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72 取り巻きを攻略しましょう4



 ゲームの中でも、ロクサーヌは特に注目されるタイプのキャラではなかった。

 典型的な悪役の取り巻きというポジションで、デボラと一緒に登場する際は、いつも「もー、この方ってば、も―! なんて不躾な方なのかしら!?」と、モーモーモーモー牛のように鳴いて、ルーナを非難する役どころだった。


 けれどそんな悪役の取り巻きでしかない彼女も、この世界ではちゃんと生きていて、複雑な感情を抱えている。ステレオタイプではおさまりきらないほどの悩みに苦しんでいると知って、私の胸は少なからず痛んだ。


「以前婚約破棄してた方をよりを戻すって……。ロクサーヌ様は本当にそれでいいんですの?」

「……」


 だからこそ、純粋な疑問が口を突いて出た。

 答えなど、訊かなくとも最初から分かりきっているのに。


「いいも悪いも貴族間の結婚に感情はいりませんわ。あるのは家と家の間の契約だけ。両家が納得して再び婚約を結び直すと決めたのですから、私が否やを言う権利はありません」


 そう微笑みながらもロクサーヌの瞳はわずかに潤んでいた。

 それは多分悔し涙であり、悲しみの涙なのだろう……と思う。

 これは彼女の精いっぱいの強がりなのだ――と。


「そんな訳でして、私はこれからしばらくこのサロンにも来られなくなってしまいますの。今日は親しくして下さった皆様に最低限のご挨拶だけでもと思いまして」

「ロクサーヌ様……」


 今日が初対面の私はともかく、以前よりロクサーヌと知り合いだったルーナやドルイユ夫人達は、ロクサーヌに同情の視線を向けていた。イグナーツって奴がどんな人間なのかは知らないけど、みんなの反応から察するにきっとろくでもない男に違いない。


「私、納得いきません! ロクサーヌ様は本当にそれでいいんですか? 婚約破棄の話だって、元々あんな男とは結婚したくなかったからちょうどよかったって嬉しそうに話してくれたのに! それがなんでよりを戻すことになっちゃうんですか!? これって、本当に両家納得済みの婚約なんですか!?」

「ルーナ、それ以上言ってはだめよ」


 興奮して次々と疑問を口にするルーナをマノン様が慌てて止める。

 ロクサーヌ自身がこの婚約を望んでいないことは、誰の目から見ても明らか。でもそれをどうしてと彼女自身に問うのは酷というものだ。


「申し訳ありま……せん。私はここで失礼させて頂きます。皆様を不快にさせてしまう、わが身が不甲斐ないです」

「ロクサーヌ様!」

「じゃあまたね、ルーナ」


 ロクサーヌは脱兎のごとく、私達の前から立ち去って行った。彼女を見送る私達の間にも、気まずい空気が流れる。

 それから少しして、ドルイユ夫人とマノン様も「本日はここで失礼させて頂きます」と、サロンから辞していった。残されたのは不貞腐れるルーナと私、そして付き添いのエステル夫人だけだった。


「エステル夫人、ザイフェルト伯爵家のイグナーツ様がどんな方かご存じ?」

「申し訳ありません。私はここ数年社交界から遠ざかっていまして、詳しいことは何も……」

「そうよね、ごめんなさい」


 私は思わずため息をついた。その後ルーナに視線を投げれば、彼女もフルフルと首を横に振っている。


「すいません、ロクサーヌ様からは、以前の婚約者はまともな奴じゃなかったとしか聞いてなくて……」


 どうやらルーナも、ロクサーヌの婚約者の詳細については何も知らないらしい。

 はぁ、困ったわ。誰か詳しい事情を知っている人はいないかしら。

 このままじゃロクサーヌを攻略するどころか、彼女が不幸になるのを黙って傍観するしかなくなってしまう。




「詳しい事情……ですか。なるほど、公爵夫人がご所望とあらば、そのリクエストにお応えするのもやぶさかではありません」


「っっ!?」




 その時だった。

 まるで私の思考を読んだかのように(いや、多分また無意識に考えてたことが口から洩れていたんだろう……)、背後にいたある人物から声をかけられた。

 慌てて振り向くと、そこにはしたり顔で笑う一人の男性がいた。


「初めまして、アストレー公爵夫人。俺の名はハリエット=コルヴォ。しがない新聞記者です」


 そう微笑み紳士の礼を執るハリエットは、赤い髪が特徴的な40代くらいの男性だった。



 ――うわ、なんかまた怪しい奴が出てきた……。



 私が咄嗟に警戒してしまったのも、ある意味当然だと思う。

 だってこんなキャラ『きらめき☆パーフェクトプリンセス』では登場しなかったもの! つまり彼は私にとって、データバンクにない未知の人物……。


「新聞記者……と仰ったかしら? 一体どちらの新聞社にお勤めで?」

「公爵夫人には名も知られていない小さな小さな新聞社ですよ。一応こちらをお渡ししておきましょうかね」


 ハリエットは上着の内ポケットから名刺を取り出し、私の前に差し出した。それには『フィナンシャル・ポスト社』と書かれてある。


「記者のあなたがどうしてこのサロンに出入りしてますの?」

「もちろん社交界で面白い事件やスキャンダルがないか、そのための聞き込みですよ。サブリエール伯爵夫人は貴族だけでなく、身分の低い文化人や芸術家にも門戸を開いてくれていますからね。俺のような者のネタ集めにはうってつけの場所なのです」

「なるほど。つまりあなたの目的は下世話なネタ探し……と」

「デボラ様は我ら記者の本質を的確に見抜いておられますね。お褒めに預かり光栄です」


 ――にっこり。

 

 私とハリエットは同時にお愛想笑いを浮かべた。

 まさに狸と狐の化かし合い。お互い一筋縄ではいかない相手であることが、そのオーラからビンビン伝わってくる。


「デボラ様、デボラ様、このおじさん、なんか怪しいです。近づいちゃだめですよ!」

「うわぁ、若いご令嬢におじさん扱いされると、さすがの俺も傷つくなぁ」


 ルーナは私の腕を引っ張り、少しでもハリエットから遠ざけようとしている。一方のハリエットは頭をボリボリと掻きながら、苦笑いを浮かべていた。


「ロクサーヌの婚約について、何か情報をお持ちのようね?」

「さすが公爵夫人。話が早い」


 けれど私はハリエットの誘いに乗ることにした。

 だって今のままじゃ埒が明かないんだもの。ハリエットはいかにも胡散臭い人物だけど、新聞記者という身分ならば、彼が持ってる情報はそれなりに有益なものかもしれない。


「目的はお金? それともデボビッチ家の人脈かしら?」

「そうですねぇ、情報料を頂くのも悪くはないですが、ここは出会いの記念として初回は無料サービス致しましょう。もちろんデボラ様とお近づきになりたいという下心も込みで」


 そう言いながらハリエットは手帳を取り出し何やら書き込んだ。

 そしてそれを破り、私の前に一枚のメモを差し出す。


『アマンダ=キャンデル』


 メモにはある一人の女性の名が書かれてあった。

 一体誰かと訝しむと、ハリエットは再びニヤリと口角を上げる。


「イグナーツのことを知りたいのならば、その女性に直接聞くのがよろしいでしょう」

「誰? この人……」

「イグナーツとロクサーヌ嬢の婚約が破棄されるきっかけを作った女性ですよ。わかりやすく言えば、イグナーツの元恋人」

「!」


 なるほど。つまりこの女性と恋に落ちて、イグナーツはロクサーヌとの婚約を破棄したってわけね。それがまたどうして婚約し直すことになったのかしら?


「アマンダは元々下町にある小劇場の看板女優でしてね。ただし二カ月ほど前に、小金持ちのオルドリッジ家の後妻として嫁いでいます。今はそれなりに裕福な暮らしをしているようです」

「なるほど……。つまりイグナーツは金持ちとの結婚を選んだアマンダに振られたってわけね」

「ご明察」

「でもだからって、なんでロクサーヌ様とよりを戻す必要があるんですか!?」


 私とハリエットの会話に、なぜかルーナもぐいぐい食い込んでくる。

 ちょ、ルーナ、今は私が質問しているところだから、少し黙っててくれるかしら?

 まったくこの子ってばさっきまでハリエットのことを警戒してたのに、場に順応するのが速すぎるわよ。


「それはおそらくロクサーヌ嬢の持参金目当てでしょうね。スチュアート家の輿入れの持参金となれば、目が飛び出るほどの額になる」

「お金目当て? ますますひどい!」

「ルーナ、ステイ」


 私が笑みを消して右手を翳すと、ルーナはハッと顔を上げ、私の隣で大人しくなった。

 うん、なんていうか、この子ってば忠犬タイプよね、マジで。

 私に諫められたことがわかると、飼い主に叱られた犬のようにしょぼんと項垂れる。

 そして会話の主導権を取り戻した私は、声をひそめながら先を続けた。


「莫大な持参金が必要なほど、イグナーツの実家は困窮していると言う事かしら?」

「ザイフェルト伯爵家というよりは、イグナーツ本人の問題でしょうね。恋愛に奔放だったアマンダに遊ばれてしまったことからわかるとおり、イグナーツは王国騎士団に勤める騎士の中でもかなり無能です。王都から離れた駐屯所の兵站を任されていますが、元々騎士としての意識も薄く、夜な夜な繁華街で遊ぶ姿が同僚の騎士に目撃されています」

「無能を通り越して、バカじゃないの、それ」


 私の口からは、また深いため息が漏れる。

 まさかロクサーヌの婚約者が、それほどまでのクズだとは思わなかった。伯爵家の三男じゃなかったら、すぐに見放されるレベルの放蕩ぶりじゃない。


「まぁ、イグナーツはそんな男なので、彼個人が抱えている借金も相当なものでしょう。熱を上げて、アマンダにも相当貢いでいたようですし。そんな彼にとっては、ロクサーヌとよりを戻すことは充分な益になります」

「でもそんなこと、スチュアート家だって容易に受け入れられないでしょうに」

「そこです。仮にも一度は婚約破棄されて面子を潰されたはずのスチュアート家が、なぜ再びイグナーツとの婚約を受け入れたのか――それが謎なのです」


 ハリエットはわざとらしく肩を竦めると、私に手渡したメモを指さした。促されてもう一度メモを見直すと、アマンダの名の他に、


『黒き薔薇は新月の夜に美しく花開く』


 ………と謎の一文が書かれている。


「何、これ」

「ある仮面舞踏会に入場する時に、尋ねられる合言葉です。既婚となった後もアマンダはその秘密の仮面舞踏会によく出没しているようです」

「――」

「アマンダは奔放な女性ですが、イグナーツのようなバカではありません。それなりにしたたかで、計算高い女です。いやぁ、さすがの俺も情報を聞き出すのに苦労していましてね」

「えーと、つまり……」


 私はハリエットを睨みながら、口元をヒクヒクと痙攣させた。

 ハリエットも特ダネ求めてアマンダに接触してるけど、それがうまくいかないから私に手伝え……って事?


「デボラ様はロクサーヌの婚約の真相が知りたい。俺はスチュアート家やザイフェルト伯爵家の醜聞のネタが知りたい。目的が同じなら、手段を選んでる場合じゃないと思いますけどねぇ……」

「……………」



 ――こ………このクソ狸親父っっ!!



 私は心の中でハリエットを罵倒しながら、思わず頭を抱える。

 確かにこのままロクサーヌを放っておけないけれど、合言葉必須の仮面舞踏会が安全な場所だとは到底思えない。

 もしもそんな場所に近づこうものなら――




『また同じような過ちを繰り返してみろ。その時はこんな軽い仕置きじゃ済まないからな。覚悟しておけ』




 ひっ、ひぃぃぃーーーっ!

 ぜ、絶っっっっっ対公爵に叱られる!

 いや、叱られるだけじゃなく、想像もつかないような恐ろしいお仕置きが待っているっ!!

 さ、さすがに無理!

 いくら取り巻きを攻略するためとはいえ、怪しい仮面舞踏会になんて自分から近づけないっ!!



 ああ、だけど、アマンダから話を聞かなければ、ロクサーヌはみすみす不幸な結婚をしなければならないわけで……。

 このまま知らんぷりを続けたら、私自身良心の呵責に悩まされること間違いなしで……。


 まいったなぁ、こりゃどうすりゃいいの。

 前門に虎、後門に狼とはまさにこのこと。



 公爵の魔王モードに脅えつつも、私は今後どうすべきなのかを真剣に悩みまくるのだった。






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