートしてくれる。
「おい、リゼル」
「エル様もどうぞこちらへ」
何か言いたげなエルハルドを制し、リゼルは私達を奥の部屋へと案内してくれた。
確かにこの場で立ち話していては、人々の注目を集めてしまう。
なるべく秘密裏に事を運びたい私としては、リゼルに促されるまま一旦表舞台から退場することにしたのだった。
× × ×
「なるほど、つまりアマンダという女を説得するために、この俺の協力を仰ぎたい……と。そういう訳か?」
仮面舞踏会の会場の奥には、エルハルド専用のVIPルームが用意されていた。
さすがオーナーのお気に入り。身分を隠していようが、腐っても皇子。
エルハルドのVIPルームは王宮にも劣らぬほどの豪華さで、ちょっとした小ホールくらいの広さがあった。その中央に置かれたソファに座っている私は、今まさに断頭台に立たされた囚人の気分だ。
「えと、まぁ、かいつまんで言うとそういうことになりますわね……」
「なぜさっきから一度も目を合わせようとしない? デボラ、俺は悲しいぞ」
私の真向かいに座るエルハルドは前髪を優雅に掻き上げながら、意味ありげに微笑んだ。プライベートルームでは仮面を外しているからか、イケメンオーラがさっきの三割くらい増している。
ちなみに詳しい事情は、ハリエットがかいつまんで説明してくれた。
さすが新聞記者。私が話すよりもずっとスムーズに、エルハルドとの交渉は続いている。
また護衛騎士のリゼルも、すぐに話を脱線させようとするエルハルドを諫めてくれた。
「エルハルド様、女性をあまり困らせるものではありません」
「別に困らせているつもりはないが?」
「いや、デボラ様、さっきからめちゃくちゃ困ってますよ? 大体なんで人妻を図々しく口説こうとしてるんですか! デボラ様に指一本でも触れたら、この私が許しませんからねっ!」
「フンッ、お前には発言を許していない。引っ込んでろ、ちんちくりん」
「ムキーッ!」
隣に座るルーナは私の腕にしがみつきながら、子猿のように顔を真っ赤にしていた。
不思議とあんなにうっとおしく感じてたルーナが、今はなんだか可愛く見えてくるのだから、本当にヒロイン属性って恐ろしいわね。私もなんだかんだと彼女に絆されてきたみたい。
私はルーナの頭をよしよしと撫でながら、改めてエルハルドにお願いした。
「突然の申し出、不躾だとは存じますが、どうかご協力願えませんか? 殿下のお返事如何で、一人の女性が救われるかもしれないのです」
「うーん、そうだな、どうしようかな……」
私が深々と頭を下げると、エルハルドはちらりとこちらを流し見る。
「薔薇……」
「え?」
「毎日欠かさず特別な薔薇を届けさせたというのに、返ってくるのは儀礼的な礼状ばかりで、俺は悲しかった……」
「そ、それは大変申し訳ございませんでしたぁぁぁっ!!」
ロイヤルローズの件を引き合いに出され、私はエルハルドに平身低頭、謝罪するしかなかった。
というか、なんでここで私が謝らなきゃいけないのよ!? エルハルドのご機嫌を取らなきゃいけないとはわかっているけれど、勝手に薔薇を送り付けてきたのはそっちでしょうに!
「……まぁ、いい。どうやら本気で困っているようだし、協力してやろうじゃないか」
「え?」
「今夜一晩、女一人とダンスを踊ればいいだけだろう? そんなこと、俺には造作もない」
「ほ、本当ですか!?」
私は下げていた頭を上げて、まじまじとエルハルドを見つめた。
すると毒をたっぷり含んだエルハルドの言葉が返ってくる。
「一つ、貸しな?」
「――え?」
「この貸しは大きいぞ、デボラ? 仮にも一国の皇子を目的達成のために利用するんだ。いつかきっちり返礼はしてもらうからな?」
「――」
ぎゃ……ぎゃあぁぁぁーーーーーーっ!
後光が射すかのようなエルハルドのアルカイックスマイルに、私はこれ以上ない戦慄を覚えた。
も……もしかしなくても私、大きな地雷抱えちゃいました?
エルハルドの言う返礼って何?
私は再びリアルモンクの叫びになりながら、自分の精神を守るために、以降の思考を完全放棄することに決めたのだった。




